【4・おにぎり】死の商人だって自炊したい2
文字数 2,433文字
毎日変わり映えのしない基地の食事では、海外暮らしの長い神崎でもさすがに飽きてしまう。そこで彼は調理場の隅で自炊を始めた。
あまり本格的なものを作っていると同僚から「サボリだ」と言われかねないので、彼は日本米を取り寄せて、手軽に食べられる「おにぎり」をよく作っていた。
彼の好みでは、おかかとか梅干しも入れたいところだったが、なぜかこの基地にはツナ缶が大量に備蓄されていたので、それを主な具材にしていた。
日本の伝統的な携行食であるおにぎりは、いつでもどこでも水なしでも食べられるので非常に便利だ。
社員の携行食糧として、もっと普及させてもいいくらいだと神崎は思っていた。
気付くといつのまにか、事務所は神崎一人になっていた。
外では先日発注した浄水施設の基礎工事が始まり、重機が騒々しく地面を掘り返す度に、部屋が少し揺れた。
ふと彼は、心がコロンとエアポケットに入った気がした。そして、
ストン、とどこかに落ちたような――――。
いつも考えないようにしている『彼女』のことを、うっかり思い出してしまった。
――何十年も大遅刻をしている、彼女のことを。
その島国が。
彼女が再び地上に戻って来る場所と知ってから、彼はパリから四季の美しい極東の国に移り住み、一人でずっと待っていた。
彼女と今生で出会ったならば、いつか二人で歩きたい、そう思いつつ彼は八洲の隅々を歩いた。
そうして、彼女を連れて行きたい場所、見せてやりたい風景にいくつも出会い、絵や写真に収めていった。
米軍の船に、山ほど買った荷物を詰め込んだ。個人ではなく、あくまでも合衆国の救援物資という体で。
民間軍事会社からの差し入れでは先方も気分が悪かろう、という彼なりの配慮だった。
いつか彼女に見せたかった風景。
それが蘇ったとしても、見せるべき女性はここにはいない。
しかしムダと分かっていても、手を差し伸べずにはいられなかった。
そのことを思い出すと、彼の心は生皮を剥がされたようにヒリヒリと痛み出し、寂寥感で押しつぶされそうになる。
あの川の渡し守の案じていたとおり、彼の心は擦り切れ過ぎて、人ならぬ身でもなければとっくに発狂し、生きていくのも困難だったろう。
ふと神崎が気が付くと、目の前に副司令が立っていた。
この基地の出納役でもある副司令は、立派なヒゲを蓄えた壮年の男性で、日頃神崎と共に行動することが多かった。
今でこそ事務方ではあるが、引き締まった逞しい体は威圧感を与えるに足りる。
神崎は、あわてて手の甲で頬を拭った。
彼の鳩尾の下あたりから自己嫌悪がムクムクと湧き出した。
毎度のこととはいえ、割り切れない日もある。嫌々飲み込み、彼はヘタクソな造り笑顔で副司令に椅子を勧めた。
副司令はパイプ椅子にゆっくり腰掛けると、アルミホイルにくるまれた、机の上の大きなツナおにぎりをじっと見つめた。
神崎の握ったツナおにぎりは、黒々とした海苔で全体を被覆され、制作者当人の頭髪のように、つやつやと光っている。
大概の外国人は黒い食べ物に拒絶反応を示すのだが、副司令は好奇心の方が勝っているようだった。
きっと食べさせるまで動かないに違いない、と神崎は思った。
海苔は、海草をシート状に乾かして作ります。
こうして食品を包んだり、風味付けとして食品の上に散らしたり、食品をまとめたり装飾するのにも使われます。
いわば、香りが良くて、食べられる万能シートのようなものですね。
海苔そのものに味をつけてスナック感覚で食べる地域もあれば、ソイソースを少々つけてライスと共に食したりもします。
世界的には長粒種がメジャーですが、日本では粘りと独特の風味を持つ短粒種のジャポニカ米が食されています。
このおにぎりや、寿司のように、ライスをまとめた食品を作るには、粘りのあるジャポニカ米が適しています。
僕は、近隣国の日本食レストラン向けに卸されるものを取り寄せました。具は基地にたくさんあったツナ缶、マグロの身を油漬けにした食品です。
これをほぐして、ソイソースとマヨネーズで和えてあります。本当は具も日本風なものにしたいところですが……