第40話

文字数 3,868文字

 これは、予想通り…

 だから、驚きはなかった…

 が、

 しかし、少し考えると、驚きがないことが、驚きだった…

 あまりにも、予想通りなのが、驚きだった…

 だから、あまりにも、予想通りだから、

 「…」

 と、絶句していると、

 「…どうしました? …お姉さん? …聞こえますか?…」

 と、大きな声で、葉敬が、電話の向こう側から、怒鳴った…

 かなり、大きな声で、聞いてきた…

 もしかしたら、私が、聞いてないと、思ったのかも、しれない…

 だから、慌てて、

 「…ハイ…お義父さん、聞いています…」

 と、返した…

 お義父さんに負けじと、大きな声で、返した…

 すると、即座に、

 「…お姉さん…わかりました…」

 と、これも、また大声で、お義父さんが、返した…

 きっと、私に対抗するために、大声を出した?

 いや、

 そうではない…

 これ以上、私に大声を出させないためかも、しれない…

 とにかく、お義父さんの本音は、わからないが、そういうことだった…

 そういうことだったのだ(笑)…

 そして、私が、そんなことを、考えていると、

 「…日本に行ったときは、とりあえず、お姉さんの家に伺います…」

 と、続けた…

 「…リンと、いっしょに、お姉さんの家に伺います…」

 と、続けた…

 私は、一瞬、息が止まりそうだった…

 内心、

 …エッ?…

 と、絶句した…

 なぜなら、お義父さんが、この家にやって来るのは、たぶん、初めてだからだ…

 私が、今、夫の葉尊と住む、この高級マンションは、元はと言えば、お義父さんの家…

 台湾の大実業家、葉敬が、日本にやって来たときに、滞在する家だったからだ…

 そのマンションを、息子の葉尊が、結婚したから、息子の葉尊に譲った…

 私と葉尊が、結婚したから、譲った…

 そういうことだったからだ…

 …お義父さんが、この家にやって来る!…

 私の頭の中は、それだけで、パニックになった…

 なぜなら、今まで、そんなことは、一度もなかったからだ…

 葉尊と結婚して、半年あまり…

 最初は、別居婚だったから、一緒に、暮らし出してからは、まだ三か月少々…

 そんな短い期間だから、まだ、お義父さんが、この家にやって来たことは、なかった…

 もっと、言えば、葉尊の両親が、やって来ることは、なかった…

 だから、葉尊の嫁の立場の、この矢田としては、プレッシャー…

 お義父さんが、この家にやって来るのは、大きなプレッシャーだった…

 なにしろ、この家に、元は、住んでいた人間だ…

 その人間が、この家に一歩足を踏み入れて、

 「…自分が、住んでいたときは、こんなに、汚くなかった…」

 とでも、言い出せば、目も当てられんからだ…

 私の立場が、なくなるからだ…

 いや、

 口には、出さなくても、なんとなく態度で、わかるものだ…

 なにしろ、お義父さんは、この矢田に優しい…

 なぜか、知らんが、優しい…

 だから、思っていても、口には、せんだろう…

 決して、言わんだろう…

 だが、だから、怖い…

 余計に怖いのだ…

 「…では、お姉さん…来週、お会いできるのを、楽しみにしています…」

 と、葉敬が、言って、電話が切れた…

 私は、その電話が切れた瞬間ら、動き出した…

 すぐに、家の掃除にかかった…

 なにしろ、お義父さんが、この家にやって来るまで、一週間しか、ない…

 わずか、一週間しか、ないのだ…

 だから、私は、必死になって、出来た嫁を演出すべく、掃除に励んだ…

 励んだのだ…

 
 それだからか、夕方になって、家に戻って来た、夫の葉尊が、私の姿を見て、仰天した…

 「…どうしたんですか? …お姉さん?…」

 と、仰天した…

 私が、疲れ切っていたからだ…

 疲れ切って、会社から帰って来た葉尊を迎えたからだ…

 だから、いつもは、

 「…なんでもない…なんでもないさ…」

 と、言うところが、もはや、そんな気力もなかった…

 私は、疲れ切った表情で、

 「…見ての通りさ…」

 と、呟いた…

 力なく、呟いた…

 「…お姉さん…見ての通りって、一体?…」

 「…大掃除さ…」

 「…大掃除?…」

 「…来週、お義父さんが、来日するそうさ…そして、この家にやって来るそうさ…」

 「…この家に?…」

 「…そうさ…だから、私は、嫁として、お義父さんに、キレイな家を見せねば、ならんと、決意したのさ…だから、大掃除を…」

 私は、息を切らせて言った…

 正直、しゃべるのも、辛かった…

 それほど、エネルギーを費やしていた…

 もはや、この矢田のカラダに残るエネルギーは、ほとんどなかった…

 なかったのだ(涙)…

 「…でも、お姉さん…この家は、キレイですよ…」

 「…キレイなんか、じゃないさ…」

 私は、怒鳴った…

 「…いや、キレイです…そもそも、お姉さんは、この家に、自分の私物をほとんど、持ってきて、いないじゃ、ないですか?…」

