第48話 ココアより温かくて
文字数 1,708文字
──二人で生きる方法になるかもしれないけど……。
真白は気持ちを切り替えるようにノートを開く。今日一日学んだことをノートと呼ばれる冊子に整理する作業に没頭することにした。羽根で出来たペンには慣れたが、横書きになれない、というより。
──手が汚れるんだよなぁ。
公用語は縦書きで書く習慣がないため、仕方なく横書きにしているが、左利きの真白にとって手やノートが汚れたり、文字がにじんだりと何一ついいことがなかった。母国語の縦書きで書く文章が恋しい。そんなことを思いながら、真白がさっそく黒くなった左手を見つめている時だった。
──コンコン。
ドアをノックする音がした。真白がペンを置き、机から顔をあげる。
「真白、入っていい?」
ドアからポピーの目が遠慮がちに覗く。顔といいたいところなのだが、本当に赤い目だけが黒い塊の中で浮かんでいるように見えるのだ。
だが、見慣れている真白は笑顔でうなづく。ポピーは真白の顔を見て、安堵したのか笑顔になる。何やらトレーを持って部屋に入ってきた。
「ココア飲む?」
ポピーが両手で抱えているトレーからは甘い香りが漂う。トレーには二つのマグカップが置かれていた。
「ココア?」
真白は首をかしげた。異世界の人である真白にはココアが何かわからなかったのだ。
「うーん、甘い飲み物なの。お菓子みたいな飲み物よ」
ポピーは何に例えていいかわからず、甘いことを強調した。真白にチョコといっても通じないからだ。真白はお菓子と聞いて、甘酒か何かを想像しながらうなづく。
ポピーは真白に許可をとってから、トレーごと机においた。二人はマグカップを手に取る。真白はココアに口をつけて、驚いた顔をした。
「苦手だった?」
ポピーは焦った。真白がココアを凝視したまま、動かないからだ。
「ううん、美味しいの。ただ飲んだことない味だったからびっくりしちゃって」
真白は首を思いっきり横に振った。
──なんで私の世界にないのよ。ココアがないなんて。ココアがない世界なんて。
真白は気に入ったらしく、ココアを一口、口に含んでは幸せな顔をして、また一口飲んでを繰り返していた。真白のあまりに幸せそうな顔にポピーも思わず和んでしまった。
「ずっとここにいられたらなぁ」
真白は思わず本音を呟いてしまった。そして、慌てて口をつぐんだ。しかし、ポピーはにこにこ微笑んだままだった。
「ここにいれば、りゅかもいる。ご主人様も私もいるわ」
ポピーはマグカップを握る真白の手を握った。
「一人じゃないよ」
ポピーは微笑む。だが、真白はその言葉で思い出してしまう。
──兄上はどうしてるんだろう? 月佳姫は? 蘭丸様は?
思い浮かぶのは城の人たちの顔。みんなはどうしているのだろうか?
──戻りたいと思うのは魂の望みなのかな?
だけど、真白は自分につい聞きたくなる。戻ることは責任感からなのか。魂と呼ばれる本体が望んでいることなのか。
──決断せず、ここにいるという選択肢もある。何もしなければ誰も悪くならない。
それに、この狭間と呼ばれる世界にいる人たちは優しい。それも一つの答えだと受け止めてくれる気がするのだ。それに当たり前のように龍である真白を受け止めてくれる存在達と、大好きなりゅかとも一緒にいられる。
──りゅかも、魔女さんもポピーも傷つけないで済むんだ……。
ここに留まることを選べば、誰も傷つかない。消えるその時までずっといられるのだ。大好きな人達とずっと。
「真白……?」
ポピーは、心配そうに真白を見つめている。真白は机にあるココアの載ったトレーに自分のマグカップを置くと、ポピーのお腹に顔を埋めた。
──兄上、ごめんなさい。私、帰りたくない。
真白がポピーの腰に回す手の力を強める。ポピーは最初こそ戸惑っていたが、やがて微笑むと、真白の背中を子どもをあやすかのように優しく叩きはじめた。