第20話 次の一手②

文字数 12,086文字

 1週間ほどが経過した。
 栞探偵事務所の仕事は、相変わらず報告書の作成と、1件だけ入った調査。
 調査の方は報告書作成に追われていなかった守屋と夕陽が担当し、特に問題もなく回収成功。

 スーパービジョンの方も尻尾を出さない。
 堤が栞探偵事務所について上へと報告しなかったのか、事務所にカチコミをかけられることもなく平和そのものだった。

 今日も業務としては回収済み〈ツール〉の引き渡しのみの予定だった。
 しかし朝、愛車のランサーエボリューションで出勤途中の仁木は、幹線道路での渋滞に巻きこれていた。
 どうやら事故があったらしい。前方で灰色の煙が巻き上がっているのが見える。
 事故処理がまだのようで、車列は遅々として進まなかった。

「何処のバカだ。
 朝から大事故起こしたのは」

 車内で苦言を呈して、事故情報を得ようとラジオをつける。
 ふと目線を横に逸らした仁木の目に、路肩を走る男の姿が映った。
 金色の髪をオールバックにした、サングラスをかけたガラの悪そうな男。

 仁木はハザードを点灯させると車から飛び出し、その男を追いかけ声をかけた。

宇戸田(うとだ)! 何してんだこんなところで!」

 声をかけられた男。
 〈ツール〉の売買を手がける裏組織、ブラックドワーフのリーダーである宇戸田(うとだ)(つるぎ)は振り向くと、仁木の顔を見て大きく口を開けて笑った。

「おう、仁木じゃねえか!
 懐かしいな!」

 宇戸田は笑うが、仁木は笑えない。
 〈管理局〉側に与することになった仁木は、ブラックドワーフとは敵対関係にある。

「質問に答えろ!
 この事故はお前の仕業か?」

「半分はそうかも知れないな。
 だがもう半分はGTCだ。頭の固い冷酷女に攻撃されてな」

鴻巣(こうのす)も来てるのか?
 ってことは〈ツール〉絡みだな?」

 仁木は宇戸田を捕らえようと前にでる。
 しかし宇戸田もタダで捕まってやるつもりはないと、懐に手を入れて、立ち止まるようにと顎で示した。

 仁木は動けない。
 武器らしい武器は特殊警棒だけ。拳銃を持っている宇戸田相手に飛びかかれない。

「そうだ。それでいい。
 それにな、お前。〈ツール〉は秘密のはずだろ? 下っ端でも〈管理局〉の人間が、こんな場所で口にして良い言葉じゃないぜ」

 指摘に対して仁木も「やばいことを口走った」とぎくりとした。
 周りには渋滞に巻き込まれた車。
 〈ツール〉の秘密を外部に漏らしたとなればお説教だけでは済まない。

「精々新しい職場で上手くやれよ。
 俺たちはここは引かせて貰うぜ。
 積み荷が欲しけりゃGTCと交渉しな」

「おい! 待てよ! 積み荷は何なんだ!」

 静止など聞くはずも無く、宇戸田は走って逃げていった。
 仁木はスマホを手に事務所へと電話をかけ、守屋へとブラックドワーフとGTCが騒ぎを起こしたと報告。
 現場確認のため、路肩を走って事故車両の元へ。

 発煙筒が複数たかれて煙が辺りを覆っていた。
 エンジン部分を大破させて停止している軽バンが1台。
 その周りにバンが2台。外装に損傷あり。タイヤが破裂しその場に乗り捨てられていた。

 恐らくブラックドワーフが軽バンで荷物輸送中、GTCが車をぶつけて無理矢理停止させたのだろう。
 問題の積み荷は――

 軽バンの荷物室は空になっていた。
 GTCが持ち去ったのだろう。
 もうこの場から得られる情報はない。仁木はスマホで現場写真を撮影すると、路肩を歩いて車の元へと向かう。

 真っ赤なランサーエボリューションへと仁木が近づくと、そのクラクションが鳴らされた。

「なっ――」

 言葉を失い、運転席を見やる仁木。
 そこには女の姿があった。
 美しい顔立ちをしているが、表情は無感情で冷たい目をしている。
 クールな知的美人。とでも形容出来ようか。
 仁木は彼女に見覚えがあった。
 GTCリーダー、鴻巣だ。

「おい、お前――」

「また会ったな、チンピラ。
 質問するのはこちらだ。積み荷を何処へやった?」

 一瞬思考が停止する仁木。
 積み荷とは?
 ブラックドワーフの積み荷なら、GTCが持ち去ったのではなかったのか?