 夫の葉尊が、言う…

 真実を言う…

 実は、この矢田トモコ…

 この葉尊といっしょに、暮らし出して、三か月経つが、実家から、持ってきた私物は、ほとんどなかった…

 なかったのだ…

 いわば、居候というか…

 正直、その居候という言葉が、当てはまる…

 たまたま、縁あって、この葉尊と結婚したが、実は、この矢田トモコ、この結婚が、長続きするとは、まったく思ってなかった…

 なかったのだ…

 だから、極力、自分の私物を、この家に持ち込まんかった…

 まるで、ホテルか、どこかに、泊まるように、自分の私物を、実家から、たいして、持って来んかった…

 実家から、持ってきたのは、数少ない私服と、パソコンぐらい…

 実は、この矢田トモコ…

 生粋のメカ好きだった…

 幼いときから、機械いじりが、好きだった…

 だから、パソコンが、好きだった…

 だから、パソコンといっても、自分の愛機は、デスクトップパソコン…

 イマドキ、珍しい、大きなデスクトップパソコンだった…

 その大きなデスクトップパソコンに、ビデオカードやメモリをいっぱい取り付けて、いじるのが好きだったのだ…

 だから、家にいるときは、年がら年中、パソコンをいじっていた…

 今では、誰でも、私の年代でも、スマホをいじるのが、主流だが、私の場合は、パソコンだった…

 あくまで、パソコンがメイン…

 スマホは、サブだった…

 スマホは、セカンドだった…

 正直、外出するときは、ともかく、家の中で、スマホをいじっている人間の気が知れん…

 やはり、家の中で、ネットに接続するときは、スマホではなく、パソコンに限る…

 とりわけ、ノートパソコンではなく、デスクトップパソコンに限る…

 理由は、ただ、一つ…

 デスクトップパソコンの方が、画面が、広いからだ…

 だから、見やすいからだ…

 だから、この矢田は、家にいるときは、いつも机に向かって、デスクトップパソコンを開いている…

 つまり、そういうこと…

 そういうことなのだ…

 私が、そんなことを、考えていると、

 「…お姉さん…」

 と、葉尊が、声をかけた…

 「…なんだ?…」

 「…お姉さんは、父のお気に入りです…ですから、お姉さんが、そんなに頑張って、家の掃除をしなくても、普段通りのお姉さんの姿を見せれば、父も、喜ぶと思います…」

 「…普段通りの姿?…」

 「…そうです…」

 葉尊が、言う…

 穏やかに言う…

 そして、なにより、その言葉には、説得力があった…

 メチャクチャ、説得力があったのだ…

 たしかに、私が、なにもしなくても、お義父さんは、私を怒らないだろう…

 しかし、だ…

 夫の父親が、家にやって来るのが、事前にわかっていて、なにも、準備しない嫁が、どこの世界にいるだろうか?

 否…

 いるわけがない…

 もちろん、この矢田も例外ではない…

 例外ではないのだ!…

 しかも、ここだけの話…

 実は、この矢田トモコ…

 人一倍、気が弱かった…

 気が弱かったのだ(涙)…

 だから、他人の評価が、気になる…

 異常なまでに、気になる…

 要するに、気が弱いから、世間の声が、気になる…

 いわゆる、世間体が、気になる…

 世間から、どう見られているか?

 気になるのだ…

 そんな私の心の中を、見透かしてか、あるいは、わからないで、か?

 それとも、わかっていてか?

 ともかく、葉尊は、

 「…お姉さんは、お姉さんのままで、いるのが、一番です…」

 と、私に言った…

 「…お姉さんは、父のお気に入りです…いえ、父に限らず、お姉さんは、誰にも、好かれます…リンダにも、バニラにも、好かれます…正直、お姉さんが、羨ましい…」

 「…私が、羨ましい?…」

 「…その通りです…」

 「…お姉さんは、お姉さんと出会った人間をことごとく、魅了する…自分の味方につける…それは、誰にもできことでは、ありません…お姉さんだから、できることです…」

 「…なんだと? 私だから、できるだと?…」

 「…それは、なにより、アムンゼン殿下…殿下に気に入られたのを、見ていれば、わかります…あの殿下は、容易にひとを、受けいれない…安易に、他人を信用しない…」

 「…なんだと?…」

 「…たぶん、殿下は、猜疑心の塊です…それは、おそらく、殿下の立場が、そうするのでしょう…」

 「…」

 「…でも、お姉さんは、違う…」

 「…なにが、違うんだ?…」

 「…労せず、殿下に気に入られてしまう…努力も、なにもせず、気に入られてしまう…正直、お姉さんが、羨ましい…お姉さんが、憎らしい…」

 「…私が、憎らしい?…」

 「…ハイ…お姉さんが、憎らしいほど、羨ましい…」

 夫の葉尊が、吐露した…

 実に、悔しそうな表情で、吐露した…

               
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