第14話 鎮魂の思いとともに『綱渡りの男』
文字数 2,088文字
9.11の日を迎えると、思い出す絵本があります。
この本について、ネットの口コミでは賛否両論。極端に感想が分かれます。
そう、私も最初は「素直に感動して良いのか?」と迷ってしまったのです。でも読後感はすごく爽快。心をわしづかみにする、不思議な力のある絵本だと思います。
さて、その絵本の本質が何なのかというと。
急ですが、話は変わります。
お金になる当てもないのに、書かずにはいられない。
情熱があるとしか言いようがない。
私もそうですが、ここにいる皆さんも同じではないでしょうか。この気持ち、きっとお分かり頂けますよね?
もうお金とか名誉、じゃないんですよね。ただはじけるような気持ちがある。馬鹿げていると思っても、やめられるもんじゃありません。
ここに山があるから登る、という登山家の名言もありますが、この絵本はというと……
高い所を見たら綱渡りをせずにはいられないという、大道芸人のお話です。
ええっと思いますよね? 何でまた綱渡りなんだ!?
自分を棚上げにして、やっぱり言いたくなります。
注目を浴びるためにそんなことをするなんて、ふざけるな! 落ちたら誰がどう責任を取るんだ!
一方で主人公の熱い思いに共感している自分もいます。どっちが本当の自分なのか、分からなくなってくるんです。
うちの息子には発達障害があり、ほとんど本を読みません。でもこの絵本は例外中の例外。「図書館で借りるだけじゃ嫌だ。どうしても買って欲しい」とねだられた作品の一つです。どうも主人公の破天荒っぷりがツボだったよう。
主人公は世間から非難を浴びようとも、自分の好きなことを貫きます。こんな絵本を見ると、大人は教育的観点から「それって子供に読ませるのはどうなの?」と首を傾げてしまいがちです。
でもこの絵本、大人が選ばずとも、子供が選ぶという側面があります。そして大人も何度も読むうち、確かにと思わされてしまう。ここには、薄っぺらい道徳的メッセージを上回るほどの何かがあるのです。というわけで……
モーディカイ・ガースティン『綱渡りの男』
フランスからニューヨークへやって来た、若い大道芸人フィリップ・プティ。彼は人を楽しませるのが大好きで、特に綱渡りの芸には自信があります。高い二つの塔を見るとワクワクする癖があって、以前もノートルダム大聖堂の塔に綱を張って技を披露し、世間をお騒がせしたことがあります。
折しもニューヨークでは、二つ並んだ超高層ビルが建築中。しかも、もうすぐ完成します。
綱渡りをしたくてしたくてたまらないフィリップは、工事業者を装ってまで内部に侵入し、命綱なしで地上400メートルの綱渡りを決行するのですが……。
キャー!!
高所恐怖症の人は、この絵本、読めないかもしれません。もうやめて。それ以上、足を踏み出さないで。
そんな風に叫びたくなります。
折り込みという絵本ならではの仕掛けを使い、スリル満点の風景をばっちり表現しています。
大きく描かれたフィリップの足の下には、カモメが舞い、はるか眼下には米粒のような車や周辺の建物が。このアングルがすごい。見開きページをさらに外側に広げ、読者は大きな絵を見せられるわけですが、同時にもう見ていられないという気持ちにさせられます。
自分がそこにいるかのような迫力です。私もぞっとして鳥肌が立ちました。
この絵本も、読み聞かせ会で使ったことがあります(息子の強いリクエストにより)。
子供たちは怖がって悲鳴を上げるかと思いきや……意外や意外。張り詰めた空気の中、静かに集中してくれました。フィリップの情熱が本物であることを、子供の方が見抜いているような感じ。
「お話を楽しむのはいいけど、フィリップの真似はしないでね」という言葉が、それこそもう、私の喉元まで出かかっていましたが(笑)、すんでのところで飲み込みました。そんな野暮なことは、言わなくて良いのです。
もしもこれが、同時多発テロを正面から取り上げた暗いお話だったら。
こんなにも子供たちの興味を引かなかったんじゃないでしょうか。この本に満ち溢れているのは、ただただ突き上げるような情熱、そして自由。それが人生の喜びなのです。
テロのことは直接触れられておらず、ただ二つのビルは、今はないということだけがさらりと書かれています。この喪失感が、余韻を大きくする理由の一つです。
一切の無駄を排した言葉と、一人の大道芸人の生きざま。
フィリップのやらかしたことは罪に違いないんですが、その冒険は間違いなく、人々を笑顔にしています。やっぱり偉業だと思います。
あの日、ビルとともに砕け散った人々がいました。その一人一人に、生きる喜びというものががあったはずです。
この本が伝えてくれるのは、そこではないでしょうか。ビルがその誕生間もない時期に経験した一つの奇跡と、短く断ち切られた、それでも輝いていた多くの人生を重ね合わせているのです。
本を閉じたときに、言い知れぬ強い爽快感があります。起こってしまった悲劇を「きちんと」伝えられるのは、むしろこういう本なのかもしれません。
この本について、ネットの口コミでは賛否両論。極端に感想が分かれます。
そう、私も最初は「素直に感動して良いのか?」と迷ってしまったのです。でも読後感はすごく爽快。心をわしづかみにする、不思議な力のある絵本だと思います。
さて、その絵本の本質が何なのかというと。
急ですが、話は変わります。
お金になる当てもないのに、書かずにはいられない。
情熱があるとしか言いようがない。
私もそうですが、ここにいる皆さんも同じではないでしょうか。この気持ち、きっとお分かり頂けますよね?
