第1話

文字数 6,372文字

 「…ちょっと、お客さん…いい加減にして下さい…」

 ラーメン屋の若い男の店員が、怒鳴る…

 「…どうしてだ?…」

 「…お客さん、どうしてと、言われても…」

 「…私は、毎日、通っているのさ…だけど、どうして、食べれないんだ?…」

 「…お客さん…先着十名と、決まっているんです…店に張り紙も、張ってあります…お客さんが、十名に入れないだけじゃ、ないですか?…」

 「…そんなことは、わかっているのさ…」

 「…だったら、なんで?…」

 「…私は、この一週間、毎日こうして、朝の七時から、並んでいるのさ…でも、食べれないのさ…」

 「…そんなこと、言われても…」

 「…いや、お前を責めているわけじゃないさ…ただ、誰かに、はめられているような気がしてな…」

 「…はめられてる…陰謀論ですか?…」

 「…そうさ…こうして、毎日、並んでいるにも、かかわらず、まだ、一杯も、口にしていない…これは、どう考えても、変さ…きっと、誰かが、私を陥れようとしているに、違いないさ…」

 私が、言うと、近くで、

 「…プッ!…」

 と、吹き出す声が、聞こえた…

 「…陰謀論って、お客さん…そんなに偉いんですか?…」

 「…偉いさ…」

 「…ウソ?…」

 「…ホントさ…私は日本の総合電機メーカー、クールの社長夫人さ…」

 「…お客さん…そんな見え透いたウソを…クールって、あのクールでしょ?…失礼ながら、お客さんは、そんなふうには…」

 若い男の店員が、笑いながら、言う…

 たしかに、今朝の私は、いつもの派手なTシャツと、履き古したジーンズと、これも履き古したスニーカー…

 誰が、どう見ても、クールの社長夫人には、見えない…

 いや、

 そもそも、お金持ちとも、見えない…

 誰が、見ても、お金と縁のない人生を歩んでいる女…

 それが、私だった…

 私、矢田トモコだった…

 しかし、

 しかし、だ…

 私は、現実に、クールの社長夫人だった…

 ウソでも、なんでもなく、クールの社長夫人だった…

 が、

 その店員の発言に、呼応するように、

 「…あんな格好をしたオバサンが、クールの社長夫人なわけないじゃない…」

 とか、

 「…なに、あの勘違いオバサン…」

 とか、言う声が、あちらこちらから、聞こえてきた…

 だから、私は、頭にきて、言ってやった…

 「…オバサンじゃないさ…お姉さんさ…」

 「…お姉さん?…」

 と、店員…

 「…そうさ…35歳のお姉さんさ…」

 私は、断言した…

 すると、どうだ…

 周囲から、これまで以上の失笑が、聞こえてきた…

 「…ウソ? …35歳で、お姉さんのわけないじゃない…」

 「…やっぱり、勘違いオバサン?…」

 散々な言われようだった…

 私は、頭に来た…

 思わず、グッと、拳を握りしめた…

 「…こいつら…どうして、くれよう?…」

 私の頭の中が、ヒートアップした…

 よりによって、この矢田トモコ様を笑うとは?

