【1・東シナ海上空】そして戦地へ2
文字数 3,570文字
――先方の能なし国防大臣に、至急増援要請を本社に出してもらう旨打電、そして、先んじて補充要員の選別と武器の補給リスト作成をしなければ。――
現状ですぐに動かせる、近隣国に散らばった社員のリストが必要だった彼は、神崎は首と指先をパキパキ鳴らし、スーツケースから携帯用VRゴーグルと手袋を取り出した。
手袋はシャツのポケットに詰め、ゴーグルから伸びた二本のケーブルの一方の端子をPCに接続した。
もう一方のケーブルの先は、太い針か目打ちのような形の金属で出来ており、一見したところ何に使うのか分からない。
そう呟くと、彼はハンカチを棒状に丸め口に咥えた。そして――――
するどく尖った端子の先端を、自分の延髄に、やや上方へ向けて深々と刺し込んだ。
くぐもった呻き声を上げながら激痛にもだえる神崎。
空いた手は、シートの端にツメを突き立てて握りしめている。
それ以上、食い込んだツメに力を込めれば、クッション材ごと高級シートをむしり取ってしまいそうだった。
途中、ガリっと骨をかすめる感触が、目打ちを握りしめた彼の手に伝わる。
しかし、その感触に不快感を覚える余裕など彼にはなかった。
太い針で首筋から頭部にかけて貫いているのだから。
ダイレクトに脊椎に打ち込まれた金属の目打ちは、通常の人間であれば神経を損傷して麻痺状態にするか、最悪死に至らしめる。
だが人ならぬ彼の体の中では、微弱な電気信号を発する目打ちの周囲を、神経が這い回り、密着し、擬似的な電子接続が始まっていた。
彼は体を強ばらせ、痛みに耐え、肩で息をしていた。
そして痛みがやわらいでくると、歯形がつくほど強く加えていたハンカチを吐き出し、大きく息を吸い込んで、吐いた。
彼はひどい目眩に襲われながら額にVRゴーグルをかけ、親指でくい、と少々持ち上げると、ゴーグルのスキマから手元のノートPCを覗き、キーを叩きはじめた。
画面には、本社サーバーネットワークへの接続画面が表示されている。
痛みが引いて、今度は酷い吐き気を催してきた。
日頃彼がプレイしているゲームとは比べものにならないくらい、何重にもかけられたセキュリティを次々と解除していく。
途中、吐きそうになって何度も手が止まった。
我ながら、こんな呪文のような大量のパスワードをよく覚えていられるものだ、と神崎は呆れた。
やっとのことでパスワードを打ち込む作業が終わると、本社最高セキュリティのネットワーク深部への接続が完了した。
おつかれさまの丸っこい文字と気の抜けたファンファーレが鳴っている。
彼はシャツのポケットから手袋を取り出して、両手にはめた。
はめずらいが、ぴったりと手に馴染む。
薄手のよく伸びる生地の上に、プリント基板のようなメタリックな線が幾重にも走っており、その起点となっている指先には、樹脂製のキャップがはまっていた。
この奇妙な手袋はVRゴーグルとセットになっており、仮想空間での作業を行うためのものだ。作業中、外からは空間を撫でているように見えるだろう。
本社サーバー最深部に接続後、本社の軍事衛星とのリンクを開始した。
ゴーグルに展開する大量のデータが脳にも同時に流れ込み酷いバーチャル酔いを催す。そして、強引に神経を接続した結果、脳のあらぬ場所を刺激するのか臓器にまで負荷がかかる。
このゴーグルや衛星リンクシステムは、軍事用サイボーグが、前線で衛星や膨大な軍事用サーバーとリンクするための特殊兵装である。
したがって生身の人間が使用出来るようには作られていない。
それを人外の彼が無理矢理脳神経に直接有機接続し、一時的にサーバーや衛星とリンクしている。長時間使用すれば神の身である彼とて無事では済まない。
あくまでも、非常時の奥の手なのだ。
シートのポケットをごそごそと手さぐりする。
一度つけたゴーグルを外すわけにもいかないので、手当たり次第にかき回す。
なんとか吐瀉袋を見つけると、彼はゴボゴボと腹の中身を吐き出した。
……鮮血だ。
袋の中身は、腹の中の体液と彼の真っ赤な血液だった。
ひとしきり吐き出して多少スッキリしたのか、袋の口を折り返して足元に置くと、彼はペットボトルのミネラルウォーターを二、三口含んだ。
塩気と錆びた鉄の味がする。
これでは、ミネラル――ナトリウムと鉄分――過多だな、と思いながら、くちゅくちゅと口をゆすぎ、そのままゴクリと飲み下した。
その後、半分ほど残った水も飲み干した。
神崎は、やわらかい皮の背もたれにぐっと体を預けた。
仰いだ視界には、低い天井も白い雲海も見えず、暗く無機質な電脳空間が広がるばかりだった。
神崎は、現在欧州中近東地域で配置されている、自社の全ての部隊の再編をオンライン上で始めた。
全ての地域と作戦、警備計画に最適化された編成を行うのだ。
彼が戦略級の作戦指揮を行うのは稀ではあるが、やかましいクライアントがいないぶん、気は楽だった。
ざっと確認したところ、いまのGSS社だけで現状を立て直すには、あまりにも人員が足りなかった。
しかし余所から応援を頼むには時間が足りない。
唯一潤沢なのは、武器だけだった。なにせ売るほどあるのだから。
それ故に、地道な手段だが、少しづつ少しづつ、現地の作戦に支障を来さぬように集める。
――つまり、上手に間引くしかないのだ。
数々の作戦を組み直し、現状で動いている部隊をシェイプアップし、全体から余剰人員をすこしづつかき集めていく――。
仮想空間で視覚化された部隊から、ゲームのコマのような人員を両手を使って動かすのだ。まるでオーケストラの指揮者のように。
彼がひととおりの作業を終えたのは、それから約一時間後。
肉体的にも限界だった。
何も存在しない空間を、指先でぷきゅっと押した。
ヘッドホンからクリック音が鳴る。
彼は追加で、個人用装備をいくつか調達することにした。
これは自分用だから、会社の金を使うのは憚られるので、自腹で注文することにした。
神崎は、ゴーグルを外し、ぎぃぃ、と小さな悲鳴を上げて、首根っこから勢いよくケーブルを引き抜いた。
尖った針の先には血糊がつき、首筋に血液が溢れ始めた。
彼は周囲に血が付着しないように急いで針先の血を舐め取ると、首筋をあわててハンカチで圧迫した。
仕事が終わったのを察したのか、キャビンアテンダントが飲み物のワゴンを押して近づいてきた。この航空会社も無論、関連企業のひとつである。
つまり身内だ。彼の仕事の邪魔にならぬよう、ファーストクラスを利用する他の客は、極力席を離してある。
傍らにやってきたキャビンアテンダントが、神崎の頸部を脱脂綿で消毒し、大きい絆創膏をペタリと貼り付けた。
そして、彼が足元に置いた血反吐の詰まった小袋と空のペットボトルを拾い上げ、ワゴン下部のゴミ箱に静かに収めた。
ナースも兼任しているようだ。
しかし、まったくもってイヤな機械だ。いくら自分が戦神だからって、こんな周辺機器への接続なんか、設計時に考慮されてないっつうの。
というよりも、神族って限りなくアナログな存在だったはずなのだが、一体どうしてこうなった?
あ、アイツのせいか……。クソッタレ兄貴め
しかし、神崎は返事をしなかった。
すれば、彼女の苦しみが増えるだけだから。