第10話 読書感想文はムズかしい
文字数 3,993文字
夏休みの宿題編、第二弾。
文章表現が苦手な子には、最難関の宿題かもしれません。そう、読書感想文です!
定型発達の子でも作文関係を嫌うケースは少なくないそうですが、そもそも自分の考えをまとめられない発達障害児には、何をどう書かせれば良いんでしょうね?
読書に限らず、うちの息子は自分の考えというものをほとんど述べることができません。
私「あんたはどうしたい?」または「あれを見て、どう感じた?」
息子「わかんないよ~」
このやり取りを、今まで何度交わしたことか。息子がどこで引っかかっているのか、私はいまだに把握できていないのです。
このあたりはどの育児書を読んでも「正解」と呼べるものは書かれていないので、皆さまの良いアイデアがあれば教えて頂きたいです(切実)。
ただ読書感想文の宿題で言えば、学校側も毎年のことなので、「書けない」子がいることは認識しています。なので息子の学校では、あらかじめ「テンプレート」が配布されました。
きれいに印刷されたカラープリントを見て、私はぎょっとしました。これに従えば、誰でも読書感想文が書ける、というものです。
はあ、そんなものですか。「昭和」の私には、何だか隔世の感があります。
そのテンプレに従えば、手順は以下の通り。
① 本を読みながら、とにかく気になった箇所に付箋を貼る
② なぜそこが気になったのか、メモにまとめる
ここまでが下準備で、いざ本文を書き出す時は以下の要領になります。
③ なぜこの本を選んだのか
④ 簡単な本の紹介
⑤ 登場人物と自分の個人的体験との共通点を挙げる
⑥ そこで自分がどう感じたのかを書く
⑦ 読む前と読んだ後の気持ちの変化
なるほどね~と感心させられます。これを考え出した人、偉い(笑)!
私は子供時代、ほとんど⑥しか書いていなかったような気がします。書き方が分かっていたら、もっとましな内容になったかもしれないのに。
一方で、こんなにテンプレ化してしまったら、みんな似たり寄ったりの感想文が出来上がりそうだな~という気もします。夏休みが終わったら学校側で優秀作を選び、選ばれた作品は読書感想文コンクールに出すそうなのですが、大枠が決まっているなら、細かい差異の世界になってきそうじゃないですか。
気の利いた表現ができているかどうか? 子供離れした文章の完成度?
そんなの、親のヘルプ度で決まっちゃいそうじゃん……という気もしますが、まあそれはさておき。
うちのような「書けない」子には、確かにテンプレートは有難いです。
で、早速書かせてみましたよ、問題の息子に。
でもまず本が決まりません。彼は読みたい本すら自力では見つけられないのです。
とりあえず「青い鳥文庫」の中で興味が持てそうなものを本人に選ばせ、買い与えてみました。
病院犬を育てるノンフィクション物。親としてはとても良い内容だと思ったのですが、本人は途中で挫折してしまったようです。
「長いんだもん。こんなの読めないよ~」
(例のコンテスト(笑)。私も出してみたいと思いつつ、息子のような子でも読めるものをと思った途端、難しくて、なかなかアイデアをひねり出せずにいます)
息子の場合、短くて物語の把握がしやすいものの方が良いかもしれません。
夫が「じゃあ、これにしろ」と差し出したのが、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」でした。
教科書にも載っているぐらいのメジャー作品なので、ここの皆様には説明不要かもしれませんが、念のため。主人公のカンダタは悪事を働いて地獄に落とされ、苦しんでいたところ、生前に行った唯一の善行「蜘蛛の命を助けた」一件があったために、お釈迦様に極楽へ行けるチャンスを与えられます。
ところがこの、地獄に垂らされた蜘蛛の糸。カンダタが必死になって登っていたところ、他の悪人たちまでもが後から後から上ってくるではありませんか! カンダタは糸が切れるのを恐れ、「下りろ!」と叫びます。その途端、糸はぷつっと切れて、彼は再び地獄へと落ちて行きます。お釈迦様は悲しそうなお顔をされて、再び極楽の池のほとりを歩き出します……というもの。
小さい頃に絵本で読んだ人の中には、地獄の恐ろしさがトラウマになってしまったという人もいるようですが、これ元々は児童文学として書かれたものなんですね。つまり、今のうちの息子に年齢的にぴったりなはず。
でも息子の場合、これすらちゃんと読めるかどうかわかりません。とにかく例のテンプレートに従って、やらせてみます。
「じゃあ、まずは付箋を貼ってね。できたら、お母さんと一緒にメモを作ろう」
そう言うと、私は家事をするためにその場を離れました。まだまだ下準備だけでも大変そうだな~などと思いながら。
洗い物などをしながら、息子が「できた!」と言うのを待っていた私。
でもなかなか呼ばれないので、再び様子を見に行きました。
するとビックリ。何と息子はもう、本番の原稿用紙に書き出しているではありませんか!
