【3・転院】最大の敵はパパ2

文字数 2,466文字

差し出がましいようですが……、うちの系列に獅子之宮ししのみや総合病院という大きな私立病院があります。

 そこなら彼女に、もっと高度な治療を受けさせてあげられる。どうか、その病院へ彼女を転院させては頂けないでしょうか 

獅子之宮……
 曲がりなりにも医療関係者である薬剤師の塩野義氏が、そこがどんな病院なのか知らぬはずはなかった。



 獅子之宮総合病院は、世界最高クラスの高度な医療を提供するセレブ御用達、悪く言えば金さえ積めば何でもしてくれる、と有名な病院だ。

 日本国内以外にも主要各国に展開しており、高度な医療を提供している。


 公にはされていないが、親会社のお家芸、バイオテクノロジー部門や化学薬品製造部門の強力なバックアップで、最新の高性能薬品や最先端医療を提供する。

 また世界中の戦場で培った高度な外科技術もこの病院の売りだった。

 国内外の要人も数多く利用しているため、未認可薬の使用などという些細なことは、見逃されているのが実情だった。


 ――その病院でなら、麗を救うことが出来るはずだ。

今ならまだ間に合うんです
そ、そんな高級な病院、いくら金があっても……
費用は僕が全て負担します
全て……って、君
お願いです、僕は、僕は麗さんを救いたいんです!
 神崎は立ち上がって、必死の形相で訴えた。
このまま彼女を死なせたくないんだ!
神崎君、落ち着いてくれ。私とて……同じ気持ちだ
申し訳ありません……つい
 神崎は椅子に腰掛けると、悲しげに視線を落とした。
しかし、気持ちは有り難いのだが、会ったばかりの君が、どうして娘にそこまで?
(俺は、あんた達よりも、ずっと昔からあいつと一緒なんだ。当たり前だろう……)

 自分が麗をどれだけ本気で想っているかなんて「地球が丸い事」と同レベルに当たり前なことを、今さらこの男に納得させなければならない。

 それがひどくもどかしく思えた。

 父親は渋い顔をして言った。
神崎君。確かに、麗が君を支えにしていた事は知っているし、私も感謝している。しかし、これは捨て猫を拾うのとは訳が違うんだ
 娘を救いたいが、納得出来ない形での援助は受けたくはないのだろう。
……確かにそう、麗さんは捨て猫とは違う。でも、僕には彼女を救える可能性がある

 神崎は、床に置いていた二つの金属製のスーツケースをテーブルの上に、ドンッドン、と置いた。

 病院の安物のテーブルは、スーツケースの重みに一瞬たわんだ。

こんなことは、本来の僕の主義には反するのですが……
 そう言いながら神崎は、バチン、バチン、とロックを外し、スーツケースの蓋を二つ同時に開けた。
どうかこれで、僕の誠意を信じて頂けないでしょうか……
! こ、これは…………

 麗の両親は、目を丸くして驚いた。


 スーツケースの中身は、びっしりと詰まった新札の日本円だったのだ。

 エレガントな方法ではないが、時間が惜しく、手段を選んではいられなかった。

日本円で二億円あります。中身を改めて下さい。当座はこれで間に合うと思います
 見たこともないような金を目の当たりにした父親は、息を飲み神崎の顔を見た。
僕には使い道のない金です。彼女のためなら、僕の財産を全て差し出したっていい

 神崎は、そう淡々と答えた。


 下衆な方法ではあるが、相手が交渉を渋る場合、現ナマを突きつけるのは定石だ。

 金で釣るもよし、身の証にするもよし、とかく大量の現金というものは、見せつけるだけでも威力がある。

一体君は……

 父親はそのとき、神崎の澄んだ目に、一瞬痛いほどの苦悩を見た。


 神崎は唇を噛み、目を閉じて深呼吸をひとつ。

 そして父親を悲壮な目で見つめ返して、

彼女は、長い時間ずっと探し求めていた、僕の――

 そのとき神崎の言葉を遮るように、彼の携帯が鳴った。

 すみません、と言って両親に背中を向けて電話に出る。


 ……どうせ自分にかけてくる奴なんて仕事の関係者だろう、神崎はそう思った。

yes...
 数十秒の英語でのやりとりの後、彼は急に声を荒ららげた。
死んだ?

 思わず日本語で怒鳴ってしまい、慌てて英語で言い直した。


 背後から不安そうに麗の父が顔を覗かせる。

何かあったのかね?
 神崎は軽く頭を下げて、英語で二、三言話すと電話を切った。
すみません、仕事先で大きな事故が発生しました……。

話の途中で申し訳ありませんが、僕はすぐに戻らなければなりません

事故は、かなり深刻な状況なんだね?
ええ。死者が多数出ています。急いで戻らなければ。申し訳ありません、塩野義さん

 病院にヘリのローター音が近づいてきた。

 神崎が傍らの窓から見ると、GSS社東京支社所有の、真っ白なヘリだった。彼を迎えに来たのだ。


 慌てて身支度をする神崎に、麗の母親が言った。

あの、神崎さん、せめて麗に顔を見せてやってくれませんか。お別れを……
いえ、このまま失礼します。彼女には後ほど連絡しますので
 彼は深々と両親に頭を下げると、父親に病院の電話番号を書いた名刺を手渡した。
転院の件、どうか本気で考えて下さい。先方に僕の名前を出してもらえれば、全て手続きが取れるようにしますから……では
 言い終わると同時に、神崎はトランク二つと塩野義夫妻を残して駆け出した。

 病院の正面に出ると、駐車場にヘリが待機していた。

 回転し続けるローターは周囲に騒音と強い熱風を撒き散らし、紙くずを宙に舞い上げている。

 真っ白なボディには、青と金のラインが入り、GSS社のロゴとグリフォンのエンブレムが描かれている。


 神崎はふと、気配を感じて病棟の方に振り向いた。

 三階の病室の窓から、カーテンに手を掛けたうららがこちらをじっと見ている。

 彼女の訴えるような視線は、神崎の胸をキリキリと締め上げた。

……ごめん

 麗は悲しげに神崎を見ると、小さく頭を左右に振った。

 彼は唇を噛み、彼女に背を向けてヘリに駆け寄った。

 機体の前では待機した、GSSのロゴ入りジャンパーを着た東京支社の社員がドアを開け、インカムを持って彼を待ち受けていた。

すぐ戻るから……
 そう小さく呟くと、神崎は断腸の思いでヘリに乗り込んだ。
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登場人物紹介

神崎有人


永遠の時を生きる人外。民族楽器演奏や作戦立案に長じる。

兄の経営するPMC「GSS社」の平社員。ネトゲが趣味。

プレゼンの腕を買われ、武器商人として中央アジアの某国に派遣される。

自身が『白猫』と呼称する、ある女性を探している。

神崎怜央


有人の兄。同じく、永遠の時を生きる男。生物科学に長じる。

多国籍企業「GBI(グリフォン・バイオロジカル・インダストリー)社」のCEO。バイオ産業を基幹に、軍事産業、民間軍事会社、海運等々手広く商いをしている。NYに本拠を置くが、日系企業である。

有人の務めるPMC「GSS(グリフォン・セキュリティ・サービス)社」はGBIの子会社。

菊地


神崎有人の直属の上司。GSS社日本支部長。

強面の外見からは想像しにくいが、面倒見の良い性格。

好きな食べ物 チョコレートパフェ

アジャッル副司令


神崎有人の赴任先の責任者。年かさのわりには好奇心が強い。

大統領一族とは因縁浅からぬ関係。国内各部族の長老にも顔が利く。

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