第18話 過去の記録
文字数 7,370文字
GTCの秘密倉庫の発見とそれを取り巻く騒動。
そしてスーパービジョンに属していた堤との一件があった翌日。
栞探偵事務所はすっかり通常業務に戻っていた。
GTCとスーパービジョンが残していった〈ツール〉について資料を作る仁木と飛鳥井。
夕陽は昨日公園で発見した、チューリップの形をした樹脂製バリケードの報告資料を作成する。
守屋の姿はなかった。
朝方、所員宛に各自資料を作るようにとメールを送って、直ぐに出かけたらしい。
車で出たようで1階の駐車場にプリウスの姿はなかった。
「おいおい。こりゃダメだぞユウヒちゃん!」
夕陽が作成途中の報告資料について、一応共同で調査に当たった仁木へと確認をとったところ、彼は素っ頓狂な声を上げる。
「あら?
何処か間違いがありましたか?」
「大ありだ! 一体何だこの名称は!」
仁木は資料の一点を指さしていった。
〈ツール〉に固有の名称を記載する箇所。
夕陽は植物の開花を促進するチューリップ型樹脂製バリケードに対して、『淵沢町01』と命名していた。
「3桁にした方が良いですか?」
「そういう問題じゃあない」
夕陽の改善案に対して、仁木は真っ向から否定。
それから〈ツール〉の命名とはなんたるかを語り始める。
「いいかいユウヒちゃん。
〈ツール〉ってのは超常現象を引き起こす物体だ。
つまるところその名称は、通常とは異なると明確に伝えられる内容でなければいけない。
こんな機械的に番号を振ったような名称ではいけないってことだ」
「うーん。ちょっとよく分からないです。
どうせ管理は管理番号で行われますし、名称は何でも良いのでは?
これからいくつも〈ツール〉を発見するのに、いちいち名前考えるのも面倒です」
夕陽は持論を述べるのだが、仁木は決して折れなかった。
「分からないか?
〈ツール〉ってのはロマンなんだ。
この世に存在してはいけない物体なんだ。
それに名前をつけられる権利を、発見者は得られる。
確かに表の歴史に残ることはない。
だが、それでも、〈管理局〉のリストに記録を刻むことは出来る」
「つまり、具体的には?」
夕陽が首をかしげて尋ねると、仁木は自信満々に告げた。
「もっとかっこいい名前をつけるべきだ」
夕陽は首をかしげたまま。
しかしそれでも笑顔を浮かべた。
「確かに、一理あるかも知れないです。
ちょっと考えてみます」
「ああそうしてくれ。
自分の中の中二心に火をつけて考えるんだ!」
「やってみます!」
夕陽は元気よく返事をして、自分のデスクに向かうと命名の再検討に取りかかった。
隣に座る飛鳥井が、仁木にも聞こえるように告げる。
「〈ツール〉の特徴がなんとなく分かって、他と区別がつきさえすれば良いから、あまり時間かけないようにね」
◇ ◇ ◇
守屋は駐車場にプリウスを停めると、目的の建物を見やった。
外観は白と茶色をベースにした、割と新しいデザインをしている。
2階建てで、建物の前に大きな広場というか、運動場のような空間があるのも相まって、小さな小学校のようにも見える。
淵沢児童ホーム。通称、『ヤマフジ園』。
神奈川県に存在する児童養護施設の1つで、入所定員19名の中規模に属する施設だ。
そして淵沢夕陽が10歳から高校卒業までの8年間、生活していた場所でもある。
守屋は施設長に出迎えられて、応接室へと入る。
施設長は初老の男性で、丸眼鏡をかけた物腰の柔らかい人物だった。
守屋は挨拶と自己紹介を済ませると、突然のアポイントにも関わらず応対してくれた施設長へと礼を述べる。
「本日は直前の連絡にも関わらず時間を作って頂きありがとうございます」
「これも仕事のうちですからお構いなく。
それで、淵沢さんに何か問題がありましたか?」
施設長は不安そうな声色で尋ね、守屋の顔色をうかがう。
守屋は「淵沢夕陽について知りたいことがある」と連絡して施設を訪れた。
肩書き上、守屋は夕陽の就職先である栞探偵事務所の所長である。
施設長が彼からの連絡を受けて、夕陽が職場で何か問題を起こしたと思ってしまったのも無理はない。
守屋は誤解を解くように言う。
「いいえ。問題があったわけではありません。
ただ、これから先も共に仕事を進めていく上で、彼女の過去について知っておく必要があると考えただけです。
