第37話 デュトワが来たー!!

文字数 3,473文字

 ……と書いてみましたが、我が家でこう叫んでいたのは夫です。
 私自身は(何やら訳知り顔でチャットノベルを書いたりしていますが)、そこまでクラシック音楽に詳しいわけではありません。シャルル・デュトワという指揮者が世界的スターであることは知っていたものの、「ああ、前にN響の指揮をしていた人だよね?」ぐらいの認識でした。そう、なぜこの人がスターなのかは知らなかったのです(笑)。

 クラシック音楽好きと一口に言っても、好きなジャンルはその中で結構細分化されているもの。小説と同じですね。日本人の場合、重厚長大なドイツ音楽に偏っている人が多いんじゃないでしょうか(私もそうですが)。

 軽やかで明快なフランス音楽って、私にはさほど馴染みがないものでした。だからパンフレットの「フォーレ、ラヴェル、ドビュッシー」といった超メジャー作曲家の名前を目にしても、

「ふーん……」
 と言ったぐらいでパンフレットを食卓テーブルの上にポイ。それより頭の中は、今晩のおかずどうしよう、みたいなことでいっぱいです。

 そんな私を見て、夫の方は信じられないとでもいった顔。
「デュトワが来るんだよ⁉ 3年ぶりだよ? しかもやるのはフランス音楽の最高峰じゃないか。これは聞きにいかないと駄目だろ!」
 ドン、とテーブルの天板を叩きます。

 はあ、そんなにすごいことなの? 私はもう一度パンフレットを手に取りました。確かに私も、フォーレの組曲『ペレアスとメリザンド』の中の「シシリエンヌ」は結構好きだけど……正直、他の曲はつまらなそうだな。

「フランス人が作った曲を、フランス音楽の第一人者が指揮するんだからさ」
 夫はジェスチャー付きで語ります。あまりに熱い様子なので、じゃあとばかり、私も聞きに行くことにしました。チケットがあまりに高かったらやめましたけど、これまた会社の補助のお陰でお安くなったので(笑)。

 学生はもっと安いんですが、息子に行くかどうか聞いたところ、
「僕はいいや。部活があるから」
 あっさりしたものでした。せっかくだから君も行こうよと言いたいところではありますが、まあ本人の好きな曲をやる時に行けば良いでしょう。

 とにかく、やっぱり中学生になってくれたというのは大きいです。食事の支度さえしておいてあげれば、夫婦で夜の外出もできるようになりましたから。

 というわけで、昨夜は行っちゃいましたよ、デュトワ&新日フィル。
 これが思いのほか良かった! 良い意味で期待を裏切られたので、ここにレポートさせて頂きます。

 どうも私はドイツ圏の音楽の、心の奥底に触れるような重厚さに惹かれるところがありました。人間臭さ万歳という感じ(笑)。
 逆に、そういう野暮ったさとは無縁の、軽妙で自由なフランス音楽にはついていけなかったんですね。オシャレ過ぎてつまらなかったのです。

 だから「眠たくならないように」。
 警戒しました。曲に集中できなくてつい居眠りしてしまう……あれを自分もやらかしてしまうんじゃないか。せめてもの思いで、当日演奏される曲目の予習(YouTubeで聴くなど)をしたりもしましたが、それでも曲の魅力が分かるというところまではいかなくて。

 ところが。
 昨日は周囲を見渡しても、居眠りしている人なんて一人もいませんでした。高齢者も大勢いましたが、食い入るように舞台を見つめています。皆さんすさまじいほどの集中力。本日の主人公の一挙手一投足を見逃すまいといった感じです。

 これは何だろう……と思って見つめていると、私にもぼんやりと感じられました。
 やっぱり、デュトワなんですよ。
 あの86歳のおじいさん(見た目年齢は若くて、60代ぐらいにしか見えない!)の集中力が、この音楽を生み出してる。オーケストラが、デュトワの動きに必死について行こうとしているのが感じられます。指揮者の左手の繊細な動き、足の踏み出し、そういう所に敏感に反応して音を奏でているのです。

 で、私にも見えました。音楽の色彩とやらが。
 まさに絵画的な音楽でした。ドビュッシーの交響詩『海』をご存知の方は多いと思います。初版のオーケストラ・スコアの表紙に葛飾北斎が使われているんですよね~。
 昨日はあれを、音楽でちゃんと表現できていたように感じます。とにかく音が「青」かった(笑)! 波間で光が揺れるのも分かったし、フィナーレでは怒涛の飛沫が顔に飛んできましたとも!

