第22話 歴史小説の様式美って?
文字数 3,766文字
前回まで、オペラの世界を記事にしてみました。
素人丸出しで、よくこんな物を書いたな、と一部の方からは呆れられているかも(笑)。
だけど書いた理由は、単純にオペラが好きということだけじゃないんです。
こういう伝統芸術の世界には、ファンだけに通じる「様式美」というものがありますよね。ここを分かった上で鑑賞しないと、その作品の良し悪しはもちろん、何が面白いのかさえ分かりません。
面白くなければ、心に響くわけがありません。
「クラシック音楽なんて眠くなるだけだ~」
という人は結構います。いや、私もつまらなくて眠くなっちゃうことはあります(笑)。だけど演奏の良し悪し(そう、悪いのはたいてい聴衆じゃなくて演奏者!)はちょっと別の話になるので、ここでは置いておきますね。
様式美は、ファンじゃない人にとっては「壁」に違いないけど、逆にそこさえ分かってしまえばむしろ理解の足掛かりになると思うのです。感動のポイントが見えてくる。そうなれば世界はぐっと広がります。せっかくの素晴らしい芸術が、この世にはあるんだもの。死ぬ前に見ておきましょうよ(笑)。
今の世の中、限られた余暇の過ごし方は人それぞれだし、さらに小説をよく読む人の中でも、ジャンルはかなり細分化、蛸壺化していると感じます。
だったら「ジャンル外」の人にも分かるように、どこが面白いのかの解説があっても良いのではないでしょうか。素人の下手な解説なんて、熱烈なファンの方からお叱りを受けてしまうだけかもしれませんが、ちょっとでも門戸を開こうと思ったら、誰かが恥をかくことも必要だと思うのです。
毎度のことながら、前置きが長くなってすみません……。
私は、歴史小説にも一定の「様式美」があると思っているんです!
当たり前のことですが、歴史小説だって、小説です。まずは「人間」を描かなくてはなりません。
人間の葛藤が物語の原動力、とよく言われますよね。主人公が理不尽な命令に反発したり、ついつい欲望に駆られ、悪の道に引きずり込まれてしまったり。そういった人間臭さから始まるベクトルにこそ、読者は引き込まれます。
だから書く側は、主人公が何を思い、どんな運命を背負っていて、これから何をしたいのか。そこをしっかり見せたいものです。
そんなの今さら言われるまでもないって?
他ジャンルを書いている方は、きっとそう仰いますよね。だけど、歴史小説ってそこが前面に出にくいんですよ。説明が優先されて、心象描写が後回しにされがちなんですよ。だから主人公が何を考えているのか、はっきりしないこともしばしば。
え~っと言われそうですが、本当です。
歴史小説の分野では、説明に重きを置いた作品を良しとしてきた経緯があります。受け取るファンの方も、何よりそうした「重厚な作品」を有難がってきました。
さらに、今の歴史作家さんがインタビューなどで「初めて読む歴史小説のおすすめは?」と聞かれ、司馬遼太郎を挙げているのを目にしたことがあります。それも複数回、複数人。
やっぱり司馬先生ですか……。と、私はそのたびにため息をついています(笑)。
もちろん司馬遼太郎がジャンルを代表する大家であるのは間違いありません。圧倒的な知識で読者を魅了し、歴史小説の黄金時代を作り上げた人なので、その作家さんにとっても一番影響を受けたというのは本当のことなんでしょう。
だけど、初めて山を登ろうとする人に、いきなり槍ヶ岳登頂を勧めますかね?
私には司馬作品が、あまり初心者向けとは思えないのです。思い切った断定表現を用いて「この時代は〇〇だ!」と言い切ってしまうそのすがすがしさ(これは「司馬史観」などと呼ばれます)が世の中に受けたのだと思いますが、読む側がそれで歴史を分かった気になるのは危険なことかもしれません。
そしてエンタメ小説として読もうとすると、けっこう物語の破綻が目につきます(ファンの方、申し訳ありません。怒らないで~(笑)!)。主人公が途中でどこかへ行ってしまうこともあるし、余談に次ぐ余談というスタイルも、なかなか入り込めない部分ではないでしょうか。
読書の世界では槍ヶ岳だろうが何だろうが、遭難することはないので、いちいちケチをつける方がおかしいのかもしれません。でもやっぱり引っかかるのです。
だってアドバイス通りに難関に挑んだ人が、途中で霧に巻かれ、迷ってしまったら?
自分の体力では無理だと諦め、泣く泣く引き返してしまったら?
