第26話 淵沢夕陽とは③

文字数 10,947文字

 仁木が運転するランサーエボリューションの後部座席で、守屋と飛鳥井は夕陽の残したPCデータを洗いざらい調べる。
 2400にも及ぶ〈ツール〉。
 その8割以上がブラックドワーフへと売却されていた。
 広く販売網を持つブラックドワーフの〈ツール〉供給源は淵沢夕陽だった。

「規模的には〈管理局〉に及ばないブラックドワーフが異様なほどの〈ツール〉を所有しているのはおかしいと思ったが、こういうからくりか。
 ブラックドワーフが淵沢に手を貸したのも頷ける。
 ブラックドワーフにとって、淵沢は居なくてはならない存在だ」

「1つ気になるのは淵沢さんが〈ツール〉を見つけた方法ね。
 博物館の直接手を触れられないような展示品も〈ツール〉だと見抜いていたわけでしょう?」

「そうだな。
 あいつは出向いた博物館で根こそぎ〈ツール〉を回収しているようだ。
 以前見れば分かるとか言っていたが、何かしらの手段があると判断して間違いないだろう。
 〈ツール〉に反応する〈ツール〉とか。
 そういえばGTCの説明では精霊は〈ツール〉に興味を持つらしいな。
 だとすれば淵沢の持つ黒い精霊も〈ツール〉に興味を示したのかも知れない」

 守屋の示した仮説に飛鳥井は頷く。
 それから冷めた目で守屋を見つめた。

「守屋さん、随分やる気ですね」

「なんだ不満か?」

「別に。
 ただ珍しかったから」

「やる気にもなる。
 あいつのせいで〈管理局〉もスーパービジョンも巻き込んだ抗争に引き釣り込まれたんだ。
 何もしないで居たら死ぬだけだ。
 それに、あの脳天気女の良いように扱われるのはもうたくさんだ。
 逆にあいつを利用して、〈管理局〉に巣くったクズどもをあぶり出してやる」

「結構なことね」

 飛鳥井は素っ気なく言う。
 そんな彼女へと守屋は問いかけた。

「お前はどうするつもりなんだ。
 潜入捜査ならバレた時点で帰らないといけないんじゃないのか」

「バレたらね。
 守屋さんにはバレたけど、まだオーナーにも〈管理局〉にもバレてないし、潜入続行するつもりよ」

「人を馬鹿にしやがって」

 守屋は悪態をつく。
 飛鳥井は守屋がオーナーへ報告しないと決めつけている。
 実際、守屋は飛鳥井を突き出すつもりがない。

 〈管理局〉が下っ端構成員に秘密で怪しい計画を進めているのは明らかだ。
 それを調査する外部機関があるならば、守屋としては黙認して調査を進めさせたい。

 守屋も別に〈管理局〉に恨みがあるわけではない。
 ただ組織として間違っている点があるのならば、是正されるべきだと考えて居るだけだ。

 車がヤマフジ園に到着した。
 直前にアポイントを取ったため、玄関に施設長が出迎えに出ている。

「それで、ここでは何を調べたいの?」

「淵沢と精霊の関わりについて。
 それから――いや、現場を見てみないと分からないな」

「なんですそれ?
 ここまで来て隠し事ですか?」

「そういう訳じゃない。
 現場を詳しく見ないと分からないだけだ。何かあったかも知れないし、何も無かったかも知れない。
 とにかく、どうしても話したい相手が居る」

 守屋が車を降りると、飛鳥井、仁木も続く。
 3人は施設長に案内されて応接室へ。
 軽く挨拶した後、守屋は夕陽の書いた絵を見たいと言った。

 一同は物置へと向かい、施設長が取り出した箱の中にしまわれていた、淵沢夕陽の絵を見る。
 クレヨンで描かれた禍々しい雰囲気を持つ絵。
 2頭身の化け物――もとい人形のような人間の形をした何か。