 音楽の素養のない私に、どこまで理解できているのか分かりませんが、もしかしたらこの感じが、フランス的なのかもしれませんね。デュトワは「音の魔術師」との異名をとっているそうですが、聴衆に映像を見せてしまうところはすごいです。CDやYouTubeによる録音では、私はこの段階にまで行き着けませんでしたからね。

 映像が見えた曲はもう一つ。ラヴェルの管弦楽のための舞踏詩『ラ・ヴァルス』です。
 タイトルはフランス語で「ワルツ」を意味しており、作曲されたのは20世紀に入ってからのこと。19世紀のウインナ・ワルツへのオマージュだそうです。

 オマージュってどういうこと? という感じですが、要するにラヴェルの時代にはもう、上流階級の優雅な社交界なんてものは存在していなくて、空想の域に入っていたわけです。ラヴェルは憧れの気持ちをもって、このファンタジーを描きました。
 だから「そのまんま」のウインナ・ワルツとは違います。ヨハン・シュトラウスの優雅さとは似ているところもあるけど、何だかやっぱり違うなあ、という感じ。

 ラヴェル自身が初版に寄せた標題はこちら(Wikiより転載)。
「渦巻く雲の中から、ワルツを踊る男女がかすかに浮かび上がって来よう。雲が次第に晴れ上がる。と、A部において、渦巻く群集で埋め尽くされたダンス会場が現れ、その光景が少しずつ描かれていく。B部のフォルティッシモでシャンデリアの光がさんざめく。1855年ごろのオーストリア宮廷が舞台である」

 まさにこんなイメージ。冒頭の「渦巻く雲」の部分は混沌とした音が混ざり合います。
 そして夢のような豪華な空間が現れます。踊っている男女の姿は繊細で美しいのですが、なぜか音楽は必要以上にスペクタクル。

 だんだん不協和音が立ち込め、妙な雰囲気になっていきます。この部分はグロテスクかつエロティックと評されるようです。確かに聴いているだけで不安になってきます。
 それに、何だか不安定です。崩壊する一歩手前。舞踏詩というけれど、こんな曲で踊れるわけがないよなー、などと思っちゃう(ラヴェルに作曲を依頼したバレエ主催者が、受取りを拒否したというエピソードがあります)。
 そしてラストは突然、不気味な爆発音で終わります。

 ……何なんでしょう、これは。
 気持ちの良い夢を見ていたら、途中から悪夢に変わって、叫びながら目を覚ましたとでもいう感じ(笑)。昨日のプログラム解説によると、「第一次大戦の不安な時代に生きるフランス人から見たウィーンの幻想」なんだそうです。言われてみればそうかな、という気もします。

 昨日はアンコール曲もなかったので、この『ラ・ヴァルス』で演奏会が締めくくられました。
 つまり、爆発音ですべてが終わったのですが……。

 満場、拍手喝采でした。スタンディングオベーションでした。横断幕を持ち、泣いている人も(よほどのデュトワ・ファンだったのでしょう)。オーケストラが退場しても拍手がなりやまず、デュトワは空になった舞台にもう一度出て来て、観客席に応えてくれました。
 みんな、マスク越しに「うおー!」と訳の分からない叫び声。

 ああ、これがデュトワなのね。
 私も拍手をしながらそう思いました。こんなに自分の世界観に人を引き込むことができるなんて。そして、「フランス音楽ってよく分からない」などと言っていた私のような人間まで巻き込んでくれました。色彩が鮮やかでした。

 表現する人って、こうでなくてはならないのかもしれません。一つの新しい世界を見せてくれたわけです。一人のスターから、新たな感動を教えてもらいました。演奏会に行くたびに、この感動を得られたら言うことはないんですが(そういうわけにはいきませんね)。

 さて新日フィルの方ですが、プログラムに挟まっていたチラシによると、来月は私の大好きな『カルミナ・ブラーナ』の演奏会があるらしい。
 う、行きたい……。

 もし行けたら、またここでレポートさせて頂きます。いや、またチャットノベルにする手もあるかも。
 その時にはまたお付き合いくださいませ!
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