第14話

文字数 4,064文字

 「…な、なんだ? これは?…」

 私は、繰り返した…

 と、

 そこには、リンがいた…

 いや、

 リンがいたというより、部屋のあちこちに、リンが、絵で、描かれていた…

 ちょうど、一般家庭で言えば、部屋中至る所に、好きなアイドルのポスターが、張られているのと、似ている…

 ちょうど、中学生や高校生の男のコが、部屋中に、好きなアイドルの水着姿のポスターを、張っている…

 それと、同じで、この部屋には、あの台湾のチアガールのリンの絵が至る所に描かれてあった…

 しかも、

 しかも、だ…

 この部屋は、何度も言うように、美術館や博物館を改装した部屋…

 だから、部屋中に張ってある、リンの絵画もまた、芸術品だった…

 正直、リンの絵画は、大半が、チアガール姿か、水着姿だった…

 にも、かかわらず、いやらしさが、まるでない(笑)…

 あくまで、高尚というか…

 正直、変な感じだった…

 だから、うっかり、

 「…これでは、芸術品だな…」

 と、呟いてしまった…

 「…これでは、ダメだ…いやらしさが、まるでない…水着の写真もチアガールの写真もいやらしさが、なければ、ダメさ…」

 私が、力を込めて言うと、アムンゼンが、

 「…その通りです…矢田さんのおっしゃる通りです…」

 アムンゼンが頷いた…

 「…たしかに、キレイなんですが、いやらしさがない…これでは、聖母マリアを描いたのと、同じです…生身の姿が、まるでない…生身の生々しさがない…」

 アムンゼンが、嘆く…

 「…これでは、感情移入ができません…リンに、夢中になれません…正直、困ったものです…」

 アムンゼンが、続けた…

 私はそれを、見て、考え込んだ…

 その場で、腕を組んで、沈思黙考した…

 なぜ、沈思黙考したか?

 それは、この矢田とアムンゼンの意見が、一致したからだ…

 おそらく、初めて、一致したからだ…

 つまりは、この矢田が、アムンゼンに近づいている…

 アラブの至宝に、近づいている…

 と、いうことは、どうだ?

 いずれは、この矢田が、アムンゼンにとって、代わって、アラブの至宝と呼ばれる日が近づいている…

 そういうことではないのか?

 もちろん、一瞬だ…

 そんなバカなことは、ありえない…

 しかしながら、ほんの些細なことでも、凡人が、いわゆる天才と、同じように、考えたとき、

 「…ああ、こんな頭もいいひとでも、自分と同じように、考えるんだ…」

 と、感嘆するものだ…

 それと、同じだった…

 この矢田も、それと、同じだったのだ…

 私は、今、初めて、このアムンゼンと同じ位置に立った…

 初めて、同じ目線で、物事を、見た…

 そういうことだ…

 と、いうことは、やはり、この矢田も、近い将来、アラブの至宝と呼ばれる日が、近いのかも、しれん…

 なぜか、またしても、そんなことを、考えた…

 アムンゼンを見ながら、考えた…

 3歳のガキを見ながら、考えたのだ…

 そして、この矢田のアムンゼンを見る視線に、アムンゼンもまた、気付いたらしい…

 「…どうしました、矢田さん、そんな細い目で、ボクを見て?…」

 「…いや、この矢田も、オマエと、肩を並べたかも、しれんと、思ってな…」

 「…ボクと肩を? …冗談は、顔だけにして下さい…矢田さんが、ボクに叶うわけないでしょ? そもそも、ボクと矢田さんでは、比較の対象じゃ、ありません…」

 「…なんだと?…」

 「…いや、わかりました…今、このリンを見て、いやらしさが、足りないとボクが、言ったら、矢田さんも、同じことを、言った…つまり、考えたことが、同じです…だから、ボクと、矢田さんが、同じだと、思ったんでしょ?…」

 「…そうさ…」

 「…それでは、頭の悪い偏差値30代の工業高校を出た男が、東大卒の男より、早く仕事が終わったから、オレは、社会に出れば、東大卒より優れているんだと、豪語するのと、同じです…」