「あんたらが攻撃したんだろ」

「そうだ。だが積み荷を奪ったのは我々ではない」

「だったらブラックドワーフが持って逃げたんだろ?
 ――いや、スーパービジョンか?」

 仁木は頭がこんがらがってきた。
 積み荷が何かは分からない。
 だが運んでいたのはブラックドワーフ。

 宇戸田はGTCに攻撃されたと言った。そして積み荷が欲しければGTCと交渉しろと。
 鴻巣はブラックドワーフへと攻撃を仕掛けたのは認めた。だが積み荷は奪っていないと言う。
 だとしたら積み荷は何処へ行った?
 考える仁木へと、鴻巣は冷徹に告げる。

「君の大切な愛車が暴走運転を繰り返し鉄屑になる前に、正直に答えた方が良い」

「そりゃ遠慮願いたいが、車より大切な物もある。
 俺だって〈管理局〉の人間だ。GTCのリーダーが目の前に居るのに、車の心配なんかしてられねえ。
 あんたにはうちの事務所で洗いざらい喋って貰う」

「そうか。
 仕事熱心だな。殊勝なことだ」

 鴻巣は感情なく言うと、車のドアを開けた。
 咄嗟に仁木が彼女を引っ張り出そうと手を伸ばすが、その手は軽くひねられた。
 鴻巣は掴んだ腕を引いて軽やかに車外へと出ると、仁木の身体を逆に運転席へと押し込め、扉を閉める。
 
 仁木はその鮮やかな洗練された動きに全くもって反撃出来ず、運転席に収まってからやっと自分の状況が理解できたほどだった。

「手に入らないなら良い。
 ボスからは回収しろとまで言われていないからな」

 言い残して立ち去ろうとする鴻巣。
 仁木は痛む手を押さえながら窓を開けて叫ぶ。

「てめえ!!
 何のつもりだ! 積み荷は何だったんだ!」

 鴻巣は振り向かずに歩きながら告げる。

「ブラックドワーフがスーパービジョンへ売り渡そうとした品だ。
 詳細は知らない。
 気になるなら調べてみると良い。

 それと、飛鳥井さんに伝えておいて。
 こちらは真相に近づきつつあると」

「俺は伝言板じゃねえ!」

 叫んで外に飛び出す仁木。
 しかし鴻巣は走り出して車列の中に姿を消してしまった。
 追いつけるかどうかも分からないし、追いついたとしても勝てない。
 実力の差は明らかだった。それすら分からないほど仁木も間抜けではない。
 鴻巣と戦って勝てるのは、飛鳥井くらいのものだ。