 今、私の目の前には、十人の男女がいた…

 老若男女がいた…

 皆、このラーメン屋の先着十名の特製ラーメンを食べるために、並んでいる…

 私は、十一人目…

 今日も、そうだし、昨日も、そう…

 一昨日は、十三番目だった…

 朝、七時から並んでいるのに、だ…

 開店は、十時…

 にもかかわらず、朝っぱらなら、皆、並んでいる…

 この店の特製ラーメンが、ネットで、話題になっているからだった…

 実は、この矢田トモコ…

 昔から、流行ものに、目がないというか…

 いわゆる、はやりものに、心を奪われる性格だった…

 学生時代から、コレが、流行っていると聞くと、真っ先に手に入れた…

 誰にも、遅れをとることが、なかった…

 実は、コレは、この矢田の自慢の一つだった…

 もちろん、高いものは、手が出ない…

 だから、流行りものと言っても、せいぜい、数千円程度のものだ…

 だから、この矢田トモコにも、手に入った…

 そして、それは、35歳になった今も変わらない…

 他人様に後れを取ることなく、誰よりも、早く、流行ものを、手に入れる…

 それが、この矢田トモコだった…

 今、このラーメン屋の特製ラーメンが、ネットで、話題沸騰中…

 しかも、家から近い…

 この矢田トモコが、このラーメン屋を見逃すことは、なかった…

 なかったのだ!…

 だから、この一週間、毎日、朝早くから、並んでいるのだが、食べることは、できなかった…

 できなかったのだ!…

 私が、悔しい気持ちで、悩んでいると、

 「…もう、いいですか? …お客さん…」

 と、言いながら、店員が去ろうとした…

 すでに、私を、相手にしない気持ちは、明白だった…

 が、

 こんなことで、挫ける矢田トモコではない…

 私に背を向けて、この場から、去ろうとする店員の背中に、

 「…ちょっと、待てば、いいさ…」

 と、声をかけた…

 「…まだ、なにか、あるんですか? …お客さん…」

 去ろうとした店員が、足を止めて、振り返った…

 「…いい考えが、あるさ…」

 「…いい考え?…」

 「…明日から、抽選にすれば、いいさ…先着順じゃなく…」

 私が、提案すると、店員が、唖然として、口を開いた…

 「…お姉さん…そんな自分勝手な…」

 「…自分勝手じゃ、ないさ…この方が、公平さ…」

 私は、怒鳴った…

 「…明日から、私の言った通りに、すれば、いいさ…」

 「…できません!…」

 「…なんだと? …どうして、できない?…」

 「…そんなこと、できません!…」

 店員もまた、私に負けじと、怒鳴った…

 私は、頭に来た…

 が、

 同時に、困ったと、思った…

 なぜなら、いつのまにか、私は、周囲から、注目されていた…

 列に並ぶ、客のみならず、道行くひとたちも、何事かと、私と店員のやりとりを、眺めていた…

 実は、これは、いつものこと…

 いつものことだった…

 なぜか、私は、目立つ…

 目立つのだ…

 身長159㎝…

 童顔、巨乳の体形だが、なぜか、目立つ…

 子供の頃から、なぜか、周囲の中で、目立っていた…

 周囲の中に埋没することは、なかった…

 なかったのだ…

 だから、今も、周囲から、目立っていても、驚くことは、なかったのだが、さすがに、この事態は、想定外…

 完全に、私の想定外だった…

 だから、今、頭の中は、この騒動をどう、治めようか?

 それしか、なかった…

 実は、このまま、すんなりと、私が、矛を収めれば、すむ話かも、しれんが、それでは、この矢田トモコのプライドが、傷つく…

 実は、この矢田トモコは、誰よりも、プライドの高い女だった…

 いかに、この矢田トモコのプライドを傷つけることなく、この場から、うまく撤退するか?

 撤退=逃げ出すか?

