【2・麗のお願い】転院しよう。生きるために。1
文字数 2,747文字
来日後、神崎は早速麗の転院を進めようと思っていたのだが、あいにく彼女の父親が出張中だという。
既にGBI社系列の総合病院を手配済みだが、勝手に娘を転院させたとあっては、麗のパパ上に怒られてしまう。婿失格となっては本末転倒だ。
結局、パパ上が東京に戻ってくる週末まで、会合の予定がずれこむことになった。その間、検査のある日を除き、麗とドライブを楽しむ日々が続いていた
何年も入院生活をしている麗は観光はおろか、都内ですらほとんど出歩いたことがないという。
彼女がこんなことになっているなら、諦めたりせず、探し続けていれば良かった。まったく、自分はなんてクソッタレ野郎だ、と神崎は自分を責めた。
ここ数日神崎は、はとバスの運転手よろしく東京スカイツリーだの、レインボーブリッジだの、浅草だのと、都内の名所を案内していた。
稀に、海外からのVIPのお忍び旅行の警護をすることがあり、一緒に観光地を巡ったことを思い出す。
車は彼女のためにわざわざ購入した、静音性の高いセダンだった。
もちろん、彼女とのドライブデートで楽しい語らいをするためである。
彼女が元気になったら、もっといろんな場所に連れて行こう。
この国に初めてやって来たときから思ってきたことを実行したい、そんなことをずっと考えていた。
それほど珍しい場所でもなかろうに、と思いつつ、それでも自分の傍らで無邪気に喜ぶ彼女を見ていると、今までの、血を吐くような苦しさと、空白の時間を忘れることが出来た。
やはり、自分はこのために生きているのだと、神崎は素直に感じられた。
喉元過ぎれば……じゃないが、結構自分は現金な奴だなぁ、とも。
この日もどこか観光に連れていこうと、病院の駐車場で神崎はカーナビと相談をしていた。
とりあえず、おおざっぱに「道を星から聞いた」ので、今日のコースを設定して、病院の駐車場からゆっくりと車道に出た。
どういうわけか、昨日いつのまにやら約束をさせられていた。
もっとも、金銭的に済むことであれば、自分の財力でほとんどの願いは叶えられるはずだから、と神崎はあまり心配はしていなかった。
いきなり衝撃的な発言をされたので、神崎は思わず変な方向にハンドルを切ってしまった。慌てて車の方向を立て直す。
麗は大真面目な顔で、バックミラー越しに神崎の顔を見た。
神崎は横目で麗の真剣な表情を見て、彼女の気持ちが『覚悟完了』である事を悟った。
過去、何度も彼女の夫であった自分が、その都度彼女の最初の相手となれるのは、気持ちとしては至極当たり前で、悦びだった。
逆に、稀に誰かのお手つきだった場合には、独占欲の強い彼は、しばらくヘコんでいることもあった。
だからといって彼女への愛情が変わるわけではなかったが。
今回ばかりは、事情が大幅に違っていた。
恋い焦がれ合う上で、求め合う結果ではなく、彼女には別の意図が隠れている。
納得のいかない『お願い』は、いくら恋人とはいえ、イヤと言うときは言う。
またヘンなことを言われても困るので、神崎は車を路肩に停車させた。
そう、明るく答えた。
下の句に、『だからなに?』とでも続きそうな言い方だった。
余命宣告はされていないはずだったが、やはり彼女は己の死期を悟っていたのだ。
そうだ。そのために自分は帰ってきたんだ。
あの病院に入院している限りは、死ぬまでの時間をほんの少し遅らせるだけだが、うちの系列病院に入れて、万策を尽くせば、必ず助かる。
いや、助けてみせる。だから――。
ここではぐらかす理由もないため、ストレートな麗に、そのままストレートに返す。
無論その余命宣告が覆ることは自分の中では確定事項だったが、不確定な現状では、麗にはまだ言えない。彼女のロストバージンを思いとどまらせるために、無理に未定の情報をねじ込むことが得策とも思えないのだ。
どうせ遅かれ早かれ、そういう間柄になるのは昔から確定しているのだから。
そう語る麗は、何故かとても楽しそうだ。
知識欲が、生きる糧そのもののようだった。
麗の言うとおりだった。
短い生涯を終えるネズミでさえ自分が短命であることなど知りはしない。
生き物は皆、自分の中の時計でしか、時間を計ることなど出来ないのだから。
永久の時間を生きていると、つい忘れてしまう。