第25話 プロジェクトXな『火天の城』

文字数 3,322文字

 歴史小説ジャンルの中で、職人や芸術家、ある技芸の達人を主人公にしてその仕事ぶりを描いたものを「芸道物」と呼ぶことがあります。山本兼一さんは、この芸道物で大きな仕事をなさった作家さんではないでしょうか。

 山本さんが50代のうちに亡くなられたのは本当に残念。今も生きていらっしゃったら、ジャンルを代表する大家と呼ばれていたかもしれないのに。
 というわけで、私の好きな歴史小説第二弾はこの作品。

 山本兼一『火天の城』

 松本清張賞受賞作です。
 だけどそういう華やかな経歴は関係ないかもしれません。
 この本をパッと手に取る人は、少なからず「信長」ファンじゃないでしょうか。彼が「天下布武」のイメージを体現するために築いた、幻の巨大城・安土城。その姿を知りたいがゆえに最初の1ページをめくるんだと思う。たぶん。

 でも実際に読み進めると、信長なんて脇役もいいところ。
 だってこれ、安土城建設の話、そのままですから!

 私は特に信長ファンというわけではなかったのですが、予想外の内容に「え~!」という感じでした。がっかりしたわけではなく、むしろその逆です。地味な職人たちの姿を、ここまでドラマチックに描けるものかと思って。
 とにかく実際に城造りを手掛けた人々の、汗と涙の物語なのです。これは時代劇ヒューマンドラマ、いや、むしろ現代物のノンフィクションに近いかもしれません。
 
 前代未聞の築城に、いかに立ち向かうか。厳しい戦国の世に生きる、名もなき人々の群像劇です。
 これがテレビ番組の「プロジェクトX」のようなんですよね。あの、中島みゆきさんの歌が脳内に流れます(笑)。
(※追記:「戦国版プロジェクトX」の例えはあちこちで使われていますが、最初に使われたのは作家の宮部みゆきさんだと後で知りました)

 さてあらすじですが、熱田の宮大工、岡部又右衛門(おかべまたえもん)と息子の以俊(もちとし)が主人公です。
 この親子に、信長直々に築城の命令が出されます。しかしこの事業、最初から苛烈極まるものでした。信長の要求は巨大であるだけでなく、これまでにない発想の城でしたから。

 材料からして、入手困難。木材、瓦、石。それぞれが巨大であり、集め、運ぶさまは地獄のようです。
 特に天守を支える、木曽の檜を川に流す描写がすごい。固唾を飲んで読み進める迫力のシーンです。

 しかもこの運搬には、多くの犠牲を伴いました。仲間の命を失い、人間性をかなぐり捨てねばならないほどの苦労です。
 ここまでして作らねばならなかった安土城って、一体何だったんでしょう?

 信長は時おり建築現場を視察には来ますが、それだけ。
 松永攻め、荒木攻めといった、他の歴史小説では根幹をなすような大事件も、ここでは噂に聞く程度の扱いです。

 職人たちは困難の中でもめげません。自分の仕事に命を賭ける姿が、崇高に描かれます。
 プロの職人と職人ですから、時にぶつかることもあります。でも、何としても良い物を作りたいという情熱は同じ。
 だからこそ成功した時、気脈を通じた時には、大きな感動が待っているんですよね。この部分に力があるので、次第に戦を描いた物語をしのぐほどの壮大なスケール感につながっていくのです。

 戦国の世ですから、忍びも暗躍します。信長と敵対する勢力からすれば、安土城の構造を示す指図(設計図)はぜひとも欲しいところ。当然、岡部親子の周辺には怪しげな人間が近づいてきますが、こんな所もスパイスとして効いています。

 岡部親子のうち、キャラクターとしては息子の以俊が印象的です。
 彼は物語冒頭、何とも頼りない青年として描かれます。奥さんはよくできた人なのに彼女には冷たく接し、下働きのセクシー美女に興奮して手を付けてる。
 こういうの、女性読者目線では噴飯ものなんですけど(笑)!

