第34話

文字数 4,468文字

 「…実はな…アムンゼン…」

 「…なんですか? 矢田さん?…」

 「…私は、うっかり、店主の機嫌を損ねて、しまったかも、しれんさ…」

 「…どうして、そう思うんですか? ボクの見るところ、矢田さんは、店主の機嫌を損ねるようなことは、していませんが…」

 「…いや、したさ…」

 「…した? なにをしたんです?…」

 「…あの店主、私たち3人が、この店に入って来たとき、大人の私やオスマンではなく、子供のオマエに挨拶しただろ?…」

 「…ハイ…しました…」

 「…だから、どうして、そうしたんだと、今聞いたら、事前に、子供が、一番偉いと、聞いたからだと、店主は、答えたろ?…」

 「…ハイ…」

 「…実は、私は、もっと、違う答えを期待していたのさ…」

 「…違う答え?…」

 「…例えば、一目見て、オマエが、一番、偉いとわかったとか?…」

 「…どうして、一目見て、わかるんですか? 初対面なのに?…」

 「…オーラさ…威厳さ…私は、それを、店主が、感じたと、思ったのさ…」

 「…」

 「…でも、実際は、違った…それで、私は、ガッカリしたんだが、その私の表情を見て、あの店主が、もしかしたら、そのガッカリした表情が、ラーメンが、期待外れだと、思ったら、困ると、思ってな…」

 「…期待外れ?…」

 「…そうさ…」

 私が、言うと、アムンゼンと、オスマンが、互いに顔を見合わせた…

 それから、オスマンが、

 「…矢田さん、それは、考え過ぎじゃ…」

 と、口を開いた…

 「…考え過ぎじゃないさ…」

 私が、言うと、またも、アムンゼンとオスマンが、顔を見合わせた…

 それから、アムンゼンが、

 「…矢田さんは、つくづく日本人ですね…」

 と、感嘆した様子で、言った…

 「…それは、どういう意味だ?…」

 「…小さなことでも、気になって、極力、相手の気持ちを気遣う…それが、日本人…まさに、矢田さんは、日本人そのものです…」

 「…なんだと?…」

 「…世界中で、日本人ほど、他人の動静を気にする人種は、いませんよ…」

 アムンゼンが、断言する…

 「…それに、矢田さんが、そこまで、気にすることは、ありませんよ…」

 「…どうして、オマエにそれが、わかる?…」

 「…3人とも、ラーメンを食べました…残すこともなく、食べ終わりました…それに…」

 「…それに、なんだ?…」

 「…ボクたち3人が、ラーメンを食べる姿を、あの店主は、ずっと、見てました…ボクも、オスマンも、この味に感動しました…そして、それは、言葉にこそ、出しませんが、表情に出ているはずです…」

 「…表情に?…」

 「…そうです…」

 私は、それを、聞いて、安心した…

 心の底から、ホッとした…

 正直、誤解されるのは、嫌…

 嫌だからだ…

 これは、どんな人間も、同じ…

 同じだ…

 例えば、若い男女の間で、

 「…好き…」

 とか、

 「…嫌い…」

 は、誰にだって、ある…

 しかしながら、誰もが、

 「…好きでもない、人間に、好きだと誤解されたり…」

 真逆に、

 「…好きな人間に、嫌いだと、誤解されたら…」

 たまったものでは、ないからだ…

 そして、そんなことは、ありえないと、思うかも、しれないが、現実は、違う…

 案外、身近にありえるものだからだ…

 私の身近でも、かつての会社の同僚の男が、偶然、街中で、同じ会社の同僚の女を見かけて、その同僚が、恋人と、歩いているのを、目撃したことがあるそうだ…

 会社では、付き合っているひとは、いないと、公言していたにも、関わらず、実際は、付き合っている人間が、いたわけだ(笑)…

 まさか、それを、本人に伝えるわけにも、いかず、会社では、誰にも言わないで、黙っていたが、やはり、気になる…

 それで、チラチラと、つい、その同僚を見ていたら、

 「…あの男は、あの同僚を好きなんじゃ…」

 と、根も葉もない噂が、流れて、困ったと、聞いたことがある(爆笑)…

 つまりは、誤解…

 周囲が、勝手に誤解したわけだ…

 そして、そんな例は、枚強にいとまがない…

 誰でも、身近に、見たり、聞いたりしたことがある、事例だからだ…

 要するに、自分が、考えていたことと、違う展開になる…

 自分の思っても、見ない展開になる…

 これは、意外に、誰にでも、あるものだからだ…

 そして、それは、おそらく、このアムンゼンも、同じ…

 アラブの至宝も、同じだと、思った…

 おそらく、リンのことを、調べていて、予想もしないことを、発見したに違いなかった…

 私は、そう、見た…

 私は、そう、睨んだ…

 だから、私は、アムンゼンを睨みながら、

 「…アムンゼン…オマエ、リンのなにを知った?…」

 と、聞いた…

 私の細い目をさらに細めて、聞いた…

 いわば、尋問したのだ…

 すると、どうだ?

