第11話 簡易保管所

文字数 10,491文字

 展示会場から逃走したGTCリーダー鴻巣(こうのす)と、彼女によって持ち出されてしまった水牛の像。
 彼女の特徴、そして水牛の像と〈ツール〉の能力についての情報は、〈管理局〉側の間で共有された。
 〈管理局〉は各地の〈ピックアップ〉や〈ストレージ〉へと水牛の像の確保を命じる。

 栞探偵事務所は仁木が手錠をかけられて拘束されたため、その解放に時間がかかり出遅れた。
 展示会も閉幕した中、4人は揃ってビッグサイトの外に出て、〈管理局〉が押さえていた近くの駐車場へと向かい、仁木の車へと乗り込む。

「GTCを追うの?」

 飛鳥井が問うと、守屋は「そうだな」と空返事をした。
 されど直ぐに出発指示は出さず、「念のためオーナーへと確認する」と今後の方針についてはオーナーへと委ねる形となった。

「ちなみにこれってどうしたら良いですか?」

 夕陽はトートバッグからカメの形をしたカメラを取り出して示す。
 首をかしげる面々に対して説明した。

「例のGTCが隠れ蓑にしていた俵原(たわら)商会のブースで販売されていたカメラです。
 触れてみると分かりますが、指先で感じる程度にしっとりしてます」

「本当に〈ツール〉なのか?」

「普通のプラスチックの特性とは異なっていますから〈ツール〉で間違いないと思います」

「分かった。一応確認しておく」

 そう言って守屋は車の外に出て電話をかけ始めた。
 飛鳥井が夕陽からカメ型カメラを受け取り、その手触りを確かめる。

「確かに変。
 これが〈ツール〉かと言われるとそうなんだろうけど、そうじゃ無いと言われても納得するくらいには些細な違和感ね」

「ええ。極めて微妙な品ではあります。
 飛鳥井さんの方は?」

「もう壊れてる。
 人の位置を入れ替える〈ツール〉。かなり強力だけど、床に落ちて粉々よ」

 飛鳥井が示した証拠保管用のビニール袋には、布に包まれた何かが入っている。
 落ちて粉々になった〈ツール〉の欠片を拾い集めてきたのだろう。
 元は白鳥の形をしていたことを思わせる、首の部分が布の端からのぞいていた。

 電話を終えた守屋が戻ってくる。

「GTCの追跡は東京を管轄とする組織に任されたようだ。
 こちらは〈ツール〉を保管所へと運び込む」

「直接持っていくの?」飛鳥井が問う。

「そうだ。仁木、この住所まで頼む」

「了解。運転くらいはこなしてみせるさ」

 まんまとGTCのリーダーを逃がしてしまった仁木は、汚名返上したいらしく、住所を一目見ると車を発進させる。
 車は東京を出て、神奈川県へと入ると海沿いを進む。

「川崎? 横浜方面?
 こんな人の多い場所に〈ストレージ〉の保管所があるんですか?」

「簡易保管所だ。
 あくまで一時的に置いておくための場所」

「なるほど。恒久保管所の場所は教えてくれないんですよね」

「そうだ」

 短い守屋の返事に夕陽は頷く。
 回収担当の〈ピックアップ〉には知る必要の無いことは確かだ。
 それから夕陽は少し考え込むような素振りを見せて、再び守屋へと問いかける。

「水牛の像、探さなくて良いんですか?
 仁木さんは直接見ていますよね」

「管轄外と言われてしまえばその通りだと言わざるを得ない。
 それよりも今は回収した〈ツール〉を安全な場所へ移送することが優先される」

「大したことない〈ツール〉ですよ?」

「それはこっちで決めることじゃない」

 ごもっともですと、夕陽は守屋の言葉通りだと頷いた。
 あくまで〈ピックアップ〉は世に出てしまった〈ツール〉を回収するのが務め。
 重要か重要で無いかはもっと上の人間が決めることだ。
 少なくとも栞探偵事務所に決定権は無い。