「クソッ」

 仁木は吐き捨てるように言って、スマホを取り出すと再び守屋へと連絡する。
 栞探偵事務所の知らないところで何かが起こっている。それだけは明らかだった。

    ◇    ◇    ◇

 飛鳥井が出社すると、事務所には守屋と夕陽が居た。
 仁木の姿はない。いつも一番最後に出社してくる彼なので、不思議にも思わなかった。

 夕陽はPCを操作して、過去の調査資料を眺めている。
 守屋の方はオーナーへと電話しているようだ。
 飛鳥井は静かに自席に座り、粛々と業務の準備を始める。

 しばらくして、守屋が電話を終えた。
 彼は正面に座る飛鳥井へと言う。

「仁木は事故渋滞に巻き込まれて遅れるそうだ」

「了解。
 そういえば幹線道路の方で煙が上がっていたわ」

「ああ。ブラックドワーフの車両をGTCが襲ったらしい」

 さらりと言われた言葉に、飛鳥井は直ぐに理解できず、少し間を置いてから声を上げた。

「事件じゃない!
 対応は?」

「オーナーへ報告したが、既に〈情報統制局〉が動いているらしい。
 こっちでは特に何もしなくて良い」

「それなら良いけど――。仁木さんは現場に居合わせたの?」

「そうなるだろうな。
 ブラックドワーフの宇戸田と、GTCの鴻巣が居たそうだ。
 ブラックドワーフがスーパービジョンへと売り渡す〈ツール〉輸送中、GTCに襲われた。
 だが積み荷はGTCの手に渡らず行方不明。
 ――どう思う?」

 不可解な事件だと、飛鳥井は首をかしげた。
 ブラックドワーフがスーパービジョンへと〈ツール〉を売るというのは頷ける。
 元々ブラックドワーフは〈ツール〉売買が目的だ。
 買い手がスーパービジョンだろうと、構わず商売を執り行うだろう。

 気になるのはGTCの方。
 ブラックドワーフの取引についてGTCは情報を掴んだ。
 だから輸送中を襲った。
 しかし積み荷は行方不明となった。

 考えられる理由を挙げていく。

「ぱっと思いつく理由は3つ。
 1つ、元々積み荷は存在しなかった。
 1つ、実際GTCは積み荷を手に入れたが嘘をついた。
 1つ、第3の勢力が積み荷を持ち去った」

「そんなところだろうな。
 積み荷の行方も気になるが、内容も気になる。
 スーパービジョンがわざわざブラックドワーフへと商談を持ちかけた。
 そこまでして欲しい〈ツール〉があったのか、どうにも腑に落ちない」

 守屋の言葉を聞いて、夕陽が問われたわけではないのに答えた。

「スーパービジョンとして、ではなくて堤さんの問題では?
 日本で一番〈ツール〉の発見が多い地域は何処です?」

 守屋は無視するが、飛鳥井が答える。

「ここよ。神奈川県、湘南から県央地域。
 わたしたちの管轄地区。
 ――そうよ。スーパービジョンはこの地域から〈ツール〉を回収する手段を有していた。
 でもそれを突然失った」

 飛鳥井は守屋を見てそう述べる。
 守屋の方も、理由に思い至ったようだった。

 この地域では2年程前から〈ツール〉の発見が相次いでいた。
 あまりに多い〈ツール〉に、民間人までもその存在に薄々気がつき始めるほどにだ。

 そして守屋が、この日本最大の供給地域で発見された〈ツール〉のうちいくつかを、堤を通じてスーパービジョンへと流していた。
 だが彼が堤の支配から解放されたことで供給を絶たれた。

 最大の供給を担っていた堤は、〈ツール〉の供給を続けたからこそスーパービジョン内で地位を手に入れただろうと想像に難くない。
 だとすれば彼はそれを守ろうとするだろう。
 ブラックドワーフから〈ツール〉を購入してまでも。

「つまり守屋さんが渡していた分の埋め合わせのために、堤は〈ツール〉をブラックドワーフから買おうとした。
 でもそれがGTCに見つかって襲われた。
 で、その〈ツール〉の行方が不明と」

 飛鳥井は夕陽の意見をまとめて、再び思案した。
 そうなると、誰かが売買情報を流したことになる。
 ブラックドワーフ側に情報を流出させるメリットはない。
 そう考えるとスーパービジョン側が濃厚。

 GTCは情報を受けて〈ツール〉を奪いに攻撃を仕掛けた。
 だが積み荷は第3者に奪われた。
 もし情報を流したのがスーパービジョンだとすれば、奪ったのもスーパービジョンだろう。

