第24話 淵沢夕陽とは①

文字数 4,469文字

「行方は分からない。
 ほとんど何も説明されなかった。
 それより深津はどうなったんだ?」

 電話口に守屋は苦言を呈する。
 電話の相手――堤は困ったような声色で返す。

『淵沢夕陽の行方を捜し出せと命令している。
 栞探偵事務所も、監視されているはずだ』

「そのようだ。向かいのビルに張り込んでるのはそっちの関係者だろ。
 監視じゃなくて襲撃準備じゃないだろうな」

『分からない。
 こっちには情報がほとんど降りてきていない。
 ただお前が淵沢から何を聞いたかは確認しろと』

 堤も追い詰められていた。
 ”水牛の像”を巡ってのGTC襲撃は失敗。
 今回も栞探偵事務所抹殺に失敗。
 ブラックドワーフから〈ツール〉も入手できなかった。

 とはいえ守屋の状況も良いとは言いがたい。
 スーパービジョンには完全に標的として認識された。
 深津――〈ラボ〉の笹崎が、スーパービジョンの幹部だと知ってしまった。
 そして彼は、守屋達が夕陽からスーパービジョンの秘密について聞いたのではないかと疑っている。

 更には〈管理局〉との関係も危うい。
 まだオーナーには事件の詳細を話していない。
 しかし社有車を破壊し、新入社員が長期休暇を取得して連絡が取れないとあっては、何時までも隠し通せない。

「淵沢は自分のことが良く分からなくなったと言って出て行った。
 他に聞いたと言えば、スーパービジョンに気をつけろ、くらいだ」

『本当だろうな』

「淵沢に振り回されてるのはこっちも同じだ。
 こっちはこっちで淵沢の行方を探るつもりだ。
 だから邪魔してくれるな。そう深津に伝えておいてくれ」

 伝言係にされたのを堤はよく思っていなかったが、それでも頷く。
 守屋達を始末すれば淵沢夕陽との接点がなくなってしまう。
 彼女を見つけなければ、組織内での堤の居場所がなくなってしまう。

『淵沢夕陽を見つけたら報告してくれ』

「協力して欲しかったら教えてくれ。
 あんたが淵沢から受け取った贈り物は何だったんだ?」

 堤は渋ったが、間を置いてから簡潔に答えた。

『車だ。
 前の週にお前達に壊されただろう』

「急ブレーキかけてスリップさせたのはお前だ。
 ――同じ型か?」

『そうだ。
 ――ブレーキは踏んでない』

「もう十分だ。
 そっちで淵沢について分かったら連絡寄越せ」

 守屋は一方的に言うと電話を切り、続いてオーナーへと電話をかける。
 そちらは不在だった。
 守屋は少しばかり心を落ち着かせるが、報告が先送りになっただけで問題が解決したわけではない。
 オーナーへ対する説明を考えておかなければいけない。

 同時にやるべきことがあった。
 守屋の斜め前の席。淵沢夕陽の席には誰も居ない。
 彼女は宣言したとおり有給休暇を取得していた。事務所にはしばらく顔を出さないだろう。

「で、どうするの?
 スーパービジョンを追うの? それとも淵沢さん?」

 飛鳥井が問う。
 彼女は昨日、工場跡で見つかった死体を見てからこの事件に対してかなり積極的な姿勢を見せていた。
 全身を裏表反対にされた状態の死体。
 その死に様は、かつて鴻巣蓮がたどったのと同じだった。
 そして飛鳥井は事前に、夕陽より死因について心当たりがあると伝えられていた。

