第2話 嘘つき探偵①

文字数 8,291文字

 4月。
 年度の始まり。新しい出会いの季節。
 栞探偵事務所も新人を1人迎え入れた。

 淵沢夕陽(ふちさわゆうひ)
 この春高校を卒業したばかりの18歳。
 彼女は就活の時と同じスーツを身に纏い、黒髪も相変わらずおさげのままで、事務所に迎え入れられると先輩所員達へと挨拶する。

「本日からこちらで働かせて頂きます、淵沢夕陽です。
 自分が何者なのか明らかにしたくて探偵になりました。
 ですがまずはこちらの業務を精一杯務めさせて頂きますので、先輩方、いろいろ教えてくださいね」

 明るい口調での自己紹介。
 彼女は笑みを絶やさず表情明るくはきはきと喋る。
 それに大きな鳶色の瞳はキラキラと輝き、好奇心いっぱいに先輩所員達へと向いていた。

 就職面接という枷が外れた今、淵沢夕陽はその本来の天真爛漫ぶりを隠そうともしなかった。

 視線に応じるようにして飛鳥井が自己紹介を始める。
 
「わたしは飛鳥井(あすかい)(ひとみ)です。
 元々は解析関係の仕事をしていましたが、2年半前にこちらへと移ってきました。
 淵沢さんの教育係を任されたので、分からないことがあればどうぞ尋ねてください」

 すらりとした長身で、垂れ目がちな瞳。
 普通にしていると生真面目そうに見えるのだが、表情は変わりやすく何を考えて居るのか分かりやすい。
 彼女は未だにブックカバーに分厚い本をしまって持ち歩いているようで、今それは机の上に置かれている。

 夕陽は飛鳥井へと「よろしくお願いします」と微笑みを向ける。
 続いて男性所員。仁木が自己紹介する。

「俺は仁木賢一郎(にきけんいちろう)
 1年半くらい前からここで働いてる。
 前職から遺失物探しなんかをやってて、成り行きでこっちにきた。
 ともかくよろしく。仕事はもちろん、人生の相談だって乗るぜ?」

 大柄でがっしりした体躯の仁木。
 されど身体とは対象に言葉は軽く、軽薄な物言いだった。
 夕陽はそんな彼に対しても笑顔で返答する。

 残った守屋に所員の注目が集まる。
 相変わらずボサボサ頭で、服装も皺のあるワイシャツにスラックス。
 彼は面倒そうにしながら簡潔に述べた。

「雇われ所長の守屋(もりや)だ。
 仕事については飛鳥井に聞いてくれ」

 それだけ? と飛鳥井と仁木が視線を向けるが、守屋は構うこと無く席に座るとPCで書類作成を始めた。

 飛鳥井は肩をすくめた。
 
「まあ、ああいう人なの。あまり気にしないで」

「そういう人なのは前から分かっていたので気にしないですよ。
 それに、何か隠してる人ってとっても魅力的です。
 何もかも調べ尽くして丸裸にしてしまいたくなります!」
 
「ええ。是非そうして欲しいわ。
 とにかく、入所してくれてありがとう。
 今日は手続きだけで終わると思うけど、その内わたしと一緒に現場調査もすることになると思うわ」

「はい、楽しみがたくさんですね」

 夕陽が微笑むと、飛鳥井は入り口から一番近くの事務机を示す。
 面接の時はなかった4つめの机だ。
 中古品のようでピカピカとは言いがたいが、それなりに綺麗に掃除されている。
 机の上にはPCやスマートフォン、名刺入れなど、夕陽に支給される仕事道具が置かれていた。

「机はここを。
 わたしは隣の席よ」

「これならいつでもお話しできますね」

「忙しくなければね。
 まずはPCのセットアップ――あ、そうだ。明日から私服で通勤して構わないわ。
 それと私服1式とスーツ1式、事務所に置いておいて。
 仕事着として経費で落とせるから買ってもいいわ」