もうお金とか名誉、じゃないんですよね。ただはじけるような気持ちがある。馬鹿げていると思っても、やめられるもんじゃありません。
ここに山があるから登る、という登山家の名言もありますが、この絵本はというと……
高い所を見たら綱渡りをせずにはいられないという、大道芸人のお話です。
ええっと思いますよね? 何でまた綱渡りなんだ!?
自分を棚上げにして、やっぱり言いたくなります。
注目を浴びるためにそんなことをするなんて、ふざけるな! 落ちたら誰がどう責任を取るんだ!
一方で主人公の熱い思いに共感している自分もいます。どっちが本当の自分なのか、分からなくなってくるんです。
うちの息子には発達障害があり、ほとんど本を読みません。でもこの絵本は例外中の例外。「図書館で借りるだけじゃ嫌だ。どうしても買って欲しい」とねだられた作品の一つです。どうも主人公の破天荒っぷりがツボだったよう。
主人公は世間から非難を浴びようとも、自分の好きなことを貫きます。こんな絵本を見ると、大人は教育的観点から「それって子供に読ませるのはどうなの?」と首を傾げてしまいがちです。
でもこの絵本、大人が選ばずとも、子供が選ぶという側面があります。そして大人も何度も読むうち、確かにと思わされてしまう。ここには、薄っぺらい道徳的メッセージを上回るほどの何かがあるのです。というわけで……
モーディカイ・ガースティン『綱渡りの男』
フランスからニューヨークへやって来た、若い大道芸人フィリップ・プティ。彼は人を楽しませるのが大好きで、特に綱渡りの芸には自信があります。高い二つの塔を見るとワクワクする癖があって、以前もノートルダム大聖堂の塔に綱を張って技を披露し、世間をお騒がせしたことがあります。
折しもニューヨークでは、二つ並んだ超高層ビルが建築中。しかも、もうすぐ完成します。
綱渡りをしたくてしたくてたまらないフィリップは、工事業者を装ってまで内部に侵入し、命綱なしで地上400メートルの綱渡りを決行するのですが……。
キャー!!
高所恐怖症の人は、この絵本、読めないかもしれません。もうやめて。それ以上、足を踏み出さないで。
そんな風に叫びたくなります。
折り込みという絵本ならではの仕掛けを使い、スリル満点の風景をばっちり表現しています。
大きく描かれたフィリップの足の下には、カモメが舞い、はるか眼下には米粒のような車や周辺の建物が。このアングルがすごい。見開きページをさらに外側に広げ、読者は大きな絵を見せられるわけですが、同時にもう見ていられないという気持ちにさせられます。
自分がそこにいるかのような迫力です。私もぞっとして鳥肌が立ちました。
この絵本も、読み聞かせ会で使ったことがあります(息子の強いリクエストにより)。
子供たちは怖がって悲鳴を上げるかと思いきや……意外や意外。張り詰めた空気の中、静かに集中してくれました。フィリップの情熱が本物であることを、子供の方が見抜いているような感じ。
「お話を楽しむのはいいけど、フィリップの真似はしないでね」という言葉が、それこそもう、私の喉元まで出かかっていましたが(笑)、すんでのところで飲み込みました。そんな野暮なことは、言わなくて良いのです。
もしもこれが、同時多発テロを正面から取り上げた暗いお話だったら。
こんなにも子供たちの興味を引かなかったんじゃないでしょうか。この本に満ち溢れているのは、ただただ突き上げるような情熱、そして自由。それが人生の喜びなのです。
テロのことは直接触れられておらず、ただ二つのビルは、今はないということだけがさらりと書かれています。この喪失感が、余韻を大きくする理由の一つです。
一切の無駄を排した言葉と、一人の大道芸人の生きざま。
フィリップのやらかしたことは罪に違いないんですが、その冒険は間違いなく、人々を笑顔にしています。やっぱり偉業だと思います。
あの日、ビルとともに砕け散った人々がいました。その一人一人に、生きる喜びというものががあったはずです。
この本が伝えてくれるのは、そこではないでしょうか。ビルがその誕生間もない時期に経験した一つの奇跡と、短く断ち切られた、それでも輝いていた多くの人生を重ね合わせているのです。
本を閉じたときに、言い知れぬ強い爽快感があります。起こってしまった悲劇を「きちんと」伝えられるのは、むしろこういう本なのかもしれません。