第2話

文字数 4,864文字

 私は、その後、絞られた…

 警察署で、こってり、絞られた…

 しかも、

 しかも、だ…

 夫の葉尊まで、警察署にやって来た…

 日本の総合電機メーカー、クールの社長である、葉尊まで、警察署に、やって来た…

 「…お姉さんが、ご迷惑をおかけして、申し訳ありません…」

 と、私を見るなり、開口一番、謝った…

 警察署に入るなり、丁寧に腰を折って、詫びた…

 私は、それを見て、いたたまれんかった…

 まさか…

 まさか、夫まで、警察署にやって来るとは、夢にも、思わんかったのだ…

 それになにより、夫の葉尊が、警察署に、姿を見せるや、警察署内の婦人警官たちが、

 「…ちょっと、いい男…」

 とか、

 「…ウソ? …あのオバサンの旦那が、あんないい男なんて、信じられない!…」

 とか、

 言う声が、聞こえてきた…

 私の耳に届いた…

 が、

 私は、なにも、せんかった…

 正直、頭には、来たが、なにも、せんかった…

 これ以上、騒動を巻き起こしては、困るからだ…

 だから、なにも、言わんかった…

 グッと耐えた…

 拳を握りしめて、グッと耐えた…

 耐え抜いた…

 臥薪嘗胆…

 堪え難きを耐え、忍び難きを忍び、だ…

 私は、無理やり、自分の感情を抑えて、警察署を出た…

 正直、惨めだった…

 どうしようもなく、惨めだった…

 外に出ると、アムンゼンとオスマンが、待っていた…

 私は、つい、

 「…リンダは?…」

 と、聞いた…

 リンダの姿が、見当たらんからだ…

 「…リンダさんは、お仕事に出かけました…」

 と、アムンゼンが、言った…

 「…仕事だと?…」

 「…そうです…だから、朝から、あんな格好をしていたでしょ?…」

 …言われ見れば、その通り…

 その通りだった…

 あのリンダ…

 リンダ・ヘイワースは、普段は、男の恰好をしている…

 男装をしている…

 その方が、目立たないからだ…

 ハリウッドのセックス・シンボル…リンダ・ヘイワースと、周囲にバレないからだ…

 だから、男装をしている…

 男の恰好をしている…

 が、

 あのリンダは、実は、性同一性障害…

 いわゆる、カラダは、女だが、心は、男というやつだ…

 だから、普段は、男装をして、ヤンと、呼んでくれと、周囲に言っている…

 しかしながら、この矢田は、それを、信じていない…

 もちろん、頭から、否定しているわけではない…

 それは、なぜかと、言えば、私の夫の葉尊の、もう一つの人格…

 葉問と、仲が良いからだ…

 どう見ても、恋人同士…

 美男美女のカップルだからだ…

 私の夫の葉尊は、多重人格…

 いわゆる、一つの人間の中に複数の人格を持っている…

 葉尊と葉問という二つの人格を持っている…

 葉尊は、日本の総合電機メーカー、クールの社長…

 弱冠、29歳の若き、社長だ…

 なぜ、弱冠、29歳で、日本の総合電機メーカー、クールの社長になれたのか?

 それは、クールが、経営不振に陥ったから…

 クールの業績が悪化して、台湾の大財閥、台北筆頭に買収されたからだ…

 だから、台北筆頭を率いる、葉尊の父、葉敬が、買収したクールの社長に、息子の葉尊を送り込んだというわけだ…

 だから、わずか、29歳にも、かかわらず、日本の総合電機メーカー、クールの社長になったわけだ…

 私が、そんなことを、考えていると、いっしょに、警察署を出てきた、夫の葉尊が、

 「…では、お姉さん…これで…」

 と、言って、足早に、待たせてある、クルマに向かって、歩き出した…

 「…なんだ? …葉尊、もう行くのか?…」

 「…仕事がありますから…」

 「…そうか…」

 私は、言った…

 たしかに、夫の葉尊は、クールの社長…

 これから、会社に出かけねば、ならん…

 「…わざわざ、すまんかったさ…」

 私が、言うと、葉尊は、軽く私に頭を下げて、待たせてある、クルマに向かって、歩いていった…

 私が、その姿を見つめていると、

 「…葉尊さんも、大変ですね…」

 と、アムンゼンが、抜かした…

 「…大変? …なにが、大変なんだ?…」

 「…矢田さんの面倒を見ることが、大変なんですよ…」

 「…私の面倒?…」

 「…だって、葉尊さんが、偶然、この警察署にやって来るわけは、ないでしょ? …矢田さんが、自分は、クールの社長夫人だって、言うから、ホントかどうか、警察は、確かめるために、葉尊さんに、連絡したに、決まっています…だから、ここへ、来たわけでしょ?…」

