第23話

文字数 3,782文字

 三日が経った…

 が、

 なにも、起こらなかった…

 その間、私は、毎日、帰宅した夫の葉尊に、

 「…どうだった?…」

 と、聞いた…

 が、

 夫の葉尊の答えは、いつも、

 「…なにも、ありません…お姉さん…」

 と、いうものだった…

 しかしながら、私は、不安だった…

 不安だったのだ…

 私は、正直、あのアムンゼンを甘く見ていた…

 アラブの至宝を甘く見ていた…

 これは、やはり、親しくなったのが、いかんのだと、思った…

 親しくなりすぎたのが、いかんのだと、あらためて、気付いた…

 誰でも、そうだが、親しくなりすぎると、つい、相手の地位や相手の持つ権力を忘れてしまう…

 自分と、相手の地位や相手の持つ権力の差を忘れてしまう…

 そういうことだ…

 相手が、いかに、自分よりも、高い地位にいても、自分と、同じだと、思ってしまう…

 そういうことだ…

 だから、つい、あのアムンゼンを私と対等に見た…

 アラブの至宝と、この矢田を対等に、考えた…

 それが、いかんかった…

 いかんかったのだ…

 だが、同時に、不気味だった…

 なにもないことが、不気味だったのだ…

 あのアムンゼンを怒らせて、ただで、すむはずが、なかったからだ…

 だから、私は、身構えた…

 私は、まるで、今すぐ、敵が襲ってきても、構わんように、身構えた…

 身構えたのだ…


 が、

 ちょうど、四日目の午後だった…

 思いがけないことが、起こった…

 この矢田の元に、マリアが遊びにやって来たのだ…

 しかも、いきなりだった…

 事前の連絡もなく、いきなり、やって来た…

 これは、あまりないことだった…

 この矢田の家にやって来るときは、いつも
事前に連絡があった…

 母親のバニラから、連絡があったからだ…

 なにより、マリアは、まだ3歳…

 ひとりでは、この矢田の家に遊びにやって来ることは、不可能だった…

 なぜなら、この矢田の家と、バニラの家は、離れている…

 決して、お隣さんでも、なんでもないからだ…

 だから、ひとりで、来ることは、不可能…

 普通なら、電車やクルマで、やって来る距離だからだ…

 決して、歩いて、やって来れる距離では、ないからだ…

 だから、事前に連絡して、いつもやって来た…

 なぜなら、いきなり、連絡もなく、やって来て、もし、私が、不在ならば、無駄足になるからだ…

 だから、その日、事前の連絡もなく、いきなりやって来た、バニラとマリアの母娘に驚いた…

 驚いたのだ…

 マンションのチャイムが鳴り、私は、モニターを見た…

 すると、そこには、長身の女性と、小さな女のコが、写っていた…

 「…お姉さん…いきなり、やって来て、スイマセン…バニラです…」

 と、バニラが、モニター越しに、私に言った…

 私は、それを、見て、

 「…どうした? いきなり?…」

 と、言った…

 当たり前だった…

 こんなことは、滅多にあることでは、ないからだ…

 正直、あまり記憶がなかった…

 「…お姉さんに相談があって…」

 「…私に相談?…」

 …このバニラが、私に相談?…

 …この、いつも私に対して、生意気な口をきくバニラが、私に相談?…

 正直、悪い気分ではない(笑)…

 このバニラも、ついに、この矢田に屈したか?

 この矢田トモコの前に、膝を屈するときが、来たか?

