第28話 すさまじい緊張『宇喜多の捨て嫁』

文字数 4,198文字

 前回、『オール讀物』さんの小説講座について取り上げさせて頂いたので、ここの受賞作から何か一つ、と思ってこちらにしてみました。
 木下昌輝さんのデビュー作『宇喜多の捨て嫁』。
 備前の国(岡山県)の戦国大名(ダークヒーローと言った方がいいのかな)、宇喜多直家と、その周辺の人物を取り上げた物語です。

 宇喜多家と言えば、豊臣五大老になった宇喜多秀家をすぐに思い浮かべますが(この人も波乱万丈な生涯を送っています)、お父さんの直家も非情なやり方で大名になり上がった者として有名。ネット検索すると「鬼畜」、「サイコパス」など、これでもかというほど悪評が出てくるので一度お試し下さい(笑)。
 だけどこの、戦国きっての悪役に、新たな光を当てたのがこの作品というわけです。

 いちおう作品の経緯に触れておきますと、表題作でオール讀物新人賞を受賞、他の短編と合わせて(オムニバス形式でつながり、長編になっています)単行本化。それが直木賞候補となり、そちらは惜しくも受賞を逃したものの、今度は高校生直木賞を受賞……といった感じです。

 私は文庫本で読んだのですが、あとがきには高校生直木賞の選考過程が書かれていました(それがまた読み甲斐のある内容で、一つの「おまけ」になっています)。
 それによると、何と選考員には女の子が多かったそう。これほどの「エグさ」満点、血みどろの物語なのに……と思いますが、若い女の子たちが飛びつく要素があったわけですね。
 それはたぶん全編を貫く緊張感と、構成の妙にあったのではないかと思います。

 表題作「宇喜多の捨て嫁」から、物語は始まります。
 まずは「捨て」、「嫁」って何だ? と思うわけですが、これは囲碁の「捨て石」、将棋の「捨て駒」から来ています。要するに敢えて敵に取らせ、後にもっと大きな利益を得るための犠牲者のこと。何とも残酷なこの呼び名は、主人公の於葉(およう)に与えられます。

 下剋上で戦国大名になり上がった宇喜多直家は、4人いる娘をそれぞれ敵対する家に嫁がせ、相手を油断させたところで攻め滅ぼすという悪辣な手法を取っていました(女性を人質として差し出すのは、一般的には服従を示す態度です)。
 娘たちは嫁ぎ先で、実家の父に攻め滅ぼされて死にます。だから「捨て嫁」。

 直家の四女、於葉(およう)はこれから隣国、東美作の後藤勝基という武将に嫁ぐのですが、後藤家から備前に迎えに来たのは、老臣の安東相馬。この男がふてぶてしくも、宇喜多家の姫である於葉を「捨て嫁」呼ばわりするのです。
 つまり「次は美作を攻めるんですか?」、「後藤家は迷惑ですよ」という、宇喜多家への嫌味というわけ。

 於葉だって好きで嫁ぐわけじゃないのに……と言いたくなりますが、本人はさほど感傷的になりません。気の強い於葉は安東の言葉にカチンときて、むしろ相手に自分を認めさせようという気分になるのです。

 だって於葉が最も憎んでいるのは、自分の父、宇喜多直家だから。
 確かに安東はムカつくけれど、そう言われても仕方がないほど父はひどいのです。
 母と一番上の姉は父のせいで死にましたし、二番目の姉は父に婚家を攻め滅ぼされ、気が狂ってしまいました。仲の良かった三番目の姉は、主君である浦上家に嫁いだけれど、これまたいつどうなるか分からない。

 そして自分。恐らく後藤家を利用し、いつかは滅ぼすために嫁にやられるのです。
 抑えようにも抑えられない、この怒り。いつかこのひどい父に復讐してやるという思いを抱きながら、彼女は嫁いでいきます。

 その直家ですが、「尻はす」という大変な病気を抱えています。この病気がどんなものか、物語を読んでも全然分かりません(医療系のサイトに「大腸がん」ではないか、と書かれているのは見ましたが、本当かな?)。

 この作品では、大量の血膿を流し続けるとか、すさまじい悪臭を発しているとか、かなりグロテスクな描写が続きます。
 そんな状況なのに、直家は懲りずに病床から陰謀を巡らせます。家来たちを動かして、暗殺謀略やりまくり。
 こんなダーティーな戦国武将がいて良いものでしょうか。読んでいると、まるで作者から「直家はこれほどに醜い男なんだぞ、さあ憎め!」という挑戦状を突きつけられている気分になります(笑)。

 さて後藤家に到着した於葉ですが、祝言の席には寿ぎの空気など微塵もありません。両家の代表の間には、いつ斬り合いが始まってもおかしくない異様な緊張感。隣にいる新郎は、衣裳のせいで顔も見えません。
 こんな花嫁さん、可哀想……と思ったら、まだ甘い。
 於葉にはさらなる過酷な試練が襲い掛かります。

 まだ祝言の最中だというのに、とんでもない情報が飛び込んできました。父、宇喜多直家が浦上家の主君、松之丞を殺し(※病状は一進一退なので、元気な時もある)、同じく浦上家配下にあるこの後藤家にも軍をよこしてきたとのこと。
 後藤家の命運も気がかりですが、於葉はまず、姉の安否を気遣いました。
 だって仲の良かった三番目の姉は、浦上松之丞に嫁いでいたのですから。

