第30話

文字数 3,353文字

 …なんだと?…

 …賽(さい)は投げられただと?…

 どういう意味だ?

 一体、どういう意味だ?…

 私は、悩んだ…

 悩んだのだ…

 もちろん、意味はわかる…

 わかるのだ…

 だが、なぜ、今、そういうのか、わからんかったからだ…

 だから、

 「…オマエ…それは、どういう意味だ?…」

 と、聞いてやった…

 アムンゼンに聞いてやった…

 まさか、その意味は、

 …手遅れ?…

 もしや、この矢田を始末するために、サウジアラビア本国から、選りすぐりの殺し屋を送ってくるわけでは、あるまいな?…

 まさかとは、思うが、そんなことは、あるまいな?…

 私は、思った…

 思ったのだ…

 だから、

 「…殺し屋か?…」

 と、私は、言ってやった…

 「…殺し屋?…」

 アムンゼンが、唖然とした表情で、私を見た…

 この矢田を見た…

 「…そうさ…オマエ…この矢田を殺すために、サウジアラビア本国から、殺し屋を呼んだのか?…」

 私が、私の細い目をさらに細くして、アムンゼンに聞いてやった…

 その途端、アムンゼンが、

 「…プッ!…」

 と、吹き出した…

 私は、焦った…

 予想外の事態だったからだ…

 「…な、なんだ? …なにが、おかしい?…」

 「…だって、矢田さんを殺すために、わざわざ、サウジアラビア本国から、殺し屋を呼ぶなんて…映画やドラマの見過ぎです…」

 「…なんだと?…」

 「…それに、矢田さんを殺すなんて、誰でも、できることです…わざわざ、サウジアラビア本国から、ひとを呼ぶ手間をかける必要は、まったくありません…」

 アムンゼンが、答える…

 私は、頭に来たが、

 …その通り…

 …その通りだと、思った…

 現実に、このアムンゼンの甥のオスマンが、この矢田を殺そうとしても、この矢田は、抵抗できない…

 ハッキリ言って、勝てない…

 それが、わかっている…

 自分でも、よくわかっているからだ…

 そして、そんなことを、考えていると、アムンゼンが、突然、

 「…食事にしましょう…」

 と、言った…

 まさか、最後の晩餐というやつか?

 私は、思った…

 だから、それを、言ってやった…

 「…まさか、最後の晩餐というやつか?…」

 と、言ってやった…

 すると、アムンゼンが、驚いた様子だった…

 ビックリした表情で、この矢田を見た…

 見たのだ…

 「…相変わらず、面白いひとですね…矢田さんは…」

 「…なんだと、面白いだと?…」

 「…そうです…面白い…実に、面白い…」

 「…なんだと?…」

 「…でも、それでいいのかもしれない…」

 「…なにが、それでいいんだ?…」

 「…きっと、殺し屋も矢田さんを見れば、殺すのを、止めるでしょう…」

 「…なんだと? …どうしてだ?…」

 「…あまりにも、人柄が、良くて、殺すのを躊躇うでしょう…」

 「…」

 「…矢田さんは、別格です…ボクが、これまで、出会ったなかでも、間違いなく別格です…」

 アムンゼンが、断言する…

 「…矢田さんのようなひとは、見たことがありません…」

 「…なんだと?…」

 しかしながら、アムンゼンは、この矢田を無視した…

 この矢田の質問を無視した…

 無視して、

 「…オスマン…」

 と、甥のオスマンに呼びかけた…

 「…ハイ…オジサン…」

 「…オマエは、バニラさんと、マリアさんに、なにか、食事でもしてもらって、それから、二人を自宅まで、送ってくれ…ボクは、これから、矢田さんと、食事に出かける…」

 「…矢田さんと?…」

 と、オスマン。

 「…そうだ…」

 アムンゼンが、答える…

 「…ですが、オジサン…オジサンが、一人で、どこかに、行くのは、危険です…」

 と、オスマン。

 「…危険?…」

 「…そうです…サウジ本国からも、オジサンを一人にしないよう、命令が出ています…」

 「…だったら、この屋敷の誰かに、バニラさんとマリアに、食事をしてもらって、それから、自宅まで、お送りしろ…オスマン…オマエは、ボクの護衛として、これから、同行しろ…」