 そう、思った…

 そう、思ったのだ…

 だから、

 「…わかったさ…今すぐ、ドアを開けるさ…」

 と、言って、マンションのドアを開けるべき、スイッチを押した…

 これで、バニラとマリアの母娘が、この矢田の住むマンションに入ることができる…

 まもなく、この二人の母娘が、私の住む部屋のベルを押した…

 私は、

 …来たか?…

 と、思った…

 ついに、このバニラが、この矢田に、膝を屈するときが、来たと、思ったのだ…

 そう、思うと、気分が、良かった…

 実に、気分が、良かった…

 これまで、散々、この矢田に逆らい続けたバニラが、この矢田に膝を屈するときが、来たのだ…

 気分が良くないはずが、なかった…

 なかったのだ…

 私は、ベルが鳴ると、急いで、ドアを開けた…

 すると、真っ先にマリアが、私の胸に飛び込んできた…

 バニラの娘のマリアが、飛び込んできたのだ…

 「…会いたかった…矢田ちゃん…」

 実に、嬉しそうに、言う…

 だから、私も、

 「…私もさ…マリア…」

 と、答えた…

 このマリアは、矢田になついている…

 この矢田が、好き…

 だから、私もマリアが好き…

 当然だった…

 これは、誰もが、同じ…

 同じだ…

 自分が、嫌いな人間は、自分を好きではない…

 自分を、嫌いだ…

 それと同じだ…

 仮に、たいした理由もなく、なんとなく虫が好かないと、しても、それが、態度に出る…

 すると、相手も、敏感に、それに、気付くものだ…

 だから、結果、相手も、自分を嫌いになる…

 そういうことだ(笑)…

 真逆に、相手が、自分を好きな場合は、相手を嫌いになれない…

 とりわけ、男女の間が、そう…

 別に、相手を好きでも、なんでもなくても、嫌いになれない…

 それは、例えば、結婚をするとか、恋愛をするとか、いう話ではなく、ただ、自分に好意を持っている相手を嫌いになれない…

 ただ、そういうことだ…

 私はマリアを抱きしめながら、そう、思った…

 そう、思ったのだ…

 すると、その光景を見ながら、

 「…お久しぶりです…お姉さん…」

 と、バニラが、丁寧に、頭を下げた…

 「…久しぶりさ…」

 私は、マリアを抱きながら、答える…

 「…それで、どうした? 今日は、いきなり、やって来て…」

 私は、わざと言った…

 まさか、この矢田に頭を下げにやって来たとは、いきなり、言えんだろうから、気を利かせて、やったのだ…

 「…実は、今日は、私ではなく、マリアが、お姉さんに用事があって…」

 「…マリアが?…」

 意外な言葉だった…

 意外な展開だった…

 私は、てっきり、このバニラが、私に頭を下げにやって来たと、ばかりに、思っていた…

 だから、意外だった…

 意外だったのだ…

 しかしながら、マリアに、

 「…マリア…私になんの用事だ?…」

 と、聞くと、マリアが、私を見ながら、

 「…実は、矢田ちゃんに、お願いがあるの?…」

 と、言った…

 「…お願い? …私に?…」

 珍しいことだった…

 このマリアは、3歳児ながら、大人顔負けの子供だった…

 だから、この矢田と、遊ぶのは、好きだが、とりたてて、この矢田に、

 「…アレが、欲しい…」

 とか、

 「…コレが、欲しい…」

 とか、ねだったことはない…

 一度もない…

 まあ、マリアの母親のバニラは、世界的に著名なモデルだし、金は、持っている…

 さらに、父親の葉敬は、台湾の大実業家…

 大金持ちだ…

 だから、この矢田にねだらなくても、父親か母親に頼めば、なんでも、買ってくれるだろう…

 惜しげもなく、金を与えるだろう…

 それが、わかっているから、このマリアは、矢田と遊ぶのは、好きだが、ものをねだったことは、一度もない…

 ただの一度もない…

 が、

 もしかしたら、これが、金持ちの子供の特徴かも、しれんと、気付いた…

 なまじ、金に縁がないから、

 「…アレも、欲しい…コレも欲しい…」

 と、なる…

 しかしながら、このマリアのように、最初から、望めば、なんでも手に入れることができる環境に生まれれば、真逆に、ものを欲しがることが、ないかも、しれない…

 もはや、お腹いっぱい…

 なんでも、手に入るから、なんにも、欲しくなくなる…

 そういうことかも、しれない…

 私は、思った…

 私は、考えた…

 そして、そんなことを、考えていると、マリアが、

 「…アムンゼンのことなの…」

 と、続けた…

 「…アムンゼンのこと?…」

 「…そう…」

 「…アムンゼンが、どうかしたのか?…」

 「…矢田ちゃん、アムンゼンと、ケンカしたでしょ?…」

 「…したさ…」

 「…どうしてしたの?…」

 「…どうしてと、言われても…」

 まさか、今、話しているマリア…オマエが、原因だとは、言えんかった…

 アムンゼンが、リンと会うのに、私が、アムンゼンとだけ、リンと会いに行くのは、マズい…

 私とアムンゼンの関係を問われるからだ…

 だから、このマリアをいっしょに、連れて行けば、マリアは、私の義理の妹だから、そのマリアの友達のアムンゼンも、いっしょに連れてきたと、いう形にしたかったのだ…

 しかし、それを、このマリアの母親のバニラに告げたことで、バニラが、このマリアに話したらしい…

 きっと、その中で、私が会うリンという女が、台湾で、有名なチアガールだと、聞いたのだろう…

 このマリアは、子供ながら、有名人好き…

 だから、それを、マリアが通うセレブの保育園で、友達に自慢したわけだ…

 結果、アムンゼンが、困り果てた…

 アムンゼンは、リンのファン…

 リンに会いたい…

 しかしながら、アムンゼンは、普段は、マリアに首ったけ…

 しかも、3歳児ながら、このマリアは、嫉妬深い…

 大人顔向けに、嫉妬深い…

 だから、普段は、自分に夢中のアムンゼンが、リンと会ったときに、リンにデレデレな態度をすれば、このマリアの機嫌が、悪くなるのは、火を見るよりも明らか…

 だから、それを、知ったアムンゼンが、私に激怒した…

 それゆえ、その顛末を、どう、このマリアに伝えたら、いいのか、悩んだ…

 悩みまくった…

               
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