「いきなり争いごとはごめんだ。
 まずは淵沢を調べよう。
 あいつについて、知らないことが多すぎる」

 守屋が方針を示すと飛鳥井も納得した。
 それに仁木も賛同する。

「おう。手の化け物についても教えて貰わないとな」

 仁木は頭に包帯を巻いていたがそう息巻く。
 車の爆発によって怪我を負っていたが、調査に参加するつもりはあるようだった。

 夕陽の調査を行う意志を見せた2人へと、守屋は問う。

「そういえば確認してなかったが、お前達もあの手が大量に生えた化け物は見えてたんだよな」

 仁木が頷き、飛鳥井もそれに続く。

「手というより、目とか口とか足とかも見えたわ。
 全部子供の身体みたいだった。
 一番目立ってたのは手で間違いないけど」

「そうだな。
 それで、黒い服を着た人形みたいなのは見えたか?」

 守屋の次の問いに対して、仁木も飛鳥井も首をかしげた。
 一体それは何だと言わんばかりだ。

「ちょっと想像がつかないんだが、キヨはそれが見えたのか?」

 仁木が問うと、守屋は立ち上がり、事務所の端っこに置かれていたホワイトボードへと簡素な絵を描いて見せた。
 それは夕陽の見せたナニカの特徴をよく捉えていたのだが、実物を見ていない2人には守屋が唐突にヘタクソな落書きをしたようにしか見えない。

「独創的ね」

「キヨ、芸術の才能があるよ」

「もういい。見えてないのはよく分かった」

 守屋がふてくされた風に言うと飛鳥井は問う。

「あの手の中にこれが見えたってこと?」

「違う。
 手とは別に、夕陽の右手からこれが出てきた。
 右手ってのは普通の手のことだ。突然人差し指の先からこれが姿を見せた」

 飛鳥井は下唇に指を当てて深く考える。
 夕陽の右手人差し指。彼女はそれを突き出して、何か見えるかと飛鳥井に問いかけた。
 飛鳥井には特別な何かは見えなかった。
 でも守屋は見えたという。

「その時の状況は?」

「崖に落ちそうになっていたところを淵沢に引き上げられた。
 だから手を繋いだままだった」

「手を離したら消えた?」

「そうだ」

 飛鳥井が確認するように問いかけると守屋も頷いた。
 夕陽に触っている間だけ見える子供の落書きみたいな存在。
 彼女はそれが、自分に触っていない人間にも見えるかどうか試していた。

「間違いなく訳ありの代物ね。
 徹底的に調べるべきよ」

「そのつもりだ。
 本人が居ない以上、残された証拠から調べるしかない。
 まず事務所内からだ」

「探偵っぽくなってきたな」

 仁木が歯を見せて笑うと、守屋は目を細めて言った。

「ぽいじゃない。探偵だ。
 過去の淵沢の調査資料と、PCのデータを洗おう」

 3人は手分けして事務所内に残された夕陽の記録を調査した。
 調査報告書を引っ張り出し、過去に夕陽が絡んだ調査について今一度確認する。

 数十分後には調査を終えて、食事スペースに集まった。
 まずは飛鳥井が夕陽の事務用PCを見せて言った。

「淵沢さん自身の秘密について書かれたデータは無いわ。
 深津――笹崎についても同様。
 1つだけ気になったのは隠しファイルにされていたこれ。
 テキストデータだけど、暗号かしら?」

 飛鳥井が問題のテキストデータを開く。
 アルファベットと数字の組み合わせ。文字数は16。
 文字だけ眺めても読めない。不規則に並べられた記号の羅列でしかなかった。

「暗号にしては短い。
 となるとこれ自体に意味はない。
 別の暗号を解くための鍵か?
 わざわざ残していたからには理由があるだろう」

 テキストデータについては控えておいて、話を次へと進める。

「入所後の行動について、何か気になったことがあれば発表してくれ。
 直ぐには解決できなくとも、まずは疑問点を共有しておきたい」

 守屋が仕切り、日付順に調査資料を並べて発言を促す。
 まず飛鳥井が手を挙げた。

「気になるのはあの子が本当に嘘をつかないのかと言う点ね。
 それが本当なら、〈ツール〉が産み出される理由を彼女は知らないことになる。
 同時に、〈ツール〉が目の前にあれば異常に気がついて当然とも言っている。