 目は真っ黒で顔の半分を占め、口は横に大きく裂けたようだ。
 ひらひらとした黒いドレスを身に纏い、黒い髪の上には冠のような小物をのせている。

「この絵って」

 飛鳥井と仁木は息をのんだ。
 事務所で守屋が描いたものとよく似ている。

 守屋はこれを淵沢夕陽の右手から出たと言った。
 そしてその絵が夕陽によっても描かれている。

「淵沢はこの絵を施設に入ったばかりの頃に描いたそうだ。
 8年前。10歳の淵沢には、この人形――精霊と呼ぼうか。精霊の姿がはっきりと見えていた」

「精霊、ですか?」

 施設長は困惑したように守屋の言葉に首をかしげた。
 禍々しいそれは、とても実在する生き物の絵では無いし、そのような人形も施設には存在しなかったはずだ。

「淵沢が発見されたとき、ほぼ裸のような状態だったそうですね」

「はい。そのように記録されています」

 施設長の言葉に守屋は頷く。

「淵沢は自分が何者なのか知りたいと望んだ。
 所持品は無く、唯一の手がかりがこの精霊だった。
 精霊が何に興味を示すのか。興味を示した物体に対して何が出来るのか。
 1つずつ調べて行ったはずだ」

 精霊が〈ツール〉に興味を示した。
 精霊は〈ツール〉の特性を取り出し、他の物質に移すことが出来た。
 今はまだ仮説だが、この2つが分かったとすればその後の夕陽の行動も察しがつく。

 〈ツール〉について知っている人間は誰か。
 その内の誰が精霊について知っているのか。

 夕陽は〈ツール〉を集め、それを商材とするブラックドワーフと接触した。
 ともなれば〈管理局〉の存在を知ったはずだ。
 〈管理局〉について調べるには、自分がその構成員にならなければならない。
 〈ツール〉をばらまき、栞探偵事務所の仕事を増やし、採用枠を1つ作らせた。

 〈ツール〉に関する知識。それを発見する能力。更には〈ツール〉の特性を移す能力。
 採用枠さえ作らせてしまえば、夕陽が栞探偵事務所に自分を採用させるのは造作も無かっただろう。
 だが何のことはない。
 人手不足に追われる栞探偵事務所は、面接を受けに来た彼女を、特に迷うことも無く採用した。

 そして彼女は栞探偵事務所の一員として〈管理局〉の秘密を探った。
 〈ストレージ〉の堤とスーパービジョンの関係を突き止め、その上司、〈ラボ〉の笹崎の存在まで行き着いた訳だ。

「淵沢は何か物を集める趣味はありませんでしたか?
 何でも構いません。
 カードかも知れないし、小さなおもちゃかも知れない。
 とにかく小さく、持ち運びのしやすい物のはずです」

 施設長は首をかしげたが、やがて思い出したように言う。

「そういえばビー玉を集めていましたね。
 お菓子の缶を専用にして、その中にしまっていました。
 特別な物だから絶対に触ってはダメだと珍しく厳しく言っていましたよ。
 箱の位置を職員が動かしただけで、2度と触らないでと注意していました」

「そのビー玉、今もありますか?」

「ありますけど、特別な物ではない、普通のビー玉ですよ?
 子供にとっては何が大切なのか、大人には分からないものです。
 彼女にとっては宝物だったかも知れませんが――」

「とにかく見せてください」

 施設長の言葉を遮って守屋が言うと、施設長は静かに頷き3人を案内した。
 児童用の共用スペース。
 そのおもちゃ置き場となっている棚に、お菓子の缶が置かれている。

 早速守屋は受け取った缶を机の上に置くと、そっと蓋を開けた。
 缶にはその半分くらいまでビー玉が入っていた。

「前はもっとありましたが、何分子供が扱いますから大分減りましたね」

「これ――」

 飛鳥井がビー玉の1つを手に取り、照明の明かりに透かした。
 ビー玉の表面には黒のマジックで文字が書かれている。
 古くなりかすれていたが、いくつかは読み取ることが出来た。

「――上野024。こっちは横浜011」

「名刺の前はこれか。
 念のため聞かせてください。
 変わったビー玉はありませんでしたか?」

 守屋の問いに施設長は深く考え込む。

「変わったと言われましても、職員も淵沢さんに触るなと言われては触れませんでしたし。
 ――ああでもそういえば、1つ彼女がビー玉を見せてくれたことがあります。
 そのビー玉は別の物にぶつかると、ぶつかった相手の色に変色する不思議な物でした。
 今でもあれの仕組みは分かりません」

