【3・裏目】彼女が壊れたら俺のせいだ1
文字数 3,357文字
指揮所脇のテントの影で麗と電話をしていた神崎は、人の気配を感じて通話を切った。
麗が何かを言いかけていたのが気になったが、後で聞いておけばいいだろう。
休暇前の気楽な生活が、麗との安らかな日々が、とても遠くに感じる。
今の神崎は、どこにいても衆人環視の中にいる。
周囲はうっとおしいほど人だらけだ。
少し前までは、涼しいオフィスでごろごろしていたのに、今では暑苦しいテントや、むさ苦しい男まみれの司令室で、四六時中だれかと話したり指示をしたりする日々だ。
身ひとつ、待つ人もなかった頃であれば、気にとめることもなかった。
しかし今は、自分を待っている女がいる。
いとしの麗ちゃんに、電話ひとつ満足に出来ないこの状態が、とてつもなく不愉快で不愉快で、頭がおかしくなりそうでたまらなかった。
自分は総司令官なのだから仕方がない。
神崎怜央の弟だから仕方がない。
社員のためだから仕方がない。
会社のためだから(以下略)。
仕方ないのは分かっているが、これでは昼寝はおろか、ラブコールですらまともに出来ない。
しかし現状はあくまでも非常時、この危機的状況を立て直すまでは……。
と思えば思うほど、今度は自分のメンタルが危機的状況になりそうだ。
自分がこれでは、本当に誰も救えなくなってしまう。
前日から、国境周辺での攻撃が活発化しており、現状では消耗戦の様相を呈している。
先だって神崎が調達をした武器弾薬は切れ目なく届いてはいるが、それを運用するための人員や車両などが目下不足している。
負傷者が出れば、それだけ戦力も削がれる。ジリ貧なことは間違いない。
国軍は、新司令官のおかげで一人たりとも兵を出す様子はなかった。
せめて、今あるだけの戦力でもいいから出してくれれば、と誰もが呪わずにはいられなかった。
せめて、増員が到着するまでは踏ん張らなければ。
ちらほらと各国から招聘した武装社員が集まってはいるが、間引かれた側の部隊にだって都合はある。元々ムリに間引いているのだから、多少時間がかかるのは仕方がない。
皆、文句も言わず神崎の指示に従っている。それが彼にとっては心苦しかった。
こんな稼業だから、誰もが不本意な事も理不尽な事も、覚悟の上で契約し、仕事をしている。
だが、今回の事態は、契約よりも会社の都合が優先されているのだ。
一応、帰りたい者を募りはしたが、誰一人として立ち去る者はいなかった。
これで多少はがんばってくれるといいのだが。
こちらとて、ムダ死にさせたいと思っているわけじゃないんだ。
でも、もう少しだけ……。
雇用環境の改善を要求するストライキを未然に防いだ翌日、指揮所のある空港では、支社の輸送機やチャーターした民間機がピストン輸送を行っていた。
情勢悪化のため、国内にいる非武装社員たちは、一旦国外に身を置くことになったからだ。
こんな時ですら、日本政府は専用機を仕立てたり、といった援助もなく、全く手を貸してくれる気配すらない。
よほど世間体や下らないメンツとやらが気になるようだ。
政府のために犠牲になっている日本人技術者がこんなにいるのに、連中には同胞を救いたい、という気持ちそのものが欠落しているのだろう。
国防大臣に対して、神崎が何度も支援の申し入れをしているが、自国の危機のはずなのに、お前達がどうにかしろ、治安維持を委託する契約をしたろう、の一点張りで聞く耳を持たない。
恐らく彼も大統領の甥御同様に、PMCなど使い捨てに出来る駒くらいにしか思っていないのだ。
二日経って、ようやくまとまった増援と追加の車両が到着した。
目下指揮所周辺には、次々と増援部隊を収容するためのテントが建てられている。
増援の連中は皆、会社の一大事と聞いて最初からかなり気合いが入っていた。
誰もが神崎と共に戦ったことのある、歴戦の勇士揃いだ。
急ごしらえのかきあつめ部隊だったが、今回の作戦が神崎の勅命であり、指揮を執るのが神崎自身と聞いて「祭の前夜」のように、増援部隊は皆一様にテンションが高かった。
だが逆に、神崎自身のテンションは激しく下降しており、心身ともに疲弊していた。
司令室のモニターに二十時間ほども貼り付いていた神崎は、やっと到着した増援第一団の配置作業を終え、軽い頭痛を感じながら自室に逃げ込んだ。
全ての作業を自分一人で行うのは負担が大きかったが、非常にシビアでタイトな状況ゆえに、他人にこの組木細工のような緻密な作業を手伝わせることが出来なかったのだ。
強いストレスに苛まされていた彼は、自室のベッドに倒れ込むと深い眠りについた。
――ふと、携帯の着信音で目が覚めた。
手を伸ばして取ろうとして、もう少しで届くところで切れてしまった。
携帯の時間を見ると、部屋に来てから数時間が経過していた。
ねぼけまなこで着信履歴を見てみる。
――え……?
――履歴が……二百回を超えてる……?
神崎はここ数日、携帯を自室の充電器に差しっぱなしにしていたのだ。
麗への連絡も外では他人の目もあるので、自室で電話をしようと思っていたのだが、いつも疲れ果ててベッドに倒れ込むと即寝てしまう。
それの繰り返しだった。
母親の話によれば、一昨日、麗の容態が悪化して、現在ICUで治療を受けている。これ以上状況が悪化した場合を考え、手術の用意もしているらしい。
転院させたことで、神崎はすっかり油断していた。
麗はもう大丈夫なのだと。
転院直後の精密検査では、急変するような兆候も見られなかったからだ。
――そばにいてやりたい……。
麗のために急ぎ日本に帰りたいが、全く身動きが取れない状態に神崎は歯噛みした。