【1・絵本】何度でも巡り会うもの2

文字数 1,885文字

 神崎がチェックインカウンターに到着すると、すでに幾本かの行列が出来ていた。

 広い空港ロビーの中にずらりと並んだ航空会社のカウンターは、早朝だというのにフル稼働している。いまは盆暮れでも連休中でもないので、思いのほか混み合ってはいないようだ。

 毎度のことながら、神崎は日本に帰ってきてこういう光景を見ると、『やっぱり日本人は行列が上手だなぁ』と感じてしまう。
(これなら、余り待たされることもないだろうな……)
 神崎はパスポートと航空券をスーツケースから取り出して、おとなしく順番待ちの列の最後尾に並んだ。すると、航空会社の職員から場内アナウンスが。
現在関東周辺の気流が悪く、天候回復を待っているため到着が遅れております
 こうしてすぐに説明をしてくれる几帳面なところも『やっぱり日本的だな』と神崎は思いつつ、自分も日本の商社マンとしてこれから『日本的なサービス』を提供する立場なのだから、見習わなければいけないのかな、と漠然と感じていた。
(ま、今回はそれほどく旅でもなし、気楽に行くさ)

 手続きを終えた神崎は、出国ロビーのベンチでのんびりくつろいでいた。

 現に今回は単独での後方支援業務なので、普段ほどきっちり到着時間を決められていなかったのだ。


 ベンチに腰掛た彼の周囲には、搭乗前の腹ごしらえに売店で買ったおにぎりをむさぼるサラリーマンもいた。

 それを見た神崎は、先日海外で食べた、長粒種のインディカ米をムリヤリ圧縮して作られた、残念この上ないおにぎりを思い出し、一人苦笑した。

 彼の荷物は、アルミのスーツケースが一つきり。

 中身は愛用しているノートPCと書類、ゲーム用コントローラー、それと当座の身の回りの品が少々。


 長期の海外滞在にしてはあまりにも身軽な旅支度だったが、仕事で必要なものは、それがたとえ礼服一式だったとしても全て現地で買い揃え、現地で処分するのが彼の常だった。

 飛行機が到着するまでの間ヒマを持て余した神崎は、先ほど苦労して購入した絵本を鞄から取り出した。
(……この絵本を買うのは、もう何度目だろうか)
 日頃から物欲があまりなく、家も物も『所有』することのない男だったが、それでもあの絵本だけは、可能な限り手放さなかった。仕事先で無くす度に何度も何度も買い直しては読み返す、神崎にとっての「心の一冊」だった。
それは『幾度死んでも生まれ変わり続ける猫』を題材にし、もう三桁にも及ぶ重版を繰り返している。古くから日本で親しまれてきた絵本だ。


 彼は、白地に大きくトラ猫の描かれた絵本を膝の上に載せ、ゆっくりとページをめくっていった。

 そこには幾度となく繰り返す、主人公「猫」の生き死にと、「猫」に関わった人々との物語が綴られていた。

 「猫」は身勝手な恩知らずで、自分を可愛がってくれた飼い主たちを何とも思わず、そして自分自身の命も何とも思っていなかった。

 そして幾万回目かの転生の後、

 「猫」は誰にも飼われることを選ばず、野良猫として過ごした――。

 神崎は絵本を見る度、いつも思う。


 自分は永久の時間を、「猫」ほど身勝手に生きてきたつもりはないけれど、事情があって捨ててきた人たちがたくさんいた。


 彼等から見れば、やっぱり自分は「猫」と同じように、身勝手で恩知らずだったのかもしれない。


 だけど、もらった愛情は、いつまでも忘れずにいるつもりだった。

 ――何百年でも、何千年でも。

 ふと、ページの上に一粒の涙が落ちる。

 主人公の「猫」が、ヒロインの「白猫」の気を惹くために曲芸を見せるシーンだった。神崎は慌ててハンカチを取り出して、紙に染み込む前にこぼれた涙を拭き取った。

 それは「猫」が初めて『誰かと共にいたい』、とはっきり望んだ場面だった。

 神崎は、どうしてもそのページで必ず泣いてしまう。

 何百回と読んだ絵本だったが、それでもこのシーンでは必ず涙があふれ、そこから先が読めなくなってしまう。

 きっとそのままラストまで読み続ければ、号泣してしまうのが分かっているから。


 別に泣きたくて読むわけじゃない。

 悲しさを噛みしめるために、幾度となく買い直しているわけじゃない。

 でも初めて見つけたときから、彼にとってどうしても手放せない、そんな絵本だった。

 「猫」は「白猫」と満足のいく人生を送り、そして「白猫」の死を見送ったあと、

  自分もやっと「死ぬ」ことが出来た。二度と蘇らない死を迎えたのだった。

 ――――――でも俺は……。

『――俺の白猫は、いつ帰ってくるんだろう?』


 そんな自分は、百万年経っても死ねない猫、

 永久とわの時間を、彷徨う野良猫。

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登場人物紹介

神崎有人


永遠の時を生きる人外。民族楽器演奏や作戦立案に長じる。

兄の経営するPMC「GSS社」の平社員。ネトゲが趣味。

プレゼンの腕を買われ、武器商人として中央アジアの某国に派遣される。

自身が『白猫』と呼称する、ある女性を探している。

神崎怜央


有人の兄。同じく、永遠の時を生きる男。生物科学に長じる。

多国籍企業「GBI(グリフォン・バイオロジカル・インダストリー)社」のCEO。バイオ産業を基幹に、軍事産業、民間軍事会社、海運等々手広く商いをしている。NYに本拠を置くが、日系企業である。

有人の務めるPMC「GSS(グリフォン・セキュリティ・サービス)社」はGBIの子会社。

菊地


神崎有人の直属の上司。GSS社日本支部長。

強面の外見からは想像しにくいが、面倒見の良い性格。

好きな食べ物 チョコレートパフェ

アジャッル副司令


神崎有人の赴任先の責任者。年かさのわりには好奇心が強い。

大統領一族とは因縁浅からぬ関係。国内各部族の長老にも顔が利く。

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