 車は川崎を通り越して横浜へ入り、横須賀方面へと進む。
 そのまま海沿いを進み、国有地として設定されている港湾区画へと入ろうとする。

 ゲートを守る警備員が出てきたが、守屋が所属を伝えると通してくれた。

「流石は国家機密ですね」

「分かってると思うがこの場所については一切口外無用だ」

「もちろんですよ。
 探偵業法第10条ですよね」

 分かっているなら良い。
 守屋はそれだけ言うと、車が警備員に誘導されて建物の中へ入っていくのを黙って見届けた。

 〈管理局〉所有の倉庫だけあって、民間用倉庫と異なる物々しい雰囲気。
 周囲はすっかり暗くなっていたのにもかかわらず、明かりが極端に少ないせいもあって黒く不気味な雰囲気を漂わせていた。

 仁木の運転する真っ赤なランサーエボリューションはそんな倉庫に全く不釣り合いだ。
 車は倉庫内へと通されて、殺風景な保管庫で停止させられる。
 4人は車を降りると、更に倉庫の奥へと案内された。

「ああ、来たか。
 今日は悪かったね。わざわざ直接運ばせてしまって」

 出迎えに中年の男がやって来た。
 外見の印象は40代半ばから後半。小太りで、頭には白い物が混じりつつある。
 柔和そうな表情をしていて、大きなメガネをかけていた。
 服装はスーツの上から白衣を纏い、手には白手袋、足にもシューズカバーをつけている。

 警備員達も彼には敬意を示しているようだ。
 上司。恐らくこの簡易保管所では無く、〈ストレージ〉内でのそれなりの役職者だとうかがえる。
 彼が守屋へと声をかけると、守屋はかぶりを振った。

「いいえ。仕事ですから。
 ここで渡せば良いですか?」

「え? 折角来たので中を見させて欲しいです!」

 一切の空気を読むこと無く夕陽が告げた。
 守屋が「黙っていろ」と小さく呟くが、出迎えた〈ストレージ〉の男は人の良さそうな笑みを浮かべて答えた。

「見ても面白い物ではないと思うけどね。
 だが良いだろう。
 確か新人の――」

「淵沢夕陽です。
 初めましてですね」

「ああ、淵沢さんね。報告書に名前があったのを覚えているよ。
 私は〈ストレージ〉関東支部副部長の(つつみ)だ。今後ともよろしく頼むよ」

「はい! よろしくお願いします!」

 年上の堤に対しても夕陽は物怖じすることなく、笑顔を浮かべ、キラキラと輝く大きな瞳を向けた。
 同時に握手しようと左手を差し出したのだが、堤はそれを断った。

「悪いね。
 見ての通り、仕事柄手を触れる物には気を遣っていてね」

「あら、確かにそうですで。ごめんなさい」

「いや気にしないでいい。
 折角だから中の保管庫まで〈ツール〉を運んで貰えるかな?」

「もちろんです。お任せください!
 良いですよね、所長さん?」

 〈ストレージ〉の幹部、堤から直々の依頼だ。
 守屋にそれを拒否することは出来ない。渋りながらも頷いて、4人揃って倉庫奥へと向かう。
 倉庫内の扉を抜けるとそこは小部屋になっていて、奥には金属探知機、X線検知器を備えたゲートがあって、さながら空港の検問所のようだった。

「通信機器、カメラ、武器の類い。それから金属類はここで置いていってくれ。
 それ以外の私物はロッカーに預けてくれて構わない」

「ちなみにカメラの〈ツール〉は?」

「それは持ち込んで貰わないと困るな。こちらに」

 堤がプラスチック製の箱を持ちだして検査機の横に置いた。
 夕陽は重そうに抱えていたトートバッグから例のカメ型カメラを取り出してその中へとゆっくり置く。
 同じようにして、飛鳥井も〈ツール〉の残骸が入った袋をそこへ置いた。