その人は山の魅力に目覚めるどころか、もう二度と山に登ろうとはしないかも。
このサイトには読書好きな方が多いので、周囲からおすすめ本を聞かれることがあるかもしれませんが、その答えにはなかなかの重責が伴っていると言えそうです。
とにかく歴史小説の名作が挙げられる時には、「重厚な作品」、「歴史上のエピソードを目一杯詰め込んだ作品」が出てきやすいことだけ知っておいて頂きたいです。
またこれは歴史物に限らないのですが、「安易な感情移入を許さない冷徹な描写」といったものを高く評価する傾向も一部にはあるようです。
でも読書って、心を癒してくれるものであるはず。疲れていたり、体調が悪い時にこそ、寄り添ってくれる本が欲しいですよね?
感情移入できるって、楽しく読めるって、大事なことだと思うのです。
というわけで、まずは誰でもすんなり入って楽しめる作品を挙げるべきではないでしょうか。
個人的には、司馬先生よりもう少し後の世代の作家さんをお勧めしたいです。
超有名とまではいかないかもしれないけど、そちらの方がずっと読み易く、一つのまとまった物語を楽しむことができます。心象描写と、史実に関する情報とで、うまくバランスが取れています。
まさにそれが、このジャンルの様式美だという気がするのです。
歴史小説ってここが厄介で、どちらか一方のみに偏ると、たちまち問題が起こります。
情報ばかりだと、読者は「面白くない!」と感じがち。知識欲の強い人もいるでしょうが、だったら研究書を読めば良いという話で、それが「小説」である必然性がありません。
でも情報が不足していると、説得力も不足しがち。せっかくの驚くべきエピソードも、信じてもらえなかったら意味がありません。もちろん小説ですからフィクションは交じっていますが、それだけの裏付けがあって書いている場合、できる限り出典があることを示した方が良さそうです。
また「歴史なんて興味ないし、どうでもいいよ」という人は最初から歴史小説を読みません。説明不足は、厳しい読者から「この作者、ちゃんと史実を調べたの?」と疑われるだけの結果を招きます。
質の高い歴史小説は、このバランスがよく取れています。単なる説明文に陥ることなく、セリフや情景描写の中でさりげなく「その時代」を匂わせているのです。
何よりそこに生きた人間がいます。
それがまた実在の人物である、というのは非常に大きな力だと思うのです。教科書で名前だけ知っていた、という人物が急に自分にとって身近な存在になったら、それだけで楽しいじゃありませんか。
ついでにもう一つ言わせて頂くと、
「過去の時代の話を取り上げると、それだけで男尊女卑の考えを助長することにつながりかねない」
「だから、歴史時代小説は嫌い。私は絶対に読まない」
……といった極端な意見も、今の時代には見受けられます。プロの書き手さんの文章でも、これに近い発言に接したことがあります。
もちろん人の好みや価値観はさまざまだし、他人が口をはさむことではありません。
でも、もしかしたらその方は「よく書けた」歴史時代小説を読んだことがないだけでは?
だって多くの場合、小説の作者は男尊女卑を推奨してなんかいませんし、どう読んでも時計の針を逆戻しさせようなんて魂胆は感じられません。読む前から否定するなんて、もったいない。
じゃあなぜ、現在や近未来ではなく、過去を舞台にしなくてはならないのか。
私が思うに、それは理不尽な舞台を設定しやすいからですよ。昔の方が、身分や性別や経済力で、残酷なほど差があったからですよ。
例えば、上の人間に逆らったら死ぬ、みたいな分かりやすい世の掟 。このあたりはむしろ現代物の方が、主人公の苦境を説明しにくいかもしれません。
つまり歴史物の主人公については、その一生懸命さを表現しやすいのです。これだけの厳しい条件下でも誠実に生きられるのだと、物語を通じて証明しようとする部分がその白眉かもしれません。
たとえば戦国時代。弱肉強食の、これ以上ないぐらい悲惨な時代ですよね。生きづらさの極致といった感じで、特に女性には、血なまぐさいのは苦手だから読まない! という方も少なくないんじゃないでしょうか。
だけど、そういう激しさの中だからこそ引き立つものがあるんですよ。時代の厳しさと、主人公の人間らしさが両立した作品なら、たとえ悲惨な部分があったとしても、読者は引き込まれます。
性別も関係なし。女性読者が勇ましい男性主人公の目線で読み進めることも、十分に可能です。