 3人は施設長の言葉にはっとした。
 ぶつかった対象の色に変化するビー玉。
 それは栞探偵事務所に保管されている〈ツール〉だ。

 偶然守屋が発見し、以降、特に害も無いので〈ストレージ〉に引き渡さず事務所で所有したままになっている。
 それは夕陽の入所面接時にもテストの一環として使用していた。
 〈ツール〉の起こす不可思議な現象を見定められるか試験したのだ。

「変わったビー玉を見せて頂けて楽しかった、って言っていた気がするわ」

「そりゃあ楽しかっただろうな。
 自分が預けたビー玉で試験された訳だから」

 守屋はふてくされたように言って、もうビー玉は良いと施設長へと缶を返した。
 続いて夕陽の部屋を見せて貰うように言う。

「前回見たときと大きく変わりはしていませんよ」

「それでも再確認しておきたい。
 人が居れば遠慮しますが、そうでなければ見せて頂きたい」

「分かりました」

 重ねて頼まれると施設長も承諾し、3人を1階奥の部屋へと案内した。
 かつての夕陽の部屋は、今は仮眠室となっている。
 ロッカーが並べられ、フローリングの床に畳が敷かれてその上に布団が畳まれている。

「こんな位置に仮眠室?」

 飛鳥井が尋ねる。
 1階とはいえ職員の事務室からは離れている。
 ちょうど居なくなった夕陽の部屋を改装したとも考えられるが、入所定員19名に対して入所者数は14名。
 わざわざ夕陽の個室を仮眠室に改装する必要はなかったはずだ。

「淵沢は聞かれたことには答えて良いと伝えてあるはずですね?」

 守屋は施設長に歩み寄り問いかけた。
 施設長は困ったように視線を逸らし回答を誤魔化す。明らかに何かを隠していた。

「仁木、畳をどかしてくれ」

「あ、いやちょっと困りますよ。内装を変えられたら――」

「なーに元に戻すさ」

 仁木は豪快に笑って、施設長の制止をきかずに床に並べられていた畳をどかして、ロッカーへと立てかけていく。
 フローリングの床材が露わになると、そこには薄らとシミが出来ていた。

「どう思う?」

 守屋は飛鳥井へと問う。彼女は床に座り込み、変色具合の詳細を確かめる。

「何か色味の強い物をこぼした。
 その跡を消すために漂白剤で掃除した。って感じかしら」

「そうだな。何をこぼしました?」

 守屋の問いは施設長に向いた。
 彼はくぐもった声で「絵の具だ」と答える。

「淵沢は嘘は嫌いだと繰り返し言っていました。
 それに絵の具ならここまでする必要もないでしょう。
 子供のやることだ。絵の具だの墨汁だのぶちまけたところで何もおかしくない。
 それを漂白剤を使って無理矢理脱色して、そのくせ業者に床材を張り替えさせるわけでも無く、上から畳を置いて隠蔽するなんて、事象と対応が滅茶苦茶だ」

 守屋は施設長の態度を見て彼が嘘をついていると確信する。
 絵の具ではない。
 だが施設長にとって絶対に隠さなければいけないことで、かといって業者に頼んでリフォームも出来ない。

「仁木、カーテンを閉めてくれ」

 守屋の指示を受けて仁木がカーテンを引く。仮眠室だけあって遮光カーテンが設置されていて、扉の閉め切られた仮眠室は真っ暗になった。
 守屋はペンライトを飛鳥井に持たせると、カバンから霧吹きを取り出した。

 ペンライトの小さな明かりに照らされた床に、守屋は数回霧吹きを吹きかけた。
 するとフローリングの隙間が、青白くぼんやりと光を放つ。

「一応、確認させて貰うが、こぼしたのは絵の具ですよね?
 血液ではなく?」

 青白い光。ルミノール反応。
 人間の血液かどうかは断定できない。ルミノールは動物の血にも、血液以外のいくつかの物質にも反応を示すからだ。
 だが施設長は明らかに隠し事をしていた。
 絵の具に対してルミノールは反応を示さない。

