第15話

文字数 4,207文字

 このアムンゼンが、私を好き?…

 アラブの至宝が、この矢田を好き?…

 正直、わけがわからん(苦笑)…

 私は、悩んだ…

 悩んだのだ…

 「…それは、ホントか? オスマン…このアムンゼンが、好きなのは、リンじゃ、なかったのか?…」

 「…それは、女として…憧れとして、です…」

 「…憧れとして、だと?…」

 「…そうです…例えば、テレビで見る、アイドルと本気で、恋愛したいと、思う一般人は、皆無でしょ?…」

 「…それは…」

 「…オジサンも、それと、同じです…」

 「…だったら、この矢田は、なんなんだ?…私は、アイドルでも、なんでもないゾ…しかも、人妻だ…葉尊という立派な夫もいる…」

 「…オジサンが、矢田さんを好きなのは、本音で、言いあえるからです…」

 「…本音だと?…」

 「…矢田さんには、裏表が、まるでない…だから、誰からも愛される…あのリンダさんからも、バニラさんからも、愛されている…男女の別なく、愛されている…これは、普通、あり得ないことです…なぜなら、二人とも、世界的に有名な女優とモデル…そんな二人に、愛され、慕われる矢田さんです…オジサンが、気にならないはずが、ありません…」

 「…なんだと?…」

 「…オジサンは、こう見えて、結構ミーハーなんです…」

 オスマンが、仰天の事実を言う…

 「…ミーハー? …このアムンゼンが、か?…」

 「…そうです…今回のリンしかり…オジサンは、結構、そういう傾向が昔から、あって…」

 オスマンが、続けると、

 「…いい加減にしろ…オスマン…」

 と、アムンゼンが、一喝した…

 「…スイマセン…」

 オスマンが、詫びる…

 「…ですが…」

 「…もういい…オスマン…」

 アムンゼンが、怒った…

 明らかに、アムンゼンが、機嫌を損ねた…

 「……まったく、オマエが、こんなにおしゃべりだとは、思わなかったゾ…」

 「…それは、相手が矢田さんだからです…」

 「…相手が私だから?…」

 と、私。

 「…ボクもこの歳になって、気付きました…」

 「…なんに、気付いたんだ?…」

 と、私。

 「…昔は、威厳があって、なにが、あっても、動ぜずに、どっしりと、構えているのが、リーダーだと、思ってました…」

 「…父のように、か?…」

 と、アムンゼン。

 「…そうです…ですが、歳をとって、気付いたのは、なんでも、気軽に、言いあえるような人間が、実は、一番いいんじゃないかと、考えが変わりました…」

 「…どうして、変わったんだ…」

 と、私。

 「…いわゆる、お偉いさんは、話しづらい…」

 オスマンが、笑う…

 「…話しづらい?…」

 「…だから、威厳が、保てているのかも、しれませんが、正直、用事がなければ、近寄りたくもありません…」

 「…」

 「…ちょうど、矢田さんの真逆です…」

 「…私の真逆?…」

 「…ハッキリ言って、矢田さんには、なにもありません…」

 「…なんだと?…」

 「…ですが、世界的に著名なリンダさんや、バニラさんが、矢田さんを慕っている…これは、矢田さんに魅力があるからです…」

 「…私に魅力が?…」

 「…そうです…だから、慕われる…オジサンが、矢田さんを好きなのも、同じ理由です…」

 「…そうか…」

 私は、言った…

 これは、いつものこと…

 いつものことだったのだ…

 よく、私を面白い…

 私をお笑い芸人のように面白いと、言うが、私は、全然、私を面白いと、思ったことはない…

 まったく面白いと思ったことはない!…

 なぜなら、私が、自分を面白いと、思えば、迷わず、吉本芸人の道を目指したと、思う…

 だが、

 私は、目指さなかった!…

 理由は、簡単…

 それは、私が、面白くないからだ…

 もし、私が、本当に、面白いならば、間違いなく、吉本の芸人を目指した…

 理由は、明白…

 金だ!

 成功すれば、大金を得ることが、できる…

 だから、目指すに決まっている…

 成功すれば、年収で、億は、軽い…

 大成功すれば、5億、10億と、得ることができる…

 しかしながら、この矢田には、そんな才能がなかった…

 これっぽっちもなかった(涙)…

 だから、今現在も、平凡な人生を歩んでいる…

 平凡そのものの人生を歩んでいる…

 そういうことだ…

 だから、

 「…私は、平凡さ…平凡な人間さ…」

 と、言ってやった…

 「…周りが、私を勝手に、誤解しているだけさ…」

 「…いえ、平凡ではありません…」

 アムンゼンが答える…

 「…なんだと?…」

 「…平凡な人間なら、リンダさんやバニラさんが、矢田さんを慕うわけがありません…リンダさんも、バニラさんも一流です…ですから、一流の人間といつも接しています…そんな一流の人間が、矢田さんを慕うのは、矢田さんもまた、一流だからです…」

