第11話

文字数 4,001文字

 気が付くと、この矢田のカラダが、震えていた…

 ブルブルと震えていた…

 恐怖のためだ…

 この私の隣にいる、ガキ…

 いや、

 アラブの至宝を怒らせたら、どんな目に遭うか?

 考えただけでも、恐ろしかった…

 恐ろしかったのだ…

 しかしながら、当たり前だが、このアラブの至宝は、私を誤解した…

 私が、重病だと、誤解した…

 「…矢田さんは、思ったより、重病だ…もっと、急げ!…」

 アラブの至宝が、命じる…

 3歳のガキが、命じる(笑)…

 すると、今度は、金色のロールスロイスが、唸りを上げて、走り出した…

 これまで、以上のスピードを出した…

 アラブの至宝が、運転手に、

 「…パッシングをして、パトカーを煽れ…」

 と、命じた…

 こともあろうに、3歳のガキが、命じた…

 そして、なぜか、先導するパトカーも、またスピードを上げた…

 きっと、このロールスロイスが、パッシングをして、猛烈にスピードを上げるから、まさか、ぶつかるわけには、いかないから、スピードを上げたに決まっていた…

 しかし、金色のロールスロイスが、パトカーを煽るとは?

 まさに、前代未聞…

 見たことも、聞いたことも、ない珍事だった…

 しかも、その原因を作ったのは、私…

 私、矢田トモコだった…

 それを考えると、熱が出そうだった…

 ホントに、具合が悪くなりそうだった(苦笑)…

 だから、この金色のロールスロイスに、乗せられて以来、私のカラダの具合が、悪くなったように、感じた…

 冗談では、なく、そう感じた…

 だから、口もきかんかった…

 いつもは、しゃべるのだが、それも、しなかった…

 だから、そんな私を見て、このアラブの至宝は、ホントに、私の具合が悪いのだと、誤解した…

 きっと、これまで、以上に、具合が、悪いのだと、確信したに違いなかった…

 なんとも、まずい事態だ…

 私は、思った…

 私は、考えた…

 時間が経つごとに、この矢田に不利な状況になってくる…

 時間が経つごとに、ウソだと言えなくなってくる(涙)…

 実は、仮病だと、言えなくなってくる…

 私が、そんなことを、考えていると、隣のアラブの至宝が、

 「…矢田さん…気をしっかりと、持ってください…」

 と、私を励ました…

 「…自宅は、もう少しです…それまで、頑張って下さい…」

 3歳のガキにしか、見えないアラブの至宝が、言う…

 私は、もはや、どうしていいか、わからんかった…

 最悪の事態だけは、想定できた…

 あのアムンゼンの住まいの大豪邸に、到着して、医者が、数人、この矢田を見る…

 この矢田のカラダの具合を見る…

 その結果、どこも悪くないことが、わかる…

 すると、どうだ?

 このガキが、怒り出すに決まっている…

 アラブの至宝が、怒り出すに決まっている…

 「…矢田さん…ボクを騙しましたね?…」

 と、でも、言って、この矢田を非難するに、決まっている…

 そして、

 「…目には目を歯には歯を…これが、ボクの祖先が、制定したハンムラビ法典です…その原則に則って、矢田さんの舌を抜きます…」

 と、でも、言うに、決まっている…

 「…なんだと、この矢田の舌を抜くだと?…」

 「…そうです…それが、ウソつきの末路です…」

 「…そんな…」

 「…そんなもこんなもありません…そのために、この自宅に医者を常駐させているんです…」

 アムンゼンが、説明する…

 「…さあ、矢田さんの舌を抜いてしまいなさい…」

 アムンゼンのこの一言で、屈強なボディーガードたちが、この矢田のカラダを取り囲み、手術室に連れて行く…

 あとは、もう、想像するだけで、怖い結末が、待っている…

 戦慄の結末が、待っているのだ(涙)…

 私は、それを考えると、震えが、止まらんかった…

 ブルブルと、震えが、止まらんかったのだ…

 そして、気が付くと、なぜか、一心不乱に祈っていた…

 神様に祈っていた…

 これ以上、変なことが、起こらないように、祈っていた…

 神様に頼んでいた…

 南無阿弥陀仏…

 何妙法蓮華…

 とにかく、神様も仏様も、関係ない…

 この矢田を救ってくれれば、関係ない…

 とにかく、救ってくれ…

 この矢田を救ってくれ…

 一心不乱に祈った…

 祈りまくった…

 その結果、余計に、隣のアムンゼンが、心配した…

 「…苦しいときの神頼みですか? よほど、苦しいんですね…」

 と、アムンゼンが、誤解した…

 もはや、これまでか?

