【1・拒絶】やっぱりラスボスはパパ2

文字数 3,868文字

『バシュッッ!』

 廊下の向こうで何かが破裂したような、大きな音が響いた。

うがぁぁぁっっ!

 神崎は絶叫し、床に倒れ、痙攣……そして、動かなくなった。


 ツカツカと靴音を響かせながら誰かが廊下の向こうから近づいてきたが、逆光でシルエットしか見えない。


 手には小さな保冷ケースと、もう片方の手にはテーザー銃――射出型スタンガン――を持っていた。


 その先から放たれたワイヤーが、神崎の体に打ち込まれている。

 テーザー銃から強い電流を流し込まれた神崎は、痙攣を起こして倒れてしまった。


 神崎を撃った男は、長身痩躯を白衣に包み、細いメタルフレームの眼鏡をかけていた。

 レンズの奥にある細い切れ長の目には、くらく鋭い光が宿り、腰まである長い髪は首の後で束ねられ、動く度に左右にゆらゆらと揺れていた。


 倒れて動かなくなった神崎を一瞥すると、

フン、この程度で動けなくなるとは嘆かわしい――
 と吐き捨て、気絶して床に転がっている神崎を軽く蹴転がして仰向けにした。
この『愚弟』めが
理事長! お待ちしておりました

 メガネの職員が駆け寄って保冷ケースを受け取り、手術室に入っていった。


 つい、と指で眼鏡を上げ

この私が、手ずから作った『生体パーツ』だからな。間違いなどあり得ない
 フン、と鼻を鳴らした。
にしても……
 床で寝ている神崎の頭を、つま先で軽く小突き、大きくため息をついた。
(全く、到着早々この面倒事の山は何だ。私が始末をつけねばならんのか……)
この……能なし役立たずの愚弟め。あの国での不手際はこの際不問に付してやるが……。

――おい、ストレッチャーを持ってこい。このバカを片付けろ

はっ! た、ただいま!

 理事長と呼ばれた男の命で、背の高い職員が廊下の奥に駆けていった。


 手術室の前には、麗の両親とこの長髪の男、そして床の上の神崎が残された。

愚弟……と言われましたが、貴方は?
 目の前でいっぺんに色んな事が発生して、麗の父親は事態に理解がついていかず、すっかりおとなしくなっていた。
これはご挨拶が遅れました
 男は、麗の両親にうやうやしく礼をした。
私は、この病院の理事長と、GBI社代表取締役社長兼、最高経営責任者CEOを勤めております、神崎怜央れおと申します。――そこに無様に転がっている、神崎有人の兄です
あ……こ、この度は、む、娘がお世話になり、ありがとうございます
 麗の両親は目を丸くして、とんでもないビッグネームの登場に固まっていた。

 父親はなんとか口を開いたものの、ガチガチになってすっかり萎縮している。

 怜央は伊達眼鏡の向こうから静かにこの夫婦を観察していた。

(この男は肩書きで圧倒される一般的な市民のようだな。さっきまで怒りに我を忘れていたのに、もうおとなしくなっているとは……)
 有人はストレッチャーに乗せられ、ガラガラと処置室に連れて行かれた。
少々、愚弟の件で誤解があるようなのですが、私からご説明をさせて頂いてもよろしいでしょうか?
 怜央はそう言うと、懐からスマホを取り出した。ついつい、と白い指先で操作をして、画面を麗の両親に向ける。
どうぞ、こちらをご覧下さい

 両親が言われるまま画面を覗き込むと、そこにはつい昨日まで有人がいた小国のニュースが流れていた。


 独立したばかりのこの国を、反政府勢力のテロが襲い多数の死傷者が出たが、国防軍によって鎮圧された、という内容だった。

弟は、この国を護っていたのです。私のめいでね

 怜央は、麗の両親を相手に、プレゼンを開始した。

 弟を売り込むためのプレゼンを。

じゃあ、この間急いで帰ったのは……この、テロリストの襲撃?
お察しの通りです。この国への国際支援を水面下で行っている日本政府の意向で、我がグループでは復興再建と、周辺の武装勢力から国民を守るための治安維持業務を一手に請け負っておりました
護る……ため

PMC、正確には現在PMSCsと呼ばれていますが、単純に戦争を請け負う会社、というわけではありません。


 あくまでも各国政府からの要請によって、正規軍だけではまかないきれない警備や補給など、軍の後衛部分をバックアップするのが、我々の業務です。


 本来であれば自衛隊を派遣するべき所なのですが、国内世論や外交上の問題などもあって、思うように動けない。そこで我々、民間会社を利用することになったのです

 当たり障りなく、かつ、一般人に飲み込み易いよう、やれ警備だ、政府だ、支援だの要請だのと、あたかも戦争屋ではないのだと、怜央は易しくいい聞かせた。

 論理的思考の出来る人間なら、これで納得出来るはずだ。

そうなんですか……政府の仕事、ですか

 麗の父は視線を足元に落とした。

 自分の誤解で、娘の恋人を追い詰めてしまった罪悪感にかられていた。


 怜央は眼鏡の細いフレームを指でつい、と上げて話を続けた。

あくまでも、私達は日本政府の代行者であり、決して積極的に戦争をしに行ったわけではないのです。

 無論、武装勢力は綺麗事で済む相手ではありませんので、必然的に荒事も発生してしまいます。弟は長年、私の代わりにこの荒事に携わってきました

 怜央は、父親の手を取り、悲しげな目をしながら目の前の夫婦に対して切々と訴えた。「弟を泣く泣く戦場に送る兄」の心情を込めて。


 だが、有人が戦場に行くのは、あくまでも当人側の事情であって、わざわざ「行ってこい」と言った覚えは欠片もなかった。

 むしろ、自分の仕事の手伝いを嫌って、早々に子会社に出て行ってしまったくらいなのだから。

 それ故、有人には『GBI社副社長』と、『GSS社平社員』という二つの肩書きが存在しているのだ。

私とて実の弟に汚れ仕事を押しつけることを、快く思っているわけではありません。しかし、大きな組織を動かしていく以上、どうしても信用の出来る人物にしか頼めないこともあるのです。