 後はそうね。知るはずのない事件について知っていたり、どこから仕入れたのか分からない情報を持っていた」

「確かに出所不明な情報を持ち込むことがあったな」

 守屋は飛鳥井の提示した疑問点に頷く。
 疑問点は簡易的にテキストデータにまとめられていく。

 続いて仁木が話をするよう促された。

「なんだろうな。
 公園の調査で〈ツール〉を見つけてくるのが異様に早かった。
 倉庫の戦いでユウヒちゃんを攻撃しようとした紙製ストローの〈ツール〉が特性を失った。
 そんなとこか?
 あー、そういや”水牛の像”には妙に執着してたというか、確か展示会の前の週になんとかって展示会に下見に行ってたんだよな」

「次世代成形技術展ね。
 調べてみたけど、3Dプリンタ関連の製造請負業者も多く出展していたみたい」

 飛鳥井が補足する。
 それを受けて仁木は続けた。

「”水牛の像”の偽物をそれで作ったんだろうなってのは分かる。
 だが順序がおかしくないか?
”水牛の像”の存在が明らかになったのは展示会最終日のはずだろ?」

「確かにね。
 それ以前にも、国包石材店を尋ねた際に店主へと手のひらサイズの石像が作れないか確認していたわ」

「どっちにしろ像は造る予定だった?
 何処まで計画のうちで、何処から違うのか分からねえな」

 仁木は考えをまとめきれず、守屋もそれをとりあえず疑問点として記録だけ残しておいた。
 最後に守屋が話す。

「まずGTC倉庫襲撃の日の出来事で3点。
 1点目。近距離から脳天を拳銃で撃たれても死ななかった。
 昨日の話では怪我が勝手に治るらしいが、あいつ自身、それに気がついたのは昨日らしい。

 2点目。〈契約の指輪〉を外した。
 〈ツール〉の特性を無効化する名刺入れを持っていたからそれを使用したという考えも出来るが、あの時そんな素振りは見せなかった。

 3点目。堤の銃が不発で、あいつのモデルガンから実弾が出た。
 堤の使った銃は1時間前に淵沢を撃つのに使った銃だ。その時は間違いなく弾が出た。
 そしてその間に淵沢が銃に細工する機会は無かった」

「どれも不自然極まりないわね。
 銃は今は問題なし?」

「分解して確認したが問題ない。
 〈管理局〉の射撃場で試射もした」

「となると堤さんが持っていた間だけ何らかの細工がされていた。
 でも淵沢さんは守屋さんが撃ってから堤さんが撃つまでに銃に触れる機会は無かった。
 妙な話だわ」

「全くだ。
 付け加えて昨日の事件について。
 あいつは銃を向けても平然としていて、〈葛原精機の牝鹿像〉に守られていると髪留めを示した」

「実物は無効化済みで、もう返却されたんだったか?」仁木が問う。

「無効化処理は済んでるが、返却についてはまだだと聞いている」

 守屋が答えると、仁木は悩むように唸って、それから静かになった。
 代わりに飛鳥井が口を開く。

「髪留めに〈葛原精機の牝鹿像〉と同じ特性を持たせていた?
 でもどうやって?
 あの子は「〈ツール〉がどうして産み出されるのか知りません」とはっきり言っているわ」

「嘘をつかないってのはあいつが勝手に言ってるだけだからな」

 淵沢夕陽が嘘をついた可能性を守屋は否定しない。
 結論は出せない。そもそも結論を出す場でもない。
 守屋は煮詰まったところで話をまとめに入る。

 「疑問点はそんなところだな。
 付け足すとしたら、淵沢に見えた精霊についてと、あの手の化け物について、笹崎との関係について。
 そして淵沢が少しだけ思い出したという昔のことについて」

 疑問点はまとめられて、作成されたテキストファイルは所員に共有される。
 それから守屋は出かけようと言って、書類を片付け始めた。

「行き先は何処だい?」

 仁木の問いかけに守屋が答える。

「淵沢夕陽のアパートだ」
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