「ちょっと待った! まだ書く準備ができてないでしょ」
私はやめさせようとしましたが、子どもは集中している時に邪魔されるのが一番いやなものです。息子は私の手を振り払って、頑固に書き続けます。
「お母さん、うるさい。あっち行って」
こういう場合、無理矢理止めるのが良くないことは経験上分かっています。息子は癇癪を起こし、原稿用紙を破いてしまうでしょう。
でもそれじゃ、何のためのテンプレートでしょうか。せめてちょっとでも、きちんとした文章を書く練習をさせたいのに。
「まずは自分の考えをまとめるのが先でしょう? 本番の紙に書くのは、最後の最後だよ」
「いいの! 僕は書きたいように書くんだもん」
仕方がありません。こうなったら、本人の意思が最優先でしょう。テンプレを無視して、滅茶苦茶な内容で出すことになりそうですが、息子の場合はそれもアリかも。
でもそう思ったそのとき。
例のテンプレが書かれたプリントに、息子の字で何か書かれているのが目に入りました。殴り書きではありますが、どうも自分なりに空欄を埋め、考えをまとめる努力はしたようです。
自分の率直な思いを書く欄に、怒りの文章が書かれているのを見て、私は愕然としました。
「……あんた、お釈迦様のことが許せないんだ……」
私が自分の子供時代にどんな感想を持ったのかは記憶にないんですが、この物語を勧善懲悪の道徳的な話として捉えていたような気がします。仲間を振るい落として、自分だけ助かろうとするカンダタの行為は良くなかった。だが生きるか死ぬかの境地に立たされた時、人は誰もがカンダタと同じような振舞いをするのではないか……といった感じ。
たぶん当時の学校の先生も、授業の中でそういう解説をしていたんじゃないでしょうか。
でも息子は、むしろ気まぐれで助けようとしたり、また助けるのをやめたりするお釈迦様の方を攻撃対象にしていました。「この物語に救世主もヒーローもいない」とぶった切り、むしろカンダタの悪事の方は、そうしなければ生きて行けなかった事情を考慮すべきだと、懸命に情状酌量を訴えています。
お前はカンダタの弁護士か!?
「これ、自分で考えたの? もしかしてユーチューバーの誰かが言ってた?」
「自分で考えたんだよ、もちろん」
本当かなあ……という疑念はありますが、確かに作者の芥川龍之介はお釈迦様への批判的なまなざしを持っていたんじゃないかという気がします(この解釈が間違っていたら、どなたかご指摘下さい)。息子も「おぼし召されたのでございましょう」などといった慇懃な文章に、むしろ嫌味を感じたようです。
「作者は仏教を否定しているとは思いません」
と、息子はおぼつかない言葉で書いていました。
「でも、すべての人を救うのが仏教であるなら、これは仏教のお話ではありません。誰もが間違いを犯すし、それはお釈迦様でさえも同じです」
「同じ間違いを犯した人でも、助かる人と助からない人がいます」
「お釈迦様は気まぐれで行動しているだけ。それで人の運命が決まってしまうなんて……」
結構、鋭いことをズバズバと指摘しているのです。とにかく驚きました。普段の会話で彼が口にしている言葉はほとんど幼児レベルですから、この乖離をどう考えれば良いのでしょう?
さらに驚いたのは、息子がこれを現代の「格差」の問題と結び付けて締めくくっていたところ。まずは外国の人種差別に触れ、
「日本にも見えにくいですが、差別があります。僕も世の中の問題が少しでも改善されるよう、自分に何ができるか考えてみたいと思います」
要するに息子はお釈迦様を、現代のいわゆる「上級国民」と重ねているようなのです。
あんた、そんなことを考えていたんだ。
反省しました。自閉症児は頭が悪いと思われがちですが、それは本来の姿が見えていないだけなのかも。本人は外に出すのが下手なだけで、内部では意外と論理的に物事を考えているのかもしれません(もちろん部分的に、という前提は付きますが)。私は息子のことをまだ分かっていないようです。
もちろんこの感想文。忠実にテンプレに沿った流れではないし、日本語はあっちこっちがおかしいし、誤字脱字も多いものでした。
でもこれは、息子が自力で書いたものです。変に私が手を入れるなどしない方が良いでしょう。
そんなわけで、これはあえてそのまま出すことにしました(先生が読めないとまずいので、誤字の訂正だけさせました)。
コンクールに選ばれるようなことはないでしょうが、我が家にとっては息子が初めて自分の考えを明らかにした記念碑的作品かもしれません。
いや、本当に奇跡です。コピーして取っておきたいぐらいです。
これがテンプレの刺激の結果だとしたら。やっぱりテンプレート君、ありがとうと言うべきでしょう。
文章表現が苦手な子には、最難関の宿題かもしれません。そう、読書感想文です!