 だけど冷え切った夫婦仲が、あることをきっかけに劇的に改善していくんですね。彼が仕事の中で自信を得ていくことと無関係でないところに、すごく説得力を感じます。大工としての成長と、人間としての成長が重なっているのです。

 さてご承知の通り、安土城は現存しておりません。「蛇石(じゃいし)」伝説など、謎に包まれている部分も多いんですよね。
 でも、信長研究に欠かせない太田牛一(ぎゅういち)の『信長公記(しんちょうこうき)』や、宣教師ルイス・フロイスの記述、また現地での発掘調査などからある程度は分かっていることもあり、その説明は物語の合間にさりげなく差し込まれます。この物語には多くのフィクションが含まれますが、やはり知識重視の重厚な歴史小説だと感じます。

 さて、苦心惨憺の末に、出来上がったお城は素晴らしいものでした。最上階は金色、その下は朱色の八角堂。内部は狩野永徳の障壁画で豪華絢爛に飾られます。まさに前代未聞の、壮麗なお城です。
 本当にこんなお城があったの? と疑ってみたくなります。
 でも、あったようなんですよねえ~。
 そして、建てた人が、本当にいたんですよねえ~。

 木造のみで、地下一階、地上六階。高さ32メートル。
 信じがたいことですが、戦国時代の日本にはそれだけの建築技術があったのです。その事実に、胸がいっぱいになります。

 この本を読んだ後に「安土城を建てた人は?」と聞かれたら、「職人さん」としか答えたくなくなります。これだけの努力、これだけの血を流したのは彼らなんですから。
 主人公の岡部又右衛門が、この大きな仕事をくれた信長に感謝するシーンがあるのですが、信長は何もしてないじゃん!(いや、お金を出して命令はしたんですが)

 安土の地に、本物が残っていたら、と思わずにはいられません。

 我が家では息子が小さい頃に、家族でこの周辺を観光したことがあります。安土の駅前でレンタサイクルを借り、田圃の中の道をビューンと飛ばして城跡へ。
 緑の多い、のんびりとした所でした。

「火天の城」を読んでいて良かったと思いました。何もない山頂に、天守の輝く往時の姿を想像できましたから。

 安土山は標高こそ高くはありませんが、しっかりと「山」なので(マムシが出るそうです)、動きやすい服装、できれば登山スタイルで行くことをお勧めします。中世城郭は多くがそうですが、スカートとかヒール靴で観光できるお城じゃなかったですねえ……。
 とにかく現在は、石垣、縄張りなどを見て回る所です。

 私たちが行ったときは真夏だったので、大手道の石段を上るだけでもなかなかのきつさ。こんなに傾斜の急なところを、着物の女性たちはどうやって上り下りしていたんだろうと思いましたが、大手道は当時のメインの登城ルートではなかったそうです(裏に非公開の道があり、そっちが当時のルートだとか)。

 だけど大手道の脇に、家臣たちの居館跡があります。「羽柴秀吉邸」、「前田利家邸」などと書かれた立札を見ると、主君の城を家臣の屋敷ががっちり守っていた姿が肌で感じられます。天守や御殿の現存している近世城郭でも、周辺まで残っているものはほとんどないので、その意味でも安土は見甲斐がありました。

 セミナリヨ跡は石碑があるのみで、普通の公園となっています。でも『火天の城』のオルガンティーノとヴァリニャーノが話しているシーンが自然と頭に浮かびました。
 ここで各地より選抜された優秀な少年たちが、ラテン語や修辞学を学んだんですね。オルガンの音色が、安土の町に響いていたんですね。
 ロマンたっぷりの安土観光。今は新しい資料館などもあるそうなので、また行ってみたいです。

 というわけで、山本兼一さんの初期の代表作でした。安土城を体感させてくれるこの作品、私にとって読後何年経っても忘れられない名作です。

 ちなみに西田敏行さん主演で映画化もされていますが、そちらはお勧めできません。
 小説ファンにとって「原作は良かったのに」のパターンは珍しくありませんが、『火天の城』については特に映画にがっかりさせられるケース。映像として見せてもらえる利点はありますが、物語としては原作の良さをちっとも生かせていないと思います(またまた、ファンの方ごめんなさい)。
 長編小説をたった2時間の映画に押し込める難しさでしょうね。

 次回は、山本さんの小説をもう一つ、ご紹介したいと思います。
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