第30話 小谷川あさひの発見④
文字数 6,143文字
軽トラを古物店の駐車場に停めると、あさひはカバンを肩にかけて、姿を現したイナンナへと問う。
「ボク以外にはイナンナの姿は見えないよね?」
『神柱に触れられぬ限りは』
「了解。店に入って、イナンナの加護を与えられた物があったら指さして教えて」
『かしこまりました』
あさひは店の中へと入る。
店主が店番をしていて、あさひの姿を認めると声をかけた。
「昨日の今日でどんな用事だい?
追加で買い取り品でも?」
「そうじゃなくて、昨日売った奴、いくつか買い戻したいんだけど」
あさひは店内を見渡しながら切り出した。
しかし買い取りされたばかりの品を置く棚に、昨日売った品々が存在しない。
もちろん、販売中の品を並べる棚にもだ。
嫌な予感がしていたが、店主の返答によってその予感が的中していたと知る。
「買い取った品なら、今朝のうちに買い取られたぞ」
「えっ!?
何で売っちゃったの!?」
「そりゃ、そういう商売だから」
「でも全部ってこと無いでしょ!
昨日の今日で箱ごと買われない限り――」
「それが箱ごと買われたんだ。
物好きな奴も居るもんだな」
あさひは唖然としたが、店主は冷酷に首を横に振って、それが真実であり、売られた品は戻って来ないと示した。
「何処の誰に売ったの!」
あさひは店主につかみかからんばかりに問う。
だが店主も商いに身を置く人間だ。そう簡単に顧客情報は渡さない。
「教えてやりたいが、店の信頼を損なうから無理だ」
「そこをなんとか!
長い付き合いでしょ。
それにあの品が、とんでもない贋作と模造品の集まりだって理解してるでしょ」
「してるが、それを分かった上であさひちゃんも売ってるし、こっちも買い取ってる。
それを買った客も、しっかりその点については認識した上で買ってる」
「なんでそんな――」
贋作を買う奴がいるのか。
口にしようとしてあさひは気がつく。
贋作、模造品の集まり。
あさひの見立てでも大した価値はないガラクタたち。
それでも1箱3万円で買い取って貰えた事実の方が奇跡だ。
そんな物を欲しがる理由。
あさひには心当たりがあった。
「1箱いくらで売ったの?」
あさひはそれくらい答えても良いでしょと、脅迫するように問う。
店主も観念したのか、自身が売った価格を告げた。
「1箱10万で5箱売った。
その前の1箱は、鑑定が終わって値札つけて並べてたのを買い取られたよ」
「そんな値段でも買ったってことはやっぱり――」
普通に考えたらあの箱に10万円も出したりしない。
でもそれはあの箱の中身がただの贋作・模造品の集まりで、本当に無価値だった場合の話だ。
実際は違った。
品々の中にはイナンナの加護を受けた、通常の物理法則では説明できない効果を発揮する品が混じっていた。
その事実が分かっていたとしたら、1箱10万払う価値はあるだろう。
あさひが今も持っている、いくら水を入れてもいっぱいにならない、水の重さも体積も関係なく持ち運べるタンブラーだって、たった1つでも10万円以上の価値がつくはずだ。
「売った品物の中に変なものなかった?
こう、なんていうか、その、普通じゃないやつ」
はっきりとは言えずあやふやな表現しか出来ない。
店主もそれではさっぱり分からないという風だったが、思い出したように1つ告げた。
「そういえば糸紡ぎ棒、立てかけておいたらずっと回って安定しなかったなあ。
あまりに止まらなくて気になったから横に置いたら静かになったけど」
あさひがイナンナへと視線を向けると、イナンナは加護を与えたと頷いて見せる。
「それ誰に売ったの?」
「だからそりゃあ言えないって」
店主は頑なだ。
物理法則を離れた危険な品が存在していたかも知れないのに。
しかし買い取った側だって、間違いなくそれが普通の品ではないと理解した上で糸紡ぎ棒を購入している。
あさひも祖父の所有した糸紡ぎ棒の存在は把握している。
明らかに最近作られた、恐らく東南アジア辺りの土産物屋で買ったであろう糸紡ぎ棒だ。
そんなものは現地に行くまでもなく、ネット通販で簡単に買えてしまう。
それをわざわざ古物商から購入するなんてバカな話だ。
誰かが特別な価値を見いだしたりしなければ値段はつかない。
誰が? 何のために?