 弟は不平一つ言わず、私のために身を粉にして働いてくれています。だから、せめて兄として、私は、弟が命よりも大切にしている女性を救ってやりたい。たった一人の家族である、弟の幸せを、私は護ってやりたい。


 塩野義さん、どうか、娘さんの治療を我々が継続することを、許して頂きたいのです

 弟に容赦なくスタンガンを撃つ冷血漢が、打って変わって、身内のために涙を流している。明らかに泣き落としだった。


 日頃、商売や交渉において『神技』を用いる怜央の演技は、まさに迫真だ。

 役者になったとしても、きっと名優として歴史に名を残すだろう。

わかりました……こちらこそ、どうぞ、よろしくお願いします
 麗の父親は、怜央の熱演に感動し、治療続行を快諾した。

 あとはバカな弟のしでかしたポカを回収する仕事が残っている。

 いくら父親が治療を快諾しても、大バカ弟に向かって「貴様のようなクズの嫁にはやらん」などと言われては、またクソバカ弟が暴れて、何をするかわかったものではない。

 全くもって、手間ばかりかけさせる奴だ。だが、そんなお前もまた、愛おしい。

 怜央はそう思っていた。

塩野義さんに愚弟が銃を向けてしまったことは、本来許されざる行為です。しかし、娘さんの身を案じてのこと故、どうか許してやって頂けないでしょうか……
私こそ、何を血迷ったのか、あんなことを神崎君に言ってしまって、申し訳ないことをした……こちらこそ、どうか許して欲しい
 そう言って怜央に深々と頭を下げた。

ところで、私の本業は、会社経営などではなく、我が社の基幹産業であるバイオテクノロジーの研究なのです。

 今日は、お嬢さんのために、私の造った移植用生体組織を持参しました。これで必ず良くなります。どうか安心して下さい

 怜央の本来の『神技』は、実は商売や交渉ではなく、生物を『創造』することだった。

 創造神たる彼が、臓器の「生体パーツ」を造ることなど朝飯前だったのだ。

 ひとしきり両親の説得に成功した怜央は、疲れた様子で弟の運び込まれた処置室にやってきた。

 十畳ほどの室内は殺風景で、採血や点滴用具、エコーなど最低限の機材が置いてある。

 寝台の上の有人の他に現在は誰もいない。


 こうして、自分の弟の寝顔をまじまじと見るのは、いったいどの位ぶりだろうか。最早共に暮らすこともなくなって、長い時間が経っている。

 仕事で有人をこき使うのも、塩野義に言ったとおり、他に信用出来る者がいないからだ。

 人間なんて、すぐに死んでしまう。

 だからこそ、目先の恐怖や欲望に踊らされ、とても簡単に裏切る。


 これ以上、戦場で身を磨り減らして欲しくない。

 だから営業の真似事をさせたのに。


 誰も信じられないんだ。

 だから、お前に帰って来て欲しい。

 俺だって、ホントは淋しいんだ……。

 怜央は切実に、そう思った。
おい、愚弟。起きてるか
 怜央は有人の頬を指でつついた。しかし返事はなかった。
(いつまでたっても子供みたいな顔してやがって……)
 弟の頭上からいつもの口調で語り出した。
一度しか言わないから良く聞け。


壁に穴を開けるな。病院にVTOLなんかで乗り付けるな。関係各方面への連絡が面倒極まりない。

父親は懐柔済みだ。説得が面倒だからこれ以上喧嘩を売るな。


それから……

 怜央は有人の頭を数度撫でて、耳元で優しく囁いた。
……良かったな、やっと『白猫』が見つかって

 そう言うと、怜央は白衣を翻して、静かに処置室を出て行った。



 兄の靴音が遠ざかった後、有人は狭い寝台の上で体を震わせ、ずっと啜り泣いていた。

 そして、泣き疲れて、いつのまにか、また眠っていた。

 猫のように体を丸めたまま。

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登場人物紹介

神崎有人


永遠の時を生きる人外。民族楽器演奏や作戦立案に長じる。

兄の経営するPMC「GSS社」の平社員。ネトゲが趣味。

プレゼンの腕を買われ、武器商人として中央アジアの某国に派遣される。

自身が『白猫』と呼称する、ある女性を探している。

神崎怜央


有人の兄。同じく、永遠の時を生きる男。生物科学に長じる。

多国籍企業「GBI(グリフォン・バイオロジカル・インダストリー)社」のCEO。バイオ産業を基幹に、軍事産業、民間軍事会社、海運等々手広く商いをしている。NYに本拠を置くが、日系企業である。

有人の務めるPMC「GSS(グリフォン・セキュリティ・サービス)社」はGBIの子会社。

菊地


神崎有人の直属の上司。GSS社日本支部長。

強面の外見からは想像しにくいが、面倒見の良い性格。

好きな食べ物 チョコレートパフェ

アジャッル副司令


神崎有人の赴任先の責任者。年かさのわりには好奇心が強い。

大統領一族とは因縁浅からぬ関係。国内各部族の長老にも顔が利く。

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