 それぞれ、スマホやカメラなどを一時預かり品として提出する。
 夕陽も仕事用と私物のスマホ。カメラ。通信用イヤホンなど取り外して箱へと収める。

「これも一応武器ですからね」

 夕陽はケープの裏に隠していたモデルガンを両の手に持った。
 何故か2丁存在するそれを見て、守屋が苦言を呈する。

「何故2つ持っている」

「2丁拳銃って憧れじゃないですか?」

「買い足したのか?
 そもそも展示会にガスガン持ち込んだのか?」

「おもちゃですよ?」

「だとしても見つかったら問題だったぞ」

 そう言いながらも、守屋はしれっとジャケットの裏から拳銃を取り出して箱へ入れる。
 夕陽のとは異なりこちらは本物だ。見つかったら大問題に発展してしまう代物であった。

「本物の銃を持ち込んでいたんですか?」

「敵対組織が存在すれば戦闘になる可能性もあった」

 もっともらしい言い訳をつける守屋。
 夕陽も「所長さんが言うならそうなんだと思います」と軽く流す。
 あんな大勢人の居る場所で発砲したらどれほど危険なのかなど、守屋は当然承知しているのだから指摘する必要などなかった。

「堤さんは武器を預けないんですね」

 栞探偵事務所の面々と同様にスマホを預けていた堤だが、銃は取り出さなかった。
 夕陽に問われると彼は優しげな表情を浮かべて返す。

「私は銃を持たないんだよ」

「そうなんですか?
 2つあるので、1つ差し上げましょうか? ガスガンですけれど」

 夕陽は目の前に2丁の拳銃を、グリップを前にして差し出した。
 それには堤も困ったような表情をした。

「必要ないよ。
 〈ストレージ〉は保管が仕事だからね」

「そうですよね」

 夕陽は堤の反応に満足して、差し出していた銃を戻して微笑む。
 背後から迫っていた守屋はそんな彼女へと「バカな真似は控えろ」と言いつけて、さっさと銃を預けるように促した。

「〈鉄の書〉は持ち込んでも構いませんか?」

 夕陽の質問から解放された堤へと、飛鳥井が尋ねる。
 〈鉄の書〉は〈ツール〉でもあり武器でもある。堤もその問題には頭を悩ませたようで、どうするべきかと飛鳥井と折衝を始めた。

 その間、夕陽は一時預かり品の箱へと自分の銃を2丁とも預け、守屋の拳銃を右手の人差し指で指し示し、それからよく似た形をした自分の拳銃を指さす。

「所長さんの銃がこれ。
 自分のがこっち。間違えないようにしないと」

「こっちで把握してるから問題ない」

「流石は所長さん。頼りになりますね」

 夕陽ははにかむように笑うと、ロッカーへと私物を預けに行った。
 財布とトートバッグを中身ごと預け、適当な4桁の数字を入力してロックする。

 全員が荷物を預け終わった。
 銃や通信機器などは危険物用の金庫へとしまい込まれる。
 結局〈鉄の書〉はそれらと一緒に金庫へと預けられて、堤は預けられた品々が盗み出されることは決して無いと保証した。

 全員、金属探知機とX線検査を受ける。
 検査機を通ったカメ型カメラと粉々になったガラス片は、それぞれ夕陽と飛鳥井が運ぶ。
 部屋の先には大きなエレベーターがあり、そこから地下へと降りていく。

「凄いです!
 秘密の地下倉庫! SF映画の世界ですよ!」

 夕陽は興奮気味で、ただただ無機質なエレベーターの壁を興味津々で眺め回す。
 堤はそんなに期待するようなものではないと、穏やかな口調で言った。

「実物を見たらきっとがっかりするだろうね。
 あまり華やかな物ではないから」

 エレベーターが終着点へと到着した。
 扉が開くと、堤が言った通りの決して華やかではない景色が広がっていた。

 無機質なコンクリートむき出しの壁。
 電灯はLED化されているが数が少なく通路は暗い。
 何処までも続く通路には、所々扉があったり、鉄格子のかかった牢屋のような部屋がある。