 手のかかる襲撃をGTCに行わせて、積み荷だけ奪い取れればこの上なく美味しい。
 リスクを低くしながら購入代金を支払わずに済む。

「犯人はスーパービジョンのような気がするわ」

「かもな。
 どんな〈ツール〉を取引したのか気がかりだが、奪われた以上真相は闇の中だ。
 ――それより、仁木から妙な報告があった」

 守屋が話題を切り替えると、飛鳥井は興味を示して「どんな報告?」と問いかける。

「鴻巣から伝言があった。
 飛鳥井へ「こちらは真相に近づきつつある」と。
 どういう意味だ?」

 目を伏せて守屋が問う。
 飛鳥井は守屋から視線を逸らし、回答を拒絶。
 だが守屋の方も準備があった。

「先週、淵沢が口にしていたな。
 ”異常な外傷を負った変死体が見つかる事件も起きている”と。
 気になって少し調べてみた。
 何件か気になる事件があったが、特に興味を惹かれたのは3年半前の事件だ」

「守屋さん、ちょっと」

 飛鳥井は守屋の言葉を遮る。
 そして夕陽の方をちらと見て、彼女の前でこの話は止めて欲しいと場所の移動を提案する。
 対して夕陽は言った。

「川崎の空きテナントで起きた警察官変死事件の話なら私も把握していますから構わずこちらでどうぞ」

 飛鳥井は目を細めて夕陽を一瞥した。
 夕陽は相変わらずニコニコとしていて、今の飛鳥井の様子を楽しんでいるようにすら見えた。

 夕陽が内容を知っていた。
 それによって守屋は、今取り上げた事件が飛鳥井とGTCに関連があると確信する。

「3年半前。
 川崎の空きテナントで警察官の変死体が発見された。
 DNA検査の結果、それが行方不明となっていた警察官だと判明。
 現役警察官の死亡。にもかかわらず警察の捜査は中途半端。ニュースでの取り上げも僅か」

「神奈川県警のやることなんてそんなものよ」

 飛鳥井はそう言い捨てた。
 だが守屋は続ける。

「そうかも知れない。
 この事件が発生したテナントが〈管理局〉の持ち物でなければ同じように思っただろう。
 だが実際ここは〈管理局〉の所有だった。
 そうなれば話は別だ。
 何故警察官はこの場所に入った?
 何故死ななければならなかった?
 DNA検査をしなければ身元が特定できない状態。変死としか報告されない死因。
 おまけに、死んだ男の名前だ」

 守屋は事前に調べる点を調べてきていた。
 堤に〈契約の指輪〉をはめられる前の、事実を元に可能性を追求する守屋の姿がそこにあった。
 かつての守屋が戻ってきたことに、飛鳥井は喜ぶ反面、調べられたのがこの事件だったことを憂慮する。

鴻巣(こうのす)(れん)

 飛鳥井は自らその名前を口にした。
 守屋は頷いてその先を告げる。

「珍しい名字だな。
 この警察官には妹が居るらしい。
 名前は鴻巣れい。現在、GTCのリーダーとされている人物と同じ名前だ。
 これは偶然か?」

 調べるべき点は調べ尽くされている。
 飛鳥井も今更誤魔化そうとはしない。
 正直に事実を告げた。

「偶然ではないわ。同一人物よ」

「だろうな。
 そして飛鳥井。お前は鴻巣れいと面識があった。
 警察学校時代の同期らしいな」

「それは事実。でも事件とは無関係よ」

「そうか?
 この事件について外に出た情報は極めて少ない。
 お前は鴻巣れいから事件について聞いたのではないのか?」

 飛鳥井は無言のままだった。
 それは認めているのと同義だ。
 やがて彼女は隣の席に座る夕陽を手のひらで示す。

「わたしより怪しい人間が1人いるわ」

「それについては後で問い詰める」

 守屋は夕陽の尋問については脇に置いた。
 夕陽も夕陽で「私のことはお気になさらず」と笑って見せる。

「別にGTCリーダーとの関係をとやかく言うつもりはない。
 知りたいのは真実だ。
 この事件、本当は何が起こっていたんだ」

 問いかける守屋。
 飛鳥井は観念したように、深くため息をつくと語り始める。

「真実はわたしにも分からない。
 分かっているのは、テナントは空いていなかったこと。
 鴻巣蓮は、異臭のする現場を調べるために踏み入ったこと。
 彼の死因が特定できなかったこと。
 〈管理局〉が事件をもみ消そうとしたこと。
 それくらいね。鴻巣――れいの方よ。彼女は真相に近づきつつあるそうだけど、わたしはさっぱりよ」

