エピローグ【永遠・Eternity】おかえり俺の白猫1
文字数 3,470文字
時計を見ると、あれから丸一日は経っていたようだが。
ここは……、恐らくクソ兄貴にテーザー銃で撃たれた後で運ばれた、院内の処置室だろう。
消毒薬の匂いが漂っている。カーテンの向こうで物音がするが……。
彼女は、麗はどこだ?
麗の居場所を聞くと、同じ階にある病室だという。
彼女の手術が成功したと聞いて安心した有人は、早速逢いに行こうと起き上がった。すると、あれほど気分が悪かったのに体調は万全に回復し、銃創や首筋や太股の刺し傷の痛みも全て消えている。
患部に手を当ててみると、全て包帯やガーゼが当てられていた。
言われて覗き込んでみると、着ていた戦闘服がカゴの中に畳んで入っていた。
装備品を外してしまえば、無地の戦闘服はただの作業着と変わりはしない。
麗には作業服で通すしかないだろう。
神崎は患者服を脱ぎ、紺の戦闘服に着替えた。
創業者一族ゆえか、病院の職員はみな自分のことを様付けで呼ぶ。
それが何ともいえずこそばゆいというか恥ずかしいというか。
出来れば麗の前では、そんな風に呼ばれたくはない。
だって、彼女にどんな顔をすればいいか分からないから。
そう有人は思った。
看護師に水を一杯もらい気を落ち着けてから、有人は麗の元へ向かった。
部屋で、親と顔を合わせるのがひどく気まずい。
そりゃそうだろう。銃で脅しつけて娘をよこせと怒鳴ったのだから当然だ。
これまで色々ありすぎて、自分は頭がおかしくなっていたんだろう。
あんな目に遭えば自分でなくともおかしくなってる。
だが、どうしようもなかったのだ。
そもそも自分以外に、あんな曲芸飛行のような真似が出来るんだろうか?
自負でもなんでもなく単純にそう思う。
無論、出来ない方がいいに決まっている。
出来るから兄に余計な仕事を押しつけられるのだ。
もしかしたら、親会社のラボで瓶詰めになっている、軍事用サイボーグなんて悪趣味な奴らなら、余裕で出来るのかもしれない。
まさしく、あいつらの方こそ、自分よりずっとバケモノだろうが。
――クソッタレ。
うんざりするような思考が、ぐるぐると有人の頭を走り回る。まるで運動会だ。
廊下で職員たちに会う度に、うやうやしく頭を下げられて居心地の悪い思いをしながら、有人は麗のいる病室の前までやってきた。
微妙に緊張しながら、ドアをノックする。
初めて麗を見舞った時を思い出すが、今回はあんな嬉し恥ずかしなドキドキではない。
恋人の両親に結婚の許しを乞うよりも、さらに状況が悪い、マイナス発進である。出来るだけ事は荒立てたくはない。
だが……
様々な不安を抱えながら、有人はドアを少しだけ開け、中を覗き込んだ。
ところが室内には、麗以外誰もいなかった。
彼女の姿を病室に認めた有人は、嬉しさで涙ぐんだ。
ベッドの上の麗は、機械から伸びた何本ものコードで繋がれ、点滴も受けていたが、手術をしたばかりにも関わらず、起床してベッドの上で体を起こしていた。
麗が声をかけてきた。怒っているように聞こえる。
有人は観念して、ドアを全開にした。
一瞬有人の方を向いて、麗は小さく頷いた。
顔色は良さそうだが、浮かない表情をして、正面の壁を見ている。
――やはり、ずっと連絡もせずに放っていたことを怒っているのだろうか。
大事な時期に彼女を放置して、病状を悪化させたのは自分だ。
酷く恨んでいるに違いない。
もしかしたら、絶縁されるかもしれない。
…………そんなことになったら、立ち直れる自信がかけらもない。
そうだ。
自分は両親のことばかり心配して、彼女を怒らせていたことをすっかり忘れていたのだ。
なんて大馬鹿野郎なのだろう。有人はうんざりした。
有人は言われるままベッド脇の椅子に腰掛けた。
ぎしり、とパイプが軋む。
彼女の顔をまともに見られず、視線を泳がせると、ベッドサイドワゴンの上に見慣れた麗のノートPCを見つけた。
側にはゲームのコントローラーと彼女の携帯が置いてあり、メールだけでもまともに返事をしてやれれば、と悔やまれた。
と言って、有人は麗の手を取った。
だが彼女の手は力なく肩からぶら下がったまま、彼の手を握り返しはしなかった。いたたまれなくて、椅子の向きを変えた。彼女の足元の方に、角度を少し。
彼女は、ずっと視線を自分の正面の壁に向けていた。
彼も彼女を見られずに、二人でしばらく同じ方を見ていた。真っ白な壁を。
――許しては、くれない、か。
――自分を見捨てた男だから、か。
先にしびれを切らしたのは有人だった。十分ほどして、口を開いた。
麗は、有人の言葉を遮った。
有人は、親に怒られた子供のように、顔をゆがめて俯いた。
もう、自分たちは終わりなのか。
ダメなのか。
彼は恐くてたまらなくなった。
もっと弱く、麗の罵声にかき消されそうな声で言った。
彼は、こわごわと彼女の顔を横目で見た。
――ものすごく怒っているように見える。
麗が高らかに宣言した。
――え?
有人は、返事の代わりに麗を抱き締めた。
麗は彼の胸に顔を押しつけられ、腕の中でくふっと息を吐いた。
そして、彼の腰に手を回して、ぎゅっと抱いた。
戦闘服の厚い生地越しに、麗の暖かい吐息が有人の胸いっぱいに広がる。
その甘い香りに、彼は酔った。
――正体がバレたのか? 何故?
有人は腕の中から彼女を解放し、どうして知っているのか訊ねてみた。
聞けば、自分らの大立ち回りが、国軍と反政府勢力との戦闘という形で報道されていたらしい。
怜央はこのニュースを巧みに利用して、麗や彼女の両親を上手く丸め込んでくれだのだろう。
いや、もしかしたらこの報道自体、奴の自作自演かもしれないが……。
有人は、腹黒い兄の計らいに、素直に感謝することは出来なかった。
兄貴のおかげで、愚行も全てお咎めなし、ということになっているようだ。
一体、どうやってあの状況をひっくり返したのだろうか?
まさにマジックである。
まぁ、考えるだけムダだろうが。
自分にはそういう才能がないのはよく分かっている。
……と、兄の事となると、有人がとかく卑屈になるのも致し方ない。