 5人はその通路を先に進んでいき、今回発見した〈ツール〉を納める保管庫へと向かう。
 その途中、堤が足を止めて、鉄格子がかかった部屋を指さした。

「あれに見覚えがあるだろう」

「あ、牝鹿像ですね」

 鉄格子の向こう。10メートルばかり間隔を開けた先に、以前の調査で回収した〈葛原(くずはら)精機の牝鹿像(めじかぞう)〉の姿があった。
 〈ツール〉へと接近してくる物体の運動エネルギーを減衰させる特性を持つ、置き場所によっては死者を出しかねない危険な代物だ。
 それに不用意に存在されれば、科学的実験の結果をねじ曲げてしまうかも知れない。
 〈管理局〉としては絶対に外には出せない〈ツール〉だ。
 
 それは仮の台座の上に固定され、大きく前へと踏み出した造形の右足には万力で何かが取り付けられていた。

「残念だけど、ここまで運び込むのが精一杯だった。
 恒久保管所までの輸送は安全が確保できないと判断されてね。既にこれについては破壊処理が決定している。
 明朝には実行されて足が折られる。その後〈ツール〉の特性が失われていると確認できれば、葛原精機へと返却することになるだろう」

 よく見れば、右足に固定されているのは爆弾だった。
 小さくても密着した状態で爆発させれば石像の足を折ることくらい可能だ。

「折角回収したのに、残念ですね」

 夕陽はそんな牝鹿像の、どこか悲しげにも見える表情を見て呟く。
 葛原精機と制作した国包石材店にとっては大切な石像だ。
 〈ツール〉になってしまったばっかりに、こうして破壊されてしまう運命を寂しく感じた。
 堤は優しい声色で告げる。

「ああ残念だ。この決定は本意ではないんだ。
 だが、〈ツール〉が世に出ないようにするのが〈管理局〉の目的だからね。恒久保管困難となれば破壊もやむなし、という訳だ」

 苦労して発見した〈ツール〉だ。
 それぞれ思い入れのあった栞探偵事務所の面々は、牝鹿像が破壊される前の姿を目に映した。

 それから夕陽が思い出したように口にする。

「もっと小さな石像だったら運びようもあったのに。小さくしたりは不可能ですよね?」

「形を崩したら〈ツール〉の能力は失われてしまうから不可能だろう」

「ですよね。
 でしたら分離とか出来ませんか?
 こう、なんと言いますか、〈ツール〉から、〈ツール〉の能力だけを取り出すんです」

 守屋はその質問を聞きながら、以前にも同じようなことを言っていたなと思い出す。
 自分はそんなことは不可能だと答えたが、堤ならばどう答えるだろうかと、夕陽の質問を止めること無く回答を待つ。
 堤はやはり困惑したような表情をして答えた。

「能力がある物体が〈ツール〉。分離は出来ない。
 能力だけ取り出すなんて、初めて聞いた概念だ。
 もしそういうことが出来るのであれば是非お願いしたいところだが、〈管理局〉にもそのような事象は一切報告されていない」

「あら。やっぱりそうなんですね。所長さんの言ったとおりです」

 かつての守屋の回答とほぼ同一の物が返ってきて、夕陽は少しだけ残念そうに。されど直ぐに明るくなって、「いつかそういう〈ツール〉が発見されると良いですね」と笑った。

 牝鹿像の前を通り、2つ奥の部屋へ。扉が開けられると、中は壁際に物品棚の並べられた倉庫となっていた。
 先日預けたばかりの〈動体追尾赤べこ〉も置かれている。

「ここが展示会で発見された〈ツール〉の保管庫だ。
 ああ、念のため、保管品には一切手を触れないように」

「はい。持ってきた物を置くだけですね」

 夕陽はカメ型カメラを棚の空いている場所へとそっと置いた。
 同じように飛鳥井も元〈ツール〉のガラス片を棚へと置く。

 それから夕陽と飛鳥井は簡潔に〈ツール〉の特性について報告する。
 粉々になったガラス細工の方は確かめようが無かったが、堤はカメ型カメラを少しの間だけ見つめた。

「詳しいことは〈アナリシス〉の解析待ちだな。
 加湿器のようになってしまうなら保管方法の検討も必要となるだろう。
 ありがとう。ともかくこうして〈ツール〉が回収できたのは喜ばしいことだ」