その人物はイナンナのような、神の遣いの存在を把握してるのか?
加護を受けた物を集めて一体何に使うつもりなのか?
考えれば考えるほどに、買い取った人物がろくな人物ではなさそうに思える。
加護を受けた品と言えば聞こえは良いが、人類の発展を支えた科学技術の根本を否定しかねない異常性を秘めている。
そもそもそんな物が存在するのならば、他の誰かが既に気がついていても良いはずだ。
神の遣いはイナンナだけでは無いだろう。
日本に持ち込まれた神柱や、神の姿を模した石像、神の遣いたる獣の姿を模した石像など、神の遣いが封じられている可能性のある遺物はたくさんあるはずだ。
「分かった。
でももし返品されたら教えて」
「それならまあ。されないとは思うがね」
店主にそれだけ確約させて、あさひは店を出た。
神の遣いについて。加護を受けた物について。
誰かに相談したいが、ふさわしい人物が浮かばない。
教授に話すわけにはいかない。
変なオカルトにはまったと思われては卒業論文が通らなくなってしまう。
家族にも言えない。
元々家の人間は祖父以外歴史になど興味は無いし、古代の神の遣いが見えるなどと言い出したら頭がおかしくなったと思われる。
あさひは推論を立てる。
まず、神の遣いはイナンナ以外にも存在する。
とすれば、加護を受けた品はいくつか存在するだろう。
しかし1つとして世の中には出回っていない。
そうなれば、誰かが秘密裏に回収しているはずである。
それは誰か?
あさひの売った品を買い取った人物はその誰かだろうか?
「いや、こっそり悪用する人間も居るかも。
とにかく今は慎重に動いた方が良いかも」
『あちらに加護を与えた物が』
ふと唐突にイナンナの声が響いた。
彼女はあさひの前に浮かんだまま、あさひの停めた軽トラを指さしている。
考え事をしていたあさひが顔を上げると、軽トラの元に、ガラの悪そうな男達がたむろしていた。
その中のリーダー格らしき、金髪オールバック、サングラス姿の明らかに素行の悪そうな男が前に出る。
「このトラックはお嬢ちゃんのか?」
「ごめんなさい。邪魔なら直ぐどかします」
あさひは口早にそう言った。
これまでのあさひの人生では、こういった人種との関わりは極めて少なかった。
しかし彼はイナンナの加護を受けた物を所有している。
どうすれば良いかと考えるが、トラックの周りには素行の悪そうな男が4人ばかり。
あさひはとにかく逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。
軽トラの鍵を取り出し車に近づくが、金髪オールバックの男がその進路を塞ぐ。
「な、何の用ですか? 店の人を呼びますよ」
「いや、別に用ってもんでもない。
ただちっとばかし尋ねたい。
お嬢ちゃん、〈ツール〉を持ってたりしないか?」
「ツール? 何かの工具の話ですか?」
あさひには彼の言うツールの意味が分からない。
そのまま文字通り受け取って、彼らが何らかの工具を探しているのかと受け取った。
彼はそんな返答を笑い飛ばす。
「とぼけちゃいけねえ。
この〈ツール〉に見覚えがあるだろ? こっちも、それもだ」
男達が手にとった骨董品もどきを見せつける。
それは昨日あさひが店に買い取らせた、祖父のコレクションの1部だった。
「まさか――ツールって……」
加護を受けた物品をそう呼ぶのか?
