第4話

文字数 3,559文字

 そして、そんな私の心の内が、私の態度に出たのだろう…

 「…どうしたんですか? …お姉さん?…」

 と、葉尊が聞いた…

 私の夫が聞いた…

 が、

 私は、答えんかった…

 素直に、心の内を明かさんかった…

 なぜなら、この矢田は、実は、この夫を信頼していない…

 心の底から、信頼しているわけでは、ないということだ…

 まるっきり、信頼していないわけではない…

 ただ、心の底から、信頼していないということだ…

 だから、答えんかった…

 「…」

 と、なにも、言わんかった…

 が、

 さすがに、なにも、言わんのも、おかしい…

 なにも、言わなければ、夫が、おかしく感じるからだ…

 だから、

 「…葉尊…オマエが、バニラを擁護するのも、わかるさ…」

 と、言ってやった…

 「…なんといっても、バニラは、オマエのお父さんの愛人…娘のマリアは、オマエの妹だ…血が繋がった実の妹だ…」

 と、言ってやった…

 と、

 その瞬間…

 葉尊の顔が、歪んだ…

 一瞬だが、歪んだ…

 が、

 すぐに、何事もなかったように、

 「…そうです…」

 と、言った…

 いつもの表情で、言った…

 しかしながら、私は、その一瞬を見逃さんかった…

 明らかに、表情が、歪んだ瞬間を見逃さんかった…

 この葉尊…

 実は、心の中では、バニラのことを、よく思っていないことは、明らかだった…

 が、

 それは、当たり前…

 とりたてて、驚くほどのことでも、なんでもなかった…

 葉尊は、今、29歳…

 父親の葉敬は、60代前半ぐらいだろう…

 ことによると、まだ50代かも、しれん…

 その愛人が、あのバニラだ…

 23歳のバニラだ…

 29歳の葉尊より、6歳も年下のバニラだ…

 面白いはずがない…

 私が、葉尊の立場なら、面白いはずがない…

 ハッキリ言えば、嫌だ…

 いくらなんでも、父親の愛人が、息子の自分より、6歳も、若く、しかも、娘までいる…

 自分と血が繋がった娘までいる…

 これは、誰が、どう考えても、葉尊が、面白いはずがない…

 気分が、いいはずがなかった…

 当たり前だった…

 しかしながら、さすがに、この矢田も、それを口にすることは、できんかった…

 いかに、夫婦になったとはいえ、さすがに、言っては、いかんことがある…

 口にしては、いかんことがある…

 これも、その一つだと、思ったのだ…

 だから、言わんかった…

 さすがに、言わんかった…

 が、

 だからといって、なにも話さないわけには、いかんかった…

 だから、なにか、話そうと、思った…

 が、

 私が、口を開くよりも、早く、葉尊が、

 「…どうしました? …お姉さん?…」

 と、聞いてきた…

 だから、私は、

 「…いや、アムンゼンのことさ…」

 と、言った…

 話題を変えることにしたのだ…

 マリアのことを、話題にして、当たり障りのないことを、言おうとしたが、それでは、葉尊が、気分が、良くないかも、しれん…

 マリアの話題から、離れるに、限ると、判断したのだ…

 が、

 私は、目の前の葉尊が、なにか、違って見えた…

 つい、今の今まで、いた葉尊では、ないように、感じた…

 だから、

 「…オマエ…葉尊じゃないな…」

 と、言った…

 「…葉問か?…」

 私が、言うと、葉問が笑った…

 不敵に笑った…

 「…お久しぶりです…お姉さん…」

 「…久しぶりさ…」

 私は、言ってやった…

 実を、言うと、この矢田トモコ…

 この葉問との方が、葉尊といるよりも、気が合う…

 なぜか、わからんが、気が合う…

 単なる相性の問題かも、しれんが、気が合う…

 なにより、葉尊といるときよりも、緊張しない…

 二人きりでいるときは、ゆったりするというか…

 安心する…

 が、

 さすがに、それを口にすることは、できん…

 誰にも、口にすることは、できん…

 だから、これは、誰にも、言ってないから、秘密というか…

 誰も、知らない、この矢田の秘密だった…

 知られてはならない、この矢田の隠れた秘密だった…

 が、

 それを、こともあろうに、この葉問が、見破った…

 あっけなく見破った…

 「…お姉さん…なんだか、ボクといると、いつも、楽しそうですね…」

 と、言ったのだ…

 私は、内心、慌てたが、急いで、

 「…そんなことは、ないさ…」

 と、言ってやった…

 急いで、否定してやった…

 すると、葉問が、苦笑いを浮かべながら、

 「…そうですか? …ボクの勘違いですか?…」

 と、言った…

 だから、

