第20話 清楚で可憐! ゲオルギューの『椿姫』

文字数 4,577文字

 前回、アンジェラ・ゲオルギューの『カルメン』について取り上げたので、その続きです。
 今度は正真正銘、ソプラノの役。本来のゲオルギューにふさわしい役柄です。

 『椿姫』のヴィオレッタ!!
 いかにもソプラノらしい、はかなく健気で、美しいヒロインです。 

 当時デビューしたてのゲオルギューは、このヴィオレッタ役で大スターになったんですが、その理由はこちらを見ればわかります。とにかく彼女の雰囲気が役柄にピッタリだし、歌も演技も輝いてる! 

 DVDの表紙はこちら。

 ……う~ん、どうしてこんな地味な写真を選んだんでしょう(笑)。
 これじゃゲオルギューの魅力が伝わらない、という気がするので、テレビに映し出した画像を入れてみます。


 ……けっきょく不鮮明で分かりにくいですね。ごめんなさい(笑)。
 一枚目は「乾杯の歌」を歌うアルフレードを見つめるところ。
 二枚目は田舎の家で堅気の生活をし、手紙を書くシーンです。

 しかし、『椿姫』。
 私はこのタイトルを見るだけでグッときます(笑)。

 そう、この演目はまさに「号泣物」。涙なしでは見られない、圧倒的な切なさなのです。
 NOVEL DAYSでは、悲劇は好きじゃない~という方をちらほらお見かけするので、ちょっと心配ではありますが、リアルで共感しやすいオペラの演目ってありそうでなかなかないんですよ。素晴らしい物語なので、ちょっとだけお付き合いを。

『椿姫』の原作は、アレクサンドル・デュマ・フィスの長編小説。私小説とまではいきませんが、作者の実体験に基づきます。スキャンダラスな内容です。

 小説とオペラとで、あらすじはだいたい同じです。さらっと書き出してみます(※以下、ネタバレあり)。
 自堕落な娼婦が貴族の青年と出会い、真実の愛に目覚めます。彼女はつかの間の幸せを手に入れますが、青年の親族に仲を引き裂かれてしまい……しかも彼女自身は病気となり、死が訪れます。
 これだけだと悲惨過ぎるし、どこの国にもある身分違いの恋の話とも言えるかもしれませんね。

 だけどこの物語、リアル感がすごいです。小説の主人公マルグリットには、マリー・デュプレシという実在のモデルがいました。彼女は裏社交界(←こういうものが本当にあったことに驚き!)の花形でしたが、肺結核により23歳の若さで亡くなったそうです。

 デュマはそういう女性と付き合ったんですね。そして自分も悲しい思いをしたんですね。
 だけどこの体験を商品化してしまうところがすごい。彼は実際の出来事を構成し直し、練り上げて小説の形にしました。

 小説が大変好評だったので、デュマは自分で戯曲も書いて上演しました。ちなみに写実主義が演劇の世界に持ち込まれたのは、この時が最初だそうです。
 で、こちらも大ヒット。
 恋人が死んだのに、しっかりしてるな、デュマ(笑)。

 経緯はともあれ、素晴らしい作品であるのは間違いありません。今も演劇界では、この戯曲が使われているそうです。
 そして19世紀半ば、パリで舞台『椿姫』の上演を見たのが、イタリアの作曲家ジュゼッペ・ヴェルディ。

 客席にいたヴェルディは、たぶん他人事じゃないと思ったはず。
 というのも、その時同行していたジュゼッピーナという女性もまた「訳あり」の女性だったのです。ヴェルディは彼女と結婚したいと思いつつ、亡くなった先妻の父への遠慮もあってできずにいました。
 愛し合っているのに、結ばれない。
 一緒に『椿姫』を観た二人は、息を呑んだことでしょう。そして暗闇の中で、そっと手をつないだでしょうか……?

 ヴェルディは帰国後、一気呵成にこの物語をオペラに仕上げていきます。社会から疎外されたヒロインに全力を注ぎこみ、上流階級への批判も込めた社会派のラブロマンスとして。
 結果、素晴らしいオペラが出来上がりました。
 初演は失敗した、などとも言われますが、内容は素晴らしいので徐々に受け入れられていったようです。『椿姫』は小説も演劇もヒットしたけど、オペラはさらに大大大ヒットしたというわけですね。

 やっぱりヴェルディはすごいです。オペラ王と呼ばれるだけあります。前回の『カルメン』もそうでしたが、『椿姫』もまた名曲ぞろいで、クラシックファンじゃない人が「知ってる」、「聞いたことある」と思うような曲がいくつもあります。
 ちなみにヴェルディ作曲ということは、『椿姫』はパリが舞台だけど、イタリアオペラなんですね。もちろんイタリア語で歌われます。

 台本もよく書けています。原作ではもっと登場人物がぐちゃぐちゃ悩むのですが(それが文学ですからね)、オペラでは思い切って整理し、デフォルメしてあります。
 何と、主な登場人物は三人だけ!(主役の女性と、その恋人と、二人を別れさせる恋人の父親)。オペラの方がはるかにシンプルに、「純愛」物の作品になっているのです。

 他にも小説とオペラとで、変えられた点があります。
 まずは主人公の名前。オペラではスミレの花を意味するヴィオレッタに。娼婦のイメージが薄められ、清純派キャラにしたという感じでしょうか。
 恋人アルマンも、アルフレードという名になっています。

 それから「椿」の花について。
 小説では生理中であるかどうか(つまり、今日は性行為が可能であるかどうか)を表す娼婦のシンボル。今日の椿は赤か白か、が重要。だからマルグリットは「椿姫」と呼ばれるんですね。

