【1・拒絶】やっぱりラスボスはパパ2
文字数 3,868文字
『バシュッッ!』
廊下の向こうで何かが破裂したような、大きな音が響いた。
神崎は絶叫し、床に倒れ、痙攣……そして、動かなくなった。
ツカツカと靴音を響かせながら誰かが廊下の向こうから近づいてきたが、逆光でシルエットしか見えない。
手には小さな保冷ケースと、もう片方の手にはテーザー銃――射出型スタンガン――を持っていた。
その先から放たれたワイヤーが、神崎の体に打ち込まれている。
テーザー銃から強い電流を流し込まれた神崎は、痙攣を起こして倒れてしまった。
神崎を撃った男は、長身痩躯を白衣に包み、細いメタルフレームの眼鏡をかけていた。
レンズの奥にある細い切れ長の目には、昏く鋭い光が宿り、腰まである長い髪は首の後で束ねられ、動く度に左右にゆらゆらと揺れていた。
倒れて動かなくなった神崎を一瞥すると、
メガネの職員が駆け寄って保冷ケースを受け取り、手術室に入っていった。
つい、と指で眼鏡を上げ
理事長と呼ばれた男の命で、背の高い職員が廊下の奥に駆けていった。
手術室の前には、麗の両親とこの長髪の男、そして床の上の神崎が残された。
父親はなんとか口を開いたものの、ガチガチになってすっかり萎縮している。
怜央は伊達眼鏡の向こうから静かにこの夫婦を観察していた。
両親が言われるまま画面を覗き込むと、そこにはつい昨日まで有人がいた小国のニュースが流れていた。
独立したばかりのこの国を、反政府勢力のテロが襲い多数の死傷者が出たが、国防軍によって鎮圧された、という内容だった。
怜央は、麗の両親を相手に、プレゼンを開始した。
弟を売り込むためのプレゼンを。
PMC、正確には現在PMSCsと呼ばれていますが、単純に戦争を請け負う会社、というわけではありません。
あくまでも各国政府からの要請によって、正規軍だけではまかないきれない警備や補給など、軍の後衛部分をバックアップするのが、我々の業務です。
本来であれば自衛隊を派遣するべき所なのですが、国内世論や外交上の問題などもあって、思うように動けない。そこで我々、民間会社を利用することになったのです
当たり障りなく、かつ、一般人に飲み込み易いよう、やれ警備だ、政府だ、支援だの要請だのと、あたかも戦争屋ではないのだと、怜央は易しくいい聞かせた。
論理的思考の出来る人間なら、これで納得出来るはずだ。
麗の父は視線を足元に落とした。
自分の誤解で、娘の恋人を追い詰めてしまった罪悪感にかられていた。
怜央は眼鏡の細いフレームを指でつい、と上げて話を続けた。
あくまでも、私達は日本政府の代行者であり、決して積極的に戦争をしに行ったわけではないのです。
無論、武装勢力は綺麗事で済む相手ではありませんので、必然的に荒事も発生してしまいます。弟は長年、私の代わりにこの荒事に携わってきました
怜央は、父親の手を取り、悲しげな目をしながら目の前の夫婦に対して切々と訴えた。「弟を泣く泣く戦場に送る兄」の心情を込めて。
だが、有人が戦場に行くのは、あくまでも当人側の事情であって、わざわざ「行ってこい」と言った覚えは欠片もなかった。
むしろ、自分の仕事の手伝いを嫌って、早々に子会社に出て行ってしまったくらいなのだから。
それ故、有人には『GBI社副社長』と、『GSS社平社員』という二つの肩書きが存在しているのだ。
私とて実の弟に汚れ仕事を押しつけることを、快く思っているわけではありません。しかし、大きな組織を動かしていく以上、どうしても信用の出来る人物にしか頼めないこともあるのです。
弟は不平一つ言わず、私のために身を粉にして働いてくれています。だから、せめて兄として、私は、弟が命よりも大切にしている女性を救ってやりたい。たった一人の家族である、弟の幸せを、私は護ってやりたい。
塩野義さん、どうか、娘さんの治療を我々が継続することを、許して頂きたいのです
弟に容赦なくスタンガンを撃つ冷血漢が、打って変わって、身内のために涙を流している。明らかに泣き落としだった。
日頃、商売や交渉において『神技』を用いる怜央の演技は、まさに迫真だ。
役者になったとしても、きっと名優として歴史に名を残すだろう。
あとはバカな弟のしでかしたポカを回収する仕事が残っている。
いくら父親が治療を快諾しても、大バカ弟に向かって「貴様のようなクズの嫁にはやらん」などと言われては、またクソバカ弟が暴れて、何をするかわかったものではない。
全くもって、手間ばかりかけさせる奴だ。だが、そんなお前もまた、愛おしい。
怜央はそう思っていた。
ところで、私の本業は、会社経営などではなく、我が社の基幹産業であるバイオテクノロジーの研究なのです。
今日は、お嬢さんのために、私の造った移植用生体組織を持参しました。これで必ず良くなります。どうか安心して下さい
怜央の本来の『神技』は、実は商売や交渉ではなく、生物を『創造』することだった。
創造神たる彼が、臓器の「生体パーツ」を造ることなど朝飯前だったのだ。
ひとしきり両親の説得に成功した怜央は、疲れた様子で弟の運び込まれた処置室にやってきた。
十畳ほどの室内は殺風景で、採血や点滴用具、エコーなど最低限の機材が置いてある。
寝台の上の有人の他に現在は誰もいない。
こうして、自分の弟の寝顔をまじまじと見るのは、いったいどの位ぶりだろうか。最早共に暮らすこともなくなって、長い時間が経っている。
仕事で有人をこき使うのも、塩野義に言ったとおり、他に信用出来る者がいないからだ。
人間なんて、すぐに死んでしまう。
だからこそ、目先の恐怖や欲望に踊らされ、とても簡単に裏切る。
これ以上、戦場で身を磨り減らして欲しくない。
だから営業の真似事をさせたのに。
誰も信じられないんだ。
だから、お前に帰って来て欲しい。
俺だって、ホントは淋しいんだ……。
そう言うと、怜央は白衣を翻して、静かに処置室を出て行った。
兄の靴音が遠ざかった後、有人は狭い寝台の上で体を震わせ、ずっと啜り泣いていた。
そして、泣き疲れて、いつのまにか、また眠っていた。
猫のように体を丸めたまま。