あさひは気がついた。
そしてその反応を見て、男達は一歩ずつあさひへと近づいた。
「やっぱり知ってたな。
しかし〈ピックアップ〉の人間じゃねえ。ちとばかしうちで話を聞かせてくれや。
ボスがそれを望んでる」
男が手を伸ばす。
あさひは咄嗟に飛び退いて、カバンからタンブラーを取り出した。
「おっと。それも〈ツール〉か?」
「近づかないで!
それ以上近づいたら――」
「近づいたら?」
男がまた一歩前に出た。
あさひは堪えきれなくなって、手にしたタンブラーの口を男へと向ける。
タンブラーにはどれくらいの水が入るのか、昨日農業用水路の水を詰め込みまくっていた。
それが傾けられて、勢いよく水が溢れ出す。
鉄砲水の如き水流は男達を瞬く間に呑み込む。立っていられない程の水勢に押されて彼らは水で溢れた駐車場に倒れるた
その隙を見てあさひは逃げ出す。
「まずいまずいまずい!
変な奴らに目をつけられた!」
『敵国の民かしらん?』
「多分そんなところ!
とにかく逃げないと!
イナンナも神柱も絶対に渡せない!」
加護を受けた品を取り戻したいとも思ったが、そちらについては諦めた。
男達と戦ってまで、それを奪う力も度胸もあさひには無い。
古物商の店を後にして、走って市街地へ入る。
この辺りの街の地理には詳しい。
車の入れない道を選んで、周囲を確認しながら移動する。
男達が〈ツール〉と呼ぶのは、加護を受けた物体の話に他ならない。
彼らはそれを求めていた。
もしそんな彼らが、〈ツール〉を産み出せる神の遣いの存在を知ったら。
考えたくも無い話だ。
あさひは途中衣類店に入り、帽子と上着。今肩から提げているカバンがまるごと入るほどの大きなカバンを買って、間に合わせで変装。
顔はそんなに見られていないはず。
ぱっと見の印象さえ変えてしまえば簡単には見つからないと踏んだ。
街を歩いて進み、実家のある方向へ。
車でなら直ぐの距離でも歩くと意外と時間がかかる。
実家近くの大型ショッピングモールの屋上駐車場に上がり、そこから実家の様子を確認する。
実家の前には、明らかに怪しい大型バンが1台停車している。
「ええ……なんで実家の住所バレてるの……」
『大変なことになりましたな』
「そうだね。
でも神柱もイナンナも絶対に渡さないから。
こんな歴史的発見を、神の加護をツール扱いする怪しい連中には絶対に渡せない」
彼らは加護を受けた物品を〈ツール〉と呼んだ。
まさしく道具扱い。神の遣いの加護を受けた物に対してそんな態度をとったのだ。
歴史的・宗教的価値を一切無視した、それこそ不思議で便利な道具程度にしか思っていないような扱いだ。
あさひにはそれが許せなかった。
彼らは〈ツール〉とやらについて、その真の存在理由を探求することもなく、便利な道具という表層だけを見て価値を決めつけている。
そんな奴らには間違っても神柱は渡せない。
「安全な場所を探さないと。
でも大学の方もバレてそうだし……」
実家の住所がバレているのだから名前もバレてる。
大学も安全では無いだろう。
遠くに逃げるにしても、何時までも逃げ続けられやしない。
「一旦、祖父の家に戻ろう。
壺を置いて来ちゃったし、残しておいた骨董品も盗まれるかも」
あさひはそう決断して、祖父の家を目指した。
街の通りを歩いていく。
しかし、祖父の家は周りを畑と田んぼに囲われている。
見通しが良く、近づこうとすれば簡単に見つかってしまうだろう。
「瞬間移動とか、姿を見えなくするとか、なんとかならない?」
『難しいかと。
雨くらいなら呼べもしましょうが、身を隠すほどは降らぬものかと』
「うーん。
そうなるともう変装くらいしか。
でも誰も住んでないはずの家に近づいたら直ぐバレるし……」
あさひは遠くから祖父の家を眺めるばかりで、それ以上近づけなかった。
別の角度から突破口を探れないかと、街と田んぼの境目の通りを歩いて見る。
「こっちもダメ。裏もずっと田んぼと畑だしなあ」
『水が豊かで良い土地柄と見受けられました。
夏場に雨は降りますでしょうか?』
「嫌というほど降る。
イナンナにとっては良い土地かも」
高温多湿な日本はイナンナにとっては住み心地の良い土地だろう。
灌漑に追われることもなく、既におおよそ完成された農業用水の供給システムが存在する。
大麦に適した農地が少ないのが難点だなあと考えてながら歩いていると、唐突に正面に姿を現した男と目が合った。
先ほど駐車場で見た、ガラの悪そうな男のうちの1人だ。
バレてない――よね?