 だった…

 それを、今、この矢田の優秀な頭脳をフル回転させて、考えた…

 が、

 答えが、出んかった…

 ちっとも、出んかった…

 と、そこに、

 「…どうしたんですか? …矢田さん…」

 と、いう声がかかった…

 私は、その声のする方を見た…

 と、そこには、一人のガキがいた…

 ガキ=子供が、いた…

 歳の頃は、どう見ても、3歳程度…

 浅黒い肌をした、生意気そうなガキだった…

 ガキ=子供だった…

 私は、その子供を知っていた…

 子供の名前は、アムンゼン…

 サウジアラビアの王族だった…

 前サウジアラビア国王の息子の一人…

 アラブの至宝と呼ばれ、サウジアラビアのみならず、アラブ世界の実力者の一人だった…

 が、

 それを、知る者は、世間には、ほとんどいない…

 なぜなら、このアムンゼンは、小人症…

 要するに、大人になれないカラダの持ち主だからだ…

 だから、世間に出れない…

 世間=人前に出れない…

 しかしながら、頭脳は明晰…

 だから、人前には、決して、姿を見せない…

 それゆえ、世間では、余計にミステリアスな存在となる…

 アラブの至宝と呼ばれているにも、かかわらず、決して、人前に姿を現わさないからだ…

 だから、かえって、話題になる…

 正体不明の人間だから、かえって、世間で、

 …アラブの至宝…

 と、呼ばれる凄い人物がいる…

 だが、決して、その人物は、表に姿を出さない…

 そんな噂が世間で広がり、それゆえ、実力以上に、凄い存在に見える…

 そういうことだ…

 そして、なにとり、このアラブの至宝は、ホントは、30歳の大人だった…

 だから、子供ではない…

 酸いも甘いも、嚙み分けた大人だった…

 そして、そのアムンゼンの隣には、浅黒い肌を持った長身のイケメンが、いた…

 男の名前は、オスマン…

 このアムンゼンの兄弟の子供…

 要するに、アムンゼンの甥だった…

 「…お久しぶりです…お姉さん…」

 オスマンが、私を見て、挨拶をした…

 「…久しぶりさ…」

 私は、返した…

 「…どうしたんですか? 一体?…」

 「…実はこういうわけさ…」

 私は、オスマンとアムンゼンに説明してやった…

 私が、このラーメン屋の特製ラーメンを食べるために、一週間前から、毎日並んでいること…

 しかしながら、先着十名しか、食べられないこと…

 だから、一週間通っても、食べられないことを、だ…

 それを、説明した…

 すると、オスマンが、

 「…だったら、お姉さんが、誰よりも早く、並んで、その十名の中に、入るべきじゃ…」

 と、言った…

 「…そんなことは、わかっているのさ…」

 「…だったら、どうして?…」

 「…特例を認めろと、言っているのさ…」

 「…特例?…」

 「…そうさ…」

 私が、言うと、オスマンとアムンゼンが、顔を見合わせた…

 互いに顔を見合わせて、どうしたものか?

 と、悩んでいるようだった…

 それから、私を見ると、

 「…矢田さん、ルールは、守らなれば、なりません…」

 と、アムンゼンが、言った…

 3歳の幼児の外見しか、持っていないにも、かかわらず、35歳の私に言った…

 「…矢田さんも、35歳の大人でしょ?…」

 アムンゼンが、諭すように、言う…

 私は、頭に来たが、なにも、言えんかった…

 誰が、聞いても、アムンゼンの言っていることは、正しい…

 そして、この矢田トモコの言っていることが、間違っているからだ…

 私は、悔しかったが、仕方がない…

 「…すまんかったさ…」

 と、店員に詫びた…

 「…私が、悪かったさ…」

 と、詫びた…

 すると、店員も、

 「…わかってくれれば、いいんですよ…でも、ルールは、守って下さいね…」

 店員もまた、私に諭すように、言った…

 私は、

 「…すまんかったさ…」

 と、再び、詫びた…

 と、ちょうど、そのときだった…

 「…ちょっと、なにをしているの?…」

 と、いう声がして、私の目の前に、大柄な女が現れた…

 その女は、身長は、175㎝…

 派手なサングラスをして、顔を隠しているが、その派手さは、隠せんかった…

 なにより、色気ムンムンだった…

 カラダの線を、これでもかと、いうように、強調した、服を着ていた…

 しかも、ミニスカ…

 とんでもなく、長く、カッコイイ脚を見せている…

 「…なんだ、リンダ、オマエ…どうして、朝っぱらから、そんな恰好をしているんだ?…」

 私は、聞いてやった…

 「…これから、仕事なの…だから、面倒臭いから、その仕事着で…」

 リンダが、言う…

 実は、このリンダ…

 リンダ・ヘイワースは、ハリウッドのセックス・シンボルと言われ、色気ムンムンの女だった…

 歳の頃は、29歳…

 ひょんなことから、この矢田と知り合い、今では、この矢田の親友になった…

 いい女だ…

 色気ムンムンの実に、いい女だ…

 しかも、性格もいい…

 この矢田も、世話になっている…

 が、

 この矢田は、このリンダを密かに警戒している…

 なぜなら、このリンダは、この矢田の夫の葉尊と、仲がいいからだ…

 クールの社長と仲がいいからだ…

 だから、もしかしたら、この矢田の夫の葉尊が、心変わりをして、リンダと、いい仲になったりしたら?

 男女の関係になったりしたら?

