第9話

文字数 4,116文字

 「…ど、どうすればいい?…」

 私は、聞いた…

 「…どうすれば、いい…葉問?…」

 「…別に、今まで通りで、いいんじゃないですか?…」

 葉問が、答える…

 「…今まで通り?…」

 「…変に態度を変えれば、殿下も、なにか、あったと、思います…だから、今まで通り…」

 「…」

 「…殿下は、さっきも例えたライオンと同じです…」

 「…ライオンと同じ…」

 「…仮にお姉さんが、ライオンをペットとして、飼っているとします…そのライオンを、お姉さんが、いつも、可愛がっていたのに、ある日、突然、怖くなって、可愛がらなくなる…そんなことをすれば、ライオンも怒ります…それと、同じです…」

 「…」

 「…まあ、殿下は、人間ですから、ライオンと違います…話せば、わかりますし、なにより、殿下を、ライオンに例えたのは、万が一のためです…」

 「…万が一…」

 「…ですから、その万が一にならないように、お姉さんの健闘を祈ります…」

 そう言うと、葉問が、消えた…

 あっけなく、消えた…

 そして、葉尊になった…

 私の夫の葉尊に、戻った…
 
 葉尊は、

 「…どうしました? …お姉さん?…」

 と、聞いた…

 私は、いつもの癖で、

 「…なんでもない…なんでもないさ…」

 と、言ってしまった…

 つい、言ってしまった…

 葉尊は、不満そうな顔をしたが、なにも言わんかった…

 自分の不満を私にぶつけなかった…

 これは、いつものこと…

 いつものことだ…

 葉尊は、思ったことを言わない…

 また、私も、葉尊に言わない…

 が、

 葉問には、言う…

 そういうことだ…

 理由は、よくわからない…

 ただ、葉問の方が、話しやすく、葉尊の方が、話しにくいというのが、本音だ…

 葉問は、元ヤン…

 ヤンキー上がりだ…

 にもかかわらず、ヤンキーが苦手なこの矢田が、葉問の方が、話しやすい…

 真面目な葉尊よりも、話しやすい…

 だから、考えてみれば、不思議…

 実に、不思議だった…

 が、真実でもあった…

 真実でも、あったのだ…

 葉尊は、なにがあっても、私に不満をぶつけることがない…

 だから、こちらも、葉尊に不満は、ぶつけない…

 つまり、これは、一種の仮面夫婦…

 いっしょに、住んでいるのだが、心は、繋がっていない…

 心は、通じていない…

 しかしながら、どこの家庭にもあることかも、しれん…

 日本、いや、世界中、どこの家庭でも、あることかも、しれん…

 私は、そう、思った…

 そう、思ったのだ…


 そして、

 そして、だ…

 私は、あの後、アムンゼンのことを、考えたが、どうして、いいか、わからんかった…

 正直、アムンゼンが、そんな危険な人間だとは、思わんかったのだ…

 なにしろ、あの外見だ…

 3歳の幼児にしか、見えない外見だ…

 だから、侮るというか…

 どうしても、下に見る…

 当たり前のことだ…

 ひとは、どうしても、外見で、判断してしまう…

 例えば、いくら、背が高く、いかついカラダをしていても、気弱そうに、見えると、弱いと、思ってしまう…

 そういうことだ…

 これは、例えば、上場企業のお偉いさんでも、同じ…

 同じだ…

 会社で、偉い地位にいるから、偉く見えるが、街中で、会えば、風采の上がらない、ただのオジサンにしか、見えない人間も、多い(苦笑)…

 そういうことだ…

 私は、あの葉問に、アムンゼンの正体を告げられて以来、どうして、いいか、わからんかった…

 正直、二度とアムンゼンと関わりたくなかった…

 なにしろ、この矢田トモコは、実は気が小さい…

 だから、危ないものには、関わりたくなかった…

 私が、ヤンキーが苦手なのも、怖いからだ…

 だから、関わらない…

 最初、葉問から、リンのことを、告げられたとき、正直、金になると、思った…

 その来日したリンの面倒を見て、そのときに、リンのファンだというアムンゼンに、リンを会わせれば、なにがしかのお礼を、アムンゼンから、もらえると、思った…

 が、

 しかし、だ…

 アムンゼンの真の姿を聞いて、気が変わった…

 正直、アムンゼンと関わりたくなかった…

 二度と関わりたくなかった…

 あのアムンゼンは、葉問が言うには、ライオンと同じ…

 こちらが、可愛がっていても、突然、なにかの拍子で、私に牙を剥いても、おかしくはない…

 なにしろ、あのアムンゼンは、大金持ちだ…

 サウジの王族だ…

 生まれたときから、贅沢にまみれ、わがまま放題に育ったに違いない…

 だから、気まぐれだ…

 昨日まで、好きだったことが、今日になって、突然、嫌いになっても、おかしくはない…

 昨日まで、カツ丼が、死ぬほど好きだったのに、今日になって、二度とカツ丼は、食べないと、宣言しても、おかしくはない…

 そういうことだ…

 そして、私は、そんなことを、考えながら、朝っぱらから、あのラーメン屋に並んだ…

 あの特製ラーメンを食べながら、しばし、考えてみようと、思ったのだ…

 きっと、あの特製ラーメンは、うまいに決まっている…

 そんなうまいラーメンを腹いっぱいに食べれば、なにか、いい考えが、思い浮かぶに決まっている…

 この矢田の優秀な頭脳に、思い浮かぶに決まっている…