心の中で自問自答するあさひ。
しかし無情にも、男は声を上げた。
「見つけた! ここだ!」
「人違いですうううう!!!!」
そう返しながらもあさひは反対方向へと駆け出した。
だがそちらにも男の声を聞きつけてか、追っ手が姿を現す。
「ひい!?」
なんでこんなことに!
あさひは叫び声を上げながら、畑の方向へと逃げ出した。
行き着く先は祖父の家だ。
こうなったら家に立てこもり、警察を呼ぼう。
決心したあさひは祖父の家へと真っ直ぐに走る。
だがその目前。祖父の家の正門前へと、大型バンが入り口を塞ぐように横付けし、その中から男達が姿を現す。
そこには例の金髪オールバックの男もいた。
「嘘っ!?
先回りされた!?」
後ろから追っ手。
そして祖父の家前も塞がれた。
祖父の家は諦め、畑のあぜ道へ。
足場の悪いあぜ道を走るが、追っ手は着実に近づいてきている。
身体が小さく、運動が苦手なあさひに、男達から逃げ切れる体力は無い。
もう直ぐ後ろまで迫られていた。
畑の区画を抜けると、水の張ってある田んぼが連なっている。
あさひはイナンナへと尋ねる
「ボクの靴、水の上歩けるように出来ない!?」
『仰せの通りに』
イナンナがあさひの靴へと飛び込む。
一瞬姿を消したイナンナだが直ぐに姿を現した。
もう加護は与え終わっていると確信して、あさひは水の張られた田んぼへと飛び込む。
最初の一歩はやや不安だったが、確かに靴は水を蹴った。
そのまま2歩目、3歩目と、水の上を蹴って走る。
男達は追ってこられない。
1人が田んぼに飛び込んだが、ぬかるみに足を取られて前のめりに倒れた。
残った男達はあぜ道を進んで、あさひの行く先へと先回りしようとする。
「ダメだ、もう、走れないかも」
田んぼを駆け抜けたところで、あさひは体力の限界に達した。
男達があぜ道を抜けて追いかけてくる。
なんとか農道まで出たが、祖父の家の前にあったバンがあさひへと向かって来ていた。
街中まで逃げ切る体力は残っていない。
それでも肩で息をしながら街の方向へと足を進める。
どうするべきか。
あさひには冷静に考えるだけの体力も残っていなかった。
背後から農道を走るバンの姿が迫ってきていた。
だがそのバンを、爆走する車両が追い抜いた。
○が4つ横に並ぶエンブレムの車。
その車両の窓から何かが投げられると、バンが突如横転して畑に突っ込む。
車両はそのままあさひの元へ向かって来て、急ブレーキをかけてその隣で停車した。
開いた助手席の窓から、女性の声が投げられる。
「急いで乗って」
運転席に座る、メガネをかけた黒髪の女性。
彼女にそう声をかけられて、あさひは疑うこと無く助手席のドアを開けて車に乗り込んだ。
あさひを乗せた真っ赤なアウディA3は、農道を駆け抜けると、市街地道路を爆走し、そのまま高速道路へと入った。
「ボク以外にはイナンナの姿は見えないよね?」
『神柱に触れられぬ限りは』
「了解。店に入って、イナンナの加護を与えられた物があったら指さして教えて」
『かしこまりました』
あさひは店の中へと入る。
店主が店番をしていて、あさひの姿を認めると声をかけた。
「昨日の今日でどんな用事だい?
