【1・中の国】ネトゲさいこー☆1
文字数 4,851文字
彼女がいない事を忘れるために戦場に来て、
戦場を忘れるためにバーチャルに来る。
自分でもそれが矛盾していて、逃げ続けていることの自覚はある。
でも……。やっぱり俺は淋しかった。
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>Log in time 17:16:24
>Server No.10 : Tricorn
>Welcome back! Alphonce!
>【Home Town】
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何故神崎のような男が、こんな場所に来てまでもネットゲームに興じているのか。
それは『彼女』のいないほとんどの時間、彼はひとりぼっちで淋しかったからだ。
その捌け口を、不毛なことと重々承知の上で、彼はネットゲームに求めていた。
たとえそれが希薄な友人関係だったとしても、ネットの中でならコントラクターとしての自分を伏せ、一般人として接してもらえる。
人外としての自分を伏せ、人間として扱ってもらえる。そして、世界中どこにいても、友人と会うことが出来る。
――『そこ』にいる間だけ、彼は素の自分でいられた。だから――
神崎が、最後にネットゲームのサーバーにログインしてから、もう五日が経過した。
普段は毎日のようにプレイしているのだが、このところ急な仕事が入ってしまったためだ。
おかげで、すっかりご無沙汰になっているなあ、と神崎は淋しく思っていた。
やっと仕事が一段落ついたある日の夜、神崎は少し蒸し暑い自室のベッドの上で、自前のノートPCを開くと、キーボードを手慣れた手つきで操り、ネットゲームの複雑なログイン手続きを始めた。
回線は自社への連絡用に確保している軍事衛星の回線を、当然のようにちゃっかり拝借している。
彼は毎度毎度、この時間のかかるログイン手続きにうんざりしながらも、『故郷』の街にしばらくぶりに帰れることに、心を躍らせていた。
ユーザーIDとバスワードを入力し、ロビーサーバーへのログイン手続きをする。画面が暗転し、ワールドサーバーへの接続を開始した。
画面の真ん中で、ワールドサーバーへの接続過程を示すバーが伸びていく。
再び画面が暗転しワールドサーバーへの接続が完了すると、ひどく長い手続きを経て、ようやく彼が最後にログアウトをした場所に、プレイヤーキャラクターが出現した。
プレイヤーキャラクター=PCと略されるが、プレイヤー自身の分身となるものだ。
神崎は、自分と近い容姿の種族をPCとして使用しており、髪型もなんとなく彼と似ている。
違うのは、漆黒の瞳と濡れた鴉の羽毛のような髪ではなく、琥珀色の瞳と焦げ茶色の髪をしている点だろう。
古いゲーム故、細かいキャラクターメイクが出来ないのだ。
分身に自分を重ねたのか、表情など変わるはずもないのに、そんな風に見えてしまう。
神崎の気分がシケているのは今に始まったことでもなく四六時中のことで、これが人間だったらとっくの昔に致死量の淋しさで即死している。
みっともなくメソメソする程度でそれが済んでいるのだから、神族というものはかなりタフな精神の持ち主と言える。
画面下部、メッセージウィンドウに英文で『おかえりなさい』の文字が流れる。
ぺこりと小さく頭を下げる。
彼が画面相手に話しかける癖は昔からだった。
――画面右上端、ショートメッセージの着信を調べる。件数は0。
彼が普段親しく付き合っているプレイヤーは、現在そう多くない。
たかだか数日ログインしなかったからといって自分宛になにか連絡する輩は存在しないと彼は認識していた。
『本物の自宅は持っていないくせに、仮想空間には立派な自宅を持っている』
ふと、そんなことに気が付いて、神崎は苦笑した。
海外暮らしの多い神崎は、オフの時は概ねホテル住まいで、リアルの自宅を持っていないからだ。
どうしても保管しておきたい物は、会社のロッカーや兄の自宅に置いてある。
石造りの自宅の中では常に水が流れ、心安まるせせらぎの音が聞こえる。
民族調の落ち着いた内装の部屋には、自作の家具や、季節イベントで集めた調度品などが所狭しと並べられていた。
彼は一見雑多にも見えるこの部屋を、とてもとても気に入っていた。
癒やし効果満点の水音と、ゆったりした曲調のアコースティックギターの音が、エンドレスで部屋に流れている。
それを聞きながらくつろいでいると、神崎はいつのまにか画面をつけたまま眠ってしまう……。
仕事と仕事の合間、オフの時でさえ、神崎はなにをするでもなく、秋葉原でふらふらしているばかりだった。
旧友の神田明神に住む恵比寿さんと酒を飲んでクダを巻いたり、彼にオタク神の役目を押しつけられそうになったりしながら、猫カフェの人気猫チョコちゃんをモフモフしすぎて引っかかれたりしつつ、休暇をダラダラ過ごすのが常だった。
