第50話 狭間へ
文字数 3,379文字
今宵は満月。明るく照らすのどかな村と田園風景。どうやら術者が命懸けで村に結界をはったらしい。だが、夜ということもあるがシーンと静まり返っている。否、静まり返りすぎている。まだ寝る時間には少し早いにも関わらず。
「人の気配はあるがな」
蘭丸はぼやく。どんなに隠したってやはり素人である。ちょっとした動く音、こちらを覗く視線、息遣い、全てこの二人には手に取るようにわかってしまう。
「せっかく避難させようと思ってもこれじゃあなぁ」
武黒もぼやく。そう、作戦では安全なところに村人を誘導してから、思いっきり暴れようという計画だったのだ。しかし、この状況では、避難しろと言っても言うことを聞いてくれないだろう。
──変に叫ばれて、龍を刺激するのもまずいしなぁ。
武黒は頬をポリポリかいた。
「せっかく、男女の仲睦まじい声に聞き耳をたてながら立てた計画なのにねぇ」
蘭丸は昨日の宿は昼間から仲良しだったねぇと笑う。
「今日の宿もなかなかだったけどな」
武黒も泊まる宿全部、男女の会瀬に使う宿というのはいかがなものかと悪態をつく。
「俺たちも女の子呼べばよかったねぇ」
蘭丸はおどける。だが懐の中に手をいれたまま、目線はずっと何かを捕らえ追っている。
「夜に温存しとかねぇと、相手に失礼だろうが」
武黒もニヤリとした。俺の本命はこいつだ。しっかり楽しませろよ。武黒が刀を抜くのと同時に、大きな影が飛び出す。蘭丸は懐から御札を取り出した。
「遠き月の佳人ご照覧下され!」
蘭丸は叫ぶ。これは月佳姫から受け取った御札。突如、空が分厚い雲に覆われる。ゴロゴロと唸る空。二人は駆け出した。その後ろを大きな影が追いかける。もちろん、村から距離をとるためにだ。
「本当に龍とはな! 切り刻みがいがあるぜ」
武黒は高揚感が抑えられないのか、興奮気味にうなった。黒くて巨大な龍が翼を広げ、二人を喰らおうと向かってくる。二人を影が覆うか覆わないかのスピードをあえて保つ二人。
「これじゃあ真黒ちゃんだねぇ。それともみんな色もわかんないのかなぁ?」
村人に対して、蘭丸は優しそうな顔のまま、さらっと毒を吐く。物腰の柔らかい蘭丸。彼の毒舌は、あの困った兄弟達とやり合うための処世術。否、蘭丸含めて東見の一族は穏やかに見えても全員、猛烈な毒を持っている。その毒がたまに滲み出てしまうだけだ。彼の名前の由来、鈴蘭のように。蘭丸もまた、この戦いを命懸けで楽しんでいるようだった。
「さてと」
蘭丸が武黒に目配せをする。前を見ながらも、さりげなく蘭丸も視界に入るよう馬を走らせていた武黒もうなずく。二人は馬に鞭打つと、突如スピードをあげた。空が突然光る。閃光が放たれた。だが、龍はとっさの判断でよける。
──早いですね。
武黒と蘭丸の頭の中で月佳姫の声が響く。
「今のは予行練習でしょ」
蘭丸は優しく微笑み、月佳姫にフォローする。蘭丸が放った御札、それは月佳姫の加護を受けるためのもの。月佳姫は城にいながらも、魂だけでこの地に向かい 、二人を援護することにしたのだ。
「
武黒が急遽、馬の向きを変え刀を一振りした。刀から無数の刃が放たれる。その瞬間を月佳姫も見逃さなかった。空から月佳姫の閃光が、下から武黒が放った無数の刃が放たれる。だが、敵は直撃したにも関わらず怯むどころか武黒に突っ込んでくる。武黒は避けようとするが間に合わない。その時だった。
蘭丸が矢を放つ。龍はそれを避けようと再び上空に舞い上がる。
「避けようとするってことは……」
「痛かったんだねぇ」
武黒と蘭丸はニヤリと笑う。蘭丸は武器を弓に持ち変えていた。蘭丸も下からではあるが、援護にまわった方がいいと判断したようだ。矢を2本、肩にある筒から取り出す。
「あの飛び方、右の翼を怪我してるみたいだぜ。月佳」
武黒は月佳に向かって耳打ちするように報告した。
「俺が相手だ! 大トカゲ!」
