第2話 人生最強の『1812年』

文字数 3,299文字

 クラシック音楽ファンの我が家。
 先日、某オーケストラのサマーコンサートに出かけました。指揮者を含め、楽団員の方はみんなTシャツ姿で、観客も気軽にラフな格好で行けます。

 ……。
 これって結構微妙なんですよね。私はコンサートに行く時ぐらい「ちゃんとした」格好を楽しみたい方だし、オーケストラは正装していてこそ、その音まで立派に、有難く聞こえるものじゃないですか。
 いわゆる「制服萌え」の皆さんとほぼ同じ意見。私も飛行機のパイロットにはカッコよく制服を着ていて欲しい! Tシャツとかで操縦しないで! 飛行機に乗る楽しみが半減しちゃうじゃないですか(笑)。

 今回それでもサマーコンサートに行ったのは、身も蓋もないのですが、チケット代が安かったから。
 こちらの楽団、もともと自治体の補助があって本拠地のホールで聞く分にはお安いのですが、今回はさらに夫の会社の補助があってお得に。中学生の息子に至っては1000円でした。

 安い分、演奏にはそこまで期待していませんでした。だって儲からないとなったら、楽団員の皆さんだって力が入らないんじゃないかなあ……。
 まあコロナの時代だし、プロの生演奏が聞けるだけでも有難いと思って来たわけです。
 そう。生、というところが重要。録音じゃ感動は難しい。

 ちなみに夫はアマチュアのオーケストラに所属していて(楽器はティンパニです)、私もコンサートの手伝いに駆り出されることがあります。
 身びいきと言われそうですが、アマチュアでもなかなか聴かせますよ?
 そう、本当に音楽が好きな人々の演奏なら、粗が目立ったって、音が正確でなくたって、感動を呼び起こせることは多々あるんです。
「下手でもいい。大事なのは、気持ちが入ってるかどうかだもんね!」
 調子に乗って、そんなことを言いたくなります。

 だけど、たまにプロの演奏を聞くと、思わず口を覆ってしまうのです。
「やっぱりうまい……!」

 思い知らされますよ。この技量の差。
 そりゃそうですよね。プロはこれでご飯を食べているんだもの。

 だけどアマチュアの演奏を知っているからこそ、プロのすごさを理解できるようになる、という一面もあります。両方聞くのが良いのです。
 小説でも、しばしば同じことが起こります。両方読むのがいい。そしてやっぱり、プロはうまい。

 だけど、とひねくれ者の私はまたまた言いたくなります。
 プロでもしくじることは、ある。プロの底辺と、アマチュアの最高峰だったら、実力は拮抗、いや逆転していることもあるのでは?
 ……はい、すみません。また調子に乗りました(笑)。

 というわけで、このコンサートではプロのお手並み拝見、といった気分でおりました(←何様)。その上手な演奏とやらを聴かせて下さいよ。一流のオーケストラなんだから、きれいでお上品な演奏はお手の物でしょう?

 ところが。
 そんな素人の予想を上回るところが、プロなんでしょうね。私はある曲の演奏に衝撃を受けることになりました。
 前置きが長くてすみません。最初はこの記事で行こうと思ったのは、それだけの理由があったのです。

 この日のコンサートの三曲目。チャイコフスキーの大序曲『1812年』。
 我が家ではカラヤンが若き日に演奏したバージョンで聞き飽きるほど聞いていた曲です。私も、世界最高峰の演奏を知っているつもりでした。

 だけどあれ? 始まった途端、まったく違う曲を聴いているかのよう。

 冒頭はヴィオラとチェロの穏やかなメロディーで始まるのですが、これが何とも色鮮やかな印象なのです。
 この部分は「神よ汝の民を救い」という聖歌が元になっているそうですが、私が聞き慣れた「荘厳」で「きれい」にまとまった演奏とはちょっと違う。
 まさにあの、ロシア正教の世界。
 何だか黄金と極彩色の教会やイコンが目に浮かぶのです。キリスト教もいろいろな顔を持っていますが、原始的でプリミティブな感じと言ったらいいでしょうか。私はロシアに行ったことはないのですが、ロシア臭さみたいなものをここに感じました。

 音楽は不穏な色を帯びていきます。そして金管楽器がフランス国家「ラ・マルセイエーズ」のフレーズを歌い出します。
 ああ、来ました。ナポレオンです!
 フランスがロシアに攻め入ってきたのです!