 「…私が、一流?…」

 「…そうです…」

 アムンゼンが、真顔で、言った…

 アラブの至宝が、真顔で、言った…

 私は、きっと、このアラブの至宝が、今朝、なにか、悪いものでも、食べたのだと、思った…

 あるいは、今朝、なにか、悪いものでも、飲んだのだと思った…

 要するに、一時的に頭がおかしくなったのだ…

 人間、誰でも、そんなときはある…

 この矢田トモコにもある…

 要するに、なにか、悪いものを食べたり、飲んだりしたから、一時的に、頭が錯乱したのだ…

 私は、そう思ったのだ…

 私は、そう、確信したのだ…

 だから、相手にしないことにした…

 頭のおかしな人間に、この矢田が、まともな対応をしては、世間に笑われるからだ…

 実は、この矢田トモコ…

 人並み以上に、世間体を気にする女だった…

 常に、世間から、どう見られるか、気にする女だった…

 だから、今、このアラブの至宝と言いあって、それが、世間にバレたら、マズいと思った…

 アラブの至宝が、その日の朝、朝食で、食べ合わせが悪くて、つい、精神に変調をきたした…

 その精神に変調をきたしたアラブの至宝の言葉を真に受けて、この矢田が、その言葉を鵜呑みにすれば、後で、この矢田は、世間の笑いものになる…

 そう、思ったのだ…

 だから、忘れることにした…

 今の話は、聞かなかったことにした…

 今の話は、なかったことにしたのだ…

 だから、話を変えることにした…

 なにに、変えようかと、思ったが、やはり、リンの話題に限ると、思った…

 なにしろ、この部屋中、至る所に、リンの絵が描かれている…

 まるで、天女のように、描かれているからだ…

 私は、腕を組み、足を開いて、そのリンの絵を見た…

 威厳を出すためだ…

 この矢田トモコ…

 正直、威厳がない…

 まるでない(笑)…

 だから、少しでも、威厳を出すために、偉そうにした…

 腕を組み、足を広げたのだ…

 そして、まるで、絵画評論家のように、

 「…この絵は、まるで、天女だ…そうだろ? アムンゼン…」

 と、アムンゼンに呼びかけた…

 アラブの至宝に、呼びかけた…

 すると、だ…

 アムンゼンが、同意した…

 「…やはり、矢田さんも、そう思いますか?…」

 と、言った…

 私の作戦勝ちだった…

 このアムンゼンが、私の話に、乗ったのだ…

 「…そう、思ったさ…だから、言ったのさ…」

 「…これは、ある意味仕方ないことかも、しれません…」

 「…仕方ない? どうして、仕方ないんだ?…」

 「…元々、アラブ世界では、偶像崇拝が、否定されてます…」

 「…偶像崇拝が、否定? …どういう意味だ?…」

 「…要するに、アメリカを代表する、有名な歌手や女優のポスターを張ることを、禁止しています…特定の人物のポスターを張ることを禁止しています…だから、このボクが、リンのポスターを張ることも、難しい…」

 「…」

 「…それで、この絵を描いた画家が、気を利かせて、わざと、天女のように、描いた…特定の人物では、ないからです…その方が、いいと判断したのでしょう…だから、文句も言えません…」

 「…そうか…」

 私は、言った…

 「…オマエも色々大変だな…」

 「…たしかに、ボクの立場は、色々制約があります…これは、ボクの立場上、仕方がないことです…」

 「…どうして、仕方がないんだ?…」

 「…誰だって、自分の好きなように、行動できる人間は、いません…例えば、日本の総理大臣が、女好きだからって、キャバクラに入り浸るわけには、いかないでしょ?…」

 「…それは…」

 「…それと、同じです…誰にでも、立場がある…矢田さんも、今は、クールの社長夫人です…日本の家電量販店で、クールの製品以外の他社の製品を購入するわけには、いかないでしょ?…」

 「…それは…」

 私は、言葉に詰まった…

 なぜなら、その通りだからだ…

 「…それと同じで、この部屋の装飾を依頼した画家も、ボクに配慮したのでしょう…やはり、サウジの王族が、特定の女のファンだと、わかるのは、おかしい…偶像崇拝になる…だから、わざと、天女のように描いたのでしょう…それを、思うと、怒る気にも、なりませんでした…」

 「…そうか、オマエも、色々大変だな…」

 「…ボクが、矢田さんに憧れるのは、まさに、天女のように、天衣無縫だからです…」

 「…天衣無縫?…」

 「…何事にも、とらわれず、何事にも、頓着しない…矢田さんだから、できることです…」

 「…私だから、できること?…」

 「…どんな人間も、多かれ少なかれ、地位や名誉にとらわれます…でも、矢田さんには、それがない…」

 「…私にはない?…」

 「…矢田さんは、あらゆるものにとらわれずに、生きる…その姿に、リンダさんや、バニラさんは、憧れているんだと、思います…」

 「…私に憧れてる? ウソ?…」

 「…ウソでは、ありません…」

 「…」

 「…誰でも、自分にできないことを、たやすくやりとげる人間には、憧れや嫉妬が、存在します…」

 「…憧れや嫉妬?…」

 「…テレビで見る芸能人が、その最たる例でしょう…自分の方が、キレイだ…自分の方が、カッコイイ…そう思う人間は、老若男女を問わず、少なからず、存在します…ただ、矢田さんは、善人です…だから、憎まれない…誰もが、矢田さんに憧れる…」

 「…私に憧れる?…」

 「…きっと、今回、葉敬さんが、リンの面倒を矢田さんにしてもらいたいと、考えるのは、そんな狙いがあるからかも、しれません…」

 「…お義父さんの狙い?…」

 「…そうです…」

 アムンゼンが、したり顔で、言う…

 アラブの至宝が、思わせぶりに言った…

               
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