ですのでそう緊張なさらず、ありのままの事実を教えて頂ければと思っています」
守屋の言葉に施設長は頷く。
それから施設について簡単な説明をする。
施設の規模や設立の歴史については守屋が事前に調べてきた通り。
現在の入所者数は14名。
年齢層と性別などによって生活集団を4つに分けて、生活集団ごとに建物を区切り、必要な設備が備えられた環境で生活している。
「淵沢が使っていた部屋は?」
「彼女には個室を与えていました」
「個室ですか? それはこういった施設では珍しいのでは?」
「そうですね。
ただ彼女は保護児童であると同時に、施設職員と同等の、いいえ、それ以上の働きをしてくれていました。
ここに来る理由は家庭の事情――死別や貧困、更には虐待などです――によることがほとんどです。
心にも体にも傷を負った児童が多い。
彼らに対して、淵沢さんは常に明るい態度で接し、心の傷を癒やしてくれました。
彼女がいたことでどれだけの人が救われたか分かりません。
保護児童だけではなく我々職員も助けられていたのです」
児童養護施設は生活に問題を抱える児童を保護する場所。
だがその反面、元々家庭に問題のある児童を集める以上、施設内でも問題を生じやすい。
保護児童による犯罪。施設内でのイジメや暴行など。
この環境において言えば、淵沢夕陽は異質な存在だったであろう。
身元は完全に不明。戻るべき家庭が存在しない。それ故、家庭環境の問題とも無縁。
そしてあの性格だ。
バカみたいに明るく、好奇心旺盛。
彼女の存在は心に傷を負った児童に対しては、毒にも薬にもなりかねない。
だが施設長の言葉からすると、少なくともこのヤマフジ園にとって彼女の存在は薬として作用したようだ。
「部屋を見させて頂いても?」
「ええ構いませんよ。
今は職員用の仮眠室にしていますが」
守屋は施設長に案内されて、1階の部屋へ向かう。
6畳ほどの洋室。
だがロッカーが並び、床には畳が敷かれて、そこに布団が用意されていた。
「仮眠をとる機会は多いのですか?」
「はい。夜中も宿直の必要があります。
職員数にも恵まれているので時間を決めて持ち回りでやっています。
休憩時間中に仮眠をとる職員は多いですね」
「淵沢が使っていた備品は?」
「机、本棚、それにベッドは他の児童が使っています。
私物についてはいくつか出て行くときに持っていきましたが、書籍などかさばる物は置いていきました」
「置いていった私物について、妙な点はありませんでしたか?」
「いえ、特には」
施設長は首をかしげて答えた。
〈ツール〉について話せないのでこれ以上の説明は出来ない。
しかし施設長の言葉を信じるのならば、夕陽の残した私物に〈ツール〉はなかった。
それもそうだ。〈ツール〉であれば、夕陽は間違いなく持って出ただろう。
守屋は話題を切り替える。
「10歳の頃に預けられたそうですが、過去の記憶がないそうですね。
本人がそう言ったのですか?」
「はい。確かにそう言っています。
それは行政の記録にも残っているはずです」
守屋は頷く。
淵沢夕陽発見時の報告書について目を通していたが、それにもやはり発見時以前の記憶なしと明記されていた。
「見つかって直ぐにここへ?」
「いいえ。川辺で発見されたそうですが、ほぼ裸のような状態で、酷く衰弱していたそうです。
1ヶ月程度病院で治療を受け、その後記憶もなく身元も判明しなかったため、行政によって名前や生年月日が決められて、こちらへと送られてきました」
「預かった頃には今と同じような性格でしたか?」
その問いに施設長はかぶりを振った。
「当初は精神的に不安定でした。
ですが徐々に落ち着きを見せて、明るく前向きな今の淵沢さんへと近づいていきました。
詳しい時期は覚えていませんが、1年後にはすっかり今と同じような性格をしていました」
「なるほど。
記憶がなかったとのことですが、言葉や生活習慣などはどうでしたか?」
「そちらは問題ありませんでした。
記憶喪失にもいくつか種類があるようですね。
私は専門家ではありませんので詳しくないですが、淵沢さんの症状についてはエピソード記憶。――いわゆる個人的な思い出に関する部分の喪失だそうです」
守屋も記憶喪失の専門ではないが、言葉の意味は理解できた。
彼は重ねて尋ねる。
「知能はどうでしたか?
