第21話 おしゃれでセクシー! ネトレプコの『椿姫』

文字数 4,192文字

 いきなりですが、まずはこの、DVDの表紙を見て下さい!



 素敵なカップルでしょ(笑)?
 これがハリウッド映画のポスターか何かだったら、別に驚く人はいないでしょう。
 でもオペラだと聞いたら、どうでしょうか。
 え、ちょっとモダン過ぎるんじゃないの!? と思う人は多いはず。

 これは2005年ザルツブルグ音楽祭で上演された『椿姫』のDVD。オペラファンの間では伝説となっている舞台です。
 ヴィオレッタ役はアンナ・ネトレプコ、アルフレード役はローランド・ビリャソン。この二人の歌手がとにかく輝いていますが、父親役のトーマス・ハンプソンも素晴らしいです。

 前にもちょっと書きましたが、私たち家族はオペラ鑑賞が好きな風変わり一家。でも好みは偏っているし、全員がまだまだ知識の浅い初心者です。
 なので奇抜な演出はちょっと「鬼門」なんですよね。せっかくお金と時間を費やして出かけても、うまく感動できない恐れあり!

 どんなことでも、上達には段階を踏んでいかねばならない部分があります。オペラ鑑賞もそう。まずは基本的な作品世界を理解する必要があります。
 つまり伝統的な演出スタイルを十分に見慣れてから、奇抜な「翻案」物を見るべし。であればこそ、思い切った遊び心も楽しめます。よく知らない作品は特に、正統派から順を追って見たいものなのです。

 だけど。
 この『椿姫』だけは例外中の例外!!
 シンプル&モダンの極致みたいな舞台ですが、完成度が非常に高い。だからこの物語の言いたいことは、ぐさっと胸に刺さります。知識ゼロでも楽しめる「新演出」はあるんです!

 とにかく、主役二人の素晴らしさに尽きるでしょう。歌も演技も陰影に富み、簡素な舞台を補って余りあるほど表情豊かです。まずはこの技術力ですね。オペラの要素の中では、やっぱり声と音楽が最重要項目です。
 とはいえやっぱり、二人の容姿も印象的なんですよね~。

 退廃的で妖艶な表情のネトレプコ。ロシア出身のソプラノ歌手で、ため息の出るような美しい人ですが、彼女はヴィオレッタの「娼婦」の面にばっちり焦点を当てています。
 自分でスカートをめくりあげ、身をくねらせて人々を挑発するなど、刺激的なシーンがいっぱい。歌いながらよくここまでできるなあと感心します。過激なので子供に見せるのはためらっちゃいますけどね……(笑)。

 前回お伝えしたゲオルギューとはまったく違う、官能的なヴィオレッタ。ネトレプコという圧倒的な美女が演じていればこその魅力です。
 ネトレプコとゲオルギューのどっちが好き? と聞かれたら、私は答えられません。もうどっちも素敵だもの!



 だけどネトレプコもまた、時おり少女のような純真さを見せるんですよね。ヴィオレッタが少女時代の自分を思い出し、「あの頃は優しい旦那様に会える日を夢みていた」と懐かしむシーンがあるのですが、今の姿とのギャップがあるからこそ、その悲しみが刺さります。
 これがまたちっとも「臭く」ならないのは、高度な歌と演奏のなせる技でしょう。安っぽいメロドラマとは、明らかに一線を画しています。

 一方男性のビリャソンは、メキシコ出身のテノール歌手。ラテン系の方を「情熱的」などと形容するのはステレオタイプかもしれませんが、やっぱりこの人は情熱的で起伏に富んだ歌い方をするんですよ。それが大きな魅力だと思います。

 ビリャソンの歌うアルフレードは強烈に印象に残ります。直情径行の若者らしさが、歌声によく表れています。
 第二幕に登場する「どこに行ってた? 後悔してもし切れない」という歌は、シェーナといってアリアの前段みたいな立ち位置の曲。単独でコンサートで歌われることもなく、そんなに有名な曲でもないのに、ビリャソンの力強いこの歌はずっと私の耳に残って離れません。

 しかもこの人もまた、一度見たら忘れられないような「濃い」ルックスなんですよ。普通の男性歌手だったら、セクシー度満点なネトレプコに負けてしまいそうですが、存在感のあるこの人だからこそバランスが取れたんでしょう。



 さて問題の舞台美術ですが、通常の『椿姫』には必ず出てくる豪華な舞台セットは、この作品にはちっとも出てきません。
 なにこれ、現代美術!? と思ってしまいます。
 舞台はほとんど真っ白。ヴィオレッタだけが真っ赤なドレスで登場し、嫌でも彼女に目が引きつけられます。一方で他の登場人物はほとんど真っ黒。女性の登場人物でさえも、残酷なぐらい黒に統一されています。

 そして舞台の隅には、大きな時計があります。これはヴィオレッタの命のタイムリミットを暗示。
 時計の前には不気味な老人がいますが、これは死神かと思われます。


 ヴィオレッタは時おり彼に懇願するような仕草をすることがありますが、他の登場人物には見えていないようです。つまり病気の進行度は、彼女のみが分かっているのです。悲しい運命を予感させます。