 そしたら、この矢田が、捨てられる…

 だから、警戒しているのだ…

 だから、本音では、どこかに、行って欲しいと思っている…

 ハリウッドに行って、もう二度と、この日本に帰って来ないで、欲しいと、思っている…

 と、そんなことを、私が、考えていると、

 「…もしかして、リンダ? …あのリンダ・ヘイワース?…」

 と、店員が、驚いて、言う…

 「…そうよ…」

 と、リンダが、サングラスを少しずらして、顔を見せた…

 すると、店員が、驚いた…

 歓喜の表情になった…

 「…リンダ・ヘイワースなら、うちの特製ラーメンも、無料にします…ぜひ、食べていって下さい…」

 と、店員が、抜かした…

 私は、頭に来た…

 「…オマエ…特製ラーメンは、毎日、先着十名じゃないのか?…」

 「…この店のオーナーは、オレのオヤジだから、一人や二人、増えても、どうにか、なりますよ…」

 「…オマエ…ルールはどうした? さっき、ルールを守れと、言ったのは、オマエじゃないのか?…」

 「…そんなルールなんて、どうでも、いいんですよ…」

 「…なんだと? …どうでもいいだと?…」

 「…リンダさんは、特例です…別格です…さあ、中にお入り下さい…」

 店員が、恭しく、リンダを接客する…

 「…ふざけるんじゃないさ!…」

 私の怒りが、爆発した…

 「…ルールは守るものさ…特例は、認めちゃダメさ!…」

 私は、怒鳴った…

 大声で、怒鳴った…

 「…そんなお客さん…さっき、特例を認めろと、言ったのは、お客さんでしょ?…」

 「…さっきは、さっきさ…」

 「…そんなお客さん…」

 私は、言ってやった…

 自信を持って、言ってやった…

 「…オマエ…言うことを、撤回するんじゃないさ…」

 私は、怒鳴った…

 大声で、怒鳴った…

 と、

 そのときだった…

 警官が二人やって来た…

 「…なんだ? …一体、なにをしているんだ?…」

 警官の質問に、

 「…このオバサンが、一人で、騒ぎ出して…」

 と、列に並んだ、誰かが、言った…

 「…オバサンじゃないさ!…お姉さんさ!…」

 私は、怒鳴った…

 「…35歳のお姉さんさ!…」

 私が、大声で、怒鳴ると、今度は、目の前の警官が、

 「…プッ!…」

 と、吹き出した…

 私は、頭にきた…

 我慢の限界だった…

 「…なにが、おかしいのさ!…」

 私は、怒鳴った…

 ついでに、勢いで、警官の足を、私の短い足で、蹴った…

 「…オバサン、公務執行妨害です…」

 「…オバサンじゃ、ないさ!…お姉さんさ!…」

 いつのまにか、その警官と私が、つかみ合いになった…

 「…ふざけるんじゃないさ!…」

 私が、怒鳴ると、

 「…オバサン、落ち着いて下さい…」

 と、警官が、怒鳴って、私を落ち着かせようとして、私のカラダを掴もうとした…

その手が、私の胸に触れた…

 「…オバサンじゃないさ!…胸を触るんじゃ、ないさ!…」

 私は、大声で、怒鳴って、私の胸を触った警官の頬を、平手で、ぶん殴った…

 ぶたれた警官が、目の玉が、飛び出た表情になった…

 次いで、

 「…このババア!…」

 と、言って、私に掴みかかってきた…

 私は、頭にきた…

 「…オマエは、許さんさ!…」

 私は、言って、もう一度、私に掴みかかって来た警官の頬を平手で、ぶった…

 当然のことながら、相手の警官も、余計にヒートアップした…

 「…許さねえゾ…このババア!…」

 「…許さないのは、私さ!…」

 私と、その警官は、まるで、柔道をするように、掴みあった…

 そして、その後は、それまでにも、まして、大騒動になり、パトカーも、何台もやって来た…

 その騒動を見た、誰かが、その騒動の動画を、ネットに上げて、騒動が、飛躍的に拡散した…

 しかも、タイトルは、

 「…クール社長夫人を名乗る中年オバサン…警官と取っ組み合う…」

 だった…

 まさに、愚行…

 この矢田トモコのあっては、ならない愚行…

 生涯最大の愚行だった(涙)…

               
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