発見時10歳程度とのことでしたが、小学校4年生程度の知力は有していましたか?」
「はい問題なく。
むしろ知識に関しては優秀な部類だったと記憶しています」
「となると、教育は受けていた訳か」
発見直前。
推定10歳の淵沢夕陽は、学校教育、もしくはそれに準ずるレベルの教育を受けていた。
親元で生活していたなら被害届が出されるはず。
しかし淵沢夕陽の身元は、警察が過去の行方不明届と照会しても分からなかった。
「学校成績を見せて頂いても?」
「分かりました」
施設長に連れられて、職員事務室へ。
施設長は淵沢夕陽の名のつけられた書類ケースを持ちだして、その中から学校からの通信簿を取り出した。
「高校進学も問題なく優等生でした。
好奇心旺盛で、本当のことを知りたいと、何事についても探求する子でした。
図書館に通い独学でいろいろな分野の知識を身につけていたようです」
「大学進学も視野に入ったのでは?」
高校は地域の進学校。
成績もトップクラス。国立大学合格も容易だっただろうし、奨学金も得られただろう。
児童養護施設は原則18歳までと規則はあるが、理由があれば22歳までは延長できる。
淵沢夕陽の将来性を考えたのならば、延長は問題なかっただろう。
「本人たっての希望で、就職したいと。
どうしても栞探偵事務所で働きたいとのことでした」
「それは本人がそう言ったのですか?」
守屋の問いに施設長は頷く。
本当のことを――自分自身が何者なのか知りたい。そのために調査の専門技能を身につけたい。
夕陽はそう言って、栞探偵事務所への就職を希望した。
彼女にとって進学よりも、自分の存在を明らかにすることの方が優先度が高かった。
「高校時代の生活についてはどうでしたか?」
「学校生活は説明の通り全く問題ありませんでした。
1年生の頃にバイトをしていましたね。近所の書店です。休憩中に本が読めるのが良いと」
「2年生以降は止めたと」
「はい。趣味に使うお金は十分貯まったからと」
「趣味は博物館巡りでしたね」
「よくご存じですね。
休日の度に出かけては、博物館や科学館を見て回っていました。
時折施設の車で送ってあげたこともあります」
博物館巡りは就職が決まって以降も続けていた。
珍しい物へ興味を示す夕陽としてはもっともらしい趣味。
だが今はそれ以上に、気がかりなことがある。
「訪問した博物館のリストがありませんか?」
「ある程度は調べられると思います。
保護児童は公共施設の割引を得られるので、その申請が残っているはずです。
ただそれなりに時間を要します」
「それでも是非調べて頂きたい。
もしお手数かかるなら、こちらで調査費用をお支払いします」
「分かりました。
後で見積もりを送ります」
夕陽が訪ねた博物館のリスト。訪問日まで分かればそれは値千金の情報となり得る。
もし夕陽が訪問した日、博物館から展示品が何か消えていれば、彼女が博物館巡りを趣味にした理由が分かる。
「そちらの書類、全てコピーを頂いても?」
守屋は『淵沢夕陽』と書かれた書類ケースを示す。
施設長はその要求を明確に拒否した。
「こちらは職員による報告書になります。
規約により、外部の人に開示は出来ません」
「就職先の責任者でも?」
「はい。
児童保護のために必要な規約ですので」
「分かりました。報告書の方は諦めます。
施設での生活について話を伺わせてください」
2人は場所を移し、児童用の共用スペースへ。
小学生低学年層向けの遊び場もあれば、勉強用のスペースも用意されている。
本棚には絵本から学術書まで広く取りそろえられていた。
だが一番端の本棚だけが異質な蔵書となっていた。
「この棚の本の多くは淵沢さんの寄贈品になります」
「ああ。かさばる物は置いていったのでしたね」
守屋は施設長が示した本棚の内容を検める。
何事にも興味を示す夕陽らしく、ジャンルも滅茶苦茶で一貫性がない。
自分が気になった書籍は片っ端から買ったのだろう。
中には1冊数千円するような専門書も混じっている。
「書籍代は?」
「バイト代をつぎ込んだのだと思います。
施設の書籍購入支援制度も上手く使っていました」
「なるほど」
頷いて守屋は再度本棚へ視線を向けた。
探偵関連の書籍が数冊。中には『スパイになる方法』などというヘンテコな本も混じっている。
学術書についてはとりとめがない。
高校レベルの物理学書籍もあれば、半導体製造プロセスやサーバーインフラに関する書籍まで幅が広い。
宗教や歴史関連の本も豊富だ。