追加で買い取り品でも?」
「そうじゃなくて、昨日売った奴、いくつか買い戻したいんだけど」
あさひは店内を見渡しながら切り出した。
しかし買い取りされたばかりの品を置く棚に、昨日売った品々が存在しない。
もちろん、販売中の品を並べる棚にもだ。
嫌な予感がしていたが、店主の返答によってその予感が的中していたと知る。
「買い取った品なら、今朝のうちに買い取られたぞ」
「えっ!?
何で売っちゃったの!?」
「そりゃ、そういう商売だから」
「でも全部ってこと無いでしょ!
昨日の今日で箱ごと買われない限り――」
「それが箱ごと買われたんだ。
物好きな奴も居るもんだな」
あさひは唖然としたが、店主は冷酷に首を横に振って、それが真実であり、売られた品は戻って来ないと示した。
「何処の誰に売ったの!」
あさひは店主につかみかからんばかりに問う。
だが店主も商いに身を置く人間だ。そう簡単に顧客情報は渡さない。
「教えてやりたいが、店の信頼を損なうから無理だ」
「そこをなんとか!
長い付き合いでしょ。
それにあの品が、とんでもない贋作と模造品の集まりだって理解してるでしょ」
「してるが、それを分かった上であさひちゃんも売ってるし、こっちも買い取ってる。
それを買った客も、しっかりその点については認識した上で買ってる」
「なんでそんな――」
贋作を買う奴がいるのか。
口にしようとしてあさひは気がつく。
贋作、模造品の集まり。
あさひの見立てでも大した価値はないガラクタたち。
それでも1箱3万円で買い取って貰えた事実の方が奇跡だ。
そんな物を欲しがる理由。
あさひには心当たりがあった。
「1箱いくらで売ったの?」
あさひはそれくらい答えても良いでしょと、脅迫するように問う。
店主も観念したのか、自身が売った価格を告げた。
「1箱10万で5箱売った。
その前の1箱は、鑑定が終わって値札つけて並べてたのを買い取られたよ」
「そんな値段でも買ったってことはやっぱり――」
普通に考えたらあの箱に10万円も出したりしない。
でもそれはあの箱の中身がただの贋作・模造品の集まりで、本当に無価値だった場合の話だ。
実際は違った。
品々の中にはイナンナの加護を受けた、通常の物理法則では説明できない効果を発揮する品が混じっていた。
その事実が分かっていたとしたら、1箱10万払う価値はあるだろう。
あさひが今も持っている、いくら水を入れてもいっぱいにならない、水の重さも体積も関係なく持ち運べるタンブラーだって、たった1つでも10万円以上の価値がつくはずだ。
「売った品物の中に変なものなかった?
こう、なんていうか、その、普通じゃないやつ」
はっきりとは言えずあやふやな表現しか出来ない。
店主もそれではさっぱり分からないという風だったが、思い出したように1つ告げた。
「そういえば糸紡ぎ棒、立てかけておいたらずっと回って安定しなかったなあ。
あまりに止まらなくて気になったから横に置いたら静かになったけど」
あさひがイナンナへと視線を向けると、イナンナは加護を与えたと頷いて見せる。
「それ誰に売ったの?」
「だからそりゃあ言えないって」
店主は頑なだ。
物理法則を離れた危険な品が存在していたかも知れないのに。
しかし買い取った側だって、間違いなくそれが普通の品ではないと理解した上で糸紡ぎ棒を購入している。
あさひも祖父の所有した糸紡ぎ棒の存在は把握している。
明らかに最近作られた、恐らく東南アジア辺りの土産物屋で買ったであろう糸紡ぎ棒だ。
そんなものは現地に行くまでもなく、ネット通販で簡単に買えてしまう。
それをわざわざ古物商から購入するなんてバカな話だ。
誰かが特別な価値を見いだしたりしなければ値段はつかない。
誰が? 何のために?
