【1・絵本】何度でも巡り会うもの1
文字数 2,288文字
『――俺はずっと待っている。それが君との約束だから』
そんな自分は、百万回君を待つ猫、
永久の時間を、待ち続ける野良猫。
広く明るい店内には、早朝なせいか彼の他に客はなく、店員たちが今朝方届いたばかりの本の梱包を解き、そこかしこで陳列作業に勤しんでいた。
彼が絵本をキャッシャーに差し出したので、レジ係の女性は『子供への手土産』だと思ったのだろう。
青年――神崎有人は、中東カタールのドーハ国際空港行き直行便を待つ合間に、とある絵本を購入しているところだった。
それは、過去何度も何度も無くしては買い直している、彼にとって特別な絵本だった。
神崎の本業は、後発の日系民間軍事会社・GSS社のコントラクター。
――通りのよい名称で言うならば『傭兵』だ。
彼は黒のスーツに黒ネクタイ、よく手入れのされた黒の革靴、手にはサムソナイト製のアルミのスーツケースを携え、まるでMIBかSPのような出で立ちだ。
背筋がピンと伸びているせいか、周囲を歩いているくたびれたビジネスマンたちよりも余程見栄えがいい。
一見スマートだが、鍛えられた筋肉質の体が、彼が少し動く度に生地の起伏を通して見え隠れする。身なりだけは『ビジネスマン』だが、彼の中性的な面立ちからは『企業戦士』という雰囲気は微塵も感じられなかった。
GSS社一の器用貧乏な平社員、神崎有人の肩書きは、派遣される度に違う。
ボディーガード、外科医、戦闘機パイロット、指揮、そして戦略アドバイザー。
そんな彼の「今回の」肩書きは、GSS社の新規部門、
『ミリタリー・コンシェルジュ・サービス部(MCS) 中東支部長』
そう名刺に書いてあった。
店内では、雑誌の陳列をする者、文芸書の新刊に手書きポップを添える者、コミックスを平積みしていく者、とめいめいに担当箇所の販売準備を忙しそうに行っている。
店頭には海外からの旅行者向けに折り紙や日本食、着物の着付けなど、日本の文化を外国語で解説したギフトブックが、千代紙や手まり等と一緒に綺麗に飾り付けられていた。
財布から百ドル札を出した後で、ふと、店頭に陳列されたカラフルな折り紙の教本が神崎の視界に入った。
彼は赴任先で子供に乞われ、色んなものを折ったことを思い出した。
声を掛けられて我にかえった神崎は、レジ係の女性に向けて照れ隠しの苦笑いを浮かべると、手にしたままの紙幣を慌てて皮張りのキャッシュトレーに置いた。
が、その直後、彼はとあることに気が付く。
神崎は小首を傾げつつ彼女に訊いてみたが――。結果はアウトだった。
レジ係の女性がカウンター越しに深々と頭を下げる。
ゆるいウェーブのかかったセミロングの茶色い髪が、濃紺の制服の上にはらりとこぼれた。
神崎はひどく申し訳なさそうに百ドル紙幣を財布に戻すと、今度は、これなら使えますか? と、財布から金属製のクレジットカードを引っ張り出した。触れると指先に冷たい感触が伝わる。
神崎は、そんな間抜けな事を漠然と考えつつ、古代の将軍が人物がプリントされた、チタン製の薄い金属片を、キャッシュトレーの上にパチリ、と置いた。
彼が差し出したカードを目の当たりにして、一瞬女性の表情が怯んだように見えた。
しかし、
と、彼女は自分の職務を全うせんと平静を装い、機械的に決済用端末のボタンをいくつか押し、スリットにカードを通した。
神崎は内心ひやひやしながら、端末の液晶画面に映る『決済完了』の表示を待っていた。たまにこのチタン製カードの使えない端末があるからだ。
都市伝説的に『限度額のないカード』と語られる事も多いが、実際には顧客毎の決済能力に応じた限度額がこのカードには設定されている。
神崎青年の決済能力は、一括払いで戦車や戦闘機が軽く買えるような限りなく青天井に近い金額だが、実際のところは普段財布代わりに使われる程度だった。
十数年前の今日、『三月十一日』に、このカードを使って一度だけ、一千万ドルという桁違いに大きな買い物をしたことを除いては。