 更にルミノール溶液を散布すると、広い範囲で反応が見られた。
 そこから導き出されるのは残酷な事実だ。

 守屋は施設長が取り乱さないように、穏やかな口調で述べる。

「先に言っておきますが、我々はあなたを責める気など一切ありません。
 ただ淵沢夕陽について少しでも情報が欲しいだけなのです。
 彼女も真実を話すように言っていたはずです。今更隠し立てする内容でもないでしょう」

 その言葉で施設長が落ち着きを取り戻していくのを見て、守屋は推論を並べ始める。

「見ての通り反応は広範囲。とすればかなりの量の血液がばらまかれたことになる。
 そうなれば淵沢夕陽本人の血液ではないと考えるのが妥当でしょう。
 だとすれば誰のものなのか?
 過去の記録を調べさせて頂きました。
 6年前。職員が1人行方不明になっていますね。
 夜勤に出たはずが、施設から姿を消し、自宅にも帰らなかった」

 守屋の切り出した話題に施設長は息をのむ。
 推論を認めているのと同義だ。
 守屋は続ける。

「30代男性。あまり素行の良い人間とは言えなかった。
 彼は大学生の頃、強姦事件を起こして逮捕歴があった。
 しかしそんな人物でも採用しなければならないほど、当時のヤマフジ園は人手と資金に困窮していた。
 そこで事件が起こってしまった。
 彼は夜半に淵沢夕陽の部屋へと入ってしまった。
 そこで何があったのか――」

 視線を向けられて施設長は目を逸らすのだが、出来る抵抗はそれだけだ。
 部屋から逃げることも、守屋の口を封じることも出来やしない。
 彼は言葉を詰まらせながら答えた。

「――それは、その、分からない。私にも、何も。分からないんだ」

 その回答は正しいだろう。
 守屋も頷いて続ける。

「何が起こったのかは分からない。
 でも結果は見たはずでしょう?
 職員はこの場で死んでいた。出血はかなりの量です。
 死因――は分かりませんが、どのような状態だったのか当てて見せましょう。
 彼は体中を。内臓や血管、骨にいたるまでを表裏逆にされて、バラバラの状態で発見された。
 違いますか?」

「何故それを――」

 施設長の答えが全てだった。
 6年前。淵沢夕陽は自室で職員の1人を手にかけた。
 彼女にとっては正当防衛、もしくは事故だろう。
 自分が襲われそうになったからやむなく力を行使した。

「問題は方法ね。何か本人から聞いた?」

 飛鳥井の問いに、施設長は必死に首を横に振って見せた。
 夕陽もわざわざその方法を教えたりはしなかっただろう。

「その点は今は良いだろう。
 とにかく先ほど言ったように我々はあなたを責めるつもりはない。
 これからもこの場所で起きた事件についての秘密は保たれますのでお気になさらず。
 本日はお時間頂いてありがとうございました。
 僅かですがこちらをお収めください」

