第35話

文字数 3,789文字

 店を出ると、アムンゼンが、

 「…では、矢田さん、今日は、これで…」

 と、言った…

 私は、ビックリしたが、思わず、

 「…そうか…」

 と、返した…

 「…今日は、矢田さんと、食事が出来て、楽しかったです…」

 「…私もさ…」

 私は、言ってやった…

 なにしろ、このラーメン屋から、私の自宅は、近い…

 だから、以前、自宅から徒歩で歩いて来て、この店の特製ラーメンを食べるために、行列に並んだのだ…

 真逆に、アムンゼンの自宅は、遠い…

 だから、このロールス・ロイスで、この店まで、やって来たわけだ…

 私は、思った…

 思ったのだ…

 
 私は、このラーメン屋の駐車場で、アムンゼンとオスマンと別れた…

 そして、思い返せば、その別れが、永遠の別れだとまでは、言わんが、その後、少々、厄介な展開になったわけだ…

 私は、徒歩で、自宅に帰ったが、その夜、会社から、自宅に戻った夫の葉尊が、血相を変えて、私の元にやって来た…

 「…お姉さん…大変です…」

 「…どうした? …なにが、大変なんだ?…」

 「…大変です…テレビを見てください…」

 「…テレビを見てくれだと?…」

 「…ハイ…」

 「…わかったさ…」

 私は、言いながら、テレビのスイッチを入れた…

 と、そこには、暴動の群衆が、映っていた…

 サウジアラビアの群衆の暴動が、映っていたのだ…

 「…な、なんだ? …これは一体?…」

 「…サウジアラビアで、今、暴動が起こっています…」

 「…なんだと?…どうして、だ?…」

 「…それが…」

 夫の葉尊が、言い淀んだ…

 だから、私は、もう一度、

 「…それが、どうした?…」

 と、葉尊に聞いた…

 聞いたのだ…

 「…それが、SNSに、動画がアップされて、それが、きっかけで…」

 「…SNSで、動画がアップだと?…」

 私は、驚いた…

 その可能性について、すでに、あのアムンゼンが、言っていた…

 アラブの至宝が、言っていた…

 3歳児にしか、見えない、アラブの至宝が、言っていた…

 間違いなく、アラブの至宝が、恐れていたことを、言っていた…

 だから、

 「…どんな動画だ?…」

 と、聞いた…

 当たり前だった…

 すると、すぐに、夫の葉尊が、

 「…おそらく、この後、テレビに、映ると、思います…」

 と、告げた…

 私は、夫の言葉に従い、テレビをジッと見た…

 私の細い目を、さらに細めて、どんな小さなことも、見逃さないように、テレビを凝視した…

 マジマジと、見た…

 ほどなく、葉尊の言うように、SNSが、テレビに映された…

 問題の動画が、テレビの画面に映された…

 が、

 問題は、その動画だった…

 その動画には、この矢田が、映っていたのだ…

 あのラーメン屋で、アムンゼンとオスマンと、いっしょに、ラーメンをすする映像が、出ていたのだ…

 その映像を見た瞬間、

 …やはり、あのアムンゼンが、恐れていた通りのことになった!…

 と、気付いた…

 壁に耳あり、障子に目あり…

 あのアムンゼンが、予言していた通りのことになったと、気付いた…

 万事休す!…

 アムンゼンの正体が、バレたか?

 アラブの至宝の正体が、バレたか?

 と、思った…

 が、

 違った…

 全然、違った…

 テレビの解説で、それが、わかった…

 問題は、アムンゼンではなく、オスマンだった…

 アムンゼンの甥のオスマンだった…

 テレビの解説のひとが、

 「…問題は、この方なんです…」

 と、オスマンを指摘した…

 私は仰天した…

 オスマン?

 オスマンが、問題?

 なにが、問題なのか?

 オスマンは。私とアムンゼンといっしょに、ラーメンを食べていただけ…

 ただ、それだけだ…

 会話の主役は、私とアムンゼンのはずだ…

 一体、オスマンのなにが、問題なのか?

 わからんかった…

 わからんかったのだ…

 すると、解説のひとが、

 「…彼は、王族です…」

 と、続けた…

 「…問題なのは、彼が、王族にも、かかわらず、率先して、戒律を破ったことです…」

 「…戒律ですか?…」

 「…そうです…戒律です…日本でも、すでに、多くの方に知られているように、アラブの人々は、イスラム教です…そして、イスラム教には、さまざまな戒律があります…」

 「…さまざまな戒律ですか?…」

 「…そうです…具体的には、食べ物が、よい例ですが、食べては、いけないものが、あります…」

 「…それは、どんなものですか?…」

 「…代表的なものは、豚肉です…」

 「…豚肉?…」

 「…そして、問題なのが、このラーメン屋…普通、豚肉は、ラーメン屋では、出汁を取るために、使うし、なにより、チャーシューを入れます…チャーシューは、普通は、豚肉です…」

