エピローグ【永遠・Eternity】おかえり俺の白猫 2
文字数 3,109文字
で、私ね、そのうち死んじゃうの。またすぐにお別れなんだって
麗はまるで人ごとのように、淡々と言った。
青山のカフェで己の死期について語ったときと同じ口ぶりだ。
え? ……だって手術したじゃないか……なんで? どうして!
うろたえ震える有人とは対照的に、麗は淡々と語った。
お兄さんは、わたしに残った時間を教えてくれた。
わたしは、それをとても長い時間だと思った。
でもお兄さんは、『あいつにとっては、とても短い、一瞬にも等しい時間だ』って言ってた……
有人は息を飲んだ。彼女は、どこまで知っているのか――
麗は掛け布団をめくって、ベッドの上にぺたりと座り込んだ。
そして、点滴チューブの繋がったままの手で、有人の手を取り胸に抱いた。
患者服を一枚纏っただけの彼女の体温が、心臓の鼓動が、じわりと彼の手に伝わる。
小鳥のように首を傾げ、麗は言った。
彼は、もう片方の手を添えて、麗の手を握った。
ねえ、またって? またって何だ? ちゃんと答えてくれ。もしかして、君は――
二十年しか一緒にいられないけど、そしたら、またずっと待つの?
――麗が自分の目を真っ直ぐに見つめている。分かってるんだね、何もかも――
……ああ。君が冥府に行ったら、いつもどおり、待ってる
麗の表情が曇った。
自分に待たれるのがイヤなのだろうか?
有人は不思議だった。
自分は、あくまでも彼女との約束を果たしているだけなのに、と。
待つのってすごく寂しくて、悲しいよね? イヤだよね? ね?
うっ……。それは…………えっと……………………すいません
図星だった。
麗と自分は、あの世界で共に長時間過ごした仲だ。
気を紛らわせるために仮想空間に入り浸っていたことくらい、彼女には、まるっとお見通しなのである。
どうして貴方が苦しんでいるのを見て、傷つく人がいることに気が付かないの?
いるよ! ……わたし、お兄さんに聞くまで知らなかった。ほんの一瞬のために、大事な人を何千年も苦しませ続けてたなんて……。
そんな残酷なこと、私、耐えられない!
でも俺……約束したから……待ってるって。急にそんなこと言われても……
じゃあ、どうして今まで私に『同じ時を生きてくれ』って言えなかったの?
そんな業の深いこと言えるわけないだろ? 俺のために『転化』してくれなんて……
少なくとも己の正義において、自分のわがままで『人間』に神族への『転化』を求めるということは、許されないと思っていた。
それ故、今のいままで苦悩していたのだ。
業とか倫理なんかどうでもいい! 有人は、ホントはどうしたいの?
『俺は、白猫と、いつまでも一緒にいていいのか?
あの「猫」でさえ、白猫に、ずっと一緒にいたいって言えなかったのに――』
お……俺は…………、君と……麗とずっと一緒に……いたい! 一緒にいて欲しい!
麗は、ベッド脇のワゴンの引き出しをガラッと開けると、中から一本のアンプルを取り出し、封を威勢良くパキッと折った。
そして、細いアンプル用のストローを差し込んだ。
え? なに? お願いってナニ? いきなりそんなの出してどうしたの? ねえ、麗
そう言って、麗はアンプルの中の液体を、
『じゅるるるるるるる――――――っ』
と、一気に飲んだ。
(飲むと悲しくならないドリンク? なら俺が飲むんじゃ? 意味がわからない……)
麗は、空のアンプルをぷらぷらと振りながら、ドアの方に向かって言った。そして、満面の笑みでダブルピース。
有人はイヤな予感がした。ぐるっと振り向くと、ドアの隙間から兄の怜央が覗き込んでいる。
ぐっと親指を立てて、麗にサインを送っていた。
お、おま! 兄貴! テメエ麗に何を飲ませたんだ! 言ってみろ!
有人は、椅子をひっくり返しつつ勢いよく立ち上がると、戸口でニヤニヤしている兄の前に駆け寄った。
だが、怜央はすんでの所でドアをピシャッと閉めると、全速力で廊下を駆けて逃げていった。
有人は頭をぽりぽりと掻きながら、床に転がした椅子を直して座った。
また、ぎしりと軋む。
よく見ると、椅子はかなり錆びていた。
(あ……ああ、ああああああああああああああああ、あの野郎!)
ネクタルとは神の飲み物である。
人がそれを口にすれば、神族へと転化してしまうのだ。
ハメやがったな! あのド腐れインテリメガネめが! うーちゃん、すぐゲーしなさい! のんじゃだめ! それ吐いて! すぐ吐いて! 神サマになっちゃうからダメ!
有人が麗をつかまえてネクタルを吐かせようとすると、麗はすかさず布団にもぐりこみ、ぐるぐると体を巻き込んだ。
ヤダーヤダヤダヤダヤダ! もう決めちゃったんだから! あはははっ、これで神サマになって、有人さんと一生一緒にいてやるんだから――っ、あははははははっ
おでんの具のように布団から足だけはみ出させ、足先をパタパタする麗。
こら、出てきなさい! ああもう! 二人して俺をハメて! クソッタレめ!
お兄さんも私も有人さんの泣き顔なんか見たくないんだから! この愛され小僧め!
何でまた来るんだよ! ふざけんなよ兄貴! 心配されてるなんて聞いてないぞ!
貴様が気付かなかっただけだ、バカ者め。今度はもう手放すんじゃないぞ
再び怜央はピシャっとドアを閉めて走り去っていった。
ぶすっとしたまま兄を見送ると、背後から麗が首に抱きついてきた。
どうかな。……そんなの、どうでもいいじゃないか。これからずっと一緒なんだから
有人は、麗を背中から一旦剥がすと、正面から彼女を抱きすくめた。
ああ。そうだよ。
俺はもう、あの渡し守に遭うことはないんだ
あとでゆっくり話してやるよ。時間はいくらでもあるんだから……
『――俺は白猫を二度と手放さない』
自分は、白猫のために生きる猫、
永久の時間を亘る、名も無き猫。
そして白猫は、猫が寂しがらないように、共に生きることを選んだ。
(了)
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