 守屋は顎に手を当てて考える。
 ゆっくり思案してから、1つの問いを口にした。

「死因を特定できないとは?
 現代の司法解剖なら、特定できない死因は少ないはずだ」

「普通の死に方ならその通り。
 でも鴻巣蓮はそうじゃなかった。
 彼は体中を裏返しにされて、ちぎれてバラバラになった状態で発見された」

 言葉の意味が分からない。守屋が唖然としていると、飛鳥井が説明を加える。

「言葉通りよ。
 内臓や血管。骨やら筋繊維に至るまで、何もかも裏返しにされていた」

 飛鳥井は机の上に置いてあった布製のペン入れを手にして、中身を全て外に出す。
 そしてペン入れの内側が外側になるように引っ切り返して見せて「こんな風にね」と言った。
 
「現代医学の総力を挙げても死体をそんな風に加工出来ない。
 だとすれば、この事件に関わっているのは――」

「〈ツール〉か。
 ――お前まさか、それを調べるために〈アナリシス〉に入ったのか?」

 問いに対して飛鳥井は曖昧な表情を見せつつ、結局は頷いた。

「理由の1つではあるわ。
 それとも何か問題ある?」

「別に問題はない。
 事件を調べるためにお前は〈アナリシス〉へ。
 鴻巣れいはGTCに入った訳か。
 そして向こうは真相に近づきつつある」

「らしいわね」

 守屋は今回のGTCによる襲撃と、かつての事件との関連性を考える。
 警察官の変死に〈管理局〉が絡んでいるのは間違いない。
 問題は、実際にそのテナントで何が行われていたのか。
 スーパービジョンは事件にどう関与してくるのか?

「わたしは淵沢さんが何処で事件を知ったのか教えて欲しいわ」

 問いを向けられて、夕陽は微笑んだまま告げる。

「インターネットです」

「どうとでも解釈できる答えだわ」

 飛鳥井の指摘はその通りだ。
 だが夕陽は詳細を語ろうとしなかった。
 夕陽は嘘が嫌いだ。だから嘘をつかない。
 その代わりに彼女は、嘘にならないよう回答を誤魔化して工夫する。
 嘘はつかないが、同時に真実も語らない。それが淵沢夕陽のやり口だ。

 インターネットという言葉には、WEBサイトの閲覧から、個人間のやりとりまで広く内包される。
 彼女の答えにはほぼ無限の可能性が生じている。
 だから彼女は嘘をついてはいない。同時に、本質的な問題について一切回答もしていない。

 階下から車のエンジン音が聞こえた。
 仁木のランサーエボリューションに相違ない。
 飛鳥井と守屋は視線を交わして、守屋は告げる。

「この話はここまでだ。
 仁木から今朝起きた事件について詳細を聞かなければならない」

「はい。私もそちらを優先した方が良いと思いますよ」

 夕陽は屈託のない笑みを浮かべて頷いた。
 そして仁木がやって来ると、一同は食事スペースへと移動して報告を受ける。

 電話で受けた報告ではなかった情報が明らかにされて、守屋は深く思考する。
 彼は気になった点について、所員へと問いかけた。

「どうにもこの事件おかしいぞ。
 ブラックドワーフの宇戸田はスーパービジョンに引き渡す〈ツール〉が奪われたのに、欲しけりゃGTCと交渉しろと言い残してその場を去った。
 GTC鴻巣も、ボスからは回収しろとまで言われていないからと追跡を放棄した。
 どちらにとっても〈ツール〉は大切なはずだ。
 だがどちらも、奪われたのにまるで気にとめていない」