「わあ! それは良いですね!
 折角なので仕事用に新調します!
 お値段はいくらまでとか決まってますか?」

「現実的な値段なら文句は言われないはずよ。
 もちろん、調査外出用だからあまり悪目立ちしない奴で、安すぎるのもダメよ」

「難しいですね。
 でもなんとか見繕ってみます!」

 それからは入社手続きと機材のセットアップが粛々と進められた。
 守屋は早々に逃げるように事務所を後にし、そのしばらく後に仁木も荷物を届けてくると外出した。

 夕陽と飛鳥井は作業を続け、給与振り込み用の銀行口座を作り、探偵業法に基づく届け出提出し、全ての手続きが終わる頃には夕方になっていた。

「書類はオーナーへと渡しておきます」

「そういえば所長さんが『雇われ所長』って言っていましたね」

「ええ。いくつかの調査会社を運営しているオーナーがいるの。
 仕事の依頼は基本的にオーナーから守屋さん宛に連絡が来るのよ」

「直接お客さんから調査依頼を受けることはないんですね」

「たまーにあるかな。
 と言っても、オーナーからの依頼が最優先だから大抵断るけど」

「オーナーさん、是非会ってみたいです」

「わたしも直接会ったこと無いけど、そうね。1度会ってみたいものだわ」

 話を終えると、飛鳥井は「今日は早めに上がって良い」と夕陽へと帰宅を促した。
 夕陽はPCを立ち下げて帰宅の準備をする。
 支給されたスマートフォンと、自分と所員の名刺の入った名刺入れをカバンへと入れ席を立つ。

「では今日はこれで失礼させて貰いますね。
 あ、そうだ飛鳥井さん。
 1階、駐車場になっていますよね? 自動車通勤って可能ですか?」

「今は空きがあるし問題ないはず。
 ――車、持ってるの?」

 夕陽が児童養護施設出身だと知っている飛鳥井は問う。
 バイトしていた経歴はあるが、車が買えるほどの貯金があるとは思えなかったからだ。

「通勤用の車は初任給が出てから探そうと思ってます。
 探す前に、駐車場を使って良いか確認させて頂きました。
 しばらくはバス通勤の予定です」

「そういうこと。
 買うときになったらまた教えて。駐車スペース確保するから」

「そうさせて貰いますね。
 では今度こそお先に失礼しますね」

「ええ。お疲れ様。また明日」

 夕陽は事務所を後にするとバス停に向かう。
 バスを待ちながら、夕陽は栞探偵事務所の窓を見上げて呟く。

「隠し事が好きな探偵事務所みたいです」

    ◇    ◇    ◇

 仁木と守屋が戻ってくると、飛鳥井は守屋の机の元へ足を運び、単刀直入に問いただした。

「何時までツールのこと秘密にするつもり?」

「信頼できる人間と判断出来るまで」

「それ、何時までかかります?」

「……分からん」

「オーナーからは直ぐに業務投入するよう求められていますけど」

 厳しい詰問に守屋は口をつぐんでしまう。
 そんな彼へと対して、飛鳥井は忠告するように言う。

「こちらから教えなくても、あの子はそのうち自分で気がつきますよ。
 〈鉄の書〉にも興味を示しているし、あの調味料入れが食事スペースじゃ無くて仁木さんの机に置かれてることも不自然に感じています。
 1週間もかからないうちにツールの存在はバレると考えるべきです」

「分かってる」

「なら結構」

 飛鳥井は言いたいことは言ったからと、荷物をまとめて帰宅の途についた。
 そして今度は仁木が守屋へと声をかける。

「悪い方向に考えず、良い方向に考えるべきだ。
 調査の手が増えるんだ。
 ツールの発見数が増えればオーナーからの評価も良くなる。
 評価が良くなれば俺たちの給料も上がる。そうだろ?」

 守屋が無言でいると、仁木は「何もかも上手くいくさ」と楽天的な台詞を口にして、事務所を後にした。
 
 残された守屋は、スマートフォンを操作して所員の現在地を調べる。
 所長に許された特権だ。所員用スマートフォンの現在位置は常に監視状態にある。
 
 一足先に退所した夕陽は、今は郊外のショッピングモールに居る。
 今朝飛鳥井から私服とスーツをそろえておくように言われたから、早速買い出しに出たのだろう。

 PCには夕陽の半年分の身辺調査結果が表示されている。
 面接を終えたあの日からこれまで、夕陽の行動におかしな点はない。
 児童養護施設出身という特殊性はあるものの、普通に高校に通い、放課後は図書館に通い、優秀な成績で卒業した。
 趣味は博物館や美術館巡り。施設の人間は割引や無料待遇を受けられる。だとすればふさわしい趣味だと言える。