 この曲は、クラシック音楽ファンの方には説明の必要がないほど有名なもの。
 だけどここまで「映像的」な演奏は珍しいんじゃないでしょうか。何かが見えました。音楽の中で、爆発が起こったよう。まさに戦争がはじまったのです。
 弦楽器が悲鳴のように掻き鳴らされ、管楽器に至ってはほとんど吠えています。大勢の人々が、殺し合いをしています。おびただしい血が流れています。私たちの目の前で、ロシア軍とフランス軍がぶつかっていました。
 
 何度も負けそうになって、そのたびにロシアは必死に戦います。時おりロシア民謡が交じるのは、愛国心の鼓舞に他なりません。
 迫力の物語に巻き込まれ、こちらはもう息もできないほど。
 そして激しく劇的な「戦闘」の後。
 ナポレオンはとうとう冬将軍に負け、とぼとぼとフランスへと帰っていきます……

 やったー! ロシアが勝ったー!
 曲のクライマックスでは、私も完全にロシアの民衆の一人となっていました。拳を突き上げ、叫び出したいぐらい。ロシア帝国国歌が高らかに演奏されます。曲の中で最も感動的な部分です。

 このラストの部分、欧米の野外コンサートなどでは本物の大砲や銃を使うこともあるようですが、この日は大太鼓でした。
 でも耳をつんざくほどの爆裂音。ホールの音響や何かは完全に無視し、力任せ(?)に叩いているように聞こえます。喜びを告げる教会の鐘の音も、狂ったように掻き鳴らされます。
 何と言うか、勝利を告げるという本来の趣旨を越えていました。音楽が壊れてしまう一歩手前まで来ています。
 大砲の音と、暴風雪と。あまりにいろいろなものが吹き荒れたせいで、聴衆は唖然呆然。

 そんなわけで、この日の演奏はちっとも「お行儀よく」なんかありませんでした。
 いたずらに煽情的で、野蛮と言ってもいいぐらい。好き嫌いは分かれるかもしれません。私も終わったところで拍手はしましたが、あまりに圧倒されて何と感想を言ったらいいのか分かりませんでした。
(ちなみにコロナ禍のコンサートにおいては、「ブラボー」等の掛け声は禁止)

 横を見たら、夫も絶句していました。
「何というか……オレの人生で最強の『1812年』だった……」
 最高ではなく最強、という言い方が言い得て妙だったかも。確かにものすごく「強い」1812年でした。クラシック音楽ってこんなに攻められるんですね。

 いや、これだけ攻められるのがプロなのかもしれません。もはや服装がフォーマルだろうがTシャツだろうが、関係なし。彼らの生み出す音がすべてでした。これを教えてもらっただけでも、このサマーコンサートに来た甲斐があったというものです。

 唐突ですが、ここで小説の話。
 文学賞で落選すると、私は「どこかで欠点が目に付いたんだろう」ぐらいに考えていました(それもあるとは思う)。だけど問題の本質はそこじゃないのかも。

 私の小説、荒ぶる神は宿ってる?
 もちろん私は言葉を尽くし、声を限りに叫んでいるつもりなんですが、それが伝わっているかどうかは別の話。伝える技術が、まだまだなのかもしれません。

 つまり減点法で落ちたんじゃなくて、加点法で落ちたんじゃないかと。
 大きなうねりが、ダイナミクスが足りないのです。もっと切なく、もっと過激に書かなければ、分かってもらえない。そこに気づかせてもらったのがこの日の『1812年』でした。

 このオーケストラにはとにかく感謝。リーズナブルなチケット代にはとても収まらない価値がありました。
 もちろん、お値段お高めのコンサートに行ったからといって、必ず感動が待っているとは限りません。でも懲りずに出かければ、こういう演奏が聴けることもある。やっぱり自分から動かなくちゃいけませんね。

 コロナが落ち着いたら、また聞きに行きたいなと思った一日でした。
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