第45話

文字数 4,098文字

 これは、意外…

 自分でも、意外だった…

 この矢田のカラダが、小刻みに震える…

 しかも、それを止める手立てがなかった…

 なかったのだ…

 私が、震えるのを、見て、マリアが、

 「…矢田ちゃん、震えてる? 寒いの?…」

 と、聞いた…

 私は、即座に、

 「…寒くなんて、ないさ…」

 と、答えた…

 「…だったら、どうして、震えているの?…」

 マリアが、聞く…

 当たり前だった…

 「…どうしてと、言われても…」

 と、うまく、答えれんかった…

 さすがに、うまく、答えれんかったのだ…

 が、

 今度もまた、お義父さんが、助け舟を出した…

 「…マリア…お姉さんは、きっと、風邪を引いているんだよ…」

 と、助け舟を出した…

 「…そうでしょ? …お姉さん?…」

 と、お義父さんが、言うものだから、私は、

 「…ハイ…」

 と、うなずくしか、なかった…

 なかったのだ(涙)…

 「…そうだったんだ…」

 と、マリアは、納得した…

 「…でも、風邪を引いているのに、パパを迎えに来るなんて、偉いね…」

 と、私を褒めた…

 だから、

 「…それは、お義父さんが、来るから…」

 と、言った…

 とっさに、言った…

 なにも、考えずに、言った…

 すると、お義父さんが、

 「…これは、お姉さん…風邪を引いているにも、かかわらず、わざわざ、迎えに、来て、頂き、申し訳ありません…」

 と、私に頭を下げ、礼を言った…

 これは、予想外の事態だった…

 まさか、お義父さんに、礼を言われるとは、思っても、みんかったからだ…

 だから、どう反応していいか、わからんかった…

 だから、とっさに、

 「…エエ…」

 と、曖昧に頷いた…

 頷いたのだ…

 しかし、それを、見て、このリンは、不満だった…

 明らかに、不満だった…

 「…会長は、随分、このお姉さんに気を使っていらっしゃるんですね…」

 と、不満を言った…

 明らかに、この矢田に対して、不満だった…

 この矢田が、お義父さんに、大事にされているのが、不満だったのだ…

 おそらく、納得が、できんのだろう…

 正直、この矢田は、平凡…

 平凡の極みの女だ…

 ルックスも平凡なら、家柄も、平凡…

 平凡だ…

 にも、かかわらず、葉敬に大事にされている…

 台湾随一の大企業の会長に、気に入られている…

 それが、気に入らないのだろう…

 おまけに、このリンは、三十代前半…

 歳も近い…

 この35歳の矢田と、たいして、変わらない…

 だから、余計にライバル心が、沸くに、違いない…

 嫉妬が、沸くに違いないからだ…

 なにしろ、このリンから、見れば、普通ならば、この矢田は、すでに、ライバルにならない…

 なぜなら、このリンは、ルックスもボディも、完璧だからだ…

 明らかに、この矢田は、リンに劣っている…

 認めたくないが、劣っている…

 にも、かかわらず、このリンは、今、この矢田が、いる位置に立てない…

 ぶっちゃけ、葉尊の妻になれない…

 葉尊の妻になると、いうことは、すなわち、日本の総合電機メーカー、クールの社長の妻になると、いうことだからだ…

 そんな地位に誰もが憧れるが、当然、このリンは、なれない…

 だから、このリンは、嫉妬する…

 この矢田に嫉妬する…

 これは、当たり前…

 当たり前だ…

 自分の方が、すべてに、勝っていると、思うにも、かかわらず、実際は、負けている…

 自分勝手な思い込みでは、なく、自分の方が、誰が、見ても、勝っている…

 ルックスも、家柄も、学歴も、すべてに、勝っている…

 にもかかわらず、この矢田の立ち位置に、立てない…

 おそらく、永遠に立てない…

 だから、頭にくる…

 余計に頭にくるのだろう…

 私は、このリンの気持ちがわかった…

 痛いほど、わかったのだ…

 なぜなら、この矢田も、リンの立場なら、頭にくるからだ…

 自分より、すべてに、劣った人間が、なぜか、自分より、上の地位にいる…

 そして、おそらくは、自分は、永遠にその地位に立てない…

 それが、嫌というほど、わかっているから、余計に頭にくるのだ…

 私が、そんなことを、考えていると、お義父さんが、ずばり、

 「…リンさんは、このお姉さんが、羨ましい?…」

 と、直球で、聞いた…

 まさに、直球で、聞いたのだ…

 さすがに、このリンにとっても、このお義父さんの質問は、想定外…

 想定外だったに違いない…

 とっさに、リンの顔色が、変わった…

 青く変わった…

 そして、なにも、言わなかった…

 「…」

 と、なにも、答えんかった…

 きっと、羨ましいと、言うのが、嫌だったに違いない…

 自分の方が、すべてに、おいて、優れている…

 にもかかわらず、この矢田に負けている…

 明らかに、自分より劣っている、この矢田に負けている…

 それを、認めるのが、嫌だったに違いない…

 私は、そう見た…

 私は、そう睨んだ…

 すると、絶句して、なにも答えん、このリンに代わって、お義父さんが、

 「…リンさんは、キレイで、私の目から見ても、憧れるけど、このお姉さんに勝てないことが、あるよ…」

 と、諭すように、言った…

 「…お姉さんに勝てない? …なんですか? …それは?…」

 「…愛されること…好かれること…今、ここに、お姉さんといっしょに、私を迎えに来たのは、誰だと思う? …リンダと、バニラだ…二人とも、有名だ…きみも知っているだろ?…」