 〈ツール〉の保管を終えると、一同は通路に出た。
 堤は部屋の鍵をかけると、仁木の方を向いて問いかける。

「未回収とはなったが、水牛の像について詳しい話を聞かせてくれないか?
 保管するとなったときの参考にしたい」

「ええ、そういうことでしたら喜んで」

 待ってましたと、仁木は堤の前に出て、身振り手振りを駆使して報告する。

「大きさはこのくらい。手のひらの上に乗る程のサイズです。
 赤褐色の、恐らく材質は土か石。土器のような印象を受けました。
 造形の特徴としては2つの角と、首筋のコブのような盛り上がり。4本足だったので、水牛のようだと判断しました」

「なるほど。古代の水牛像に同じような造形の物があったと記憶している。
 それで、〈ツール〉としてはどうだろうか?」

「所有者の女性――GTCの鴻巣というらしいですが――彼女の言葉では、何でもこの〈ツール〉を手にした者のみ、精霊の姿が見えるとか」

「実物を見たかね?」

「いいえ。像を触る機会は無かったので。
 精霊については、人形のような存在だとか、〈ツール〉から出てくるとか、あと〈ツール〉に興味を示すと説明されていました」

「ふむ。〈ツール〉に興味を示すか」

 思案する素振りを見せた堤へと、夕陽が明るく言葉をかける。

 「〈ツール〉を可視化する特性、というのはどうでしょう?
 たまたまそれが精霊の姿に見えたとか」

 夕陽の言葉に、堤は思い悩むように頭をひねった。

「〈ツール〉が見える能力というのは聞いたことがないな。
 結局、各地の〈ピックアップ〉は、過去の経験と現場で起きた現象を頼りに〈ツール〉を発見するしかないのが現状だ」

「〈ツール〉を見つける〈ツール〉なんて、あったらとても便利そうですけど、存在しないんですね」

「ああ。少なくとも現時点ではそのような〈ツール〉は発見されていない。
 されていたら〈ピックアップ〉は今よりずっと人が少なくなるだろうな」

「あ、それは困ります。失業してしまいます」

 夕陽が冗談めいて笑うと、堤も口元をほころばせて見せた。

「君のようなユニークな人材なら、〈ストレージ〉でもやっていけるだろうな」

「そうですか? お世辞でも嬉しいです。
 そういえば〈ストレージ〉には各地から〈ツール〉が運び込まれてくる訳ですよね?
 堤さんはどうして〈ツール〉が産まれるのかご存じです?」

 堤は首を横に振って見せた。

「そう言った情報が〈ストレージ〉に降りてきたことはない」

「あー、やっぱりそうなんですね。
 〈ストレージ〉も大変そうですね。
 今日に至っては、本当は保管が仕事なのに水牛の像の捜索ですもんね。
 でもどうして〈管理局〉はそこまで水牛の像を気にするのでしょう?」

 堤はかぶりを振った。

「詳細な理由までは分からんよ。
 だが特殊な〈ツール〉であるならば、最優先で保管すべきだ。
 “精霊”がどんな存在なのか、本当に見えるのかすら定かではないが、そう言った〈ツール〉の報告は初めてだ。
 即座に回収し、誰の手にも触れないようにするのが責務だ。
 ラボの連中は研究のためだと言って何かと〈ツール〉を持ち出そうとするが――愚痴になってしまったな」