 守屋は札束の入った封筒を施設長に渡す。
 口止め料に他ならない。
 施設長はそれを受け取って、その金が意味することを十分理解して無言のまま数回頷いて見せた。

 守屋は仁木と飛鳥井に合図を出して、ルミノール反応を中和する酸性の液体を噴霧すると床を綺麗に拭き上げて、畳を並べ直した。

「では我々はこれで失礼します。
 お見送りは結構です」

 守屋を先頭にして、3人はヤマフジ園を後にする。
 見送りは結構と言ったものの、施設長は玄関までは見送りに出て、それから施設の中へと戻っていく。

 玄関前の広場に停めたランサーエボリューションのドアに手をかけながら、守屋は施設長が施設へしっかり戻ったのを確かめて2人へ指示を飛ばす。

 指示を受け、3人は猛ダッシュで施設へと戻った。
 正面玄関を突破し、受付脇の電話を手にしていた施設長の下へ。

 彼は受話器を置こうとしたが、それよりも早く飛鳥井が彼の身柄を押さえ、奪い取った受話器を守屋へと渡した。

「悪い。普通に頼んだところで電話番号を教えて貰えないと思ったので」

「まあそういうこった。
 ちょっと込み入った話になるから、お茶でも飲んで待とうじゃないか」

 飛鳥井が施設長を解放すると、彼の肩へと仁木が手を回して、強引に応接室へと連れて行く。
 〈ツール〉に関する話だ。
 施設長に聞かせるわけには行かない。

『施設長さん相手に暴力はダメですよ』

 受話器の向こうから女性の声。
 幼さを残す、無邪気で脳天気そうな声だった。
 間違いなく淵沢夕陽の声だ。

 夕陽は施設長へと、自分宛の客が訪ねてきたらこっそり連絡するようにと依頼していた。
 守屋は自分たちがヤマフジ園を訪ねれば、きっと直ぐに施設長は連絡を取るだろうと踏んでいたのだ。

「分かってる。ただ別室で待って貰うだけだ」

『分かっていれば良いです。
 それで、もしかしてお仕事の話ですか?
 有給休暇中は繋がらない権利が保障されていたりはしませんか?』

「しない。
 部屋を見させて貰った」

『どの部屋です?』

 確かめるような問い。
 守屋は飛鳥井と視線を交わしてから答える。

「全部だ。
 アパートとマンションと、ヤマフジ園」

『そのようですね。
 ちなみにマンションに残したPCは、事務室のPCに保存してあるパスワードで入れます』

「確認済みだ。
 酷い話だ。お前のせいでこの2年間無駄な仕事をさせられた」

『あら?
 守屋さんは手を抜いていたはずでは?』

「そういう問題じゃない。
 6年前、職員を1人バラバラにしたな?」

『今回は気づきましたね。前回訪ねた時点で気がついて頂けなかったのは少し残念です。
 でもあれは不幸な事故ですよ。
 夜中に部屋に入ってこられて、私も襲われたくはないので、ちょっと動きを止めて貰おうとしたんです。
 ですが生物は〈ツール〉になりません。
 無理矢理〈ツール〉化しようとすると、ご存じの通り何もかも裏表逆になってしまいます。
 その時のことが知りたいのですか?』

 問いを守屋は否定する。
 過去の事件を掘り返して得られる物は少ない。
 欲しいのは事件の詳細では無く、手段の詳細だ。

「確認したい。
 お前は〈ツール〉の特性だけを移動できる。間違いないな?」

『はい。
 私の〈ドール〉は〈ツール〉から特性だけを抜き出すことが出来ます。
 他の物に特性を移すことも出来ます。
 それに〈ツール〉が近くにあれば教えてくれます』

 夕陽は肯定を返した。
 やはり夕陽には〈ツール〉の特性移動。そして〈ツール〉の発見が可能だった。

 生物を〈ツール〉化すると裏表が逆になるというのは新しい知見だった。
 夕陽は〈ツール〉の特性を移動できるのだから、人間に対して特性を移してしまえばいいだけだ。

「生物は、と言ったな?
 昨日の工場跡では銃や工場の建材も裏返しになっていた」

『それと〈ツール〉化とは別物です。
 私も昨日思い出したばかりなんですよ。
 ところで守屋さんには、私から手がたくさん生えているのが見えました?』

「見えた。
 その確認は必要か?」

『必要です。
 見えていないならあの手も〈ドール〉の一部となりますが、見えたと言うことはあれは〈ドール〉ではなく〈ツール〉か、別の何かだったんです。
 際限なく再生して触れた物を裏表逆にする能力です。
 私は自分の右手にその特性を持たせられました』

「待て」

 守屋はこれまでの会話内容から今の夕陽の発言に矛盾を見つけた。

「生物が〈ツール〉にならないのなら、お前の右手が〈ツール〉になるはずがない」

『そうです。だから不思議なんですよね。
 一応生物を〈ツール〉化出来る例外も存在します。
 でもそれは形を保つ〈ツール〉とかの場合です。私の右手は破壊しか出来ないわけですからその例外には当たりません。
 そもそもこの能力、取り出すことも出来ませんし、右手以外では使えません。左手でやろうとしても全然ダメでした。
 という訳で〈ツール〉みたいではあるけれど〈ツール〉ではない何かだと考えています』

