第12話 突然ですが、私の執筆歴

文字数 2,830文字

 このサイトに登録したのは、一年八か月ほど前になります。
 これだけお世話になっていながら、今では当たり前の存在になってしまったせいか、頭からすっかり抜け落ちていました。
 そう、このサイト『NOVEL DAYS』自体が私にとって大ヒットだったということを!

 というわけで、今回は自分の執筆歴(とも言えないものですが)、次回はこのサイトについて思うところを書いてみたいと思います。たぶん、ここの皆さんと重なる部分がいろいろあるんじゃないでしょうか。

 さて、私が最初に小説(らしきもの)を書き始めたのは、20代後半のことでした。
 若い頃から私は藤沢周平が大好き。なのでその時の処女小説も、とある藩の御家騒動を元にした時代劇で……と言いたいところですが、実態は「藤沢もどき」の低レベル・オマージュ作品でした(笑)。

 だけどビギナーズラックというのはあるんですよねえ。
 これが某文学賞の最終選考に残ってしまったのです!(下読みに当たられた編集者さんが直接電話をくれました。たぶんこの方が気に入って下さったんでしょう)

 うれしいとは思いましたが、この時は恐怖感の方がずっと強かったです。当時の私にも、自分にまだ文章力も構成力も備わっていないことは分かっていました。
 どうしよう。ここで「まぐれ受賞」しても、二作目、三作目は書けないなあ……。
 というわけで、落選してむしろほっとした次第です(笑)。

 最終選考を経験された方はご存知だと思いますが、ここまで残ると選考員の有名作家さんから講評を頂けますよね。この時も、他のノミネート作品にはあれこれ意見が付きました。
 だけど私の場合、はっきりした感想は頂けなかったのです。選考の場でも、ほとんどの方からスルーされて(たぶん技術的な欠陥が目につき過ぎて、「何だこりゃ」な感じだったのでしょう)、私を推してくれたのは一人の作家さんのみだったようです。

 私はこの作家さんがあまり好きではなかったので(推して下さったのに申し訳ない(汗))、どう受け止めて良いのか分かりませんでした。逆に思いました。その先生の作風とは似ても似つかないのに、私のどこを気に入って下さったんでしょう?

 ちなみにこの選考過程を教えてくれたのも、最初に電話をくれた編集者さん。
 終わってからもう一度電話を下さり、いろいろお話ししました。
「うちの賞は、時代小説はちょっと不利なんですよ。よその文学賞で、時代小説を多く受賞させている所を狙った方がいいと思いますよ」

 このアドバイスに、私は長く影響されてしまったのかも。調べたら、確かに「ジャンル不問」と言いつつ、実はそこそこジャンル特化している賞は多いようでした。なので私は後に時代物系の賞ばかりに出すようになりましたが、これが良かったのかどうか、今でも分かりません。結局何も取れていないですからね(笑)。

 その後、仕事、結婚、出産を経て生活がきつかった時期は、正直小説どころじゃなく、長いブランクとなりました。
 再び書き始めたのは、子供が幼稚園に入った頃から。昼間、ほんのわずかに自由時間ができただけのことでしたが、束縛が解けた途端にそうなったということは、やっぱり書きたくて書きたくて仕方がなかったのかも。

 だけど、大変なのはここからでした。
 ド下手な処女作でも、最終選考まで行けた。だったら多少なりとも技術が上がり、人生経験を積んだ今なら、もっと行けるんじゃない?
 そんな風に考えたのは甘かったとしか言いようがありません。この後、私は落選に落選を繰り返すことになります。本当にもう、最初のあれは何だったんだろうと思うほど、全然ダメでした。

 これが一次選考で落ちるのなら、まだ納得してやめられたかもしれません。下手に二次、三次と残ってしまうから、なかなか見切りを付けられなくなっていくんですよね……(苦笑)。

 落ちる理由を知りたいと思ったけれど、なかなかその答えは見つかりません。「ものの本」を読むと、落選する作品は大抵ここが駄目だ、みたいなことがよく書いてあります。かなり参考にはなります。

 でも人間って結構頑ななんですね。
「私の場合、ここはクリアできているはず」
「ここも、ここも、私には関係ない」
 なんていう意識があるものだから、結局その内容は響いてきません(笑)。

 もちろん自分でできているつもりになっているのと、他人の目から見てちゃんとできているのとでは雲泥の差があります。この差を埋めていくことが、上達の過程なのかもしれません。

 悔しい気持ちを抑えて受賞作を読んでみると、もちろん上手に書けています。そこにつけられた講評も参考になります。おめでとうございます、と言ってあげるべきですね。

 でも自分が駄目な理由までは、なかなか見えてこない。
 一つだけ言えることは、運も必要だということ。そのときに「風」が吹いた人が賞を頂けるわけです。それを承知の上で続けられるかどうか、ですよね。

 さて、有料で小説の講評を受け付けてくれる方が、何人かいらっしゃいます。
 実は私、一度ある方にお願いしたことがあるんです。出版社で、文学賞の下読みをされていたという方で、料金設定は他の方より良心的でした。

 その方は、とても誠実に対応して下さったと思います。拙作を丁寧に読んで下さり、講評も細かく書き送って下さいました。

 それでも。
 私はやっぱり納得できませんでした。だって書いてあることは、主に「褒め言葉」でしたから。
 じゃあなぜ駄目なのかは、分からないままじゃないですか!
 もちろん小さな技術的欠陥は複数指摘されていて、なるほどと思わされるところもありました(だから添削をお願いしたのは無駄ではなかったと思っています)。

 また、私のこだわりと衝突してしまう部分もありました。今の私は、一人称で歴史小説を書くことにこだわりを持っています。また、それでは説明し切れない部分が出てくるため、それを担保するために複数視点で書くことも多いのです。
 でもこの方からは、そこがマイナスポイントだと指摘されました。

「視点の切り替えは、多くても二人まで」
「切り替えは読者の混乱を招く恐れがあるので、なるべく少なく」

 もっともだとは思いつつ、私のこだわりは捨てなくちゃならないのか?と、かなり悶々としました(笑)。こだわりと言うとマイナスに思われがちですが、ここって本質的な執筆動機にも当たるんですよね。できれば読者の読み易さと、両立を図りたいものです。
 習い事や何かでも、先生との相性が問われるのはこういう時かもしれませんね。

 この添削で分かったことがあります。私がなぜそこまでこだわるのかが、その方には伝わらなかったのです。魅力的に映らなかったのなら、それは私の技術不足。もっと伝えるための技術を磨かなくてはならないということでしょう。

 投稿サイトを利用してみようかな、と思ったのはその時のこと。
 この先は、次回に書いてみたいと思います。

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