宗教は禅宗、神道、キリスト教。古代多神教についてなどなど。
歴史も博物館巡りを趣味としていただけあり多彩だった。
日本の歴史に関しては縄文時代から近代に至るまで各時期ごとの専門書籍が数冊ずつ。
世界についても、中世ヨーロッパ、エジプト文明、オリエント文明、ミクロネシア史など。地域も時代も選ばずに取りそろえられていた。
「そういえば入所当時は精神的に不安定だったとのことでしたね」
守屋が話題を切り替えると、施設長は悩む素振りを見せて答える。
「記憶をなくして、自分が何者なのか分からない状態で施設に入ることになったので、精神的に不安定になるのは不思議ではないと思います。
そうでなくとも、ここに来る児童は何かしら不安定な要素を持っています」
「それは理解しています。
何かその頃の記録が残っていたりしませんか?」
「記録ですか。
報告書は見せられませんが、昔書いた絵なら残していたと思います」
守屋は是非見せて欲しいと答え、施設長に案内されて物置へと向かった。
鍵付きの部屋で、職員だけが出入りできるようだった。
部屋に並ぶ大きな棚には、それぞれ児童の名前が記された箱が並べられている。
その中に淵沢夕陽のものもあった。
「この絵を見せるのは、あの子は嫌がるでしょうが」
「それでも見せて頂きたい」
守屋がはっきりとそう告げると、施設長は夕陽の箱を取り出して、中から1枚の絵を取り出した。
裏面はくすんでいるが無地のまま。
守屋は渡された絵の内容を検めた。
「これは?」
クレヨンで描かれた、幼稚園児が描いたかのような不気味な絵。
黒を基調とした禍々しい色使いで、人らしき何かを描いている。
2頭身で、目は真っ黒で大きく顔の半分を占めている。口は裂けたように横に広い。
ひらひらしたドレスなのか布きれなのか分からない服を身につけ、黒髪で、頭には冠のような物を乗せていた。
周囲は赤黒く塗りたくられ、禍々しさを際立たせている。
「淵沢さんが入所して初めて描いた絵です。
本人に聞いてみても、これが何かは分からないと」
人型の何かを描いた絵。色使いもタッチも見た人間の不安を煽る。
あの夕陽がこれを描いたとは思えない。少なくとも今の夕陽からは、この絵のような禍々しい感情を感じることはない。
「他にこういう絵は?」
「いいえ、以降は年相応の絵を描くようになりました。
芸術関連について彼女は、緻密で精確なものを好みます。こういう抽象的な絵はこれが最初で最後です」
「写真を撮らせて頂いても?」
「構いませんが、彼女はこれを見せられたら嫌がると思いますよ」
「本人には見せません。記録のためです」
そう言って守屋は夕陽が描いた絵を写真に収めた。
それからいくつか夕陽の仕事ぶりについて話をして、施設長と共に玄関口へと向かう。
「今日はありがとうございました。
――ちなみに、今でも淵沢はこちらに連絡をとっていますか?」
守屋の問いに施設長は頷く。
「2週間に1回程度連絡をくれますよ。
施設は退所後の相談や自立支援も仕事のうちですから」
「そのところ悪いが、自分がここを訪ねたことは、本人には秘密にして頂いても?」
「ええ。承知しました。
職場の上司さんのお願いですから。
今後とも、淵沢さんをよろしくおねがいします」
「そのつもりです。
では自分はこれで失礼します」
別れを告げて、守屋はヤマフジ園を後にする。
十分な収穫があったとは言いがたいが、淵沢夕陽へと1歩近づくことは出来た。
淵沢夕陽。
10歳で児童養護施設へ。それから8年後、施設を出て栞探偵事務所へ。
彼女は自分が何者なのか。それを10歳の頃から変わらず求め続けている。
夕陽は10歳まで何処で何をしていた?
仮にも10歳の少女。行方不明になれば届けが出るはず。
両親は何処で何をしている? 捜索願は出されなかったのか?
川で発見されたが、遺棄されたのか、事故なのか、何らかの事件に巻き込まれたのか。
流域に絞って探すにしても、夕陽の発見された川は流量はそれほどではない。遙か上流から流されてきたとは考えがたい。
だとすれば彼女はどこから来た?
行方不明から7年経てば死亡扱いだ。
既に淵沢夕陽が最初に発見されてから8年経っている。今から過去に遡って調べるのは困難かも知れない。
証拠があるとすれば彼女自身。
あの絵の意味は? 過去の記憶の片鱗だろうか。
不気味な人形。――人形と言えば、”水牛の像”は手にした者へ人形のような精霊の姿を見せるという。
夕陽はそれと同じような特別な〈ツール〉を所有している?