「1ついいか?」

 仁木が手を挙げて問う。守屋が頷くと彼は尋ねた。

「GTCのボスって誰なんだ?
 鴻巣はリーダーなんだろ?」

 その問いに対して夕陽が答える。

「所長さんみたいな人ではないですか?」

 突然指名された守屋は驚くが、誤解を解くように夕陽が続けた。

「雇われ所長、という立場のことです。
 所長さんは栞探偵事務所では所長――つまりトップです。
 でも実際はオーナーに雇われている。
 鴻巣さんもそういう人ではないのか、ということです」

 その説明は3人を頷かせるには十分だった。
 鴻巣はGTCのリーダー。だがGTCにはそれを管理するオーナーのような存在が居る。
 現場のリーダーと運営元。2つが同時に存在していても不思議はない。

「そうなるとGTCはブラックドワーフの輸送を妨害するように指示を受けたが、積み荷は奪わなくても良かったとなる」

 守屋が告げる。

「妙な話ね。
 襲撃するのは〈ツール〉を奪うのが目的のはず。
 ブラックドワーフとスーパービジョンの取引が妨害できればそれで良かったのかしら?」

 飛鳥井も首をかしげる。
 鴻巣の立場になって考えてみる。
 彼女の目的は、過去の事件の真相解明。
 だとすればスーパービジョンの行動は気になるはず。彼らが買おうとした〈ツール〉ならば、調べたくなるはずだ。

 それぞれが考え込んでいると、守屋が唐突に立ち上がる。
 彼はポケットから私物のスマートフォンを取り出した。それは振動し着信を告げている。

「堤さんからの電話でしたら私が対応しますよ」

 夕陽が言った。
 守屋が画面を見ると発信元は堤だった。
 当然、夕陽の言葉など無視して彼は自分で通話に出る。

「なんの用だ」

 守屋は自席へと戻りながら問う。
 堤は困っているようで、弱々しい声が返された。

『1つ、確認したいことがある』

「バカを言うな。
 あんたの悪事については公表しない。
 だがその代わり、金輪際そっちの頼みは受けない」

『今回きりだ。
 今朝の事件は知っているな。
 お前のところの所員が居合わせたと聞いている。
 積み荷の行方に心当たりはないか?』
 
 積み荷の行方。
 堤がそれを気にしていることに、守屋は違和感を覚える。

「スーパービジョンが持ち去ったのではないのか?」

『違う。
 今回の件にスーパービジョンは関わっていない』

 堤は断定的に言った。
 スーパービジョンが関与していない?
 確かに、堤がスーパービジョンに納めるための〈ツール〉を買っていたとしたら、その取引をスーパービジョンへは伝えづらいだろう。
 金で買って解決できる問題ならば、堤の存在は不要になってしまう。
 彼は守屋が発見した〈ツール〉を秘密裏に回収できるから重宝されていたのだ。

「積み荷なら私が持ってますよ」

 やりとりを聞いていた夕陽が笑顔で告げる。
 守屋は外野の言葉を無視しようとしたが、その内容は無視しきれなかった。

『どうした?』

 堤が問うと、守屋は率直に言う。

「淵沢夕陽が積み荷を持っていると主張している。
 通話を代わろうか?」

「主張ではなくて事実です。
 私の車に積んであります」

 さらりととんでもない発言をする夕陽。
 彼女の口ぶりはそれがまるで当然のことで、一切疑問を持つ余地などないといった風だった。

『目的は何だ?』

「直接本人に聞いてくれ」

 守屋はスマートフォンをハンズフリーにして、食事スペースに座る夕陽の方へと向けた。
 そのまま喋れという意味だと夕陽も理解して、座ったまま堤へと問いかける。

「お久しぶりです堤さん。
 肩の怪我はどうですか?」

『良くはない』

「ですよね。
 あの時はごめんなさい。
 でも堤さんも「人へと銃口を向けて引き金に指をかけることの重大さ」云々をおっしゃっていましたよね。
 私も命がかかっていましたから」