 夕陽自身もそれ以上の情報は無いと示す。
 守屋が考え込んでいると、飛鳥井が受話器を要求して問いかけた。

「鴻巣蓮の事件はあなたが〈ツール〉化を行ったの?」

 飛鳥井が追っている事件についての質問。
 その問いに対して夕陽は明確に否定を返した。

『違います。
 私も事件を知ったのは後になってからです。
 遺体の状況が〈ツール〉化された生物と似通っていたので、興味をひかれて調べました。
 人体の〈ツール〉化については〈ラボ〉の笹崎さんが詳しいみたいです。
 通常の方法では〈ドール〉は生物の〈ツール〉化を拒むと言う話をしていたので、通常ではない方法を知っているはずです』

 鴻巣蓮を殺したのは夕陽ではない。
 それを知って飛鳥井は表情を和らげた。
 とっ捕まえるべきは夕陽ではなく笹崎の方だ。

 今度は守屋が受話器を取って確認をとった。

「〈ドール〉ってのはあの時見せた黒い精霊みたいので間違いないな」

『はい。間違いないですよ。
 ただ私の〈ドール〉は〈ツール〉を産み出せないので特別みたいです』

「普通の〈ドール〉は〈ツール〉を作れるのか?」

『え?』

 困惑したような夕陽の声。
 それは守屋が〈ドール〉について何も知らないのを不思議がるようだった。

「え、じゃない。
 どうなんだ」

『どうなんだじゃないですよ。
 会社のスマホ、返しましたよね?
 工場での私と笹崎さんの会話が録音されています。
 内容は確認しました?』

 思わず「え?」と間抜けな声を発する守屋。
 飛鳥井は彼の顔をじとっとした細めた目で睨む。
 彼は慌ててスマホを取り出すと、夕陽が工場に残った時間帯の録音データが存在するのを確認した。

「してなかった」

『では確認してください。
 私が説明するより、そちらを聞いて頂いた方が認識が早いはずです。
 
 追加で説明する必要があるとすれば、人体ツール化計画でしょうか。
 笹崎さんが仕切っていた実験計画です。
 人体に〈ドール〉を無理矢理作用されて〈ツール〉化した人間を作るのが目的だったみたいです。
 私はそこの実験サンプルでした。

 ただ思い出せたのが最後の〈ツール〉化実験の記憶だけで、それ以前の実験がどうだったとか、研究所に何年居たのかとかはさっぱり分かりません。
 ともかく、その実験によって私の右手には〈ドール〉が埋め込まれたと推察されます』

 急にいろんな話が出てきて、守屋も飛鳥井も脳の処理が追いつかない。
 人体ツール化計画。
 実験サンプル。
 埋め込まれた〈ドール〉。

 〈ツール〉の横流し先を追っていたら、信じられないような計画へと踏み込んでしまっていた。
 守屋は問う。

「お前は今どこで何をしている?」

『詳しい場所は言えません。
 〈ドール〉についての情報が少なすぎるので独自調査中です。
 そのうち戻りますので、もしこの件に首を突っ込む覚悟があるのでしたら笹崎さんの調査をよろしくお願いします。
 まだ実験を進めているみたいなので、研究所があるはずです。
 その場所が分かると非常に嬉しいですね』

「戻ってきて自分で調べたらどうだ」

『それは危険すぎます。
 栞探偵事務所はスーパービジョンの監視対象になっていますよね?
 私が戻っていったら問答無用で攻撃されます。
 笹崎さんにとって私は、〈ツール〉化しても死ななかった貴重な実験サンプルですよ』

 笹崎がどうして人間を〈ツール〉化させたいのかは分からない。
 でも彼の望みに最も近い存在が淵沢夕陽だとしたら、彼はそれを手に入れるために手段を選ばないだろう。
 
 夕陽が笹崎を取り逃した時点で、栞探偵事務所と距離をおく選択をしたのは正しかったかも知れない。
 もし以降も行動を共にしていたとなれば、スーパービジョンの戦力を率いて栞探偵事務所へと攻撃を仕掛けていただろう。

