第39話 美術鑑賞の親子

文字数 1,319文字

 昨日、某美術館の展覧会に行ってきました。有名美術館だし、ロケーション的にも繁華街に近く、ふらっと行きやすい人気の美術館です。

 いつ行っても一定の混雑度ではありますが、昨日は日曜日&展覧会最終日ということもあり、そこそこの混みよう。ビルの一角にある小さなスペースなので、周囲の人に気を遣いながらの鑑賞となります。

 他のお客さんの中に、大きな車いすで来ている親子がいました。
 車椅子の上には、一人の青年。介助をしているお父さんの方が、私とは年齢が近いかなと思われました。

 遠くからも、二人で熱心に絵画を鑑賞し、感想を述べあっている様子が伺えました。だけど順路をたどりながら近くに行った時、私ははっとし、胸を突かれたのです。
 息子さんがPC型のコミュニケーション機器を使っていることに。そして体を動かせずとも、その目には理知的な光が宿っていることに。
 恐らく、生まれながらの車椅子生活ではなかったのでしょう。

 この親子の事情は分かりません。ALSや、それに近い症状の難病がいくつか脳裏に浮かびましたが、どれも違うかもしれません。いずれにしろ、二人が非常に厳しい現実に直面していることは分かりました。

 反射的に、私は下を向いてしまいました。胸がつぶれそうなほど、切ない気分になりました。目の前に展示された、明るい印象派風の絵画が、しらじらしく感じられてしまうほどに。

 だけど当の親子の方は、決して暗い顔をしていなかったのです。むしろこうして美術館に来られたこと、名画を直に鑑賞できることに対し、心から感謝し、二人で喜びを分かち合っているのが分かりました。
 すごいな、と素直に思いました。私だったらその状況で笑っていられるかどうか。あれこれ考えると、やはり言葉に詰まります。

 はっきりしていたのは、この親子が美術館にやって来たということだけでも、最高の賞賛に値するということ。だけどそのレベルを超えた何かが、この二人にあったような気がします。
 二人は展示された絵に全力で向き合い、生きる力をもらっていたのです。

 フランスの田舎の、静かだけれどまばゆい光のエネルギー。その一瞬のうつろいを捉えた繊細な筆致。二人は光あふれる点描画の隅々までを味わい、その詩情に心から感動していました。

 その姿に、脇にいる私の方が圧倒され、立ちすくむほどでした。
 絵を見る喜びというのが、いかに人生を素晴らしくするか。絵そのものも、もちろん素晴らしかったけれど、私はこの親子からもらった感動の方が大きかったかもしれません。

 もしかしたらこの青年、人生最後の「生の」美術鑑賞だったのかもしれない。これほどの熱心な鑑賞をするぐらいだから、何か美術の勉強をしていたのかもしれない。
 画家になる夢を病気で断たれて可哀想、などと思うのは浅はかでしょう。彼らは今も生きていて、好きなことに全力投球しています。

 私は小心者なので、昨日はこの親子に話しかけることができませんでした。あなたたちを尊敬している。ただそう言えば良かったのにと、帰宅後に後悔しました。
 だから、せめてこの場をお借りして、言わせて頂きたいです。
 私の方が生きる勇気をもらいました。ありがとう。
 
 

 
 
 
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