定型発達の子でも作文関係を嫌うケースは少なくないそうですが、そもそも自分の考えをまとめられない発達障害児には、何をどう書かせれば良いんでしょうね?
読書に限らず、うちの息子は自分の考えというものをほとんど述べることができません。
私「あんたはどうしたい?」または「あれを見て、どう感じた?」
息子「わかんないよ~」
このやり取りを、今まで何度交わしたことか。息子がどこで引っかかっているのか、私はいまだに把握できていないのです。
このあたりはどの育児書を読んでも「正解」と呼べるものは書かれていないので、皆さまの良いアイデアがあれば教えて頂きたいです(切実)。
ただ読書感想文の宿題で言えば、学校側も毎年のことなので、「書けない」子がいることは認識しています。なので息子の学校では、あらかじめ「テンプレート」が配布されました。
きれいに印刷されたカラープリントを見て、私はぎょっとしました。これに従えば、誰でも読書感想文が書ける、というものです。
はあ、そんなものですか。「昭和」の私には、何だか隔世の感があります。
そのテンプレに従えば、手順は以下の通り。
① 本を読みながら、とにかく気になった箇所に付箋を貼る
② なぜそこが気になったのか、メモにまとめる
ここまでが下準備で、いざ本文を書き出す時は以下の要領になります。
③ なぜこの本を選んだのか
④ 簡単な本の紹介
⑤ 登場人物と自分の個人的体験との共通点を挙げる
⑥ そこで自分がどう感じたのかを書く
⑦ 読む前と読んだ後の気持ちの変化
なるほどね~と感心させられます。これを考え出した人、偉い(笑)!
私は子供時代、ほとんど⑥しか書いていなかったような気がします。書き方が分かっていたら、もっとましな内容になったかもしれないのに。
一方で、こんなにテンプレ化してしまったら、みんな似たり寄ったりの感想文が出来上がりそうだな~という気もします。夏休みが終わったら学校側で優秀作を選び、選ばれた作品は読書感想文コンクールに出すそうなのですが、大枠が決まっているなら、細かい差異の世界になってきそうじゃないですか。
気の利いた表現ができているかどうか? 子供離れした文章の完成度?
そんなの、親のヘルプ度で決まっちゃいそうじゃん……という気もしますが、まあそれはさておき。
うちのような「書けない」子には、確かにテンプレートは有難いです。
で、早速書かせてみましたよ、問題の息子に。
でもまず本が決まりません。彼は読みたい本すら自力では見つけられないのです。
とりあえず「青い鳥文庫」の中で興味が持てそうなものを本人に選ばせ、買い与えてみました。
病院犬を育てるノンフィクション物。親としてはとても良い内容だと思ったのですが、本人は途中で挫折してしまったようです。
「長いんだもん。こんなの読めないよ~」
(例のコンテスト(笑)。私も出してみたいと思いつつ、息子のような子でも読めるものをと思った途端、難しくて、なかなかアイデアをひねり出せずにいます)
息子の場合、短くて物語の把握がしやすいものの方が良いかもしれません。
夫が「じゃあ、これにしろ」と差し出したのが、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」でした。
教科書にも載っているぐらいのメジャー作品なので、ここの皆様には説明不要かもしれませんが、念のため。主人公のカンダタは悪事を働いて地獄に落とされ、苦しんでいたところ、生前に行った唯一の善行「蜘蛛の命を助けた」一件があったために、お釈迦様に極楽へ行けるチャンスを与えられます。
ところがこの、地獄に垂らされた蜘蛛の糸。カンダタが必死になって登っていたところ、他の悪人たちまでもが後から後から上ってくるではありませんか! カンダタは糸が切れるのを恐れ、「下りろ!」と叫びます。その途端、糸はぷつっと切れて、彼は再び地獄へと落ちて行きます。お釈迦様は悲しそうなお顔をされて、再び極楽の池のほとりを歩き出します……というもの。
小さい頃に絵本で読んだ人の中には、地獄の恐ろしさがトラウマになってしまったという人もいるようですが、これ元々は児童文学として書かれたものなんですね。つまり、今のうちの息子に年齢的にぴったりなはず。
でも息子の場合、これすらちゃんと読めるかどうかわかりません。とにかく例のテンプレートに従って、やらせてみます。
「じゃあ、まずは付箋を貼ってね。できたら、お母さんと一緒にメモを作ろう」
そう言うと、私は家事をするためにその場を離れました。まだまだ下準備だけでも大変そうだな~などと思いながら。
洗い物などをしながら、息子が「できた!」と言うのを待っていた私。
でもなかなか呼ばれないので、再び様子を見に行きました。
するとビックリ。何と息子はもう、本番の原稿用紙に書き出しているではありませんか!