武黒は馬を鞭打ち、山の方へ走り出した。
──相変わらず、ネーミングセンス悪いなぁ。
蘭丸は思わず苦笑してしまった。いつもそのまんまだ。だが、挑発にのったらしい。大トカゲこと黒い龍は武黒を追いかける。蘭丸もその隙に山の中に入ることにした。
──相手はほとんど視覚に頼っている。
ならば、二人は森に隠れながら、攻撃の隙をつこうと考えたのだ。
だが、龍は頭から堂々と木に突っ込む。自分が傷つくことよりも、武黒を殺そうとすることを選んだ。体当たりで山に突っ込んだ挙げ句、長い尾で木をなぎ倒していく。再び飛び立とうと翼を広げると、それだけで強風が吹いた。
「なんて女だ!」
武黒は悪態をつきながらも、龍に飛び乗る。龍は自分の上に乗った異物を取り払おうと、もがきながら空高く舞い上がる。
「龍の性別がわかるのか?」
蘭丸も飛び乗ったようだ。蘭丸はつい真面目に聞いてしまった。さすがは奥美の一族、真白の兄だけある。
「周り気にせずとりあえず突っ込む奴なんて女しかいねぇだろ!」
だが、武黒は身近にいる少ない人間の女たちを見て判断したようだ。
──失礼ですね。
月佳姫が雷を落とす。しかし、龍はもがきながらも避けた。
「俺は言ってないのに……」
蘭丸は雷を喰らいそうになったにも関わらず飄々としている。表情だけは。実際、二人は空高く舞い上がり、暴れながら旋回する龍に捕まっているのがやっとだ。
「まだなのか、月佳!」
武黒は捕まりながら、叫んだ。掴んでいる手が凍りそうだ。
──今、やっています。
月佳姫も叫びに近い声を出す。その間も龍が暴れながら、上へ上へと昇っていく。
──霧か! いや、雲の中だ。
肌に当たる白いもや全てが冷たい。武黒は自分の手の感覚が失われていくのを感じていた。
──このままじゃ、落下するのが先か、凍え死ぬのが先かだな。
しかし、武黒は冷静に状況を分析している自分に苦笑いした。配置と退路の確認は癖だが。
──退路なんてあったもんじゃねぇな……。
刹那、雲が切れる。黒い空間に射す一輪の明かり。武黒たちは、青白く輝く優しい光を一瞬見た気がした。
§
月が満ちていく。今宵は満月。月の力が最大となる日。
──とうとう、この時が来てしまった。
真白は空高く登った真円を廊下の窓から見上げる。雲一つない空に浮かぶ高い高い綺麗な光。国を守る巫女の力が、月の加護によって強くなる時、月佳姫がこの世界に渡るといっていた。
──もうそろそろ兄上があの龍を連れて、やって来る。
真白はりゅかを見つめた。廊下に立っている二人を月が照らす。しかし光があるだけ、闇も濃くなるからだろうか。真白の背後に忍び寄る死の影が長く尾を引く。だけど、真白はそれを振り払うかのように、真っ直ぐ前だけを、彼だけを見つめる。
──答えはとっくに決まってたんだ。
手にはやっと見つけた家宝、凰龍を持って。狩衣姿の少女と、白いローブをまとった少年は手を繋いだ。その様子を大きな月だけが見届けた。
§
武黒と蘭丸は気付けば、荒野に投げ出されていた。
「ここは……どこだ?」
武黒は痛みに顔を歪めながら思っていることを口にした。体があちこち痛む。だが、切り傷や打ち身程度のようだ。二人は起き上がると、辺りを見回した。どこを見ても灰色の景色、谷間に落とされたらしい。
「わからない……。どこなんだ?」
蘭丸も周囲を一通り確認してから、返事をした。龍に振り落とされたのはわかるが、二人はこんなに広々とした谷を知らない。
「だが、渡れたってことか?」
蘭丸は真白のいる狭間に渡れたのでは、と憶測を口にした。しかし、月佳姫の気配がないので、真相はわからない。
「あぁ、そのようだな」
だが、遠くを見て、武黒はニヤリとした。蘭丸も武黒が見ていた方向を見て、目を見開いた。
──真白ちゃん!
蘭丸は、刀を構えた少女と隣にいる少年を見た。瓜二つだが、見間違いようのない瞳の色。赤い瞳と、青い瞳が天を睨んで立っていた。