第58話 桜の花びらをあなたに
文字数 3,346文字
「あらゆる世界の狭間に立つ木だからでしょうね」
女性が後ろから声をかけた。真白は振り向くと、そこにはいつもの穏やかな魔女がいた。
「そう、私は凰龍の巫女だった。そして死んだわ」
魔女は桜の花びら達に目を細めた。魔女が手を伸ばすと、花びらが魔女の手のひらからすり抜けていく。魔女は寂しそうに笑った。
「えぇ、確かに死んだわ。だけど魔術師達によって蘇ってしまった」
真白とりゅかは魔女を見つめた。やはり、彼女も歪みによって生じた存在。
「体に戻ることも出来ずに、制御の効かない魂のないドラゴンを、この狭間に閉じ込めておくことしか出来なかった」
魔女は真白たちを見つめた。そしてもう一度、お礼を言うと微笑んだ。
「あなたはウィザードだったはず」
真白は魔女に聞いた。凰龍の巫女とウィザードの繋がりが今いちぴんと来ないのだ。直感で彼女が凰龍だと見抜けたけれども。
「ええ、私はウィザードとしてりゅかの国に産まれたわ。そして、異世界を渡ったの」
なぜという顔で真白とりゅかは見つめる。魔女はやっと掴んだ花びらに微笑んだ。
「この世界へ来た理由は、ドラゴンとして産まれた自分に飽き飽きしていただけだったけどね。だけど、初代の武黒に恋をして、子を成して、そしてやっと人として死んだはずだった。人として死ぬことが出来たはずだった」
魔女は手にあった一枚だけの花びらに息を吹きかけた。花びらが空高く舞っていく。
「だけど、龍の力を望む者によって蘇ってしまった。だから私は魔術師達の好きにさせたくなくて、この狭間という空間を造り、逃げ込んだの」
魔術師達がなぜ龍の力を欲したのかはわからないと魔女は言う。
「だけど、もしかしたら強い力が欲しかっただけかもしれないわね」
魔女は寂しそうな顔をした。誰もが望むことではあるけれど。何かを得るために強い力を求めていたはずが、純粋に強い力を得ることに変わってしまった成れの果てがあの黒い龍だと自嘲した。真白は首を横に振る。あなたは充分傷ついたと。
「あなたは優しいのね。あなたをここに呼んで良かったわ。あなたを呼んだ理由は、私の子孫である真白やりゅかを助けたかったからというのも事実よ」
取って付けたようになってしまったわねと魔女は付け足した。
「三人で生きる方法は見つかったかしら?」
魔女は二人を見つめた。ここにいないポピーも含めて三人だと言う。先に口を開いたのはりゅかだった。
「体は二つしかないから、やっぱり僕は元通りにはなれない」
真白はりゅかに対して、何か言いたげに見つめる。だけど、りゅかは聞いてと続けた。
「真白の体は真白のものだし、ポピーの体はポピーのものだ。だけど、ポピーは体だけ作られて、魂が生まれてしまった存在だから精神がない」
体と魂をつなぐ精神がないポピーは、狭間と呼ばれる世界が消えたあと、行く場所が無くなってしまうのだとりゅかは告げた。
「そんな……」
真白の手をりゅかは握った。また感じることが出来たりゅかの温もり。
「だから、僕がポピーの精神になる。でも魂は真白に返さなくちゃ」
真白は嘘つきとりゅかに向かって叫んだ。一緒に生きようと言ったから、真白は狭間から出る決意をしたのだ。三人で生きるとはそういうことだったのか。
「真白、僕の心や記憶が消えなかったことだけで十分だよ。それに僕はもう消えないで済むんだ。きっとまた会えるから。真白がおばあちゃんになっても会えるから」
りゅかは真白の手を握ったまま微笑んだ。だが、真白は泣き出した。精神のないりゅかは真白の中で眠ることしかできない。それでは真白のみが生きる選択をしたのも同然だ。どう言っていいか悩んでいるりゅかを見て、魔女は口を挟むことにした。
「確かに真白。あなたはりゅかの心と魂を守ったわ。私が死んで狭間が消えれば、世界の歪みも正されてしまう。一つの体に二つの魂という異常事態も含めてね」