 堤は自分の発言について反省し、水牛の像についての話に戻る。

「ともかくだ。
 水牛の像という異質な〈ツール〉の存在が、不確かであれ報告されたのは事実だ」

「不確かで申し訳ないです」
 
 仁木は力及ばずと言った具合で、悔しそうに言った。
 結局、マイクを通した会話内容の盗聴以外に情報が無いのだ。
 あの場で鴻巣を取り押さえることが出来れば。そこまで出来なくとも、鴻巣の切り札であった白鳥の像を自分相手に使わせておけばと、仁木は唇を噛む。

「いや責めるつもりはない。
 3日間の展示会開催で、君だけが〈ツール〉取引の現場を押さえた。
 素晴らしい成果だよ」

「最初に気がついたのは、彼女ですがね」

 仁木は賞賛を素直に受け取らずに、傍らの夕陽を手のひらで示した。
 夕陽は微笑んで、応じるように告げる。

「バックヤードの中を適切な方法で確認して、取引内容を傍受したのは間違いなく仁木さんの手柄です。
 私はちょっとした違和感を感じて、店員とお話ししていただけですから」

 自分のやったことはそう大したことでは無いと話してから、夕陽は自分が気になったことを挙げる。

「でもいくつか不審な点はありますよね?
 どうしてあんなに人の集まる展示会の中で、特別な〈ツール〉の取引を行おうとしたのか。
 どうしてその取引の情報が〈管理局〉側へと漏れていたのか。
 私は気になりますけど、堤さんはどう思いますか?」

 直接問われて、堤も疑問点については同意したようで頷いて見せた。

「そうだな。確かに妙だ。
 しかし、妙な点を全て明らかにする必要はないと考えている。
 我々は〈ツール〉を安全に保管するのが目的だ。
 
 もし今挙げた疑問点の解決が、水牛の像回収のために役立つのであれば大いに考える必要があるだろう。
 だがそうでないのならば考える必要はない。
 必要なのは水牛の像が恒久保管所へ納められる。ただそれだけだ。
 目的と手段を取り違えてはいけないよ」

 その言葉には夕陽も感銘を受けた様子だった。
 本当のことを知りたいと、分からないことを徹底的に調べ尽くそうとする彼女の態度とは相容れぬ思考だったからだ。
 だけれども夕陽はどこか腹落ちしたように微笑む。

「なるほど。
 目的と手段を取り違えてはいけない。
 きっと大切なことですね。
 良いことを教えて頂けました。本当にありがとうございます、堤さん」

 堤は「では外に出ようと」言って、先導して通路をエレベーター方向へと戻り始めた。
 各員それに続いて歩いて行く。

 夕陽は最後尾について、途中通りかかった〈葛原精機の牝鹿像〉を、鉄格子越しに指さして微笑む。
 それからポケットから名刺入れを取り出して、一番表にあった自分の名刺を確認した。

「何をしてる」

 妙な行動をする夕陽に気がついた守屋が声を投げた。
 夕陽はいつも通りの晴れやかな笑顔を見せて答える。

「牝鹿像とももうお別れですよね」

「質問に答えろ。
 名刺で何をするつもりだ」

「名刺は自己紹介をする物だと認識していますよ。
 堤さんに渡した方が良いですかね? 私、新人なので」

「必要ない。こっちの個人情報は〈ストレージ〉も把握している」

「あら、そうなんですね。
 ではこれはしまっておきます」

「待て」

 名刺入れをしまおうとする夕陽を守屋が静止させた。
 それに対しても夕陽は笑みを見せて、「確かめますか?」と名刺を1枚取り出して示す。
 守屋は受け取りを拒否してただ短く注意した。
 
「勝手に必要ない物を取り出すな」

「はい。
 そうした方が良いですね」

 素直に注意を受け取った夕陽はそれ以降は大人しくしていて、エレベーターが地階に上がって、検査装置のある小部屋へ戻るまで口をきかなかった。
 各自小部屋で一時預かり品としていた荷物を手に取る。
 守屋が自分の拳銃を確認し、異常がないのを確認してホルスターへ収める。