 積み荷とは関係のない話を始める夕陽。
 彼女の態度に堤は苛立ちを募らせて、咳払いして黙らせると、短く要件を告げる。

『積み荷は君が持っているのか?』

「はい。
 GTCの方が攻撃を仕掛けたタイミングで、どさくさに紛れて持ち出してきました。
 明細が手元にありますよ。
 読み上げましょうか?
 〈PN0026〉、〈RG1122〉、〈RG1448〉――」

 夕陽がポケットから取り出した明細番号を読み上げていくと、堤はそれを止めさせた。
 
『もう良い。
 そちらの要求はなんだ』

「堤さんに指示を出していたスーパービジョンの方とお話しする機会を設けて頂きたいです。
 〈ラボ〉の人ですよね?」

『なっ――何故――』

 夕陽の問いかけに堤は言葉を詰まらせ、慌てて返した。
 返答に夕陽も満足する。実際は確信などなくかまをかけただけだが、上手いこと引っかかってくれた。
 スーパービジョンの黒幕は〈ラボ〉の人間とみて間違いない。

「私たちの望みは”水牛の像”について説明して頂くことです。
 ごく普通の〈ピックアップ〉の一員として、それについて直接話せれば満足します。
 上手いこと、〈ラボ〉の方へと話を通して頂けませんか?」

『しかしそれは……』

 堤は提案について決断を下せないでいた。
 夕陽は堤が購入するはずだった“積み荷”を交渉材料としている。
 だがそれも決定的な力を持たない。
 堤がそんな取引は知らないとしらばっくれて、次の取引をブラックドワーフへと持ちかけられたらそれきりだ。

 そこで夕陽は決断を後押しするためにもう一押しした。

「場を整えて頂ければこちらで確保した積み荷は間違いなく送り届けます。
 それに堤さんは、スーパービジョンのために働きたいわけではないですよね?
 本当の目的は別にある。そうでしょう?
 どうぞ、窓の外を見てください。
 あ、狙撃とかしないので安心してくださって大丈夫ですよ」

 夕陽が何もかも見通したようにそう言うと、少しの間を置いて堤の驚いたような声が返ってきた。

『あれは――どういうことだ?』

「どうもこうもありません。見ての通りですよ。
 私たちと堤さんは協力しあると思います。
 どうかちょっとしたお願いを聞いて頂けませんか?」

 夕陽と堤の間でのやりとりは、守屋の理解の範疇を超えていた。
 夕陽は堤に対して何を示したのか。
 そもそも何故夕陽が堤のオフィスの場所を知っているのかも不明だ。
 分かっているのは、夕陽の提示した条件によって、堤が交渉に対して前向きになったという事実だ。

『しかしどう取り持てば良いのか……』

「そこは堤さんに任せます。
 〈ラボ〉の人は”水牛の像”を持つと見えるという”精霊”を気にしているようですね。
 その辺り、私たちから説明を求められていると。どうしても直接話したいと言ってきかないと。
 上手く交渉して直接対話の機会を引き出してくれさえすれば方法は問いません」

 交渉については堤へと投げられた。
 彼は悩んでいるらしく「うーん」と唸っていたが、既に決意は決まっているようだった。
 夕陽へと条件についての確認を行う。

『交渉が失敗した場合はどうなる?』

「どうもなりません。
 私たちは別の方法を考える。それだけです。
 贈り物は受け取って頂いて構いませんし、積み荷も引き渡します。
 あ、でも、今後とも私たちと仲良くして頂けると嬉しいです」

 夕陽からの要求は最小限。
 失敗しても堤側にペナルティはない。
 ブラックドワーフから買うはずだった積み荷も、夕陽の贈り物も手に入る。
 堤にとってこれ以上無いほどの条件が示されている。
 彼は決断を下した。