その人物はイナンナのような、神の遣いの存在を把握してるのか?
加護を受けた物を集めて一体何に使うつもりなのか?
考えれば考えるほどに、買い取った人物がろくな人物ではなさそうに思える。
加護を受けた品と言えば聞こえは良いが、人類の発展を支えた科学技術の根本を否定しかねない異常性を秘めている。
そもそもそんな物が存在するのならば、他の誰かが既に気がついていても良いはずだ。
神の遣いはイナンナだけでは無いだろう。
日本に持ち込まれた神柱や、神の姿を模した石像、神の遣いたる獣の姿を模した石像など、神の遣いが封じられている可能性のある遺物はたくさんあるはずだ。
「分かった。
でももし返品されたら教えて」
「それならまあ。されないとは思うがね」
店主にそれだけ確約させて、あさひは店を出た。
神の遣いについて。加護を受けた物について。
誰かに相談したいが、ふさわしい人物が浮かばない。
教授に話すわけにはいかない。
変なオカルトにはまったと思われては卒業論文が通らなくなってしまう。
家族にも言えない。
元々家の人間は祖父以外歴史になど興味は無いし、古代の神の遣いが見えるなどと言い出したら頭がおかしくなったと思われる。
あさひは推論を立てる。
まず、神の遣いはイナンナ以外にも存在する。
とすれば、加護を受けた品はいくつか存在するだろう。
しかし1つとして世の中には出回っていない。
そうなれば、誰かが秘密裏に回収しているはずである。
それは誰か?
あさひの売った品を買い取った人物はその誰かだろうか?
「いや、こっそり悪用する人間も居るかも。
とにかく今は慎重に動いた方が良いかも」
『あちらに加護を与えた物が』
ふと唐突にイナンナの声が響いた。
彼女はあさひの前に浮かんだまま、あさひの停めた軽トラを指さしている。
考え事をしていたあさひが顔を上げると、軽トラの元に、ガラの悪そうな男達がたむろしていた。
その中のリーダー格らしき、金髪オールバック、サングラス姿の明らかに素行の悪そうな男が前に出る。
「このトラックはお嬢ちゃんのか?」
「ごめんなさい。邪魔なら直ぐどかします」
あさひは口早にそう言った。
これまでのあさひの人生では、こういった人種との関わりは極めて少なかった。
しかし彼はイナンナの加護を受けた物を所有している。
どうすれば良いかと考えるが、トラックの周りには素行の悪そうな男が4人ばかり。
あさひはとにかく逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。
軽トラの鍵を取り出し車に近づくが、金髪オールバックの男がその進路を塞ぐ。
「な、何の用ですか? 店の人を呼びますよ」
「いや、別に用ってもんでもない。
ただちっとばかし尋ねたい。
お嬢ちゃん、〈ツール〉を持ってたりしないか?」
「ツール? 何かの工具の話ですか?」
あさひには彼の言うツールの意味が分からない。
そのまま文字通り受け取って、彼らが何らかの工具を探しているのかと受け取った。
彼はそんな返答を笑い飛ばす。
「とぼけちゃいけねえ。
この〈ツール〉に見覚えがあるだろ? こっちも、それもだ」
男達が手にとった骨董品もどきを見せつける。
それは昨日あさひが店に買い取らせた、祖父のコレクションの1部だった。
「まさか――ツールって……」
加護を受けた物品をそう呼ぶのか?