だったらどうして、”水牛の像”の謎についてあそこまで執着したのか。
謎が謎を呼び、答えにたどり着けない。
淵沢夕陽が求める”本当のこと”は、守屋が思っていた以上に遠く離れた場所にあるようだった。
そしてスーパービジョンに属していた堤との一件があった翌日。
栞探偵事務所はすっかり通常業務に戻っていた。
GTCとスーパービジョンが残していった〈ツール〉について資料を作る仁木と飛鳥井。
夕陽は昨日公園で発見した、チューリップの形をした樹脂製バリケードの報告資料を作成する。
守屋の姿はなかった。
朝方、所員宛に各自資料を作るようにとメールを送って、直ぐに出かけたらしい。
車で出たようで1階の駐車場にプリウスの姿はなかった。
「おいおい。こりゃダメだぞユウヒちゃん!」
夕陽が作成途中の報告資料について、一応共同で調査に当たった仁木へと確認をとったところ、彼は素っ頓狂な声を上げる。
「あら?
何処か間違いがありましたか?」
「大ありだ! 一体何だこの名称は!」
仁木は資料の一点を指さしていった。
〈ツール〉に固有の名称を記載する箇所。
夕陽は植物の開花を促進するチューリップ型樹脂製バリケードに対して、『淵沢町01』と命名していた。
「3桁にした方が良いですか?」
「そういう問題じゃあない」
夕陽の改善案に対して、仁木は真っ向から否定。
それから〈ツール〉の命名とはなんたるかを語り始める。
「いいかいユウヒちゃん。
〈ツール〉ってのは超常現象を引き起こす物体だ。
つまるところその名称は、通常とは異なると明確に伝えられる内容でなければいけない。
こんな機械的に番号を振ったような名称ではいけないってことだ」
「うーん。ちょっとよく分からないです。
どうせ管理は管理番号で行われますし、名称は何でも良いのでは?
これからいくつも〈ツール〉を発見するのに、いちいち名前考えるのも面倒です」
夕陽は持論を述べるのだが、仁木は決して折れなかった。
「分からないか?
〈ツール〉ってのはロマンなんだ。
この世に存在してはいけない物体なんだ。
それに名前をつけられる権利を、発見者は得られる。
確かに表の歴史に残ることはない。
だが、それでも、〈管理局〉のリストに記録を刻むことは出来る」
「つまり、具体的には?」
夕陽が首をかしげて尋ねると、仁木は自信満々に告げた。
「もっとかっこいい名前をつけるべきだ」
夕陽は首をかしげたまま。
しかしそれでも笑顔を浮かべた。
「確かに、一理あるかも知れないです。
ちょっと考えてみます」
「ああそうしてくれ。
自分の中の中二心に火をつけて考えるんだ!」
「やってみます!」
夕陽は元気よく返事をして、自分のデスクに向かうと命名の再検討に取りかかった。
隣に座る飛鳥井が、仁木にも聞こえるように告げる。
「〈ツール〉の特徴がなんとなく分かって、他と区別がつきさえすれば良いから、あまり時間かけないようにね」
◇ ◇ ◇
守屋は駐車場にプリウスを停めると、目的の建物を見やった。
外観は白と茶色をベースにした、割と新しいデザインをしている。
2階建てで、建物の前に大きな広場というか、運動場のような空間があるのも相まって、小さな小学校のようにも見える。
淵沢児童ホーム。通称、『ヤマフジ園』。
神奈川県に存在する児童養護施設の1つで、入所定員19名の中規模に属する施設だ。
そして淵沢夕陽が10歳から高校卒業までの8年間、生活していた場所でもある。
守屋は施設長に出迎えられて、応接室へと入る。
施設長は初老の男性で、丸眼鏡をかけた物腰の柔らかい人物だった。
守屋は挨拶と自己紹介を済ませると、突然のアポイントにも関わらず応対してくれた施設長へと礼を述べる。
「本日は直前の連絡にも関わらず時間を作って頂きありがとうございます」
「これも仕事のうちですからお構いなく。
それで、淵沢さんに何か問題がありましたか?」
施設長は不安そうな声色で尋ね、守屋の顔色をうかがう。
守屋は「淵沢夕陽について知りたいことがある」と連絡して施設を訪れた。
肩書き上、守屋は夕陽の就職先である栞探偵事務所の所長である。
施設長が彼からの連絡を受けて、夕陽が職場で何か問題を起こしたと思ってしまったのも無理はない。
守屋は誤解を解くように言う。
「いいえ。問題があったわけではありません。
ただ、これから先も共に仕事を進めていく上で、彼女の過去について知っておく必要があると考えただけです。