 「…同行って、オジサン…一体、どこへ、行くんですか?…」

 「…それは、これから、行けば、わかる…」

 アムンゼンが、断言した…

 「…さあ、矢田さん、行きましょう…」

 と、この矢田に、言い、残ったバニラとマリアに、

 「…せっかく来たのですから、なにか、おいしいものでも、食べていって、下さい…この屋敷で働くスタッフには、あらかじめ、言い聞かせて、ありますから…」

 と、二人に言って、スタスタと歩き出した…

 私は、慌てて、

 「…アムンゼン…」

 と、アムンゼンの名前を呼びながら、アムンゼンの後を追いかけた…

 そして、それは、オスマンも同じだった…

 「…オジサン…ちょっと…ちょっと、待って下さい…」

 と、言いながら、急いで、私と同じく、アムンゼンの後を追った…

 そして、慌てた様子で、

 「…オジサン…そもそも、これから、どこへ行くんですか?…」

 と、アムンゼンに追いついたオスマンが、聞く…

 「…ラーメン屋だ…」

 「…ラーメン屋?…」

 「…そうだ…」

 オスマンが、唖然とする…

 それから、気を取り直して、

 「…どうして、ラーメン屋なんですか? オジサン?…」

 と、聞いた…

 当たり前だった…

 この矢田も、聞きたい謎だった…

 すると、だ…

 「…この前、矢田さんが、食べたがっていた、あのラーメン屋だ…」

 と、オスマンが、明かした…

 私は、ビックリした…

 まさか、このタイミングで、あのラーメン屋が、出てくるとは、考えもせんかったからだ…

 そして、それは、オスマンも同じだった…

 「…オジサン…どうして、あのラーメン屋なんですか?…」

 「…矢田さんが、食べたがっていたからだ…」

 …エッ?…

 声にこそ、出さんかったが、思わず、絶句した…

 まさか、そんな理由で…

 そして、同時に、

 …やはり、最後の晩餐か?…

 と、思った…

 思ったのだ…

 やはり、このアムンゼンは、この矢田を殺すつもりだと、気付いた…

 遅まきながら、気付いた…

 考えてみれば、これまで、散々、このアムンゼンに無礼を働いた…

 それを、このアムンゼンが、許してくれるはずもなかった…

 なかったのだ…

 だから、

 …甘過ぎた!…

 と、思った…

 これまでの自分の考えが、甘過ぎたと、今さらながら、悔いた…

 この矢田トモコの考えが、甘過ぎたのだ…

 だから、今さら、

 「…すまんかったさ…」

 と、詫びても、どうなるものでも、なかった…

 なかったのだ…

 この矢田が、アラブの至宝を怒らせた…

 その罪だった…

 その報いだった…

 それに、気付くと、私は、途端に元気をなくした…

 当たり前だった…

 これから、殺されるかも、しれんのに、元気が出るわけがなかった…

 だから、最初は、元気よく、アムンゼンの後を追っていたが、いつのまにか、アムンゼンに大きく離された…

 そして、それに、気付いたオスマンが、

 「…どうしました? …矢田さん?…」

 と、聞いてきた…

 だから、私は、

 「…私は、もうおしまいさ…」

 と、答えてやった…

 「…おしまい? …どうして、おしまいなんですか?…」

 「…アムンゼンを怒らせたからさ…」

 「…オジサンを怒らせた?…」

 「…そうさ…だから、きっと、アムンゼンは、私が、食べたかったラーメンを私に、ご馳走して、それを最後の晩餐にして、処刑するつもりさ…ちょうど、死刑囚が、死刑の前に、豪華な食事を食べるのと、いっしょさ…」

 「…まさか、矢田さん…考え過ぎですよ…」

 「…考え過ぎだと? そんなことは、ないさ…」

 「…いえ、考え過ぎです…オジサンは、たしかに、非情な一面はありますが、こと矢田さんに限って、そんなことは…」

 「…あるのさ…私は、アムンゼンを怒らせ過ぎたのさ…やり過ぎたのさ…」

 気が付くと、私は、オスマンと、アムンゼンの豪邸の廊下で、いつのまにか、立ち話をしていた…

 二人とも、アムンゼンを追いかけるのを止めて、立ち話をしていた…

 それに、気付いたアムンゼンが、私たちを振り返って、

 「…なにをしている…二人とも…さっさと、来い!…」

 と、怒鳴った…

 私とオスマンを怒鳴った…

 そこには、いつもの3歳の幼児を演じているアムンゼンは、いなかった…

 30歳の大人のアムンゼンが、いた…

 アラブの至宝が、いた…

               
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