 言われてみれば、その通り…

 その通りに違いなかった…

 まさか、誰にも知らされないで、いきなり、警察署に、やって来るわけは、ないからだ…

 誰かから、連絡を受けたに違いなかった…

 そして、その誰かとは、普通に考えれば、警察の関係者に他ならなかった…

 当たり前のことだ…

 「…しかし、だったら、オマエは、どうして、ここにいるんだ?…」

 「…矢田さんを、待っていたに、決まっているじゃないですか?…」

 「…私を待っていた?…どうしてだ?…」

 「…だって、葉尊さんが、やって来ても、仕事があるから、矢田さんの面倒は、見れないでしょ? …だから、心配で、心配で…」

 アムンゼンが、言う…

 3歳のガキが、言う…

 3歳のガキが、35歳の矢田トモコに言う…

 たしかに、中身は、30歳かも、しれんが、外見は3歳…

 誰が見ても、3歳にしか、見えん…

 その3歳のガキが、母親といっていい、年齢のこの私を心配とは?

 うーむ…

 これでは、コント…

 コント=お笑いだ…

 実は、この矢田トモコ…

 人一倍、世間の目を気にする女だった…

 世間から、どう見られるか?

 気にする女だった…

 だから、今、このアムンゼンが、生意気にも、この矢田を心配するようなことを、言った…

 それを、誰かが、聞いていないか?

 私は、慌てて、周囲を見た…

 当たり前だった…

 「…ちょっと、矢田さん…なにを、キョロキョロ見ているんですか?…」

 「…いや、誰かに、オマエとの会話を聞かれたりしたら、困ると思ってな…」

 「…どうして、困るんですか?…」

 「…バカ、私の面子があるからだ…」

 「…矢田さんの面子?…」

 「…そうさ…」

 「…どんな面子ですか?…」

 「…クール社長夫人の面子さ…」

 「…クール社長夫人の面子?…」

 「…そうさ…クール社長夫人の私が、オマエのような、大人びた、生意気なガキとしゃべっているのが、世間にバレると、私の株が、下がる…しいては、クールの株も下がると困ると、思ってな…」

 「…ふざけないで、下さい!…矢田さん…ボクを誰だと、思っているんですか?…」

 「…アラブの至宝だろ?…」

 「…そうです…」

 アムンゼンが、胸を張って言う…

 「…誰も、オマエが、そうだとは、思わんさ…」

 「…」

 「…人間は、見た目さ…外見さ…中身なんて、少々、悪くても、バレやしないさ…」

 「…だったら、矢田さんは、外見も中身もダメじゃないですか?…」

 「…なんだと?…ふざけるんじゃないさ!…私のどこが、ダメなんだ?…」

 「…全部です!…」

 「…全部だと?…」

 「…そうです…ルックスも悪ければ、頭も悪い…性格も、最悪です…」

 「…なんだと?…」

 「…せっかく、矢田さんを心配して、待っていたボクに向かって、よくも、そんな口をきけますね?…」

 「…なんだと?…そもそも、どうして、オマエは、私が心配なのさ…」

 「…矢田さんは、頼りないんですよ…」

 「…頼りないだと?…」

 「…そうです…頼りない…」

 「…どこが、頼りないと、言うのさ?…」

 「…全部です!…」

 「…全部だと?…」

 「…加えて、矢田さんは、危なっかしい…だから、ボクは、心配で、心配で…」

 3歳のガキが、35歳の矢田を心配だと?

 私は、頭に来た…

 ホントは、中身は、30歳かも、しれんが、3歳にしか、見えんガキに、ここまで、言われるとは?