 夕陽自身に問題は見られない。
 問題があるとすれば守屋の方だ。
 飛鳥井の言うとおり、夕陽は数日もすればツールの秘密に気がついてしまうだろう。
 それだけでは無く、これまで仁木や飛鳥井に隠し通してきた秘密に、夕陽がたどり着いてしまうかも知れない。

 されど、頑なに夕陽を拒み続けるわけにも行かない。
 オーナーからは夕陽を積極的に業務投入し、調査戦力として育て上げるよう期待されている。
 その意に反した行動をとり続ければ怪しまれる。
 管理局の捜査員を送り込まれるかも知れない。
 それは絶対に避けなければいけない。

    ◇    ◇    ◇

 翌日、夕陽は住んでいるマンションを出ると、仕事道具と昨日買った衣類を持って栞探偵事務所へと向かった。
 春の陽気に誘われて、いつもより手前のバス停で降りてしばらく歩いて行く。
 栞探偵事務所のある町は、都市部からも工業地区からもそれなりに離れた、住宅と商業区画の入り交じった中密度の町だった。

 空高くそびえるような高層ビルはないし、大型の工場も無い。
 でも田舎と言うには人口も多く、町の中だけで一通りの商業施設・娯楽施設は網羅している。
 何より電車に乗れば、都心にも工場地区にもアクセスが容易な、生活するには便利な町だった。

 春にしては朝から気温が高く、空はパステルカラーの青色だった。
 通りはのどかなもので、アパート、戸建て住宅、本屋に喫茶店が並ぶ。

 夕陽は民家の軒先に置かれた、しばらく触れられもせずに放置されているのだろうカエル置物を見て微笑む。
 造形は古めかしいが、顔立ちは崩れ気味でどこか間抜けで可愛らしい。
 思い立って歩いてみた価値はあったと、足取り軽く事務所へと向かった。

 栞探偵事務所のある建物は2階建てで、築20年以上は経って居そうな雰囲気の、飾り気の無い無骨なものだった。
 1階は駐車場と、廃業済みの店舗。それが何の店だったのかは分からない。
 駐車場には社有車のプリウスが停まっている。
 後は自動車通勤している仁木の駐車スペース。こだわりがあるらしく、真っ赤なランサーエボリューションに乗っている。

 入り口直ぐは階段で、2階へと上る。
 2階は全部栞探偵事務所が借り上げている。
 一番手前から、事務室、トイレ、居室となっていて、居室は守屋が生活するのに使っている。

 事務室からは更に別の部屋へと繋がっていて、事務室右側が打ち合わせ室。左側が倉庫となっていた。
 
 打ち合わせ室は名ばかりで、面接の時にはそれらしく使った物の、基本的に業務はオーナーから委託されるため使用する機会は少ない。
 所員同士の打ち合わせなら事務室内で済むからだ。
 もっぱら更衣室として使われている。

 倉庫については夕陽も詳しくは知らない。
 入っても良いかと尋ねたところ、飛鳥井は守屋へと視線で確認をとり、彼が首を横に振った結果まだ見せて貰えていない。
 どうせ大したものもないのにと飛鳥井は不満げだった。
 夕陽にとってみても、飛鳥井の言っているとおりだと予想はついたので、所長判断を無視してまで見に行く必要は無いだろうと簡単に諦めがついた。

 事務室自体には4人分の事務机と、長机を並べた食事スペース。あとは共用の衣類かけと荷物置き場。
 
 食事スペースが用意されているのに、いつまでも調味料入れは仁木の机に置かれている。
 あまりに不自然だ。
 調味料を個人所有していると言い張るつもりなのだろうか?
 使わせて欲しいと言ったとき、どんな反応をするつもりなのだろうか?

 ただそれについては本質では無い。
 夕陽は一瞬だけ調味料入れに視線を向けたが、特に興味もないといった風を装って、席にカバンを置いて飛鳥井に挨拶する。

「おはようございます、飛鳥井さん」

「おはよう。
 服、買ってきたのね。更衣室に――打ち合わせ室ね。かけておく場所があるわ」

 飛鳥井と共に夕陽は打ち合わせ室へ。共用のロッカーが2つ。
 片方は飛鳥井専用だったらしいが、そこにスペースを作って夕陽の服を掛けていく。

「私服、これで大丈夫ですか?
 田舎から都会に出てきたばかりの大学1年生をイメージしてみました」

「そんな設定あったの。確かに、言われてみるとそうね。
 良いんじゃない? 年齢的にも、問題なく溶け込めると思うし」

「えへへ。ありがとうございます。
 ちなみに、どうして私服通勤なのに私服を置いておくんですか?」

「目立たなくするためね。
 同じ服装で同じ場所の調査し続けたら不審に思われるでしょ。
 だから午前と午後で服装変えるとか、面識ある相手を尾行するのに変装するとか、工夫をするわけ。
 そういう意味では帽子があると尚良いわね。あと髪型も変えられるようにしてあると良いわ」

