【4・二つ名はイージス】全ては帰国のため2
文字数 3,478文字
神崎は、自らが悪魔の道具と呼んだ大きな操作パネルを前に、どっかと椅子に座った。
指と首をコキコキと鳴らし、丸めたハンカチを咥えると、右手でケーブルに繋がった太く長い金属製の針を首の後に突き立て、ズブズブと差し込み始めた。
彼が先日、旅客機の中で使ったものよりもさらに太く、らせん状に溝が切られている。
彼はくぐもった悲鳴を上げ、軍事サイボーグ用接続端子を延髄にねじ込んでいった。
オペレーションルームの中にいた全員が、そのおぞましい光景に凍り付いている。中には嘔吐するものまでいた。
針を差し込み終えると、神崎はしばらく苦しそうに肩で息をし、ゴーグルを下げた。
グレッグは吐き捨てるように言うと、神崎の襟元に零れた血を拭ってやった。
神崎は、接続端子との有機接続を確認すると、激しいバーチャル酔いに耐えながら、本社サーバーや軍事衛星への接続シークエンスを開始した。
ゴーグル内の視界には、専用サーバーへのログイン画面が表示されていた。
彼は仮想空間のキーボードを叩き、IDを入力した。
市販ノートPCではなく、本物の軍事用制御卓では、物理キーボードを使用する必要はないのだ。
それは神崎の二つ名、ゼウスが娘アテナに授けたと言われる、最強の盾のことだ。
サーバーへのログインが完了し、GSS社の所有する数十基の軍事衛星とのリンクが開始された。
視界には次々と衛星と本社サーバーから送られてくる膨大な情報が展開していった。
車両を始め、小隊の一人一人が装備するGPS、リアルタイムの地形・気象情報、敵部隊の配置等々、一人の人間が扱う量を遙かに凌駕した情報が、無遠慮に流れてくる。
神崎は並列処理用のAIを起動させ、次々と方面ごとにひもつけをしていく。
AIたちは、いわば神崎のクローン、手足となって働く部下たちだ。
「超高速並列分散型」と名にあるのは、このAIたちがあってこそだった。
彼の使う、この制御卓の使用限界は六十分だ。
神崎は、国内に展開した百近くに及ぶGSS社の全小隊とリンクし、索敵データを送りながらリアルタイムで指揮を開始した。
眼前の暗がりに浮かぶ地図上に、敵部隊と自軍の位置が光点で表示されている。
元々散発的な攻撃ばかり繰り返していたテロリスト共に、統制の取れた行動は望むべくもない。不意打ちや騙し討ちで、自分たちや国軍を翻弄してきただけだ。
一方、最新鋭の武器を携え、兵士一人一人に至るまで全ての部隊が有機的に結合し、的確に行動している、ハイテク部隊のGSS社武装警備員たちとでは、格が違いすぎる。数さえまとまれば、敵を国外に追い返すことも不可能ではない。
神崎は、その『数』が揃うのを、ずっと待っていたのだ。
日々、不利な状況に翻弄されながら。
――――今度は、彼のターンなのだ。
空を叩き、払って、爪弾いていく。
これほどの数の小隊を一人で制御する様は、まさにオーケストラを前にした指揮者だった。
高速処理された情報をリアルタイムで共有するGSS社の部隊は、衛星軌道上からのバックアップを受けながら相互に補完しつつ確実に敵を殲滅していった。
有機的に絡み合って動いていく彼等に死角はなく、何倍ものポテンシャルを発揮し敵を蹴散らしている。
神崎の顔に汗が浮かび、鼻血が流れ始めた。
唇を噛みしめながら、残された時間を通常の数百倍にも駆使して情報を送り続けている。体への負荷が益々大きくなり、呼吸が浅くなっていった。
時間を越えて使えば、待っているのは精神崩壊だ。
GSSの部隊は、敵の拠点を数カ所壊滅させ、国境線から大きく後退させた。手の空いた部隊を敵の多い地域へ、次から次へと投入していく。
そして、安全が確保された所から、各方面へ補給物資の輸送も開始した。
複数の衛星とリンクした、神崎の操る軍の圧倒的火力と寸分違わぬ正確な攻撃に、敵は瞬く間になし崩しになっていった。
見た目だけなら、細かいグラフィックのストラテジーゲームだ。
しかし、そこで動いているコマは、本物の人間、車両、部隊だ。光点が消えれば、命が消えたのと同じ。
仮想空間にありながら、全てはリアルなのだ。
こんなリアリティのない戦争などに、何の意味があるのか。
造り物の兵士があらゆるものを破壊する世界。それこそ、全てが茶番になってしまうじゃないか。
だから神崎は、兄の進める軍事サイボーグのプロジェクトが不愉快でたまらないのだ。
猛烈なスピードで、残り時間を示すカウンターが回る。
神崎は自分の精神と引き替えに、更に部隊への指示スピードを加速させていく。
彼は、最後の最後に敵本拠地を見つけ出した。
周辺の詳細情報を取得、逃走中の大統領の甥を発見、拘束のための部隊を差し向けようとしたが、手空きの部隊は一つもなかったところで、タイムアップとなってしまった。
神崎は叫び、制御卓を叩いた。
制御卓の天板に零れた鮮血が、両の拳で弾かれて周囲に飛び散った。
神崎のシャツも赤い飛沫を浴び、ゴーグルや頬には血で描いた筋が幾重も流れていた。
神崎は、血飛沫を撒き散らしながら、一斉に衛星リンクをシャットダウンし、ログアウトを開始した。
全てが終わり、数分ほど放心状態になっていた神崎が、我にかえりゴーグルを外すと、目の前と足元が血の海となっていた。
未だ精神へのダメージが回復していないせいか、意識が混濁している。
自分の衣服も、あちこち毒々しい飛沫模様が描かれ、操作パネルも真っ赤に染まり所々血糊が乾き始めていた。
自分の吐瀉物と分かっているが、あんまりなビジュアルだ。
一応機械だし、スキマから血が入って壊れたりしないだろうか、と少々不安になった。
彼はグラブを外し、目を閉じて大きく息を吸い込んだ。
そして意を決して首の後の端子をひと思いに引き抜くと、鋭く尖った端子を投げ捨てた。
針に纏わり付いた己の神経を引きちぎったのだから、ただ抜くより何倍もの激痛が走る。痛みは激しいが、おかげで混濁していた意識が少しハッキリしてきた。
すでに痛みすら感じていなかった、太股に突き立てられたままのナイフも引き抜かれ、甲高い金属音をたてて床にうち捨てられた。
意識がはっきりしてきたためか、痛みが強くなってきた。
恐らく、鈍化していた感覚が戻ってきたのだろう。
グレッグはオペレーター席へと去っていった。
椅子の上で神崎がぐったりしていると、レイコが黙って首筋と太股の処置を始めた。