ですのでそう緊張なさらず、ありのままの事実を教えて頂ければと思っています」
守屋の言葉に施設長は頷く。
それから施設について簡単な説明をする。
施設の規模や設立の歴史については守屋が事前に調べてきた通り。
現在の入所者数は14名。
年齢層と性別などによって生活集団を4つに分けて、生活集団ごとに建物を区切り、必要な設備が備えられた環境で生活している。
「淵沢が使っていた部屋は?」
「彼女には個室を与えていました」
「個室ですか? それはこういった施設では珍しいのでは?」
「そうですね。
ただ彼女は保護児童であると同時に、施設職員と同等の、いいえ、それ以上の働きをしてくれていました。
ここに来る理由は家庭の事情――死別や貧困、更には虐待などです――によることがほとんどです。
心にも体にも傷を負った児童が多い。
彼らに対して、淵沢さんは常に明るい態度で接し、心の傷を癒やしてくれました。
彼女がいたことでどれだけの人が救われたか分かりません。
保護児童だけではなく我々職員も助けられていたのです」
児童養護施設は生活に問題を抱える児童を保護する場所。
だがその反面、元々家庭に問題のある児童を集める以上、施設内でも問題を生じやすい。
保護児童による犯罪。施設内でのイジメや暴行など。
この環境において言えば、淵沢夕陽は異質な存在だったであろう。
身元は完全に不明。戻るべき家庭が存在しない。それ故、家庭環境の問題とも無縁。
そしてあの性格だ。
バカみたいに明るく、好奇心旺盛。
彼女の存在は心に傷を負った児童に対しては、毒にも薬にもなりかねない。
だが施設長の言葉からすると、少なくともこのヤマフジ園にとって彼女の存在は薬として作用したようだ。
「部屋を見させて頂いても?」
「ええ構いませんよ。
今は職員用の仮眠室にしていますが」
守屋は施設長に案内されて、1階の部屋へ向かう。
6畳ほどの洋室。
だがロッカーが並び、床には畳が敷かれて、そこに布団が用意されていた。
「仮眠をとる機会は多いのですか?」
「はい。夜中も宿直の必要があります。
職員数にも恵まれているので時間を決めて持ち回りでやっています。
休憩時間中に仮眠をとる職員は多いですね」
「淵沢が使っていた備品は?」
「机、本棚、それにベッドは他の児童が使っています。
私物についてはいくつか出て行くときに持っていきましたが、書籍などかさばる物は置いていきました」
「置いていった私物について、妙な点はありませんでしたか?」
「いえ、特には」
施設長は首をかしげて答えた。
〈ツール〉について話せないのでこれ以上の説明は出来ない。
しかし施設長の言葉を信じるのならば、夕陽の残した私物に〈ツール〉はなかった。
それもそうだ。〈ツール〉であれば、夕陽は間違いなく持って出ただろう。
守屋は話題を切り替える。
「10歳の頃に預けられたそうですが、過去の記憶がないそうですね。
本人がそう言ったのですか?」
「はい。確かにそう言っています。
それは行政の記録にも残っているはずです」
守屋は頷く。
淵沢夕陽発見時の報告書について目を通していたが、それにもやはり発見時以前の記憶なしと明記されていた。
「見つかって直ぐにここへ?」
「いいえ。川辺で発見されたそうですが、ほぼ裸のような状態で、酷く衰弱していたそうです。
1ヶ月程度病院で治療を受け、その後記憶もなく身元も判明しなかったため、行政によって名前や生年月日が決められて、こちらへと送られてきました」
「預かった頃には今と同じような性格でしたか?」
その問いに施設長はかぶりを振った。
「当初は精神的に不安定でした。
ですが徐々に落ち着きを見せて、明るく前向きな今の淵沢さんへと近づいていきました。
詳しい時期は覚えていませんが、1年後にはすっかり今と同じような性格をしていました」
「なるほど。
記憶がなかったとのことですが、言葉や生活習慣などはどうでしたか?」
「そちらは問題ありませんでした。
記憶喪失にもいくつか種類があるようですね。
私は専門家ではありませんので詳しくないですが、淵沢さんの症状についてはエピソード記憶。――いわゆる個人的な思い出に関する部分の喪失だそうです」
守屋も記憶喪失の専門ではないが、言葉の意味は理解できた。
彼は重ねて尋ねる。
「知能はどうでしたか?