ふらふらしているという点では、こちらでもリアルでも、全く一緒な彼だ。
レベルを上げるでもなく、クエストやミッションを消化するでもなく、たまに誰かの手伝いをすることもあれば、街なかのため池で釣りをしたり、雑貨を作って競売に出したり、あるいは知り合いと丸一日、おしゃべりするだけの日もあった。
結局神崎有人にとって、『彼女』のいない時間はムダな時間なのだから、マジメに生きる気力などハナからありはしない。生きていること自体が惰性である。
今日は五日ぶりのログインだったので、競売に出したものの売り上げを回収し、在庫商品を追加しようと彼は思った。
多少売れ残って返品されたものもあったが、不在の間に外人プレイヤーによる価格操作のせいで相場が崩れたせいだったから、まぁ仕方がない。
競売というのは、この世界の経済の根幹ともいえる自動販売システムだ。
ただし、ネットオークションの即決価格同様、出品価格の低い順に売れていくので、意図的に相場よりも低い価格設定で出品する輩が増えると、途端に相場が崩れてしまう不愉快なシステムだ。
今日のAlphonceは、大陸一の大都市に移動することにした。
彼は居心地のいい自宅を出て、連邦の港から空飛ぶ船の定期便に乗り、大陸一の大きな街にやって来た。
この大都市の町並みは諸国と比べてもかなり近代的な造りで、進んだ文明のあることが見てとれた。
この国の領主は別の世界からやって来たという噂だが、異世界のテクノロジーで、小さな漁村をここまで大きくしたという話も漏れ聞こえてくる。
そして世界の交通、物流、経済、交流の中心となったこの国では、諸国より数多くの冒険者が集って、一緒に旅する仲間を探したり、商売をしたり、情報収集を行っていた
競売のカウンターの前で、取引履歴を見ながら彼はぼやいていた。
彼は木工系スキルで製作した武器を数点出品した後、釣り竿と餌以外はこの街で借りている仮住まいに置いて、町外れの地下通路を通って隣の島に行くことにした。
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>clock 18:11:31
>Server No.10 : Tricorn
>【North Island】
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Alphonceが、街から長い長い、コウモリだらけの地下道洞窟を通り抜けると、そこは切り立った断崖の島だった。
周囲は氷に覆われ、魔物が闊歩する、生けとし生ける者を拒絶するような場所だ。島の中心には不思議な形をした象牙のような塔がそびえ立ち、空には時折オーロラが輝き、時に吹雪いていた。
島の所々には、クジラよりも巨大な、動物の骨のような構造物が横たわって冒険者の行く手を塞ぎ、その上を、ぼろきれを丸めたような魔法生物が、奇怪なうめき声を上げながら、虚ろな目で周囲を伺っていた。
冷たい向かい風の中、Alphonceは固い雪を踏みしめながら目的の池を目指していた。
まだ太陽は天頂近くにあったはずだが、厚い雲に覆われて輪郭すら伺うことは出来ない。
手に入れたばかりの青緑色をした西方装束は、キルティングのせいか思いの外防寒効果があり、極寒のこの島の上でも比較的上半身は快適だった。
しかし、少し風通しのよい丈の短い足元は、風が巻き上げる粉雪で裾が凍り付き、湿り気を帯びて積もった雪が、靴底を通して体温を奪っていた。
所在なさげに腰からぶら下がったなまくらなレイピアは、素手で触れようものなら指先が一瞬で凍りつきそうで、いざという時に、冷え切っていてすぐに抜ける気がしない。
Alphonce自身、青緑色の西方装束は気に入っていたが、付属している〝奇妙なとんがり帽子〟だけはどうしても受け入れ難いセンスだったので、結局頭だけは普段被っている赤い鍔広帽を載せていた。
もっとも、今の自分にはこの帽子の方が遙かに似合っているし、やっぱり相応しいと思っている。この鍔広帽だけが、自分の職業を示すアイデンティティそのものだったからだ。
Alphonceは、すっかり冷え切った頬を少しでも暖めたくて、両の手のひらで顔を覆い、息をゆっくり吐いてみる。
しかし、北洋を望むこの島を通り抜ける強い風は、すぐに剥き出しになった肌の体温を奪っていく……。
――――ような気がする。
そう、気がしているだけ。
でも、気はしている。確かに。
北方からやってきた身の丈三メートルほどもある巨人たちが闊歩している横を、何食わぬ顔でAlphonceは通り過ぎる。
薄緑色の肌をした巨人が身につけているのは、冒険者の遺留品と思しきラウンドシールドを括り付けた粗末な腰ミノと、毛皮を巻き付けただけの粗末なブーツ、そして棍棒などの粗野な武器だけ。
彼等とて無駄に傷付きたくないと見えて、格上のAlphonceには手を出そうとはしない。
それはそれで有り難いことだ。
お互い面倒事は起こさないに越したことはない。
それが「ここ」であっても、リアルであっても。