 「…たしかに…」

 「…だから、この映像は、この王族の方が、王族にも、かかわらず、率先して、戒律を破って、豚肉を食べている…それが、今、サウジアラビアで、話題になって、デモになっている…そういうことです…」

 「…そうだったんですか? わかりました…」

 「…と、言いたいのですが、それは、表向きの話…」

 「…エッ? …表向き? …それは、どういう?…」

 「…この王族の方…彼、ハンサムでしょ?  …イケメンでしょ?…」

 「…それが、どういう?…」

 「…嫉妬ですよ…」

 「…嫉妬?…」

 「…彼、サウジアラビアで、女性の方から、人気があるんです…王族でも、イケメンというと、数が、少ない…ですから、男の方から、不評で…」

 「…不評?…」

 「…だから、サウジアラビアで、デモをしているのは、皆、男です…もちろん、お国柄、女性が、前に出ない国でも、あるんですが…」

 と、苦笑する…

 すると、隣にいた、女性キャスターが、

 「…たしかに、彼、イケメンですからね…」

 と、うっとりとした表情で言う…

 途端に、私の脳裏に、

 …顔か!…

 と、いう声が、聞こえてきた…

 …所詮は、顔か!…

 と、いう声が、聞こえてきたのだ!…

 と、同時に、

 …やはり、人間、見た目か?…

 とも、思った…

 あのオスマンは、イケメン…

 アラブ人特有の浅黒い肌に、精悍な顔立ち…

 おまけに、180㎝を超える、長身のイケメンだ…

 たしかに、いい男だ…

 この矢田も、夫の葉尊が、いなければ、間違いなく、手を出した…

 自分のものにしようと、手を出したに違いない…

 おまけに、オスマンは、サウジアラビアの王族…

 もはや、相手にとって、不足はない…

 いや、

 あのオスマンこそ、この矢田にふさわしい…

 ふさわしいのだ…

 ふと、気が付くと、いつのまにか、この矢田は、拳を握り締めていた…

 力いっぱい握り締めていた…

 それに、気付いた夫の葉尊が、

 「…どうしたんですか? …お姉さん…そんなに、拳に力を込めて…」

 と、言った…

 私は、夫の一言で、自分が、無意識に拳を握り締めていたことに、気付いた…

 私は、とっさに、どう言い訳しようか、考えた…

 が、

 すぐに、言葉が浮かばんかった…

 まさか、葉尊と、結婚しなければ、オスマンを狙っていたなんて、とてもじゃないが、口にできんからだ…

 すると、葉尊が、

 「…お姉さんは、優し過ぎるんですよ…」

 と、笑みを浮かべながら、言った…

 あまりにも、意外な言葉だった…

 「…優し過ぎる? どういう意味だ?…」

 「…今、お姉さん…オスマンに対して、同情したでしょ?…」

 「…同情?…」

 「…隠さなくても、わかります…あのオスマンが、イケメンだという理由だけで、男たちの嫉妬を招く…つくづく、可哀そうです…」

 「…」

 「…でも、世の中、そんなものです…」

 「…そんなもの?…」

 「…ハイ…そんなものです…誰も、なにもしなくても、妙に、突っかかって来る人間は、世の中に、案外いるものです…」

 「…どういう意味だ?…」

 「…ボクが、そうです…」

 「…葉尊…オマエが?…」

 「…子供の頃、ボクが、なにもしていないのに、同級生の中で、ボクに、わざと突っかかってくる人間が、いました…」

 「…わざと?…」

 「…父が、事業をしていて、今とは、比べ物にならないくらい、ちっぽけな成功をしていたんですが、それが、気に入らないのでしょう…」

 「…気に入らない…」

 「…要するに、他人の成功を妬む…自分より、他人が、いい生活をしていることに、我慢が、ならない…そういうことです…」

 「…」

 「…それが、あのオスマンといっしょです…」

 「…」

 「…あのオスマンは、長身のイケメン…おまけに、サウジアラビアの王族…金もルックスもすべて、持って生まれています…だから、それが、悔しくて、仕方がない…自分が、どう頑張っても、手に入れることが、できないものだからです…」

 「…」

 「…そんなオスマンが、今回のように、イスラムの戒律を破ったことが、わかると、まるで、鬼の首を取ったように、騒ぎ出す…オスマンの落ち度を見つけたからです…弱点を見つけたからです…だから、騒ぎ出す…」

 「…」

 「…まったく、憐れと言っては、言い過ぎかも、しれませんが、なにもない人間の方が、オスマンのように、すべてを持って生まれた人間よりも、人間的に劣っている…ずばり、性格も悪いものです…」

 葉尊が、断言した…

 私の夫が、断言した…

 たしかに、夫の言うことは、わかる…

 わかるのだ…

 しかしながら、その言葉に、あらためて、私は、葉尊の闇を感じた…

 私の夫の闇を感じた…

               
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