第18話

文字数 3,602文字

 この葉尊と、結婚して半年経つが、これまで、葉尊のこんな姿は、見たことがなかった…

 ここまで、雄弁に語る姿は、見たことがなかった…

 これまで、この葉尊は、いつも、私に対して、控えめだった…

 いや、

 控えめというより、いつも自分を殺していた…

 自分の主張を極端に抑えていた…

 少なくとも、私には、そう見えた…

 そう、見えたのだ…

 だから、むしろ、今の葉尊の方が、安心した…

 おそらく、素の姿を見せたのだろうと、思ったからだ…

 ひとは、誰でも、そうだが、四六時中、誰かを演じることは、できない…

 どこかで、素の姿を見せることがある…

 問題は、そのタイミングだ…

 おそらく葉尊は、結婚して、半年も経ったから、つい、油断して、素の姿を、私に見せたのかも、しれない…

 あるいは、気付かずとも、油断して、素の姿を見せたのかも、しれない…

 が、

 しかしながら、それが、嬉しかった…

 いわゆる、演技ではない素の葉尊が、見えたことが、嬉しかった…

 やはり、いっしょにいて、誰かを演じていていては、いくら、私に文句を、なにひとつ言わずとも、居心地が悪いというか…

 ホントは、なにを考えているか、わからない…

 そう、思っていたからだ(苦笑)…
 
 だから、片鱗といえども、素の姿を見せてくれたのは、嬉しかった…

 嬉しかったのだ…

 そして、それが、私の表情に出たのだろう…

 「…なんですか? お姉さん…なんだか、嬉しそうですね?…」

 と、葉尊が、言った…

 私は、いつもの、

 「…なんでもない…なんでもないさ…」

 と言う、口癖を言いながら、ご飯を食べた…

 なぜか、いつもより、夕食がおいしく感じた…

 単に、気分がいいからだろう…

 だから、ご飯もおいしく感じる…

 実に、単純なことだが、世の中、そういうものだ…

 なにか、気分が悪くなったりすることが、あると、どんなにおいしいご飯を食べても、おいしく感じないことがある…

 それと、いっしょだ…

 病は気からという言葉があるが、まさに、その通り…

 その通りだった…

 葉尊が、少しとはいえ、素の姿を私に見せてくれたのは、嬉しかった…

 実に、嬉しかったのだ…


 そして、夜、寝ながら、私は、考えた…

 バニラに会わねば、ならんと、考えた…

 あのバニラは、私の宿敵…

 正直、考えただけで、胃が痛む存在だ…

 ハッキリ言えば、殺しても、殺したりないほど、憎い相手では、あるが、会わなければなるまい…

 なぜなら、バニラの娘のマリア…

 マリアが、必要だからだ…

 アムンゼンのために、マリアが、必要だからだ…

 だから、会わねば、ならん…

 ならんのだ…

 私は、寝室で、ひとり寝ながら、考えた…

 私と葉尊は、寝室は別…

 同じ部屋に寝ない…

 なぜ、寝室は、別なのか?

 別に理由はない(笑)…

 葉尊と結婚して、最初は、別居婚…

 三か月して、いっしょに、暮らし始めた…

 そのときから、寝室は別…

 つまり、最初から、寝室は、別だった…

 が、

 これが、私には、心地よかった…

 そして、それは、葉尊も同じ…

 同じだ…

 なぜ、心地よかったのか?

 それは、寝室は、究極のプライベートだからだ…

 私は、一人っ子…

 ある程度、物心つく歳になってからは、ずっと一人で、寝ていた…

 だから、正直、隣にひとが、いると、寝られない…

 ぶっちゃけ、同じ部屋で、誰かと、いっしょに、寝るのは、無理…

 できない相談だった…

 そして、それは、また葉尊も同じ…

 同じだった…

 なぜなら、葉尊もまた、私と同じ一人っ子…

 幼いときは、一卵性双生児の弟の葉問が、いたが、葉問が事故で、亡くなると、葉尊は、一人だった…

 だから、実質、一人っ子…

 それゆえ、私同様、隣にひとがいては、寝られない性質だった…

 だから、二人で、いっしょに、暮らし出したときに、寝室は、別と、聞いて、ホッとした…

 それは、おそらく、葉尊も同じだったろう…

 私は、今、35歳…

 葉尊は、29歳…

 共に、決して、若くはない(笑)…

 例えば、生涯抱き合って、生きて行こうなどと、口が裂けても、言えない…

 なぜなら、それは、中学生や高校生が言うセリフだからだ…

 恋に恋する中学生や高校生が、言うセリフだからだ…

 だから、言えない(笑)…

 それは、さておいて、あのバニラのことを、考えると、正直、胃が痛んだ…

 アイツは、バカなくせに、私に盾突く…

 いや、

 バカだから、この矢田に盾突くのか?