「わあ! いよいよ探偵っぽくなってきましたね!
 調査に出るのが楽しみです!」

「そうね。直ぐ出られたら良いけど――ともかくまずお勉強からね。
 探偵は私的調査になるから、ある程度やっていいことと悪いことの把握と、多少の法律知識は知っておかないと外には出せないわ」

「分かりました!
 まずお勉強、頑張りますね!」

 そういった事情もあって夕陽に対して教育が施される。
 探偵業法に関する知識から、調査に関してやって良いことと悪いことの説明。
 勉強を進めていると守屋と仁木が出社してきて、それぞれ書類作成を始めた。

「服の領収書は貰った?」

「はい。全部とってあります」

「経費精算のやり方覚えようか」

 飛鳥井の提案に夕陽は大きく頷いた。
 健康診断、バス定期も合わせて申請するため、書式を確認しながら申請書類を作成する。
 夕陽は出来上がった書類をまとめて、守屋へと提出した。

「所長さん。
 経費精算、お願いします」

「ああ。見ておく。置いておいてくれ」

 守屋の机には経費申請用の書類入れが置かれていた。
 夕陽はそこへ書類を入れると、風で飛ばないように重りを置いて、「お願いしますね」と言って自席へ戻った。

 それからしばらく勉強を続けていくと、守屋から夕陽に声がかけられた。

「淵沢。ちょっとこっちへ」

「はい! 直ぐ参ります」

 飛鳥井との勉強を中断して、夕陽は守屋の元へ。
 守屋は申請された書類の1枚を手にして、添付された領収書を示して問いかけた。

「これは一体何だ」

 夕陽は示された領収書の情報を目にして、説明を行う。

「この記号は、ブラジャーのサイズを表しています。
 D70ですと、アンダーバスト――バストの直ぐ下の部分がおよそ70センチで、カップがDカップ。
 アンダーとバストトップの差がおよそ17.5センチであることを意味しています」

 説明に対して、守屋は眉根を寄せて不満そうに言い放つ。

「そういうことを聞いているんじゃない。
 どうして下着を経費で落とせると思った」

「私服1式と言われたので、1式揃えました」

「あくまで仕事着として着る服の話だ。
 下着は仕事だろうがプライベートだろうが身につけるし、仕事ではこれでないといけないという決まりもない」

「なるほどその通りです。
 つまり、経費では落とせないと」

 ぽんと手を打って夕陽は納得した。
 守屋は渋い表情を浮かべたまま、その書類を処理完了の箱へと移して言い捨てる。

「今回は雑費で落とす。
 次からは気をつけろ。戻って良い」

「はい。ありがとうございます所長さん。
 次からは気をつけますね」

 夕陽は笑顔で席へと戻った。
 入れ替わるように今度は飛鳥井が守屋に呼び出される。

「この書類がどういう意味か分かるな」

 夕陽が提出した下着に関する書類を見て、飛鳥井は頷く。

「意外と大きい」

 飛鳥井は身長差が10センチ近くある夕陽の下着サイズを見て率直な感想を述べた。
 それに守屋は口元を引きつかせて返す。

「そういうことを聞いているんじゃない」

「分かってる。
 説明不足は認めるわ。
 でも先月まで高校生だったのよ。
 これからしっかり教えていきます。これで良い?」

「分かってるなら良い」

 席に戻った飛鳥井は、一旦探偵業法の勉強を切り上げ、『超速理解 経費で落とせる領収書、落とせない領収書』と言う名の書籍を手に、業務で必要になりそうな部分について説明を始めた。

 夕陽の学習能力は若さもあってすさまじく、一度目を通した知識を忘れることは無いし、1つの知見を様々な事象に対しても応用して見せた。
 あっという間に経費についての学習を終え、探偵業法に戻る。
 そちらについてもまるで最初から知っていたかのようにすらすらと学んでいった。