『――分かった。交渉はしてみよう。
 だが結果には期待しないでくれ』

「いえ、期待していますよ。
 ではよろしくお願いしますね。
 積み荷は局留めで送るので、受け取りお願いします」

 堤との交渉は成功。
 夕陽はその結果に満面の笑みを浮かべる。
 
 だが守屋の方は渋い表情を浮かべ、スマートフォンをしまうと夕陽を睨む。

「お前、説明なしで許されると思ってないだろうな」

「あら?
 何か説明が必要なことがありました?」

 とぼけたように笑う夕陽。
 守屋は一切笑わず、真剣なまなざしを向けて言う。

「いい加減笑って誤魔化そうとするのを止めろ。
 どうやって積み荷を奪った」

 夕陽はそれでも微笑みをたたえ、しかし質問には正直に答える。

「それは先ほど堤さんへ説明したとおりです。
 GTCがブラックドワーフの車両を停めたタイミングで、発煙筒を炊いて積み荷を奪いました」

「そのためにはブラックドワーフが堤へ〈ツール〉を売却して、GTCがそれを襲うという情報が必要なはずだ」

「はい。
 堤さんは所長さんから〈ツール〉を回収できなくなって困っていたはずです。
 先週、私が〈ツール〉を調達するのに、ブラックドワーフから買えば良いと言ったのを覚えていますか?
 アレについては所長さんに拒否されましたけど、その時気がつきました。
 堤さんも同じことを考えるのではないかと」

「ブラックドワーフが何時、何を、どうやって運ぶか。
 本当に堤が商談を持ちかけるかは不明のはずだ」

「ブラックドワーフは広く〈ツール〉を売買している組織です。
 インターネットを調べれば痕跡は辿れます。
 本拠地を特定して、建物に侵入し、使用しているネットワークケーブルに伝達信号を傍受するユニットを取り付けるのは造作も無いことです。
 情報が筒抜けになれば、所長さんがあげたような問題は解決します」

 夕陽が事もなげに言った内容に、仁木が声を上げる。

「そんな方法何処で知ったんだ」

「私は探偵です。
 これくらい出来て当然です。そうでしょう?」

 夕陽の言う探偵と、仁木が考える探偵とではかなりの乖離があった。
 しかし夕陽の説明した内容は、実行しようとすれば出来てしまうのも確かだ。
 問題は〈管理局〉ですら分からないブラックドワーフの本拠地をどうやって突き止めたかだが、証拠が0でないのは間違いない。
 調べ方によってはたどり着けてしまう可能性を完全に否定できない。

「GTCの襲撃については?」守屋が問う。

「そちらも簡単です。
 展示会に出展していた俵原商会ですが、あれきり全くGTCが俵原商会への関与をなくしたとは考えられません。
 なので俵原商会宛てにブラックドワーフの商品搬送情報を送りつけました。
 結果としてGTCは良い位置で襲撃を仕掛けてくれましたね」

 夕陽の回答は、確かにその通りにすればGTCが行動を起こす可能性もあった。
 しかしそれは運頼みだ。
 GTCが受け取った情報をまともに検討せず、行動しない可能性の方が大きかったはずだ。
 守屋は納得いかなかったが、聞きたいことがまだあるので深くは精査せず問いを重ねていく。

「何故積み荷を持っていると朝の時点で言わなかった」

「私、積み荷について聞かれませんでした」

「行動を起こす前に説明しなかったのは?
 積み荷の件もそうだし、ブラックドワーフへの侵入についてもだ」

「1人で問題なく出来る内容だったので」

「堤のオフィスをどうやって知った」

「それなりの立場に居る人ですし、顔も名前も知っています。
 オフィスの場所くらい簡単に特定できます。できませんか?」

「堤に何を渡した」

「堤さんが欲しいものです。
 内容についてはどうぞ本人に確認してみてください」

 のらりくらりと質問に回答した夕陽。
 守屋としても全てに納得いくわけではない。
 これまでも夕陽の行動、知りうる情報については不審な点が多かった。
 それがここに来て頂点に達している。
 守屋にとって、許容できる範囲を超えようとしていた。

 沈黙を、着信を告げる振動音が破った。
 守屋はスマートフォンを取り出して、発信元の名前を見る。

「堤さんからですね?
 良い返事だと嬉しいですね」

 夕陽の笑顔を見て、守屋は視線を背後へ向けると通話に出る。
 堤からの回答は、夕陽にとって好ましいものだった。
 
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