第51話 花の刃
文字数 2,145文字
──いよいよ、明日か……。
真白はベッドに腰掛けたまま、窓から空を見上げた。ほぼ円に近い形の月。もうすぐ月が満ちる。やっと兄に会える。数日前であれば楽しみにしていたであろう。あの話を魔女から聞くまでは。
──母上は最後まで奥美の巫女だったんだな……。
真白が魔女に質問したこと、それは亡き母の遺言の有無。魔女へ
あの日、真白は魔女から受け取った母の手紙を読んで全てを知ってしまったのだった。
そして、そこには真白の知らない一人の巫女がいた。奥美の巫女は最後まで、母としてではなく、女としてでもなく、奥美の巫女として運命を変えようとしていた。
最後の一瞬まで巫女として生きたのだ。彼女は奥美を最後まで守ろうと足掻いた。崇高な人だ。巫女として誇りに思う。だけど。
──私は母のようにはなれない。
全く私情を挟まないそのやり方は、真相を知ってしまった真白の心を確実に蝕んでいく。今も確実に。真白は靴を脱ぐと、ベッドに横になる。だけど、目は開けたまま、天井を仰いだ。
──あなたが守りたかったものに比べれば、私の守りたいものはちっぽけだ。
真白が守りたいものは領地や繁栄、家宝といった大きなものではなくて、りゅかや兄上と月佳姫、蘭丸様、それにたった二人の自分を友達と呼んでくれる存在、文太やポピー。そんな指で数えらるような限られた人達の笑顔でしかない。
──なのに、守ることは難しくて……。
そんなちっぽけなものでさえ守れなくて。奥美の巫女のような強い信念があるわけでもないのに、彼女は真白に奥美の未来を託した。
──凰龍に宿った魔力。
本当に最後まで、彼女は奥美に全てを捧げたのだ。
──命すらも。
巫女としての矜持にかけて、彼女は与えられた役目を、奥美の未来と家宝たる凰龍を守った。凰龍に宿った強い魔力が災いを生む諸刃の刃になることも知っていたから。
──この世の
真白は何も見たくなくて、ベッドにうつぶせになった。シーツのひんやりした感触が心地よくて、目を閉じる。だけど今夜は眠れなそうだ。
──母上はどんな気持ちで私とポピーを作ったのですか?
自分の存在はこの世の理を維持するための調整役でしかない。その為にりゅかと契約して作り出された存在が真白。だが、奥美の巫女はりゅかと真白を救う道を用意していた。ポピーの躯を……。
──凰龍の魔力が仇になってしまったんだ……。
奥美の巫女は凰龍の魔力を隠すために、剣を人に変えた。凰龍を狙う魔術師達をあざむくために作り出された存在がポピーの躯。そして、凰龍の魔力が強すぎたために、ポピーという躯を持たぬ魂が生まれてしまった。いわば、彼女は凰龍という剣の魂。いずれ、剣に戻らないといけないのにも関わらず、もはや一つの命として存在してしまっている。
──出来るわけないじゃない!
もう彼女は剣であって剣じゃないのだ。
──生きてるんだ。生きてるんだよ。
真白は目を開けた。何も出来ない代わりと言わんばかりにシーツを握りしめる。そもそも凰龍は命を守る刀だ。凰龍の魔力があれば、どちらかの魂をこの世に留めることができる。それこそが奥美の巫女が娘と死ぬはずのなかった魔術師を助けるために考えた苦肉の策。その為だけに人の形を与えられたのがポピーだったのだ。
──人の形をしていれば、自分で逃げることも出来るし、真白の体を世話してくれるからと。
奥美の巫女は真白の体がいずれ、動けなくなることまで予知していた。契約の日まで真白の命を維持するためにポピーという人形を作ったのだ。かわいい人形が人間になる未来までは予想できずに。
──そしてその対価は、魔女さんを殺すこと。
否、予想していたとしても彼女はりゅかと真白を生かすことを選んだのだろう。
──全ては奥美の未来のために……か。
どこまで彼女は戦略的なのだろうか。感情はあるが、理性でしか動かない女性なのだろうか。魔女に凰龍を隠してもらう代わりに、魔女のお願いを聞いただけだと淡々と語られていた手紙。
──娘に人殺しをさせることが願いなのか。これが母上の遺言なのか。
魔女さんの乗っ取られてしまった躯を娘に殺させることが対価。確かにあの魔女は魔術師達によって、魂と躯を分離されてしまった存在。躯があの黒いドラゴン。そして、狭間に留まらざるをえなくなった魂がドラゴンの躯の持ち主、あの魔女。躯を殺せば魔女をこの世に繋いでいた精神も消える。魔女の魂も消えてしまう。
──つまり、
被害者の会とでも呼ぼうか。全然笑えない。乾いた笑いすら出ないと真白は自分達を嘲笑う。だが、それがりゅかすら知らない真実の奥にある奥美の巫女の願いだったのだ。