 この矢田の我慢も限界だった…

 35歳の私も、大人げないとは、思うが、

 「…もう、オマエとは、付き合わんさ…」

 「…金輪際、オマエの面倒は、みてやらんさ…」

 と、言おうとしたところ、

 「…まあまあ、二人とも、そんなにケンカしなくても…」

 と、オスマンが、私とアムンゼンの間に、割って入った…

 「…オジサンも、そんなに、ムキにならないで…いつもの冷静沈着さは、どこへ行ったんですか?…」

 「…それは、相手が、矢田さんだから…」

 「…私だから?…」

 「…そうです…」

 アムンゼンが、ムスッと言うと、歩き出した…

 一人で、歩き出した…

 その姿を見て、オスマンが、慌てた…

 「…ボクは、オジサンの面倒を見なければ、なりません…オジサンは、あのカラダだ…一人では、危ない…」

 私にそう言うと、慌てて、アムンゼンの後を追った…

 そして、去り際に、私に向かって、

 「…オジサンが、ここまで、心を許して、接するのは、矢田さんだけですよ…」
 
 と、言った…

 「…私だけ?…」

 「…オジサンは、本来、気難しいひとです…それが、矢田さんの前では、一転して、子供に返る…たいしたものです…」

 そう言ってから、慌てて、オスマンは、アムンゼンの後を追った…

 なにしろ、アムンゼンは、3歳の幼児にしか、見えん…

 ホントは、30歳で、頭脳は、驚くほど、明晰…

 アラブの至宝と呼ばれるほど、明晰なのだが、あのカラダでは、すぐに、さらわれかねない…

 誘拐されかねない…

 だから、いつも、オスマンが、近くにいる…

 要するに、オスマンは、アムンゼンのボディーガードに他ならない…

 アムンゼンを一人きりにするわけには、いかんからだ…

 もし、アムンゼンの正体を知っているものが、いれば、簡単にアムンゼンをさらうことが、できる…

 なにしろ、外見は、3歳の子供だ…

 大人なら、誰でも、簡単に、さらうことが、できるからだ…

 だから、慌てて、オスマンは、アムンゼンの後を追った…

 私は、その姿を見て、つくづく、ひとは、すべてに、恵まれて、生まれるわけでは、ないと、思った…

 あのアムンゼンは、サウジアラビアの王族で、サウジアラビアの前国王の息子の一人…

 しかも、頭脳明晰だ…

 だから、莫大な富を持ち、権力も持っている…

 しかしながら、あのアムンゼンは、小人症…

 一生、子供のまま…

 大人になれない…

 子供の姿のまま、一生をすごすことになる…

 これは、とんでもなく、苦痛…

 苦痛に違いない…

 せっかく、富にも、権力にも、頭脳にも、恵まれて、生まれてきているにも、かかわらず、唯一、カラダにだけ、恵まれていない…

 だから、それを、思えば、人間は、公平かも、しれない…

 なぜなら、すべてを、持って、生まれてくる人間は、この世の中に、いないからだ…

 ルックスが、良く生まれても、家が、貧乏だったり…

 あるいは、

 ルックスが、良く生まれても、背が低かったり、頭が、悪かったり…

 真逆に、

 金持ちの家に、生まれても、ルックスが悪かったり、頭が悪かったり、性格が悪かったり…

 とにかく、すべてを持って、生まれた人間は、誰もいないというわけだ…

 だから、それを、思えば、公平…

 人間は、公平だ…

 誰にも、なにがしらの長所があり、短所がある…

 それを、思えば、公平だ…

 が、

 さすがに、そうは、思ったが、あのアムンゼン…

 たしかに、辛いかも、しれん…

 と、いうことは、どうだ?

 やはり、この矢田が、面倒を見てやるしか、ないかも、しれん…

 少しばかり、面倒を見てやるしか、ないかも、しれん…

 なぜか、そう、思った…

 なぜか、話が、そこにいった(爆笑)…

 まあ、私は、今、暇…

 暇だ…

 バイトもしてない…

 いわゆる、無職状態…

 それになにより、あのアムンゼンに恩を売っておけば、この矢田に、有利になる…

 もしかしたら、この矢田にも、少しばかり、金をくれるかも、しれん…

 そうすれば、働かずとも、金になる…

 働かずとも、金を得ることが、できる…

 私は、思った…

 私は、考えた…

 この矢田トモコ、35歳…

 実は、とんでもなく、抜け目のない女だった…

 計算高い女だった(笑)…

               
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