 私は、思った…

 私は、考えた…

 なぜか、ますます不利な状況になる…

 この矢田に不利な状況になる…

 そう、思った…

 そう、思ったのだ…

 そして、そう思っている間に、クルマが止まった…

 黄金色に輝くロールスロイスが、停止した…

 万事休す…

 アムンゼンの豪邸に着いたに、違いなかった…

 違いなかったのだ…

 私は、もう、気を失う寸前だった…

 すでに、何度の説明したように、この矢田は、実は、気が小さい…

 とんでもなく、気が小さい…

 だから、こんなことになって、どうして、いいか、わからんかった…

 わからんかったのだ…

 だから、つい、

 「…お義父さん…」

 と、口走った…

 ホントの父ではない…

 葉尊の父…

 私の夫の実父、葉敬のことだ…

 台湾の有力実業家のことだ…

 実父は、しがないサラリーマン…

 力も、なにもない…

 しかしながら、旦那の父親は、台湾の有力実業家…

 台湾の大企業、台北筆頭の創業オーナー社長だからだ…

 しかも、なぜか、私は、その葉敬のお気に入りだった…

 自分でも、よくわからないが、気に入られていた…

 葉尊のもう一つの人格、葉問が、言うには、葉尊の性格を直すためだと、言う…

 葉尊は、おとなしく、真面目だが、裏の顔があるという…

 その裏の顔をなくすために、私との結婚を許した…

 私と、いっしょに暮せば、葉尊の性格が、改善される…

 葉尊の裏の顔が、消滅する…

 そう、確信してのことだと、言った…

 私は、そんなバカなと、一笑に付したが、葉問は、ホントに、そう思っているようだった…

 正直、そんなバカな話は、ない…

 私といっしょに、暮らすだけで、性格が、改善するなんて、ありえん…

 ありえん話だ…

 私は、なぜか、そんなことを、考えた…

 考え続けた…

 自分でも、意外だった…

 まさか、こんなピンチの状態で、そんなことを、考えるなんて、夢にも、思わなかったからだ…

 そして、つい、

 「…お義父さん…」

 と、口走ってから、続けて、

 「…リン…」

 と、口走った…

 これもまた理由はない…

 ただ、葉問が、言うには、リンが、近々、来日するらしい…

 そのリンの面倒を私に見てくれと、葉問が、言ったのだ…

 冷静に考えてみれば、なぜ、葉問が、そんなことを、言ったのかは、わからない…

 そもそも、リンは、台湾の三星球団所属のチアガール…

 しかしながら、リンの人気は、台湾でずば抜けていて、三星球団の価値も、リンのおかげで、上昇したようだ…

 それだから、今、三星球団を売りに出した…

 今、三星球団を売りに出せば、漏れなくリンがついてくる…

 そういうことだ(笑)…

 台湾の国民的人気のチアガールが、ついてくる…

 そういうことだ(笑)…

 しかしながら、今は、まだ、葉敬とは、なんの関係もない…

 なぜなら、葉敬は、旧知の財界人から、三星球団の買収を勧められただけだからだ…

 葉問が言うには、葉敬は、商売人だから、このまま、三星球団を買収した方が、得か?

 あるいは、買収しない方が得か?

 考えているらしい…

 それでも、今時点では、葉敬は、三星球団を手に入れていない…

 だから、三星球団所属のリンとは、葉敬は、なんの関係もないはずだ…

 しかしながら、葉問が、言うには、リンは、近々来日し、そのリンの面倒を私に見てくれと、言う…

 正直、わけがわからない…

 わけがわからない話だった(爆笑)…

 しかしながら、そういうことは、あるかもしれない…

 私は、思った…

 なぜなら、それまでの話から、要するに、三星球団の価値は、リンにある…

 だから、そのリンを来日させて、私に面倒を見させて、どんな女か、知りたいのかも、しれん…

 私は、考えた…

 私の父親世代の葉敬よりも、同世代の私の方が、身近に接すれば、リンの性格がわかる…

 そう、考えたのかも、しれない…

 いかに、台湾で、国民的人気のチアガールといっても、どんな人間か、わからないのでは、不安だ…

 ちょうど、会社の人事調査ではないが、事前に、どんな人間か、わかれば、それに、越したことはない…

 事前に、どんな人間か、わかれば、採用の是非を簡単に決めることが、できるからだ…

 だから、それと、同じかも、しれない…

 私といっしょに、いさせ、どんな人間か、私の口から、聞きたいのかも、しれん…

 なぜか、そんなことを、考えた…

 こんな緊急事態に接しているにも、かかわらず、考えた…

 「…リンの面倒を見なければ、ならん…台湾のチアガールの面倒を見なければ、ならん…」

 私は、いつのまにか、そんなことを、口走っていた…

 実は、この矢田トモコ…

 自分で言うのも、なんだが、責任感が強かった…

 まして、あの葉敬は、私の恩人…

 葉尊との結婚を認めてくれた恩人だった…

 だから、なおさらだった…

 なおさら、葉敬のためにも、リンの面倒を見なければ、ならんと、思ったのだ…

 「…死ねん!…こんなことでは、死ねん!…来日するリンの面倒を見なければ、ならん!…葉敬の恩に答えねば、ならん!…」

 私はいつのまにか、誰に言うこともなく、呟いていた…

 すると、隣に、いる、アムンゼンの顔色が、変わった…

 ハッキリと、変わった…

 「…矢田さん…リンって、もしかして、台湾の三星球団のリンですか? そのリンを矢田さんが、面倒を見るって、ホントですか?…」

 と、アムンゼンが、血相を変えて、聞いてきた…

 まさに、想定外…

 想定外の展開だった(笑)…

               
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