 だから、並んだ…

 またも、朝っぱらから、あの行列に並んだのだ…

 すると、だ…

 思いがけないことが、起こった…

 「…あ、矢田さん…おはようございます…」

 と、言う声が、近くで、聞こえてきた…

 私は、その声に聞き覚えがあった…

 聞き覚えがあったのだ…

 迷わず、

 「…アムンゼン…」

 と、言うところを、なぜか、

 「…ライオン!…」

 と、叫んでしまった…

 あの葉問が、このアムンゼンのことを、ライオン呼ばわりするからだ…

 だから、つい、言ってしまった…

 だから、つい、叫んでしまった…

 当然のことながら、アムンゼンは、呆気に取られた表情で、私を見た…

 「…なにが、ライオンですか? 矢田さん?…朝っぱらから、なにか、悪いものでも、食べたんじゃ、ないですか?…」

 散々な言われようだった…

 が、

 相手は、ライオン…

 逆らっては、まずい…

 この矢田など、簡単に食べられてしまうかも、しれん…

 なにしろ、相手は、ライオンだ…

 下手に逆らっては、まずい…

 まずいのだ…

 だから、私は、とっさに、下手に出るのが、一番だと思った…
 
 とっさに詫びるのが、一番だと、悟った…

 「…すまんかったさ…アムンゼン…」

 私は、言った…

 「…これまでの数々の非礼…許してやってくれさ…」

 「…なんですか? 矢田さん、いきなり?…」

 「…いきなりも、なにも、ないさ…ただ、許してやってくれと、詫びているのさ…」

 私が言うと、アムンゼンが、連れのオスマンと顔を見合わせた…

 「…やっぱり、矢田さん…朝から、なにか、悪いものでも、食べましたね…」

 アムンゼンが、繰り返す…

 「…まだ、食べてないさ…」

 「…エッ? …食べてない?…」

 「…そうさ…だから、ここに並んでいるんだろ?…」

 私が、言うと、

 「…それも、そうですね…」

 と、納得した…

 「…だったら、悪いものを食べてないと、なると、なにか、悪いものでも、飲みました?…賞味期限切れの牛乳とか?…」

 「…そんなもの、飲んでないさ…」

 「…飲んでない?…」

 「…そうさ…」

 「…だったら、余計まずいですよ…」

 「…なにが、まずいんだ?…」

 「…なにか、悪いものを、飲んでもないし、食べてもないのに、その態度、まずいです…」

 「…なんだと?…」

 い、いかん…

 つい、いつもの調子に戻ってしまった…

 つい、いつもの調子で、アムンゼンに接して、しまった…

 これでは、いつものと、同じ…

 なにも、変わらない…

 いつもと、同じになってしまう…

 私は、焦った…

 心の中で、どうしようもなく、焦った…

 すると、だ…

 「…矢田さん、こんなところで、どうするんですか?…」

 と、アムンゼンが、聞いた…

 「…どうするって? どういう意味だ?…」

 「…だって、矢田さん…どう見ても、十人以内に、入ってませんよ…この店の特製ラーメンを食べれるのは、先着十名なんでしょ?…」

 私は、アムンゼンの指摘で、慌てて、列に並んでいる人数を見ると、その通りだった…

 アムンゼンの言う通りだった…

 これまで、散々、アムンゼンのことばかり、考えていたので、気付かんかった…

 すでに、この矢田の前に、十人以上の人間が、並んでいるのに、気付かんかった…

 不覚…

 実に、不覚だった…

 この矢田トモコに、とって、あっては、ならない不覚だった…

 この常に、完璧を目指す矢田トモコにとって、あっては、ならない不覚だったのだ…

 私は、唖然としたが、それほど、葉問の言葉の衝撃は、大きかったということだ…

 私は、思った…

 私は、考えた…

 この目の前の3歳にしか、見えんガキが、そんな恐ろしい権力を持っている…

 ライオンに例えられる権力を持っている…

 それが、恐ろしかったのだ…

 だから、混乱した…

 行列に並びながらも、自分が、今、先頭から、何番目で、並んでいるか、確かめんかった…

 そういうことだ…

 私は、思った…

 思ったのだ…

 だから、私は、つい、アムンゼンに、

 「…別にいいさ…」

 と、答えた…

 「…なにが、いいんですか? 矢田さん?…」

 「…別に、特製ラーメンを食べなくても、いいさ…普通のラーメンでも、いいさ…それなら、先着十人に入らなくても、食べれるだろ?…」

 と、答えた…

 すると、だ…

 アムンゼンが、嘆息した…

 わざと、大きくため息をついて、見せた…

 「…相変わらず、負けず嫌いというか…自分の過ちを認めない性格ですね?…」

 「…なんだと?…」

 「…きっと、なにか、大きな悩みごとを抱えていて、そのために、今、自分が、何番目にいるか、忘れたのでしょう…」

 アムンゼンが、私の心の中を、見抜いた…

 ずばり、見抜いた…

 「…よろしい…これから、矢田さん、ボクの家に来てください…矢田さんの悩みを聞きながら、いっしょに、朝食を食べましょう…」

 と、アムンゼンが、言った…

 この矢田の悩みの種である、当人が、言った…

 正直、ありえん…

 ありえん展開だった(笑)…

                
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