【1・絵本】何度でも巡り会うもの2
文字数 1,885文字
神崎がチェックインカウンターに到着すると、すでに幾本かの行列が出来ていた。
広い空港ロビーの中にずらりと並んだ航空会社のカウンターは、早朝だというのにフル稼働している。いまは盆暮れでも連休中でもないので、思いの外混み合ってはいないようだ。
手続きを終えた神崎は、出国ロビーのベンチでのんびりくつろいでいた。
現に今回は単独での後方支援業務なので、普段ほどきっちり到着時間を決められていなかったのだ。
ベンチに腰掛た彼の周囲には、搭乗前の腹ごしらえに売店で買ったおにぎりをむさぼるサラリーマンもいた。
それを見た神崎は、先日海外で食べた、長粒種のインディカ米をムリヤリ圧縮して作られた、残念この上ないおにぎりを思い出し、一人苦笑した。
彼の荷物は、アルミのスーツケースが一つきり。
中身は愛用しているノートPCと書類、ゲーム用コントローラー、それと当座の身の回りの品が少々。
長期の海外滞在にしてはあまりにも身軽な旅支度だったが、仕事で必要なものは、それがたとえ礼服一式だったとしても全て現地で買い揃え、現地で処分するのが彼の常だった。
彼は、白地に大きくトラ猫の描かれた絵本を膝の上に載せ、ゆっくりとページをめくっていった。
そこには幾度となく繰り返す、主人公「猫」の生き死にと、「猫」に関わった人々との物語が綴られていた。
「猫」は身勝手な恩知らずで、自分を可愛がってくれた飼い主たちを何とも思わず、そして自分自身の命も何とも思っていなかった。
そして幾万回目かの転生の後、
「猫」は誰にも飼われることを選ばず、野良猫として過ごした――。
神崎は絵本を見る度、いつも思う。
自分は永久の時間を、「猫」ほど身勝手に生きてきたつもりはないけれど、事情があって捨ててきた人たちがたくさんいた。
彼等から見れば、やっぱり自分は「猫」と同じように、身勝手で恩知らずだったのかもしれない。
だけど、もらった愛情は、いつまでも忘れずにいるつもりだった。
ふと、ページの上に一粒の涙が落ちる。
主人公の「猫」が、ヒロインの「白猫」の気を惹くために曲芸を見せるシーンだった。神崎は慌ててハンカチを取り出して、紙に染み込む前に零れた涙を拭き取った。
それは「猫」が初めて『誰かと共にいたい』、とはっきり望んだ場面だった。
神崎は、どうしてもそのページで必ず泣いてしまう。
何百回と読んだ絵本だったが、それでもこのシーンでは必ず涙が溢れ、そこから先が読めなくなってしまう。
きっとそのままラストまで読み続ければ、号泣してしまうのが分かっているから。
別に泣きたくて読むわけじゃない。
悲しさを噛みしめるために、幾度となく買い直しているわけじゃない。
でも初めて見つけたときから、彼にとってどうしても手放せない、そんな絵本だった。
「猫」は「白猫」と満足のいく人生を送り、そして「白猫」の死を見送ったあと、
自分もやっと「死ぬ」ことが出来た。二度と蘇らない死を迎えたのだった。
『――俺の白猫は、いつ帰ってくるんだろう?』
そんな自分は、百万年経っても死ねない猫、
永久の時間を、彷徨う野良猫。