なので次回は、戦国期の「血沸き肉躍る」系の作品をレビューさせて頂きます。女性が読めない、なんてことは全くない。そこが伝わりますように。
素人丸出しで、よくこんな物を書いたな、と一部の方からは呆れられているかも(笑)。
だけど書いた理由は、単純にオペラが好きということだけじゃないんです。
こういう伝統芸術の世界には、ファンだけに通じる「様式美」というものがありますよね。ここを分かった上で鑑賞しないと、その作品の良し悪しはもちろん、何が面白いのかさえ分かりません。
面白くなければ、心に響くわけがありません。
「クラシック音楽なんて眠くなるだけだ~」
という人は結構います。いや、私もつまらなくて眠くなっちゃうことはあります(笑)。だけど演奏の良し悪し(そう、悪いのはたいてい聴衆じゃなくて演奏者!)はちょっと別の話になるので、ここでは置いておきますね。
様式美は、ファンじゃない人にとっては「壁」に違いないけど、逆にそこさえ分かってしまえばむしろ理解の足掛かりになると思うのです。感動のポイントが見えてくる。そうなれば世界はぐっと広がります。せっかくの素晴らしい芸術が、この世にはあるんだもの。死ぬ前に見ておきましょうよ(笑)。
今の世の中、限られた余暇の過ごし方は人それぞれだし、さらに小説をよく読む人の中でも、ジャンルはかなり細分化、蛸壺化していると感じます。
だったら「ジャンル外」の人にも分かるように、どこが面白いのかの解説があっても良いのではないでしょうか。素人の下手な解説なんて、熱烈なファンの方からお叱りを受けてしまうだけかもしれませんが、ちょっとでも門戸を開こうと思ったら、誰かが恥をかくことも必要だと思うのです。
毎度のことながら、前置きが長くなってすみません……。
私は、歴史小説にも一定の「様式美」があると思っているんです!
当たり前のことですが、歴史小説だって、小説です。まずは「人間」を描かなくてはなりません。
人間の葛藤が物語の原動力、とよく言われますよね。主人公が理不尽な命令に反発したり、ついつい欲望に駆られ、悪の道に引きずり込まれてしまったり。そういった人間臭さから始まるベクトルにこそ、読者は引き込まれます。
だから書く側は、主人公が何を思い、どんな運命を背負っていて、これから何をしたいのか。そこをしっかり見せたいものです。
そんなの今さら言われるまでもないって?
他ジャンルを書いている方は、きっとそう仰いますよね。だけど、歴史小説ってそこが前面に出にくいんですよ。説明が優先されて、心象描写が後回しにされがちなんですよ。だから主人公が何を考えているのか、はっきりしないこともしばしば。
え~っと言われそうですが、本当です。
歴史小説の分野では、説明に重きを置いた作品を良しとしてきた経緯があります。受け取るファンの方も、何よりそうした「重厚な作品」を有難がってきました。
さらに、今の歴史作家さんがインタビューなどで「初めて読む歴史小説のおすすめは?」と聞かれ、司馬遼太郎を挙げているのを目にしたことがあります。それも複数回、複数人。
やっぱり司馬先生ですか……。と、私はそのたびにため息をついています(笑)。
もちろん司馬遼太郎がジャンルを代表する大家であるのは間違いありません。圧倒的な知識で読者を魅了し、歴史小説の黄金時代を作り上げた人なので、その作家さんにとっても一番影響を受けたというのは本当のことなんでしょう。
だけど、初めて山を登ろうとする人に、いきなり槍ヶ岳登頂を勧めますかね?
私には司馬作品が、あまり初心者向けとは思えないのです。思い切った断定表現を用いて「この時代は〇〇だ!」と言い切ってしまうそのすがすがしさ(これは「司馬史観」などと呼ばれます)が世の中に受けたのだと思いますが、読む側がそれで歴史を分かった気になるのは危険なことかもしれません。
そしてエンタメ小説として読もうとすると、けっこう物語の破綻が目につきます(ファンの方、申し訳ありません。怒らないで~(笑)!)。主人公が途中でどこかへ行ってしまうこともあるし、余談に次ぐ余談というスタイルも、なかなか入り込めない部分ではないでしょうか。
読書の世界では槍ヶ岳だろうが何だろうが、遭難することはないので、いちいちケチをつける方がおかしいのかもしれません。でもやっぱり引っかかるのです。
だってアドバイス通りに難関に挑んだ人が、途中で霧に巻かれ、迷ってしまったら?
自分の体力では無理だと諦め、泣く泣く引き返してしまったら?