 「…そうさ…オマエの勘違いさ…」

 と、ダメ出しした…

 この葉問と葉尊は、いわば、コインの裏と表…

 表が、葉尊…

 裏が、葉問…

 葉尊は、おとなしい…

 が、

 葉問は、真逆…おとなしくない…

 ハッキリ言えば、ヤンキー上がりだ…

 私は、正直、ヤンキーが嫌い…

 嫌い=苦手だ…

 が、

 不思議なことに、この葉問は、苦手じゃない…

 これは、実に不思議なことだ…

 しかしながら、真実…

 真実だ…

 そして、これは、出会ったときから…

 この葉問と出会ったときから、そうだった…

 初対面で、嫌いになれんかった…

 初対面で、好きになったわけではない…

 ただ、嫌いでは、なかったというのが、正しい…

 以前、ある女性の作家が、恋愛について、語ったことをネットで読んだことがある…

 その女性作家は、恋愛小説の名手だった…

 そして、今回は、恋愛小説を書くのではなく、実際に体験した恋愛のノンフィクションを書くべく、複数の女性たちに、インタビューを試みた…

 その結果は、意外なものだった…

 普通、小説やドラマや、映画だと、いわゆる、起承転結がある…

 具体的には、出会った当初は、嫌いだった相手が、なにかの出来事をきっかけに、好きになり、やがて、恋人同士になる…

 それが、定番だ…

 しかしながら、複数の女性にインタビューをした結果は、最初から、好きだったというのが、大半だったそうだ…

 これは、意外だった…

 そして、思わず、笑ってしまうのは、これを小説にしたら、編集者に、

 「…起承転結が、なくては、困ります…」

 と、言われてしまうことだったというオチまでつけて、笑わせた…

 が、

 それが、真実かも、しれんと、私は、思った…

 現実に、男女を問わず、最初、大嫌いだった人間を、大好きになったというのは、普通は、あり得ない…

 最初、嫌いになったのには、当然、理由がある…

 多くの場合は、なんとなく、嫌い…

 生理的に、無理…

 と、いうものだ…

 だから、なにが、あろうと、好きになることは、あり得ない…

 現実は、大抵、そういうものだ…

 稀に、

 最初に、

 …嫌い!…

 と、断言するのは、相手を意識するからだと、いう意見もある…

 嫌いは、好きの裏返し…

 なぜなら、意識するからだ…

 意識しないのは、興味がないという言葉が、あてはまる…

 好きでも、嫌いでもなく、興味がないという言葉があてはまる…

 嫌いということは、少なくても、意識するからだ…

 だから、嫌いが、なにかの、きっかけで、好きになる可能性はある…

 しかしながら、その可能性は、低い…

 とんでもなく、低い…

 ただし、現実は、とんでもなく低くても、ドラマや小説では、そうでなければ、面白くないから、そうする…

 嫌いだった相手を好きになる…

 そういう展開にする…

 そういうことだ…

 そして、私が、なぜ、長々と、こんなことを、説明するのかと、言うと、実は、私は、最初から、葉問が、好きに近かったということだ…

 葉尊を嫌いではない…

 ただ、葉問といる方が、安心する…

 葉問といる方が、ホッとする…

 それが、答えだった…

 この矢田の心の内だった…

 そして、そんなことを、考えながら、この葉問を見た…

 目の前の葉問を見た…

 一体、なぜ、葉問が、ここに現れたのか?

 考えた…

 答えは、ただ一つ…

 葉尊が、立ち位置が、悪くなったからだ…

 葉尊の居心地が悪くなったからだ…

 私にバニラのことを、聞かれて、居心地が悪くなったから、とっさに、葉問にバトンタッチした…

 それが、真相だろうと、思った…

 だから、私は、

 「…葉尊が、ピンチになると、葉問…オマエにとって代わるな…」

 と、言ってやった…

 わざと、言ってやった…

 すると、だ…

 「…いえ…」

 と、葉問が、笑った…

 不敵に笑った…

 まるで、この矢田を挑発するかのように、不敵に笑ったのだ…

 私は、許せんかった…

 この葉問が、許せんかった…

 だから、

 「…葉問…なんだ? …その笑いは?…」

 と、怒鳴った…

 つい、怒鳴ってしまった…

 が、

 葉問は、笑いながら、

 「…ボクが助けたのは、葉尊では、ありません…」

 と、言った…

 「…だったら、誰だ? …誰を助けたんだ?…」

 と、聞いてやった…

 すると、意外や意外…

 「…ボクが助けたのは、お姉さんです…」

 と、葉問が、言った…

               
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