あさひは気がついた。
そしてその反応を見て、男達は一歩ずつあさひへと近づいた。
「やっぱり知ってたな。
しかし〈ピックアップ〉の人間じゃねえ。ちとばかしうちで話を聞かせてくれや。
ボスがそれを望んでる」
男が手を伸ばす。
あさひは咄嗟に飛び退いて、カバンからタンブラーを取り出した。
「おっと。それも〈ツール〉か?」
「近づかないで!
それ以上近づいたら――」
「近づいたら?」
男がまた一歩前に出た。
あさひは堪えきれなくなって、手にしたタンブラーの口を男へと向ける。
タンブラーにはどれくらいの水が入るのか、昨日農業用水路の水を詰め込みまくっていた。
それが傾けられて、勢いよく水が溢れ出す。
鉄砲水の如き水流は男達を瞬く間に呑み込む。立っていられない程の水勢に押されて彼らは水で溢れた駐車場に倒れるた
その隙を見てあさひは逃げ出す。
「まずいまずいまずい!
変な奴らに目をつけられた!」
『敵国の民かしらん?』
「多分そんなところ!
とにかく逃げないと!
イナンナも神柱も絶対に渡せない!」
加護を受けた品を取り戻したいとも思ったが、そちらについては諦めた。
男達と戦ってまで、それを奪う力も度胸もあさひには無い。
古物商の店を後にして、走って市街地へ入る。
この辺りの街の地理には詳しい。
車の入れない道を選んで、周囲を確認しながら移動する。
男達が〈ツール〉と呼ぶのは、加護を受けた物体の話に他ならない。
彼らはそれを求めていた。
もしそんな彼らが、〈ツール〉を産み出せる神の遣いの存在を知ったら。
考えたくも無い話だ。
あさひは途中衣類店に入り、帽子と上着。今肩から提げているカバンがまるごと入るほどの大きなカバンを買って、間に合わせで変装。
顔はそんなに見られていないはず。
ぱっと見の印象さえ変えてしまえば簡単には見つからないと踏んだ。
街を歩いて進み、実家のある方向へ。
車でなら直ぐの距離でも歩くと意外と時間がかかる。
実家近くの大型ショッピングモールの屋上駐車場に上がり、そこから実家の様子を確認する。
実家の前には、明らかに怪しい大型バンが1台停車している。
「ええ……なんで実家の住所バレてるの……」
『大変なことになりましたな』
「そうだね。
でも神柱もイナンナも絶対に渡さないから。
こんな歴史的発見を、神の加護をツール扱いする怪しい連中には絶対に渡せない」
彼らは加護を受けた物品を〈ツール〉と呼んだ。
まさしく道具扱い。神の遣いの加護を受けた物に対してそんな態度をとったのだ。
歴史的・宗教的価値を一切無視した、それこそ不思議で便利な道具程度にしか思っていないような扱いだ。
あさひにはそれが許せなかった。
彼らは〈ツール〉とやらについて、その真の存在理由を探求することもなく、便利な道具という表層だけを見て価値を決めつけている。
そんな奴らには間違っても神柱は渡せない。
「安全な場所を探さないと。
でも大学の方もバレてそうだし……」
実家の住所がバレているのだから名前もバレてる。
大学も安全では無いだろう。
遠くに逃げるにしても、何時までも逃げ続けられやしない。
「一旦、祖父の家に戻ろう。
壺を置いて来ちゃったし、残しておいた骨董品も盗まれるかも」
あさひはそう決断して、祖父の家を目指した。
街の通りを歩いていく。
しかし、祖父の家は周りを畑と田んぼに囲われている。
見通しが良く、近づこうとすれば簡単に見つかってしまうだろう。
「瞬間移動とか、姿を見えなくするとか、なんとかならない?」
『難しいかと。
雨くらいなら呼べもしましょうが、身を隠すほどは降らぬものかと』
「うーん。
そうなるともう変装くらいしか。
でも誰も住んでないはずの家に近づいたら直ぐバレるし……」
あさひは遠くから祖父の家を眺めるばかりで、それ以上近づけなかった。
別の角度から突破口を探れないかと、街と田んぼの境目の通りを歩いて見る。
「こっちもダメ。裏もずっと田んぼと畑だしなあ」
『水が豊かで良い土地柄と見受けられました。
夏場に雨は降りますでしょうか?』
「嫌というほど降る。
イナンナにとっては良い土地かも」
高温多湿な日本はイナンナにとっては住み心地の良い土地だろう。
灌漑に追われることもなく、既におおよそ完成された農業用水の供給システムが存在する。
大麦に適した農地が少ないのが難点だなあと考えてながら歩いていると、唐突に正面に姿を現した男と目が合った。
先ほど駐車場で見た、ガラの悪そうな男のうちの1人だ。
バレてない――よね?