その人は山の魅力に目覚めるどころか、もう二度と山に登ろうとはしないかも。
このサイトには読書好きな方が多いので、周囲からおすすめ本を聞かれることがあるかもしれませんが、その答えにはなかなかの重責が伴っていると言えそうです。
とにかく歴史小説の名作が挙げられる時には、「重厚な作品」、「歴史上のエピソードを目一杯詰め込んだ作品」が出てきやすいことだけ知っておいて頂きたいです。
またこれは歴史物に限らないのですが、「安易な感情移入を許さない冷徹な描写」といったものを高く評価する傾向も一部にはあるようです。
でも読書って、心を癒してくれるものであるはず。疲れていたり、体調が悪い時にこそ、寄り添ってくれる本が欲しいですよね?
感情移入できるって、楽しく読めるって、大事なことだと思うのです。
というわけで、まずは誰でもすんなり入って楽しめる作品を挙げるべきではないでしょうか。
個人的には、司馬先生よりもう少し後の世代の作家さんをお勧めしたいです。
超有名とまではいかないかもしれないけど、そちらの方がずっと読み易く、一つのまとまった物語を楽しむことができます。心象描写と、史実に関する情報とで、うまくバランスが取れています。
まさにそれが、このジャンルの様式美だという気がするのです。
歴史小説ってここが厄介で、どちらか一方のみに偏ると、たちまち問題が起こります。
情報ばかりだと、読者は「面白くない!」と感じがち。知識欲の強い人もいるでしょうが、だったら研究書を読めば良いという話で、それが「小説」である必然性がありません。
でも情報が不足していると、説得力も不足しがち。せっかくの驚くべきエピソードも、信じてもらえなかったら意味がありません。もちろん小説ですからフィクションは交じっていますが、それだけの裏付けがあって書いている場合、できる限り出典があることを示した方が良さそうです。
また「歴史なんて興味ないし、どうでもいいよ」という人は最初から歴史小説を読みません。説明不足は、厳しい読者から「この作者、ちゃんと史実を調べたの?」と疑われるだけの結果を招きます。
質の高い歴史小説は、このバランスがよく取れています。単なる説明文に陥ることなく、セリフや情景描写の中でさりげなく「その時代」を匂わせているのです。
何よりそこに生きた人間がいます。
それがまた実在の人物である、というのは非常に大きな力だと思うのです。教科書で名前だけ知っていた、という人物が急に自分にとって身近な存在になったら、それだけで楽しいじゃありませんか。
ついでにもう一つ言わせて頂くと、
「過去の時代の話を取り上げると、それだけで男尊女卑の考えを助長することにつながりかねない」
「だから、歴史時代小説は嫌い。私は絶対に読まない」
……といった極端な意見も、今の時代には見受けられます。プロの書き手さんの文章でも、これに近い発言に接したことがあります。
もちろん人の好みや価値観はさまざまだし、他人が口をはさむことではありません。
でも、もしかしたらその方は「よく書けた」歴史時代小説を読んだことがないだけでは?
だって多くの場合、小説の作者は男尊女卑を推奨してなんかいませんし、どう読んでも時計の針を逆戻しさせようなんて魂胆は感じられません。読む前から否定するなんて、もったいない。
じゃあなぜ、現在や近未来ではなく、過去を舞台にしなくてはならないのか。
私が思うに、それは理不尽な舞台を設定しやすいからですよ。昔の方が、身分や性別や経済力で、残酷なほど差があったからですよ。
例えば、上の人間に逆らったら死ぬ、みたいな分かりやすい世の
つまり歴史物の主人公については、その一生懸命さを表現しやすいのです。これだけの厳しい条件下でも誠実に生きられるのだと、物語を通じて証明しようとする部分がその白眉かもしれません。
たとえば戦国時代。弱肉強食の、これ以上ないぐらい悲惨な時代ですよね。生きづらさの極致といった感じで、特に女性には、血なまぐさいのは苦手だから読まない! という方も少なくないんじゃないでしょうか。
だけど、そういう激しさの中だからこそ引き立つものがあるんですよ。時代の厳しさと、主人公の人間らしさが両立した作品なら、たとえ悲惨な部分があったとしても、読者は引き込まれます。
性別も関係なし。女性読者が勇ましい男性主人公の目線で読み進めることも、十分に可能です。
なので次回は、戦国期の「血沸き肉躍る」系の作品をレビューさせて頂きます。女性が読めない、なんてことは全くない。そこが伝わりますように。