発見時10歳程度とのことでしたが、小学校4年生程度の知力は有していましたか?」
「はい問題なく。
むしろ知識に関しては優秀な部類だったと記憶しています」
「となると、教育は受けていた訳か」
発見直前。
推定10歳の淵沢夕陽は、学校教育、もしくはそれに準ずるレベルの教育を受けていた。
親元で生活していたなら被害届が出されるはず。
しかし淵沢夕陽の身元は、警察が過去の行方不明届と照会しても分からなかった。
「学校成績を見せて頂いても?」
「分かりました」
施設長に連れられて、職員事務室へ。
施設長は淵沢夕陽の名のつけられた書類ケースを持ちだして、その中から学校からの通信簿を取り出した。
「高校進学も問題なく優等生でした。
好奇心旺盛で、本当のことを知りたいと、何事についても探求する子でした。
図書館に通い独学でいろいろな分野の知識を身につけていたようです」
「大学進学も視野に入ったのでは?」
高校は地域の進学校。
成績もトップクラス。国立大学合格も容易だっただろうし、奨学金も得られただろう。
児童養護施設は原則18歳までと規則はあるが、理由があれば22歳までは延長できる。
淵沢夕陽の将来性を考えたのならば、延長は問題なかっただろう。
「本人たっての希望で、就職したいと。
どうしても栞探偵事務所で働きたいとのことでした」
「それは本人がそう言ったのですか?」
守屋の問いに施設長は頷く。
本当のことを――自分自身が何者なのか知りたい。そのために調査の専門技能を身につけたい。
夕陽はそう言って、栞探偵事務所への就職を希望した。
彼女にとって進学よりも、自分の存在を明らかにすることの方が優先度が高かった。
「高校時代の生活についてはどうでしたか?」
「学校生活は説明の通り全く問題ありませんでした。
1年生の頃にバイトをしていましたね。近所の書店です。休憩中に本が読めるのが良いと」
「2年生以降は止めたと」
「はい。趣味に使うお金は十分貯まったからと」
「趣味は博物館巡りでしたね」
「よくご存じですね。
休日の度に出かけては、博物館や科学館を見て回っていました。
時折施設の車で送ってあげたこともあります」
博物館巡りは就職が決まって以降も続けていた。
珍しい物へ興味を示す夕陽としてはもっともらしい趣味。
だが今はそれ以上に、気がかりなことがある。
「訪問した博物館のリストがありませんか?」
「ある程度は調べられると思います。
保護児童は公共施設の割引を得られるので、その申請が残っているはずです。
ただそれなりに時間を要します」
「それでも是非調べて頂きたい。
もしお手数かかるなら、こちらで調査費用をお支払いします」
「分かりました。
後で見積もりを送ります」
夕陽が訪ねた博物館のリスト。訪問日まで分かればそれは値千金の情報となり得る。
もし夕陽が訪問した日、博物館から展示品が何か消えていれば、彼女が博物館巡りを趣味にした理由が分かる。
「そちらの書類、全てコピーを頂いても?」
守屋は『淵沢夕陽』と書かれた書類ケースを示す。
施設長はその要求を明確に拒否した。
「こちらは職員による報告書になります。
規約により、外部の人に開示は出来ません」
「就職先の責任者でも?」
「はい。
児童保護のために必要な規約ですので」
「分かりました。報告書の方は諦めます。
施設での生活について話を伺わせてください」
2人は場所を移し、児童用の共用スペースへ。
小学生低学年層向けの遊び場もあれば、勉強用のスペースも用意されている。
本棚には絵本から学術書まで広く取りそろえられていた。
だが一番端の本棚だけが異質な蔵書となっていた。
「この棚の本の多くは淵沢さんの寄贈品になります」
「ああ。かさばる物は置いていったのでしたね」
守屋は施設長が示した本棚の内容を検める。
何事にも興味を示す夕陽らしく、ジャンルも滅茶苦茶で一貫性がない。
自分が気になった書籍は片っ端から買ったのだろう。
中には1冊数千円するような専門書も混じっている。
「書籍代は?」
「バイト代をつぎ込んだのだと思います。
施設の書籍購入支援制度も上手く使っていました」
「なるほど」
頷いて守屋は再度本棚へ視線を向けた。
探偵関連の書籍が数冊。中には『スパイになる方法』などというヘンテコな本も混じっている。
学術書についてはとりとめがない。
高校レベルの物理学書籍もあれば、半導体製造プロセスやサーバーインフラに関する書籍まで幅が広い。
宗教や歴史関連の本も豊富だ。
宗教は禅宗、神道、キリスト教。古代多神教についてなどなど。
歴史も博物館巡りを趣味としていただけあり多彩だった。