 「…なんだと?…」

 「…簡単なことも、難しいことも、同じに考える…それと、同じです…」

 私は、言葉もなかった…

 たしかに、その通り…

 その通りなのだが、悔しかった…

 このアムンゼンに言い負かされて、悔しかったのだ…

 だから、睨んでやった…

 口で、勝てんから、睨んでやった…

 さすがに、手を出すことは、できん…

 なにしろ、相手は、アラブの至宝だ…

 手を出せば、簡単に勝てるが、それでは、いかん…

 なぜなら、それは、誰でも、できることだからだ…

 だから、いかん…

 そもそも、この矢田は、暴力が、好かん…

 暴力が、苦手…

 だから、いかに、この矢田が、勝てる相手でも、暴力に訴えることは、ない…

 35歳の矢田だ…

 いかに、相手が、30歳でも、カラダが、3歳なら、勝てる…

 しかし、それは、せんかった…

 なぜなら、それは、私の流儀では、ないからだ…

 だから、せんかった…

 かといって、この矢田にできることなど、なにも、ない…

 だから、睨んだ…

 睨んだのだ…

 正直、それしか、思い浮かばんかった…

 思い浮かばんかったのだ(涙)…

 すると、なんと、このアムンゼンが、予想外の行動に出た…

 なんと、この矢田を睨み返したのだ…

 元々は、アラブの至宝と呼ばれるほどの頭脳の持ち主…

 家柄も良い…

 サウジアラビアの王族出身…

 前サウジアラビア国王の息子であり、現サウジアラビア国王の腹違いの弟…

 当たり前だが、プライドが、滅茶苦茶高い…

 まさに、百獣の王のライオン並みに高い…

 そして、そのプライドの高さを隠すことなく、この矢田を睨み返した…

 ライオン並みの気迫で、この矢田を睨み返した…

 私は、ビビった…

 もしかしたら、この矢田は、アムンゼンを本気で、怒らせたのかも、しれんかった…

 アラブの至宝を本気で、怒らせたのかも、しれんかった…

 だとすれば、どうなる?

 この矢田など、真っ先に、あの世に送られるかも、しれんかった…

 だから、それを、考えれば、怖かった…

 怖かったのだ…

 だから、とりあえず、睨むのは、止めようと思った…

 それゆえ、急いで、目を伏せた…

 すると、だ…

 「…おや、どうしました? 矢田さん、ボクを睨まないんですか?…」

 と、アムンゼンが、挑発した…

 3歳のガキが、こともあろうに、35歳の矢田を挑発したのだ…

 だが、

 この矢田トモコは、アムンゼンの挑発に乗らんかった…

 なにしろ、この矢田トモコは、35歳…

 たかだか、3歳のガキに凄まれて、同じレベルで、対応するわけには、いかんからだ…

 この矢田トモコは、大人…

 立派な大人だからだ…

 だから、せんかった…

 睨み返さなかった…

 すると、だ…

 「…二人とも、もういい加減にしましょう…」

 と、オスマンが言った…

 私と、アムンゼンの仲裁に入ったのだ…

 「…オジサンも、です…これ以上、やったら、矢田さんに嫌われますよ…」

 オスマンが、言う…

 「…矢田さんに、嫌われる? それが、どうした?…」

 「…矢田さんに、嫌われれば、あのマリアという女のコも、オジサンを嫌います…なにしろ、あのマリアは、この矢田さんに、なついている…それを、忘れたオジサンじゃ、ないでしょ?…」

 「…それは、わかっている…」

 アムンゼンが、憮然とした表情で、言う…

 「…わかっては、いるが…」

 「…ここで、矢田さんと争ってなんになります…それに、矢田さんは、来日するリンの世話をするそうです…オジサンは、リンの大ファン…ここで、矢田さんと争うのは、不毛でしょ?…」

 オスマンが、説得する…

 アラブの至宝を説得する…

 私は、それを、見て、

 「…プッ!…」

 と、吹き出す寸前だった…

 本来なら、見た目通り…

 二十代後半の長身で、イケメンのオスマンが、3歳の子供に、優しく、言い聞かせる…

 これは、まったくおかしくないのだが、事実は、違う…

 3歳のガキにしか、見えないアムンゼンは、実は、30歳の大人で、二十代後半の長身のイケメンのオスマンは、アムンゼンの甥…

 だから、実際は、甥が、オジサンをまるで、子供に言いきかせるように、説得しているのだ…

 だから、それを、考えると、笑ってしまう…

 つい、笑ってしまうのだ…

 そして、なぜか、このアムンゼンが、私の笑いに気づいた…

 「…矢田さん…なにが、おかしいんですか?…」

 と、いきなり、言ったのだ…

 私は、慌てたが、

 「…なんのことだ?…」

 と、知らんふりをした…

 その方が、都合がいいと、思ったからだ…

 「…矢田さん…ボクの目は、ごまかせませんよ…今、たしかに、矢田さんは、笑いました…矢田さんの大きな口が、ニヤリとしました…」

 アムンゼンが、憤慨する…

 が、

 私は、認めんかった…

 「…知らんな…」

 と、言い張った…

 「…オマエの見間違いだろ?…」

 「…知らないわけは、ないじゃないですか!…」

 アムンゼンが、激高する…

 私は、正直、ビビったが、今さら、笑いましたとは、言えんかった…

 口が裂けても、言えんかった…

 だから、なにも、言わんかった…

 これ以上は、なにも、言わんかった…

 すると、だ…

 「…オジサン…そんな感情的にならずに…」

 と、またも、オスマンが、私とアムンゼンの間に入った…

 「…オジサンは、相手が矢田さんだと、いつもの沈着冷静さは、どこへやら…まるで、子供に返る…」

 オスマンが、呆れた口調で言う…

 「…オジサンは、ホントは、矢田さんが、好きなんですよ…」

 「…なんだと? …この矢田が好き?…」

 「…好きでなければ、矢田さんに、こんな態度は、取りませんよ…」

 「…なんだと?…」

 「…オジサンは、きっと、矢田さんに甘えているんだと、思います…そうでしょ? オジサン?…」

 「…バカなことを、言うな!…」

 アムンゼンが、一喝して、否定した…

 「…ふざけたことを、言うんじゃない!…」

 アムンゼンが、怒った…

 しかしながら、その顔は、真っ赤…

 激怒して、真っ赤というよりは、ホントのことを、言われて、真っ赤になったというのが、真相というか…

 当てはまると、思った…

 思ったのだ…

               
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み