心の中で自問自答するあさひ。
しかし無情にも、男は声を上げた。
「見つけた! ここだ!」
「人違いですうううう!!!!」
そう返しながらもあさひは反対方向へと駆け出した。
だがそちらにも男の声を聞きつけてか、追っ手が姿を現す。
「ひい!?」
なんでこんなことに!
あさひは叫び声を上げながら、畑の方向へと逃げ出した。
行き着く先は祖父の家だ。
こうなったら家に立てこもり、警察を呼ぼう。
決心したあさひは祖父の家へと真っ直ぐに走る。
だがその目前。祖父の家の正門前へと、大型バンが入り口を塞ぐように横付けし、その中から男達が姿を現す。
そこには例の金髪オールバックの男もいた。
「嘘っ!?
先回りされた!?」
後ろから追っ手。
そして祖父の家前も塞がれた。
祖父の家は諦め、畑のあぜ道へ。
足場の悪いあぜ道を走るが、追っ手は着実に近づいてきている。
身体が小さく、運動が苦手なあさひに、男達から逃げ切れる体力は無い。
もう直ぐ後ろまで迫られていた。
畑の区画を抜けると、水の張ってある田んぼが連なっている。
あさひはイナンナへと尋ねる
「ボクの靴、水の上歩けるように出来ない!?」
『仰せの通りに』
イナンナがあさひの靴へと飛び込む。
一瞬姿を消したイナンナだが直ぐに姿を現した。
もう加護は与え終わっていると確信して、あさひは水の張られた田んぼへと飛び込む。
最初の一歩はやや不安だったが、確かに靴は水を蹴った。
そのまま2歩目、3歩目と、水の上を蹴って走る。
男達は追ってこられない。
1人が田んぼに飛び込んだが、ぬかるみに足を取られて前のめりに倒れた。
残った男達はあぜ道を進んで、あさひの行く先へと先回りしようとする。
「ダメだ、もう、走れないかも」
田んぼを駆け抜けたところで、あさひは体力の限界に達した。
男達があぜ道を抜けて追いかけてくる。
なんとか農道まで出たが、祖父の家の前にあったバンがあさひへと向かって来ていた。
街中まで逃げ切る体力は残っていない。
それでも肩で息をしながら街の方向へと足を進める。
どうするべきか。
あさひには冷静に考えるだけの体力も残っていなかった。
背後から農道を走るバンの姿が迫ってきていた。
だがそのバンを、爆走する車両が追い抜いた。
○が4つ横に並ぶエンブレムの車。
その車両の窓から何かが投げられると、バンが突如横転して畑に突っ込む。
車両はそのままあさひの元へ向かって来て、急ブレーキをかけてその隣で停車した。
開いた助手席の窓から、女性の声が投げられる。
「急いで乗って」
運転席に座る、メガネをかけた黒髪の女性。
彼女にそう声をかけられて、あさひは疑うこと無く助手席のドアを開けて車に乗り込んだ。
あさひを乗せた真っ赤なアウディA3は、農道を駆け抜けると、市街地道路を爆走し、そのまま高速道路へと入った。