第52話 命を懸ける価値
文字数 2,681文字
「真白……」
ポピーはドアを開けると、部屋に入ってきた。真白は横になったまま、寝たふりをする。
「真白、起きて!」
だが、ポピーは様子が変だ。部屋に入ってくるなり、真白を遠慮なく揺すったのだ。だったら最初からドアを力強く叩いて起こせと真白は思った。その間も揺すり続けるポピー。
「真白、起きてったら! 奥美が大変なの!」
ポピーの最後の言葉に、真白は飛び起きた。ポピーと真白の目が合う。
「真白、今、説明するから目を閉じて!」
ポピーは真白が起き上がったのを確認するなり、真白の額に指を二本あてた。かなり慌てているのだろう。言葉と行動がほぼ同時だ。真白は訳もわからぬまま、ベッドから上半身を起こした状態で目を閉じた。ポピーの指が青白く光るのが、まぶたを閉じていても漏れてくる光からわかった。
§
──ここは…奥美の村。
真白は目を見開いた。気付けば村外れにある畑の畦道に真白は立っていた。まだ桜が咲いたばかりの時期だからだろう。何も育てていない殺風景な畑。
──魂だけ来たのだな。
まるで本当に体ごと戻ってきたかのようだ。真白は遠くに揺らめく赤い列を見た。夜闇を燃やすかのように、遠くには一列に赤く揺らめく炎があった。村の男衆達が松明持って、何者かから村を守ろうとしているのかもしれない。
「術者さま!」
誰かが叫ぶ。列からどよめきがあがる。真白は後ろを振り向くと、後ろにいた存在を思わず凝視した。
──あの龍だ!
何も埋まっていない畑に立っていたのは一匹の黒い龍。土以外逆に何もないからだろうか。
黒い龍はやけに大きく見える。否、かなり大きい。真っ黒なカラスを想像させる翼を広げた姿は大男三人が手を広げても足りないほどだ。しかし、一人の男が戦いを挑もうと、村を守ろうと龍に立ち向かっていくのが目に入った。
──術者では無理だ!
真白ははっとした。彼は術者なのだ。侍ではない。そして相手は龍なのだ。妖でも怨霊でもない。だが、肝心の侍達は畑の上で血にまみれた姿で倒れているのが視界に入る。ぴくりとも動かない体。どこを見るわけでもない見開かれた虚ろな目。彼らはもう助からないだろう。
──せめて、城の侍ではないことが救いか。
彼らは村の人が雇った流れ者の侍だろう。真白は彼らの衣服を見て判断した。
──もうじき城から兄上が来るはず。
真白は険しい顔で術者を見つめた。それまで耐えられそうもないという事実が目に見えている。それでも術者はお札を左手で構えながら、息を切らして立っていた。右肩は血にまみれており、力なく右腕が垂れ下がっている。もう右手が使い物にならないのだろう。
「巫女様!」
だが、術者は後ろに立っていた真白に気付くと前を向いて龍を睨んだまま叫んだ。真白は急に呼ばれて、何も返事が出来ずにいた。
「私が時間を稼ぎます! その間に結界を張ってください。」
術者は叫びに近い形で真白に最後のお願いをした。その間も龍が術者の張った結界を引き裂こうと爪を出すが、切り裂いた筈の爪は結界の力によって焼けただれた。痛みと術者に傷一つつけることも出来ない苛立ちからだろうか。龍はヒステリーに叫びながら、尚も結界を破ろうと迫る。その声に村人たちがどよめいている。だが、術者がお札をもつ手を高く上げた。真白は息をのんだ。術者が何をしようとしているのか察したからだ。
「そしたら、あなたが!」
真白は術者にむかって叫んだ。この人は死ぬ気だ。結界を破って囮になるつもりなんだ。
「私の結界では村全体を守ることは無理です。それどころか、一緒に戦ってくれた侍達ですら守れなかった」
術者は振り向くと、真白を見つめた。そこに立っていたのは、まだ若い男性だった。男性の顔には守れなかった悔しさが滲み出ている。その悲壮な目を見ても真白はやめてと呟き続ける。
「巫女様!あなたなら出来ます……お願いです。村をお守りください」
そう言うと、男性のかかげた手が、お札が光る。自ら結界を破り、男性は龍に突っ込んでいく。それを龍は切り裂こうと爪を高くかかげたのが見えた。
真白は男性と龍に背を向けると深呼吸した。そして目を閉じると、両手を村のほうへ突き出す。すると、真白の手が青く光ったのと共に村が光に包まれていく。それは闇を照らす月のような優しい光。松明をもった男たちの歓声が聞こえてきた。
「術者さまが命を懸けてお守りくださった!」
無理もない。魂だけの真白を見れる村人などいないだろうから。真白は手を下ろすと静かに心の中で呟いた。
──ありがとうございます。
どこからか、男性の声がした。真白が目を開けると、先ほどの男性が目の前に立っていた。でも、彼の顔はあまりに穏やかで、満足そうで、真白もつい表情をゆるめた。
──どうか安らかに。
真白は彼に声をかけた。すると、男性の魂が淡く光る。やがてそれは消えていった。最後まで真白に微笑んだまま。だが、その後ろで男性だった物が倒れる音がやけに何もないこの場に響いた。真白は目を閉じた。
§
真白は目を開けると、自身の額が汗をびっしょりかいているのがわかった。嫌な汗だ。力を使ったのだ。全身に疲労感がある。だが、このままベッドに横になる訳にはいかない。
「あの黒い龍が奥美に……」
真白は横に立つポピーに声をかけた。ポピーは真白の額から手を離すとうなづいた。
「真白。ごめんね」
ポピーはずっと一緒にいられないと続ける。突然何を言い出すのかと真白はポピーの顔を凝視した。驚いた顔で見つめる真白をポピーはなだめるように抱きしめる。
「私は奥美を見捨てることはできない」
ポピーは腕の中の真白に話しかける。
「何を言ってる……の?」
真白はポピーの体を受け止めることが出来ずに、両手が宙をさまよった。
「凰龍をあなたに託すときが来たんだね」
耳元で囁くポピー。真白は彼女が何をしようとしているのかやっと悟った。
「ポピー、ダメっ!」
真白はポピーの肩を両手で掴んで、引き剥がすと、彼女の目を見つめた。だが、彼女は首を横に振った。もう決めたことなのだと。
「友達になれてよかった。真白」