 使者はためらいましたが、於葉がきつい口調で問うたので、しぶしぶ答えました。あなたの姉君は、自害なさいましたよ、と。
 あまりのショックに、於葉は倒れてしまいます。
 ところがそのとき、さっと手を出して支えてくれた人がいました。
 夫、後藤勝基です。

 夫が優しい人だった、というのは、於葉にとってわずかな希望だったでしょうか。
 でもこれが、於葉の運命をさらに狂わせていくのです。

 家臣から捨て嫁、などと呼ばれた於葉。悔しいので、彼女は後藤家の人間として、後藤家のために戦う決意を固めるのです。夫の勝基は「女は武器を取って戦うべきじゃない」、「そのぐらいなら、降伏した方がまし」という考えなのですが、於葉は剣術の心得もあります。むしろもどかしく感じます。

 幸い、祝言の際に起こった衝突は、それ以上の大きな戦にはなりませんでした。
 というのも、西に毛利、東に織田という巨大勢力が誕生しつつあったので、両家は嫌でも協力し合わねばならなかったのです。

 だけど、小競り合いはその後も何度か生じます。
 そんな中、あの憎らしい家臣、安東相馬についての情報が入ってきました。
 安東は実家の父、宇喜多直家と内通しているようなのです。

 ここで、はたと思い当たる於葉。安東が自分に対してあんなに冷たい態度を取ってきたのは、宇喜多家に近づいている事実を隠すためではないか?
 内応の証拠となる書状もあります。勝基も後藤家を守るため、安東を始末せねばならないことを認めました。

 この夫婦は、囲碁の試合と見せて安東を招き、刺客を座敷に入れます。
 仲間内で、そっと目配せを交わすシーン。
 ハラハラして、目が離せないクライマックスです。
 結末は書きませんが、於葉が「宇喜多の捨て嫁」の名を返上するために精一杯やった、ということだけは言えるかと思います。これがまた、残酷極まりない結果を招くのですが……。

 本当にひどい時代だなと感じます。備中、備前は特に裏切りや下剋上が横行していたとのことですが、親兄弟でさえも信じられなくなってしまう異常な世界。
 でもここを現代人に分かる形で見せてくれている、秀逸な短編です。

 想像なんですが、ここに生かされている史実は「宇喜多直家の娘の一人は、後藤勝基の室である」、「宇喜多家と後藤家の間では何度か小競り合いが起こった」といった程度ではないでしょうか。
 あとの大半は恐らくフィクション。それでもこんな壮大なドラマが描けることに驚嘆します。

 とにかくこの時点で出てくる率直な感想は、ひたすら「宇喜多直家ってひどい奴だ!」というもの。彼は自分の成功のためには、家族の命なんてどうでも良いという態度ですから。
 しかし後に続く短編が、この「梟雄」直家像を覆していくのです。

 どれも秀作なのですが、私が特に感銘を受けたのは二作目。幼い日の直家を取り上げたものです。
 まずは文体が心に残りました。
 というのも、この作品は「二人称」で書かれているのです。いちいち「お前は~」で文章が始まるのです。これって歴史小説はもちろん、他のジャンルでもなかなか見かけないのではないでしょうか。

「八郎、八郎よ、こっをを向け。
 お前は母の膝にうずめていた顔を上げて虚空を見る。燭台で照らしきれぬ天井の隅が、夜の闇で黒ずんでいるだろう」

 こんな調子で物語が進行していきますが、この話し手が誰なのかはなかなか明かされません。
 そしてお前は、お前は、と断じるように言うその口調が、不思議と主人公の少年、八郎の悲しみをあぶり出します。二人称であればこそ、まだ少年である主人公にはどうしようもない運命の変転が残酷に響きます。

 そう、主人公が少年だから良いのです。これが大人だったら、どうにか理不尽に抗う方法を見つけられそうだし、また女性だったら嗜虐性が強過ぎて違うニュアンスになってしまいそう。
 二人称の表現について、ここではいろいろ考えさせられました。

 とにかく二作目で幼い日の宇喜多直家(八郎)を見た読者は、あまりに切なく、あまりに悲しくて、涙を禁じ得なくなります。
 これは三作目、四作目と進んでいくにつれ、より効果を発揮します。これほどの目に遭ったからには、家族をも信じられなくなって当然なんじゃないか? むしろ彼は被害者なんじゃないか?
 気づけば、必死に生き延びようとする直家を応援している自分がいます。

 すべてを読み終える頃には、岡山という土地に不思議な感慨を覚えるほど。もちろん直家という冷血漢を英雄として称える気にはなれませんが、これは一種のピカレスクロマン。過酷な運命に抗い、こんな生き方をせざるを得なかった一人の武将の生きざまが胸に迫ります。

 戦国物なのに、合戦シーンが皆無というのも珍しいんじゃないでしょうか。だけどこれまた、権謀術数がほとんどを占めていた戦国時代の現実を見せてくれているようで、すごくリアル。

 またネット上の多くの感想にあるのですが、「におい」の描写が多いのが特徴です。多くは「臭気」であって、心地よい香りではないのですが、だからこそ最後の作品に出てくる、ほのかな梅の香がいつまでも余韻を残します。

 ラストまで続く、すさまじいまでの緊張感。
 普段、歴史物を読まない方にもおすすめです。
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