『では録音データの確認をお願いします』

「待て切るな。
 連絡先を教えろ」

『しばらく身を隠すので教えられません。
 では今度こそ失礼しますね』

 一方的に夕陽は通話を終了した。
 受話器からは通話終了を伝える音だけが響く。

 守屋は受話器を戻し、飛鳥井へと向けて言う。

「勝手な奴だ」

「そうね。
 でも彼女の目的は明らかよ」

 守屋は頷いた。
 夕陽の行動は一貫している。
 自分が何者なのか知りたい。全ての行動はその目的に繋がっている。

「過去の記憶をなくし、身体からは得体の知れない黒衣の精霊。
 自分は何者なのか明らかにしたくなる気持ちも理解できる。
 そしてあいつは実際に、あらゆる手を尽くして自分の過去について知ろうとした」

「手を貸すの?」

 守屋の意志を確かめる飛鳥井の問い。
 彼はかぶりを振って見せた。

「バカを言うな。
 あいつの過去はあいつの問題だ。
 ――だが笹崎が何をしようとしているのかは気になる。
 それに〈ピックアップ〉は世に出た〈ツール〉を回収するのが仕事だ。
 淵沢は100近い〈ツール〉を所持。
 笹崎も不当な手段で獲得した〈ツール〉を所持しているとみて間違いない。
 調べないわけには行かない」

「素直に手を貸すって言えば良いのに」

 飛鳥井は守屋の発言に文句をつけたが、栞探偵事務所としてこの件の調査を進める方針については反対しなかった。
 守屋は言う。

「お前は手を引いても良いんだぞ」

「あり得ないわ。
 人体ツール化計画が本当だとすればわたしにとっても調査対象よ。
 このまま笹崎の調査を進めるわ」

 守屋は「バカな奴だ」と口にしながらも、飛鳥井の協力に感謝する。
 戦闘になれば彼女の存在は頼りになる。
 それに〈ラボ〉の笹崎を相手にする上で、公安警察との繋がりがあるのは心強い。

 仁木も反対はしないだろうと守屋は予想する。
 実際に合流した彼も調査続行について前向きだった。

 今度こそヤマフジ園を後にして、事務所への帰路につく3人。
 守屋は調査を進める上で連絡を取りたい相手について、それぞれ2人へと尋ねた。

「仁木、ブラックドワーフの宇戸田と連絡が取れないか?
 飛鳥井も、GTCの鴻巣と連絡が取れるなら試して欲しい」

 その要求には2人ともかぶりを振る。

「もうこっちから連絡する手段がねえよ」

「わたしも。今の鴻巣の連絡先は分からないわ」

 残念な報告に守屋は顔をしかめる。
 そんな彼のスマートフォンが着信を告げた。
 彼は発信元の名前を見ると、即座に通話に出る。

『守屋。昨日はいろいろあったようだね』

 女性の声。しゃがれたその声は重ねられた年齢を感じさせる。
 声の主は怒っている訳ではなさそうだ。
 感情の起伏のない穏やかな口調だった。

「はい、オーナー。
 こちらからいくつか説明したいことがあります」

『そうでなければ困るよ。
 早朝から〈管理局〉の幹部に呼び出されて、事実確認するようにときつく言われてしまったものでね。
 出来れば直接話したいね。
 私のオフィスまで来られるかい? 所員も全員連れておいで』

「淵沢夕陽が休暇となっていますが」

『ああ把握しているよ。今はその方が良いだろう。
 とにかく3人揃ってオフィスへおいで』

「了解しました。
 これから向かいます。40分ほどかかるかと思われます」

 オーナー直々の呼び出し。断るわけにはいかない。
 それに守屋自身も、オーナーと直接会話する必要性を強く感じていた。
 
 守屋は通話を終了すると仁木へと行き先の変更を告げる。
 ランサーエボリューションはUターンして横浜方面へと向かう。
 栞探偵事務所のオーナー。
 彼女の居るオフィスへと進路をとった。

    ◇    ◇    ◇

ツール発見報告書
管理番号:KK00140
名称:擬態ビー玉
発見者:守屋清美
影響:D
保管:D
特性:衝撃を受けるとぶつかった対象の色へ変色する
 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み