 続いて夕陽が自分のモデルガンを回収。
 夕陽は「練習したので見ていてください」とケープを緩めて両脇に身につけていたホルスターを見せると、両手に持ったモデルガンをくるくると回転させながらそこへと収め――ようとして、左のモデルガンを取り落とした。

「あ、失敗しました」

「何をやっているんだ」

 床に落ちたモデルガンが甲高い音を立てて堤の方へと転がる。
 彼は足下で止まったそれを拾い上げて、銃身を右手で持って夕陽へと差し出す。

「元気なのは結構だけどね、仕事中に騒ぐのは感心しないな」

「ごめんなさい。
 少しはしゃぎすぎました」

 夕陽は左手でモデルガンを受け取ると、空いていたホルスターへと収めた。
 残りの私物をロッカーから回収し終えると、他の人の準備が終わるのを待つ。
 飛鳥井が預けていた〈鉄の書〉を本物かどうか確認するのに手間をかけていた。

 その間、手持ち無沙汰になった夕陽は堤へと尋ねる。

「最後に質問良いですか?
 個人的な質問なので、あまり業務には関係ないですけど」

「構わないよ」

 堤が肯定を返すと、夕陽は笑顔を向けて問いかける。

「副部長と言うことは長くこのお仕事をされてきたんですよね?
 この仕事、秘密なんですよね? 家族にはどう説明しているんですか?
 例えば奥さんとかに」

 堤は問いかけに苦笑して見せた。

「それに関しては問題ない。結婚はしてない。ずっと独り身だよ。
 だがそうだな。妻帯者の管理職もいるが、彼らがどう家族に言い訳をしているのかは尋ねたことがなかったな。
 もし機会があったらそれとなく聞いてみることにしよう」

「面白い回答が返ってきたら是非教えてくださいね!
 堤さん、今日は私の我が儘に付き合ってくださって本当にありがとうございました」

「何、構わないよ。
 上層部から来る書類の問い合わせに比べれば、ずっと気楽な質問ばかりだった」

「そう言って頂けると幸いです」

 飛鳥井の準備も整い、栞探偵事務所の面々はそれぞれ堤へと礼を述べた。
 堤に見送られて車に乗り込み、倉庫を後にする。

 外はすっかり夜も更けていた。
 街灯に照らされる道路を走り、倉庫から十分離れると、守屋は飛鳥井に対して苦言を呈する。

「飛鳥井。
 新人の教育がなってないぞ。
 バカな行動を繰り返さないように教育しておけ」

「分かりました。
 社外対応の教育スケジュールを組んでおきます」

 これで良いでしょうと飛鳥井が回答すると、守屋は「しっかりやれ」とだけ言ってそれ以上は求めなかった。

「怒られちゃいましたね」

 夕陽は飛鳥井へと小さく言って微笑む。
 飛鳥井も微笑んで返して、それから尋ねた。

「で、結局何が知りたかったの?
 堤さんがなにか怪しいと思ってる?」

「そうですね。
 握手拒否した割に、落とした銃は拾ってくれましたし。
 結婚していないのは本当みたいですけど、何か隠しているのは間違いないと思います」

 飛鳥井もそれには同意を示す。
 されど、あまり興味はなさそうに言った。

「隠し事のない人間なんていないのよ。
 淵沢さんだってあるでしょう?」

「はい。たくさんあります」

「ね。誰にだって隠し事はある。だからといって全て明らかにする必要はない。
 堤さんも言ってたでしょ。
 目的と手段を間違えてはいけないわ。
 あなたの目的を達成するのにも、水牛の像を回収するのにも、堤さんの隠し事を明らかにする必要はないでしょう?」

 夕陽はふむふむと頷いて、それから表情明るく答えた。

「確かにそうかも知れません。
 それにプライベートにあまり踏み込みすぎるのも良くないですね」

 理解が示されて、飛鳥井も「分かればよろしい」と満足して見せた。
 栞探偵事務所へと戻る車内。夕陽は窓の外を流れていく明かりを眺めながら、誰にも聞こえない小さな声で呟く。

「本当に必要ないなら良いんですけどね」

 
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