 簡素な舞台だからこそ、どうしても登場人物の演技に目が行きます。その緻密な演技から豪華な夜会や、二人が同棲を始めた隠れ家、寂しい病室の光景など、観客は自分の脳内でしっかり再生できるのです。
 奇跡のような、完成度の高さだと思います。演出家ヴィリー・デッカーの代表作です。

 ところで日本文学者のドナルド・キーンさんはオペラ愛好家としても知られ、オペラのエッセイも出していらっしゃいます。でもキーン先生、どうもこのヴィリー・デッカー演出『椿姫』はお気に召さなかったようで(笑)。
「まったく意味が分からない」といった、辛辣な批評を目にしました。

 だけどたぶん、キーン先生がご覧になったのは、出演者が違うものだろうと思うのです。別の人が歌えば、まったく別の作品のようになるのは当然。特にこの演出はヴィオレッタの魅力全開! という感じなので、誰が演じるかは非常に重要なポイントです。

 この演出は、ネトレプコ&ビリャソンというカリスマコンビが歌ったからこそ名演に結びついたのだと思います。なのでDVD、ブルーレイ、あるいは配信などで映像を買う時は、出演者にくれぐれも注意して下さいね!

 さて主役二人があまりに輝いているので、解説書などもその話に終始していますが、アルフレードの父親ジョルジョ・ジェルモンを演じたトーマス・ハンプソンというバリトン歌手も重厚で素晴らしいです。この人がいるから、若い二人が有頂天になるばかりの物語が、一気に引き締まります。

 『椿姫』という演目では、ヴィオレッタの次にこのジェルモンが重要な役とも言われます。まさに愛し合うソプラノとテノールを引き裂く、残酷なバリトン(笑)。
 だけどジェルモンは極悪人とまでは言えません。ただ世間の常識や世間体を優先する、冷静な「大人」の一人なのです。いつの時代にもこういう人は必ずいます。
 彼の思いは、こんな感じです。

 まさか、うちの息子が娼婦と浮名を流すなんて。
 外聞が悪い。家名に傷がつく。

 そんな理由で別れろと言われたら、誰だって反発したくなりますよね。ヴィオレッタも最初は、自分たちは本気だ、決して別れないと言い張ります。
 でもジェルモンは、ヴィオレッタが思ったより誠実な女性だと感じたからこそ、どうしようもない切り札を出すのです。

 私には大切な娘がいる。彼女の縁談が破談になってしまう、その瀬戸際なのです。
 だから、あなたが遠慮してくれませんか。我が家の慰めの天使となってくれませんか。

 そんな言い方をして、愛する娘の肖像画を見せるジェルモンは、やっぱり残酷に違いありません。ジェルモンはいわば冷たい世間の象徴。世の中の秩序を守る方が優先なのです。

 ヴィオレッタが傷ついているのが分かるからこそ、ジェルモンは優しく彼女を慰めます。
 恋愛感情なんて、どうせ一時のもの。あなたには、あなたにふさわしい生き方があるでしょう? その方がお互いの幸せのためですよ。
 どんなにオブラートに包んであったって、ヴィオレッタには残酷な言葉に違いありません。

 だってヴィオレッタは、アルフレードのために全てを捨てたのです。彼との将来を諦めろというその言葉は、自分の全存在を否定されたに等しいでしょう。
 だけど、彼の妹を、彼の家庭を不幸にはしたくない。
 別れを決めたヴィオレッタが歌う「美しく清らかなお嬢さんにお伝え下さいね」が悲痛なことといったらありません。

 どうして、どうして、と私は言いたくなるのです。どうしてお金持ちのお嬢さんには幸せになる権利があって、貧しくて娼婦になる以外に道のなかった女性にはそれがないんでしょう?
 しかもジェルモンは、息子が納得しないであろうことが予想されるために、ヴィオレッタの方から捨てることを要求するのです。ヴィオレッタは別れるだけで死ぬほどつらいのに、さらに憎まれ役まで引き受けろと言うのです。
 この理不尽たるや。
 悔しくて悲しくて、震えがくるほどです。

 だけど、ジェルモンの言い分に秘かにうなずく人は多いでしょう。悲しいけれど、今の日本だって格差社会と言われますよね。こうしている今だって「あのお嬢さんはやめておきなさいよ」みたいな会話が、どこかの家庭で交わされているかもしれません。
 そして事実、周囲の反対を押し切っての結婚というのは、多くが茨の道になっていくのです。ジェルモンは正論を述べています。

 前回、小説とオペラの違う点を挙げましたが、ここでもう一つ。
 父親ジェルモンは最後、息子と同じようにヴィオレッタの病室を見舞い、自分が間違っていたと心の底から詫びるんですね。そしてヒロインを自分の娘として抱きしめるんですね。

 息を引き取る間際にそんなことを言われても遅すぎるよ~と言いたい(笑)。
 だけど台本を書いたフランチェスコ・ピアーヴェは、たぶんヴェルディと同じ気持ちだったんじゃないでしょうか。ヴィオレッタがあんまり可哀想で、せめてそういう設定にしなければ気が済まなかったのでしょう。弱い立場の人を切り捨てる世の中の方が、間違っているというわけです。

 というわけで、前回、今回と、私の中で双璧をなす二つの『椿姫』でした。
 どちらも上演から時間が経っているので、DVDはかなりお安くなっています(私が買った時はまだ高かった~! ちょっと悔しい(笑))。見比べて頂けるとうれしいです。

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