 ともかく、ホントは、あんなバカに会いたくは、なかったが、仕方がない…

 アムンゼンのためだ…

 アラブの至宝のためだ…

 アムンゼンに会うためには、マリアに会う必要がある…

 バニラの娘のマリアに会う必要がある…

 臥薪嘗胆…

 泣いて馬謖を斬る、だ…

 私は、仕方なく、ケータイを取り出し、ベッドに寝ながら、バニラに電話をした…

 ルルルルル…

 ちっとも、出んかった…

 相変わらず、バカな女だ…

 せめて、留守電にでも、すれば、私も、こんなに電話をせずに、すむのに…

 留守電にでも、すれば、メッセージを入れるだけなのに…

 つい、思った…

 つい、不満が、出た…

 ようやく、

 「…もし、もし…」

 と、眠そうなバニラの声が聞こえてきた…

 「…もしもし、どなたですか?…」

 「…バニラ…私だ…矢田トモコだ…」

 私は、言った…

 名前を名乗った…

 「…お…お姉さん?…」

 バニラが、絶句するのが、わかった…

 「…そうさ…私さ…矢田トモコさ…」

 私は、名乗った…

 同時に、頭の中で、

 …相変わらず、バカな女だ…

 …何度も、私に名前を言わせるんじゃないさ…

 と、思った…

 が、

 さすがに、それを、口に出すわけには、いかなかった…

 すると、だ…

 「…なに? なにか、急用?…」

 バニラが、電話の向こう側から、心配そうに、聞いてきた…

 「…急用? …そんなことは、ないさ…」

 私は、言った…

 「…だったら、なんで、こんな時間、今、夜の十一時を過ぎているわ…」

 「…いや、単に、寝ていたら、急に、オマエに電話をかけなければ、ならんと、気が付いてな…まあ、気にするな…私は、なにも、気にしないゾ…」

 私が、言うと、

 「…」

 と、なにも、聞こえて、来なかった…

 一切、なにも、聞こえて、来なかった…

 私は、心配になった…

 「…どうした? …バニラ…なにか、あったのか?…」

 私は、大声で、聞いた…

 バニラは、バカだから、嫌いだが、まさか、私と電話中に倒れでも、したら、困るからだ…

 なぜなら、もし、バニラの身になにか、あれば、この矢田のせいにでも、なったら、困る…

 理由は、それだけだ…

 だから、聞いてやった…

 大声で、聞いてやった…

 すると、

 「…そんな用事で、こんな時間に、電話を、かけてくるんじゃねーゾ…クソチビ!…」

 大声で、怒鳴り返してきた…

 こともあろうに、この矢田トモコ様に、怒鳴り返してきた…

 私は、頭に来た…

 せっかく、この矢田が、わざわざ、バニラごときに、電話をかけてやっているにも、かかわらず、この態度…

 頭にきて、当然だった…

 「…ふざけるんじゃ、ないさ…この矢田が、わざわざ、オマエごときに、電話してやるのさ…感謝してもらわなくちゃ、困るさ…」

 「…なんだと! クソチビ…夜中の十一時に勝手に電話をかけてきて、その言い草は、なんだ? オマエ、何様なんだ?…」

 「…私は、矢田トモコ様さ…ふざけて、もらっちゃ、困るさ…」

 「…こんな真夜中に、電話をかけてくる、オマエが、ふざけてるんじゃ、ねえのか!…」

 バニラが、怒鳴った…

 まさに、正論…

 ド正論だった…

 しかし、謝るわけには、いかん…

 たとえ、100%、私が、悪くても、このバニラごときに頭を下げるのは、死んでも嫌だからだ…

 だから、謝るわけには、いかんかった…

 そして、私が、そんなことを、考えていると、

 「…聞いてるのか、クソチビ!…」

 と、まだ、電話の向こう側から、バニラが、怒鳴っていた…

 「…そもそも、なんで、テメエは、こんな時間に、私に…」

 と、怒鳴りながら、聞いてくるから、つい、

 「…いや、アムンゼンに頼まれてな…」

 と、小さな声で、ボソッと呟いた…

 途端に、バニラの怒鳴り声が、止んだ…

 ピタッと、止んだ…

 私は、心配になった…

 まさか、怒鳴り過ぎで、頭に血が上り、倒れたかも、しれんと、思ったからだ…

 バニラは、まだ23歳だが、これは、年齢ではない…

 誰しも、起こりうることだからだ…

 だから、私は、

 「…おい、バニラ…大丈夫か? 気をしっかり、持つことさ…」

 と、聞いてやった…

 まさかとは、思うが、心配になったのだ…

 が、

 返って来た声は、

 「…やだ…お姉さん…殿下からの要請なら、最初から、そう言ってよ…」

 と、言うものだった…

 猫撫で声…

 まさに、君子豹変す…

 見事なまで、豹変す…

 その見本だった(爆笑)…

               
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