魔女は真白をなだめるように言った。それって…と真白は呟きながら魔女を見上げる。
「そう。りゅかか真白、どちらかの存在が消えるはずだったのよ。この世界から、みんなの記憶から」
魔女の言葉に真白は目を見開いた。世界の理はなんて残酷なのだろう。歪みを正せば、世界は歪みによって生まれた存在を無かったことにしてしまうという。元から存在しなかったことにしてしまうのだ。
「だから、りゅかのいた記憶はあなたとポピー以外の人から消えるわ。それでもあなたの中でりゅかは生き続けられる」
魔女の言葉が真白の胸に刺さっていく。ガラスの破片のように痛い。そんなの言葉遊びではないか。
「みんなに忘れられるなんて死ぬより……」
真白の頬をりゅかが包んだことで、真白は黙ってしまった。
「僕はもう消えたいなんて願わないよ。真白の中で生き続けられる。真白の魂を守ってみせる。だけど、二人で生きたら寿命を削るから」
りゅかに真白は抱きついた。
「いいよ。それでもいいよ。一緒に居たいんだよ……」
真白は泣き出した。それをりゅかが抱きしめる。
「ううん。僕も生きたいから真白の中で眠るんだ。真白が大人になって、おばあちゃんになって…僕が出来なかったことを沢山経験して。僕も真白と未来を見てみたいんだよ」
りゅかの瞳はまだ見ぬ未来に輝いていた。だけど真白の瞳は涙に歪み、りゅかの顔をはっきりと映してくれない。
「だからお願い、生きて。そしてまた会おう!」
りゅかの真っ直ぐ見つめる瞳と言葉に真白は泣きながらうなづくことしかできなかった。
「面白くない人生かもよ」
真白はこれ以上泣くのを堪えるために桜の花びらを掴もうとする。
「うん」
りゅかもうなづくと、桜の花びらを掴もうとした。
「結婚しないかもよ」
だけど、桜の花びらを捕まえるのは難しい。
「うん」
りゅかも苦戦しているようだ。
「早く死んじゃうかもよ」
真白はとうとう手を下ろしてしまった。溢れる涙が抑えられない。
「うん。それも人生だよ」
りゅかは花びらをつかむと、真白に渡そうとした。どんな結果になるかわからないけれど、真白の意思で生きてほしいのだと告げるりゅか。
「そうだよね。魔女さん?」
りゅかは魔女に話をふった。
「そうね。生きていればなんとかなるものよ」
魔女はそう言うと、伸びをした。
「さてと、そろそろ時間ね。私は眠るわ」
魔女はそう言うと、二人におやすみと告げて、どこかへ行こうと踵を返す。
「おやすみなさい。魔女さん」
りゅかはいつものように声をかけた。それに対して魔女は振り向いて微笑むと靄の中に消えていく。まるでいつものように、夜眠るかのように。
「ありがとうございました」
真白は靄の中に消えていく背中に頭を下げた。
「そして、おやすみなさい」
真白は頭をあげると、魔女が居た方向へ呟いた。もう姿が見えないはずなのに、魔女が微笑んだ気がした。
「行っちゃった……」
うなだれる真白の手をりゅかが引いた。
「僕たちも帰ろう。武黒が怒っちゃうよ」
りゅかもいつものように声をかけてきた。
──あぁ、これが日常だったんだ。私にとっての。
おやすみって言って眠って、朝になると目が覚めてみんながいる。そして兄上に寝坊助って怒られる。これが真白の日常。真白は拳を握りしめて、ゆるめた。りゅかの手を握り、彼の手の中にあった桜の花びらを受けとる。そして、りゅかをまっすぐ見つめた。
「私、いつかりゅかの世界に行く。そしてりゅかのいた記憶を、あなたが守りたかった人に渡す。存在しなかったことになんかさせない。だから待ってて。あなたが居たこと無駄にしないから」
りゅかは真白を抱きしめた。真白も抱きしめかえす。真白の中にりゅかが溶けていくように消えていった。
──帰ろう。大切な人のところへ。