 「…ハイ…」

 「…その二人が、このお姉さんと、いっしょにやって来た…それを、見るだけで、いかに、このお姉さんが、好かれているか、わかるだろ?…」

 「…でも、それは、このお姉さんが、葉尊さんの奥様だから…」

 「…それは、もちろんあるだろう…しかし、誰もが、嫌いな人間といっしょに、行動は、しないよ…誰もが、嫌いな人間とは、距離を置くものさ…それは、初対面の人間でも、見れば、わかるものさ…」

 葉敬が、優しく説明する…

 すると、リンは、押し黙った…

 「…」

 と、押し黙った…

 きっと、葉敬の説明に反論できなかったからだ…

 うまく、反論の言葉が、見つからなかったに違いない…

 このリンは、事前に調べている…

 この矢田のみならず、葉敬、葉尊父子の周囲にいる人間すべてを、調べているに違いない…

 その中には、当然、このリンダと、バニラもいるに違いない…

 なにしろ、この二人は、台北筆頭のキャンペーンガールをしている…

 それは、台湾中に知らないものは、いないだろう…

 そんな二人が、この矢田と行動を共にしている…

 当然、この矢田と、リンダとバニラは、人間関係が、うまくいっている…

 そう、思うのが、当然だからだ…

 だから、リンは、言い返せなかった…

 なにも、言い返せなかったのだ…

 私が、そんなことを、考えていると、

 「…さあ、行こう…」

 と、葉敬が、言った…

 「…予約したホテルに行こう…」

 と、続けた…

 …エッ? …ホテル?…

 …私の家に来るんじゃなかったの?…

 …私と葉尊が、住む、マンションに来るんじゃなかったの?…

 私は、驚いた…

 驚いたのだ…

 だから、慌てて、

 「…今日は、これから、私の家に来るんじゃ、なかったんですか? …お義父さん?…」

 と、聞いた…

 聞かざるを得なかった…

 すると、葉敬は、

 「…その予定だったんですが、同行する人間が、多過ぎました…だから、お姉さんの家に行くのは、また、今度の機会に…」

 と、答えた…

 私が、思っても、みんことを、言った…

 私は、パニックった…

 パニックったのだ…

 まさか、お義父さんが、家にやって来ないとは、思わんかった…

 あんなに、一生懸命、掃除をしたのに…

 この矢田が、おおげさに言えば、命がけで、掃除をしたのに…

 その結果を見せることが、できんとは…

 私は、一瞬、目の前が、真っ暗になった…

 この矢田の数日の努力が、無駄になった…

 だから、落ち込んだ…

 見る見る落ち込んだ…

 そして、それに、気付いたマリアが、

 「…どうしたの? 矢田ちゃん、そんなに、落ち込んで…」

 と、聞いてきた…

 私は、とっさに、

 「…いや…」

 と、答えた…

 なにも、答えんのは、マリアに悪いと、思ったのだ…

 まさか、子供相手に、本当のことを、言うことは、できんからだ…

 だが、

 この矢田の行動は、あろうことか、見られていた…

 見られていた=読まれていたのだ…

 「…お姉さん…自宅の掃除に、燃えていたものね…」

 と、リンダが、言った…

 私は、驚いて、リンダを見た…

 見たのだ…

 すると、リンダが、

 「…葉尊から、聞いたわ…お姉さん…葉敬が、自宅にやって来るから、ここ数日、掃除に、一生懸命だったって…それが、今日、葉敬が、自宅に行かないから、ガッカリしたんでしょ?…」

 と、言った…

 ずばり、この矢田の胸の内を見抜いたのだ…

 私は、驚いて、絶句したが、その代わりに、マリアが、

 「…なんだ? …そうだったんだ…」

 と、言った…

 この矢田の代わりに、言った…

 すると、それを受けて、お義父さんが、

 「…そうだったんですか? …お姉さん?…」

 と、聞いてきた…

 しかし、さすがに、

 「…ハイ…」

 と、言うわけには、いかないから、私は、黙ったまま、首をコクンと下げた…

 要するに、頷いたのだ…

 それを、見て、マリアが、

 「…残念だったね…矢田ちゃん…」

 と、言った…

 それに、続いて、お義父さんも、

 「…お姉さんが、そんなに頑張って、掃除をしたのに、見に行けなくて、すいません…」

 と、私に詫びた…

 私は、どう言っていいか、わからず、

 「…いえ…」

 と、小さな声で、言った…

 小さな声で、答えた…

 すると、だ…

 偶然、リンの顔が、目に入った…

 その顔は、笑っていた…

 明らかに、この矢田を見て、笑っていた…

 途端に、この矢田の心に、火が付いた…

 この矢田の闘争心に火が付いたのだ…

 …この女に負けてなるものか!…

 …台湾のチアガールが、なんだ!…

 …この矢田が、負けるわけがない!…

 …この矢田が、こんな女に負けるわけがない!…

 気が付くと、いつのまにか、拳を握り締めていた…

 自分でも、意外なほど、固く拳を握り締めていたのだ…

               
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み