 オペラではもっとロマンティック。
 ヴィオレッタは、自分のような娼婦を本気で口説いてくる青年アルフレードにちょっとだけ心を動かされ、椿の花を手渡して「この花がしおれる頃に」と再会を約束します。だからヴィオレッタは「椿姫」であるわけですね。

 どっちが良いとここで決められるわけではありませんが、オペラの設定の方が私は断然好きですね。性に関しては直接言及しないからこそ、すんなりヴィオレッタに感情移入ができて、その後の理不尽な仕打ちに涙することもできるわけです。

 我が家にある『椿姫』のDVDは二作。どっちも素晴らしい出来栄えなのですが、アンジェラ・ゲオルギューが演じたこちらの作品は、オペラを知らない方が最初に見る「第一作」に断然お勧め!
 古典的な演出で素直に作品世界に入れるし、とにかくゲオルギューがヴィオレッタのイメージそのままなので、頭の中で映像の変換(←結構必要なことが多いんですよ(笑))をしなくて良いのです。そして何より歌が、演奏が素晴らしい。

 昔から『椿姫』というオペラは、主役のヴィオレッタ次第と言われます。ヴィオレッタが魅力的であれば舞台そのものが成功し、逆にヴィオレッタに魅力がなかったらすべてが駄目。
 だから人気のある演目なのに、上演は難しいようです。主役ヴィオレッタは最初から最後まで絶唱し通しですから、相当な体力が求められます。しかも美しくないと駄目で、最後は病魔との戦いに敗れ、やつれて死んでいくわけですから、その演技にリアリティーがないと駄目。

 ものすごく難しい条件です。演じられる人は、そういるもんじゃありません。
 ミラノのスカラ座では、50年代にマリア・カラスが歌って以来、長期間『椿姫』が上演されず、一部の人々の間では「マリア・カラスの呪い」と呼ばれたとか。

 そのため、指揮者のサー・ゲオルグ・ショルティも、『椿姫』をやって欲しいというオファーを受けていたものの、あまり積極的でなかったそうです。あれは簡単に手を出せるものではないよ、といった感じで。
 
 だけどその条件を突破したのが、ゲオルギューだったんですね。ショルティは彼女の歌を聴いて「これならいける」と確信したのだとか。
 で、94年、ロンドンのコヴェント・ガーデンで上演されたものがこのDVDなのです。

 娼婦なのに、花嫁のような純白のドレスで現れるゲオルギューの美しいこと! 清楚で可憐で華やかです。オペラは顔じゃないって分かってるけど、それでもうっとりしてしまいます。

 しかも歌が大迫力。付録の解説本によると、ショルティは「リハーサルの段階から歴史的公演になると確信し、自らBBCに電話をして映像収録を依頼」したそうですが、お陰で20年以上経った今もこうして観ることができるんですね。
 歴史に残るオペラの名演でも、映像が残っているとは限らないので(逆に言えばDVD化されているからといって名演とも限らない)、これは有難いです。
 というわけで、今は天国にいるショルティ、ありがとう(笑)。
 
 ゲオルギューの『椿姫』については、2007年のミラノ・スカラ座公演もDVD化されているようですが、私は観ておりません……口コミを読む限り、「94年コヴェント・ガーデンの方が衝撃的だった!」という声が多いようです。やっぱり若さがあふれているからかな。

 この物語の真骨頂は、愛なんて信じなかったヴィオレッタが真実の愛に目覚めていくところ。
 本当に好きな人に出会ってしまったのです。
 だけど彼の幸せを願うからこそ、ヴィオレッタは身を斬る思いで自分の幸せを諦めていきます。
 
 だったら愛なんて知らない方が良かったでしょうか?
 そうではない、というのがこのオペラの結論ではないでしょうか。ラスト、瀕死のヴィオレッタが駆け付けたアルフレードに残すいくつかの言葉。これは愛する人に再会できた喜びに他ならないんですが、自分の人生を走馬灯のように思い返した上での、ひたすら「あなたに会えて良かった」という心の叫びではないでしょうか。

 とにかく彼女の心の動きが歌から伝わってきて、観ているこちらは涙が止まらなくなります。
 名曲はたくさんあるけれど、ちょっと聴いてみようかな、と思われた方は、最も良く知られた「乾杯の歌」をぜひ(YouTubeにもいろいろあります)。

 ノリの良い歌なので、一部のコンサートなどでは「さあ皆さんご一緒に」みたいな感じで観客まで巻き込まれることもあります……普通は歌えないので、手拍子ぐらいですが(笑)。
 これ、真面目な青年アルフレードが、パーティーで乾杯の音頭を取らされる部分の歌なんですよ。憧れの女性(ヴィオレッタ)の前に立たされて緊張しているけれど、何とか座を盛り上げようと、彼は一生懸命に歌います。

 途中から助け船を出すように、ヴィオレッタの声も重なります。
 アルフレードは歌いながら「快楽よりも真実の愛」とヴィオレッタに目でアプローチし、ヴィオレッタの方は軽く受け流して「この世は快楽が一番よ」と返す、その繰り返し。
 でもこの曲の間に、二人の距離が縮まるんですね。このドキドキ感を含んでいるところが、何とも魅力的です。

 このDVDでは、古典的な演出の『椿姫』が見られます。豪華な夜会、素朴な田舎の生活、最後は病床でやつれた場面まで、切り取られたシーンはそれぞれ絵画のように美しいです。原作に忠実でありながら、新しさも感じさせます。
 この記事を書いている途中で気づいたんですが、この作品の演出を手掛けたのは、18話で取り上げた『カルメン』と同じリチャード・エアという映画監督でした。映画の方は知らないのですが、すごくセンスの良い方なんでしょう。

 というわけで、今回はオーソドックスな『椿姫』でした。
 次回は「新演出」の『椿姫』をご紹介したいと思います。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み