 アムンゼンが、動揺した…

 アラブの至宝が、動揺した…

 アラブの至宝は、動揺したまま、

 「…実は、矢田さん…」

 と、切り出した…

 「…なんだ?…」

 私は、いつのまにか、腕を組んで、アムンゼンの話を聞いてやった…

 威厳を出すためだ…

 「…リンについて、調べているうちに、よからぬ情報が、入りました…」

 「…よからぬ情報? …なんだ? …それは?…」

 「…リンは、C国のスパイだと、言うのです…」

 「…なんだと?…」

 私は、思わず、唸った…

 同時に、

 …それは、もしや、あり得るかも、しれん…

 と、思った…

 リンは、台湾のチアガール…

 球団に属するチアガールに過ぎないが、台湾中に知られている…

 つまり、本人が、自分のことを、どう思おうと、台湾で、一定の影響力があると、いうことだ…

 そして、それは、今の時代は、昔の比ではない…

 なぜなら、ネットが発達しているからだ…

 ネットが発達する以前の時代とは、雲泥に違う…

 わかりやすい例で言えば、SNSを駆使すれば、政治にすら、影響を与えることが、できる…

 台湾で、圧倒的に人気のあるリンが、

 「…今度の選挙は、誰誰を応援しよう!…」

 と、書き込めば、その通りにする者が、必ず一定数存在するからだ…

 私は、思った…

 私は、考えた…

 同時に、気付いた…

 その情報源は、どこかと、気付いたのだ…

 私は、つい、

 「…サウジアラビアの情報局が、情報源か?…」

 と、聞いた…

 つい、聞いてしまった…

 つい、口にして、しまった…

 私の問いに、アムンゼンは、一瞬、ビクッと、カラダを揺らしたが、

 「…その通りです…矢田さん…」

 と、認めた…

 あっさりと、認めた…

 私は、

 「…そうか…」

 と、だけ、言った…

 腕を組みながら、相槌を、打った…

 威厳を出すためだ…

 少しでも、自分を偉く見せるためだ…

 なにしろ、この矢田には、威厳がない…

 まるで、ない(笑)…

 だから、腕を組み、威厳を出した…

 目の前のアラブの至宝が、相談しやすいように、するためだ…

 アラブの至宝が、相談するに足る人物になろうと、自分自身を演出したのだ…

 私は、

 「…やはり、そうか…」

 と、繰り返した…

 何度も言うように、威厳を出すためだ…

 なにもわからない、この矢田が、さも、わかったように、言うためだ…

 そのために、腕を組む、必要があったわけだ…

 腕を組んで、威厳を出す必要があったわけだ…

 そして、私が、一生懸命、威厳を出していると、

 「…それは、本当ですか? …オジサン?…」

 と、隣のオスマンが、焦った様子で、アムンゼンに聞いた…

 すると、

 「…本当だ…」

 と、アムンゼンが、不機嫌に一言。

 「…いつも、近くにいる、オマエが、気付かないで、どうする?…」

 と、オスマンを一喝した…

 「…だから、いつまでも、オマエは、一人前になれないんだ…」

 アムンゼンが、愚痴る…

 「…ホントは、ボクは、オマエに…」

 と、アムンゼンが、続けるから、

 「…まあ、いいじゃないか?…」

 と、私は、言った…

 「…なにが、いいんですか? …矢田さん?…」

 「…オマエ…ラーメン屋で、そんなに、オスマンを叱るな…周りが、見ているゾ…」

 私が、言うと、アムンゼンが、慌てて、周囲を見回した…

 すると、当然、店主を筆頭として、店の従業員全員が、私たちを見ていた…

 私たち3人を見ていた…

 なにしろ、貸し切りだ…

 店の客は、私たち3人だけ…

 しかも、

 しかも、だ…

 貸し切りにする前に、日本の外務省のお偉いさんが、この店にやって来たという…

 外務大臣が、わざわざやって来て、この店を貸し切りにしてくれと、懇願したという(笑)…

 当然ながら、そんなことがあれば、一体、どんな客が、やって来るか? 誰でも、気になるに決まっている…

 だから、店中の人間の視線が、私たち3人に注がれていた…

 一挙手一投足をすべて、見られていた…

 まるで、芸能人や、大物政治家になったみたいだった…

 いわゆる、注目の的だったからだ…

 すると、アムンゼンが、

 「…これは、マズい…」

 と、突然、口にした…

 「…どうして、マズいんだ?…」

 「…ボクの正体が、バレたら、マズい…」

 「…オマエの正体? …そんなに簡単にバレるわけないだろ?…」

 「…いいえ、そんなことは、ありません…今は、誰でも、スマホで、動画をネットにアップできる時代です…ボクやオスマンが、写った動画をネットのアップでもされて、その動画を見たサウジの関係者が、騒ぎ出しでも、したら、困ります…」

 「…オマエ、それは、考え過ぎじゃ…」

 「…いえ、考え過ぎじゃありません…この日本でも、壁に耳あり障子に目ありということわざがあるでしょ? 誰が、どこで、目を光らせ、耳をそばだてているか、わかりません…」

 「…」

 「…それに、ボクの正体は、ともかく、このオスマンの顔は、それなりに知られています…」

 「…なんだと、知られている?…」

 「…オスマンは、王族の中でも、一二を争う、イケメンです…だから、サウジアラビアでも、それなりに知られています…それが、表に出るのは、マズい…」

 「…だったら、どうする?…」

 「…今すぐ、この店を出ましょう…ラーメンもすでに、食べ終わっています…」

 アムンゼンは、言うと、さっさと立ち上がった…

 私も、それに倣って、立ち上がった…

 たしかに、アムンゼンの言うことも、わかる…

 わかるのだ…

 スマホで、私たち3人が、仲良くラーメンをすすっている動画を、ネットにアップされたら、たまったものでは、ないからだ…

 だから、それに、気付いた私たち3人は、慌てて、店を出ることにした…

 そして、私が、会計を済まそうとすると、店の主人が、

 「…すでに、外務省の方から、お代は、頂いています…」

 と、返された…

 「…なんだと?…」

 「…まさか、海外のお客様にお金を頂くわけには、いかないからでしょう…」

 店主が、説明する…

 …そうか?…

 …日本の外務省も、なかなか、やるものだ…

 私は、感嘆した…

 ラーメン代、3杯分、タダになったと、思った…

 矢田トモコ、35歳…

 今日は、少しばかり、得をした気分だった…

 実に、いい気分だった(笑)…

               
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