「ちょっと待った! まだ書く準備ができてないでしょ」
私はやめさせようとしましたが、子どもは集中している時に邪魔されるのが一番いやなものです。息子は私の手を振り払って、頑固に書き続けます。
「お母さん、うるさい。あっち行って」
こういう場合、無理矢理止めるのが良くないことは経験上分かっています。息子は癇癪を起こし、原稿用紙を破いてしまうでしょう。
でもそれじゃ、何のためのテンプレートでしょうか。せめてちょっとでも、きちんとした文章を書く練習をさせたいのに。
「まずは自分の考えをまとめるのが先でしょう? 本番の紙に書くのは、最後の最後だよ」
「いいの! 僕は書きたいように書くんだもん」
仕方がありません。こうなったら、本人の意思が最優先でしょう。テンプレを無視して、滅茶苦茶な内容で出すことになりそうですが、息子の場合はそれもアリかも。
でもそう思ったそのとき。
例のテンプレが書かれたプリントに、息子の字で何か書かれているのが目に入りました。殴り書きではありますが、どうも自分なりに空欄を埋め、考えをまとめる努力はしたようです。
自分の率直な思いを書く欄に、怒りの文章が書かれているのを見て、私は愕然としました。
「……あんた、お釈迦様のことが許せないんだ……」
私が自分の子供時代にどんな感想を持ったのかは記憶にないんですが、この物語を勧善懲悪の道徳的な話として捉えていたような気がします。仲間を振るい落として、自分だけ助かろうとするカンダタの行為は良くなかった。だが生きるか死ぬかの境地に立たされた時、人は誰もがカンダタと同じような振舞いをするのではないか……といった感じ。
たぶん当時の学校の先生も、授業の中でそういう解説をしていたんじゃないでしょうか。
でも息子は、むしろ気まぐれで助けようとしたり、また助けるのをやめたりするお釈迦様の方を攻撃対象にしていました。「この物語に救世主もヒーローもいない」とぶった切り、むしろカンダタの悪事の方は、そうしなければ生きて行けなかった事情を考慮すべきだと、懸命に情状酌量を訴えています。
お前はカンダタの弁護士か!?
「これ、自分で考えたの? もしかしてユーチューバーの誰かが言ってた?」
「自分で考えたんだよ、もちろん」
本当かなあ……という疑念はありますが、確かに作者の芥川龍之介はお釈迦様への批判的なまなざしを持っていたんじゃないかという気がします(この解釈が間違っていたら、どなたかご指摘下さい)。息子も「おぼし召されたのでございましょう」などといった慇懃な文章に、むしろ嫌味を感じたようです。
「作者は仏教を否定しているとは思いません」
と、息子はおぼつかない言葉で書いていました。
「でも、すべての人を救うのが仏教であるなら、これは仏教のお話ではありません。誰もが間違いを犯すし、それはお釈迦様でさえも同じです」
「同じ間違いを犯した人でも、助かる人と助からない人がいます」
「お釈迦様は気まぐれで行動しているだけ。それで人の運命が決まってしまうなんて……」
結構、鋭いことをズバズバと指摘しているのです。とにかく驚きました。普段の会話で彼が口にしている言葉はほとんど幼児レベルですから、この乖離をどう考えれば良いのでしょう?
さらに驚いたのは、息子がこれを現代の「格差」の問題と結び付けて締めくくっていたところ。まずは外国の人種差別に触れ、
「日本にも見えにくいですが、差別があります。僕も世の中の問題が少しでも改善されるよう、自分に何ができるか考えてみたいと思います」
要するに息子はお釈迦様を、現代のいわゆる「上級国民」と重ねているようなのです。
あんた、そんなことを考えていたんだ。
反省しました。自閉症児は頭が悪いと思われがちですが、それは本来の姿が見えていないだけなのかも。本人は外に出すのが下手なだけで、内部では意外と論理的に物事を考えているのかもしれません(もちろん部分的に、という前提は付きますが)。私は息子のことをまだ分かっていないようです。
もちろんこの感想文。忠実にテンプレに沿った流れではないし、日本語はあっちこっちがおかしいし、誤字脱字も多いものでした。
でもこれは、息子が自力で書いたものです。変に私が手を入れるなどしない方が良いでしょう。
そんなわけで、これはあえてそのまま出すことにしました(先生が読めないとまずいので、誤字の訂正だけさせました)。
コンクールに選ばれるようなことはないでしょうが、我が家にとっては息子が初めて自分の考えを明らかにした記念碑的作品かもしれません。
いや、本当に奇跡です。コピーして取っておきたいぐらいです。
これがテンプレの刺激の結果だとしたら。やっぱりテンプレート君、ありがとうと言うべきでしょう。