「前から知ってました?」

「はい。探偵になろうと決めた時から、それなりに勉強はしてきました」

「そのようですね。
 探偵業法については問題ありません。
 一応、一番大切な部分だけ復習しておきましょう」

 そう言って飛鳥井は用意していたテキストを開いた。
 探偵業法第10条。守秘義務・秘密保持義務に関する条項だ。

「『探偵業者の業務に従事する者は、業務上知り得た人の秘密を漏らしてはならない』。
 人の秘密を漏らさないのはもちろんですが、栞探偵事務所では物を対象とした調査も行われます。
 その場合も当然、業務上知り得た情報を外へ漏らしてはいけません。
 もちろん、この仕事を辞めたとしても探偵業法は適用され続けます。よろしいですね」

「はい。しっかりと頭に刻み込みました。
 業務上知り得た情報は、一切、外の人には話しません」

「大変結構。
 探偵業法については定期的に確認しておいて」

 テキストを手渡された夕陽は頷く。
 それから飛鳥井はお昼にしましょうと言って、食事スペースへと赴いた。
 配達された弁当を2つとって、1つを夕陽へと渡す。

 2人が食事の席に着くと、仁木と守屋もやって来て食事を始めた。
 食事も佳境になると、仁木が夕陽へと問いかける。

「そういえばユウヒちゃん、自分が何者かを調べたいんだって?」

「はい。淵沢町で発見される以前の記憶も記録もないので、明らかにしたいと考えています」

「川で発見されたそうだけど、何か手がかりになるような物は?」

「ほとんど何も身につけていなかったそうです。
 私も病院のベッドで目を覚まして以降の記憶しか無いのでさっぱりなんです」

 記憶喪失となりおよそ10歳で児童相談所に預けられた過去を話しているというのに、夕陽は笑顔を崩さずに朗らかに話す。
 仁木は重ねて問う。

「でも行政で身元調査が行われたはずだろ?」

「過去7年間遡って行方不明者情報と照会はしたそうです。
 ですが必ずしも両親が遺伝子情報を登録しているとも限らないですし、結局身元は分かりませんでした」

「どうして7年なんだ?」

 仁木の問いに飛鳥井が答える。

「日本だと行方不明になってから7年で死亡扱いになるのよ。
 それに当時10歳なら7年も遡ること無く、直近の情報だけ調べれば済んだはずよ。1人で生きられる年齢ではないもの」

「なるほど。ごもっとも。
 にしても、それだとうちの仕事をしてても過去については分からないかもな」

「いえ、調査能力を身につけられればきっと役に立つと思います。
 ――だから是非調査に連れて行って欲しいです! お勉強はばっちりですよ! 所長さん!」

 夕陽はキラキラと輝く鳶色の大きな瞳を守屋へと向けていた。
 だが彼は聞こえないふりをして、そっぽを向く。

 そんな態度に飛鳥井が腹を立てて拳を握りしめて見せたのだが、ちょうどそのタイミングで事務所の電話が鳴り響いた。
 事務所の固定電話へとかけてくる相手はオーナーだけだ。
 守屋はお茶で口の中の物を無理矢理流し込むと、自席へと戻って受話器を取る。

「栞探偵事務所――ええ。……はい。
 分かりました。午後から向かいます。
 いえ、まだ時期尚早かと……。はい、進めておきます」

 オーナーからの電話に受け答えする守屋。
 電話の間他の所員は黙っていたが、守屋が食事の席へと戻ると仁木が問いかける。

「調査依頼?」

「そうだ。午後から出る。車を出してくれ」

「了解。任せとけって」

 守屋は仁木との話を終えると、飛鳥井へは何も言わずに食事を再開した。
 そういう態度をとるのかと、飛鳥井はじとっとした視線で守屋を睨み付け、要求する。

「新人研修の一環として、淵沢さんを同行させても?」

 守屋も、飛鳥井の言葉に対して聞こえないふりなど出来ない。
 あからさまに嫌そうな顔を浮かべて、されど否定もしない。

「オーナーさんからも私を連れて行くように言われたんですよね!
 準備万端ですよ! 頑張って調査しましょうね!」

 守屋はため息をつき、2人の方向を見ないまま告げた。

「邪魔にならないようにな」

 
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