日本の歴史に関しては縄文時代から近代に至るまで各時期ごとの専門書籍が数冊ずつ。
世界についても、中世ヨーロッパ、エジプト文明、オリエント文明、ミクロネシア史など。地域も時代も選ばずに取りそろえられていた。
「そういえば入所当時は精神的に不安定だったとのことでしたね」
守屋が話題を切り替えると、施設長は悩む素振りを見せて答える。
「記憶をなくして、自分が何者なのか分からない状態で施設に入ることになったので、精神的に不安定になるのは不思議ではないと思います。
そうでなくとも、ここに来る児童は何かしら不安定な要素を持っています」
「それは理解しています。
何かその頃の記録が残っていたりしませんか?」
「記録ですか。
報告書は見せられませんが、昔書いた絵なら残していたと思います」
守屋は是非見せて欲しいと答え、施設長に案内されて物置へと向かった。
鍵付きの部屋で、職員だけが出入りできるようだった。
部屋に並ぶ大きな棚には、それぞれ児童の名前が記された箱が並べられている。
その中に淵沢夕陽のものもあった。
「この絵を見せるのは、あの子は嫌がるでしょうが」
「それでも見せて頂きたい」
守屋がはっきりとそう告げると、施設長は夕陽の箱を取り出して、中から1枚の絵を取り出した。
裏面はくすんでいるが無地のまま。
守屋は渡された絵の内容を検めた。
「これは?」
クレヨンで描かれた、幼稚園児が描いたかのような不気味な絵。
黒を基調とした禍々しい色使いで、人らしき何かを描いている。
2頭身で、目は真っ黒で大きく顔の半分を占めている。口は裂けたように横に広い。
ひらひらしたドレスなのか布きれなのか分からない服を身につけ、黒髪で、頭には冠のような物を乗せていた。
周囲は赤黒く塗りたくられ、禍々しさを際立たせている。
「淵沢さんが入所して初めて描いた絵です。
本人に聞いてみても、これが何かは分からないと」
人型の何かを描いた絵。色使いもタッチも見た人間の不安を煽る。
あの夕陽がこれを描いたとは思えない。少なくとも今の夕陽からは、この絵のような禍々しい感情を感じることはない。
「他にこういう絵は?」
「いいえ、以降は年相応の絵を描くようになりました。
芸術関連について彼女は、緻密で精確なものを好みます。こういう抽象的な絵はこれが最初で最後です」
「写真を撮らせて頂いても?」
「構いませんが、彼女はこれを見せられたら嫌がると思いますよ」
「本人には見せません。記録のためです」
そう言って守屋は夕陽が描いた絵を写真に収めた。
それからいくつか夕陽の仕事ぶりについて話をして、施設長と共に玄関口へと向かう。
「今日はありがとうございました。
――ちなみに、今でも淵沢はこちらに連絡をとっていますか?」
守屋の問いに施設長は頷く。
「2週間に1回程度連絡をくれますよ。
施設は退所後の相談や自立支援も仕事のうちですから」
「そのところ悪いが、自分がここを訪ねたことは、本人には秘密にして頂いても?」
「ええ。承知しました。
職場の上司さんのお願いですから。
今後とも、淵沢さんをよろしくおねがいします」
「そのつもりです。
では自分はこれで失礼します」
別れを告げて、守屋はヤマフジ園を後にする。
十分な収穫があったとは言いがたいが、淵沢夕陽へと1歩近づくことは出来た。
淵沢夕陽。
10歳で児童養護施設へ。それから8年後、施設を出て栞探偵事務所へ。
彼女は自分が何者なのか。それを10歳の頃から変わらず求め続けている。
夕陽は10歳まで何処で何をしていた?
仮にも10歳の少女。行方不明になれば届けが出るはず。
両親は何処で何をしている? 捜索願は出されなかったのか?
川で発見されたが、遺棄されたのか、事故なのか、何らかの事件に巻き込まれたのか。
流域に絞って探すにしても、夕陽の発見された川は流量はそれほどではない。遙か上流から流されてきたとは考えがたい。
だとすれば彼女はどこから来た?
行方不明から7年経てば死亡扱いだ。
既に淵沢夕陽が最初に発見されてから8年経っている。今から過去に遡って調べるのは困難かも知れない。
証拠があるとすれば彼女自身。
あの絵の意味は? 過去の記憶の片鱗だろうか。
不気味な人形。――人形と言えば、”水牛の像”は手にした者へ人形のような精霊の姿を見せるという。
夕陽はそれと同じような特別な〈ツール〉を所有している?
だったらどうして、”水牛の像”の謎についてあそこまで執着したのか。
謎が謎を呼び、答えにたどり着けない。
淵沢夕陽が求める”本当のこと”は、守屋が思っていた以上に遠く離れた場所にあるようだった。