第3話 反撃コメント『蜜蜂と遠雷』

文字数 2,202文字

 せっかくクラシック音楽の話題からスタートしたので、引き続きクラシック音楽の世界ということで、音楽小説を取り上げてみます。
 ピアノコンクールに挑む若者を描いた群像劇。ご存知、恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』です。

 おいおい、のっけからそんなメジャーな作品を語るのか、とツッこまれそう……。
 だって直木賞と本屋大賞ダブル受賞ですもんね。話題になりましたもんね。

 ですが、ネットの口コミを見る限りでは、批判的意見も少なくないようなんです。特に漫画をよく読んでいる方には、人物造形に既視感があるよう(類似作品がある?)。
 またクラシック音楽に詳しく、実際にピアノコンクールに挑戦したことがある方は、現実離れした部分に違和感を覚えるよう。「こんな天才、いねーよ」みたいな声を見かけました(そうなのかもしれませんが)。

 というわけで、反撃したくなりました(笑)。
 私はこの作品で圧倒的な臨場感を覚えましたし、本の中から大迫力の音楽がこぼれ出るような気がしたのです。まさに文章で音楽を聞かせていました。小説として非常に完成度が高いと思うのです。
 それにピアノの黒鍵を思わせるような本の装丁も美しかった(単行本の場合)。カバーは大自然を思わせる華やかなデザインなのに、中身はパキッと重厚。装丁でこんな風に表現できることもあるんですね。
 というわけで、「本気で感動」できた作品はスルーしないという鉄則に基づき、取り上げさせて頂きます。

 物語は、国際的なピアノコンクールに出場する四人のコンテスタントを中心とした青春群像劇。四人それぞれに複雑な背景があって、それぞれに違う実力があって、一体誰が勝つのか、最後まで読めないストーリーになっています。
 基本的には若者の成長物語なのですが、楽曲の魅力も存分に伝え、さらにはプロのピアニストになれるかどうかというコンクールの持つ厳しい緊張感。ここを描き切っているからこその読み応えなんだと思います。

 ところでこの作品、映画の方も話題になりました。迫力ある演奏シーンでは、プロのピアニストを起用。主役はあくまでピアノでした。また雨の音、遠くで雷が鳴る様子など大自然の描写も、思うようにならない世界の大きさを表すのに効果的でした。

 俳優陣も素晴らしくて、私は特に松坂桃李さんの演技に惹かれました。年齢制限ギリギリでコンクールに挑む「明石(あかし)」という名の青年の役なのですが、負けを認めるべきなのに受け入れられない、複雑な感情の嵐。笑顔の裏に壮絶な思いをたたえたその表情が素晴らしかった。私はすっかり彼に感情移入し、映画館でボロボロ泣きました。

 そんなわけで良い点の多かった映画版ですが、私はやっぱり原作ファンだからでしょうか。音楽の背景を伝える細部がだいぶカットされていることに不満を覚えましたし、あの切り取り方では一人一人の成長を描き切れないとも思う。
 大好きな小説が映像化された時の不満。「小説好きあるある」かもしれませんね。

 でもまあ、無理はないと思う。原作を手にとってみると、膨大なページ数にぎょっとします。しかも文字の小さいこと! これだけの情報量を一本の映画に収めるのは至難の業でしょう。
 あれはあれで一つの結論なのかもしれない、とは思う。だけど先入観なしに映画を見た人は、物語の筋が見えないだろうな、とも思う。

 小説の方は無理なくまとまっていますし、読み始めると止まらないぐらい面白いです。寝る間も惜しんで読むほどです。重要なシーンの分量もちょうどいい。
 なので私としては、映画を見るぐらいなら小説の方が百倍おすすめ!
 クラシックファンならずとも、音楽の世界に浸れます。クラシックが無性に聞きたくなります。プロコフィエフ、ラフマニノフ……といった名にピンと来ない方でも、この作品を読んだらどんな曲か気になってくるはず。

 というのも、ストーリーのみならず、音楽とその演奏者を表現する文章がすばらしいのです。
 私が気に入った描写は、「マサル」という王子様のような天才青年を描く部分に特に多かったように思います。以下にちょっぴり引用させて頂きます。

「世の中には現れた瞬間にもう古典となることが決まっているものがある。スターというのはそれなんだ」
「その瞬間、彼の音とその音を生み出す彼自身に、観客が恋したのが分かった。一同魅了されるとはこういうことか。客席全体がひとつの耳になり、目になり、発情している。そしてステージの上の彼はそれに負けたり気圧されたりすることなく自然に観客の秋波を受け止め、それに応えているのだ」
「バッハはあくまで端正に、モーツアルトはその純度を最大限に」
「『王子』は突然ギアチェンジしたかのように『華麗』なモードに突入した。リストの曲の持つ『冷たい熱情』が全身にみなぎり、ダイナミックな曲想を見せつける」
「桁違いにエモーショナル」
「こともなげに繰り出される完璧なグリッサンド」
「聴衆の心をつかんだまま思うままに引きずり回すような絶妙な歌い方」
「まさにモーツァルトの、すこんと突き抜けた至上のメロディ。泥の中から純白の蕾を開いた大輪の蓮の中のごとく、なんのためらいも疑いもない、降り注ぐ光を当然のごとく両手いっぱいに受け止めるのみ」

 ……まだまだあるんですが、このぐらいにしておきます(笑)。
 この文章レベルにはなかなか到達できませんが、これを目指したいなとは思います。
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